15 北国にも春、来る。
一夜明け、どうにかディアナとケインの涙は止まったようだった。僕も大神警視もすっかり泣きはらした目になってしまって、濡れ手ぬぐいで冷やしたりしたけれど、少しマシになる程度。これでは人前に出にくいし、昨夜の騒ぎで大人達は大層忙しくしていたので、僕らはそっとしておいてもらえた。
本当なら、魔力が尽きたはずだったディアナが何故魔法が使えたのかだとか、魔笛を持った男を捜し出すようロイに指示をしたことなど、僕らにも話を聞きたかったところだろうに。グレイ伯爵は父親に襲われた幼児の心境を慮ってか、しばらく時間をくれたのだろう。うん、フレアローズ城では体育会系の直情型のように言われていたけれど、なかなか細やかな気遣いのできる御仁である。ありがたいことだ。
グレイ伯爵が僕らの様子を見に来たのは、そろそろ夕方になろうかという頃だった。
今後の事を話し合う必要があるから、と呼びに来てくれたのだ。
案内された部屋は、グレイ伯爵の執務室だった。部屋に入ると扉の正面になる壁に大きな窓があり、その窓の前に、扉と向き合うように重厚な樫の机が鎮座している。その正面には二人がけのソファーが向かい合うように並び、間に背の低いテーブル。執務室と呼ばれる部屋に良くある家具の配置だった。
そんな中、目を引いたのはテーブルの上にいかにも貴重品と解る扱いで置かれていたものだ。絹地で覆われた豪華なクッションの上に、ちょこんと収まっていた伝言水晶――正式名称、でんでん伝言水晶・改である。
レイナードさんはかなりあの道具をぞんざいに扱っていたので、この下にも置くまいという丁重な扱いには少し驚いた。
伝言水晶は既にレイナードさんと、フレアローズ城のシモンズさんと繋がっていて、シモンズさんと一緒にロックヒルさんとネルソンさんもいるようだった。ろくな通信設備のないこの世界で、馬車で何日もかかる複数の場所を繋ぐ遠隔会談が実現しているなどと、きっとこの世界の人々は想像もできないことだろう。
レイナードさんもシモンズさんたちも、まずは僕らの無事を喜んでくれた。その上で、昨夜のことを改めて聞かれたので、大神警視が淡々と説明をする。どうやらロイからも既に事情は聞いていたようで、証言に食い違いがないかの確認の為の質問であったようだ。
『本当に、ご無事でようございました』
『まったくだよ。ハンスも驚いただろうね、ディアナが杖もなしでそれほど魔法を使いこなせるだなんて、思ってもいなかっただろうから』
「……あの方は、それが気にくわない様子でしたね」
レイナードさんの言葉を拾い、大神警視が疑問を口にすれば、微妙な沈黙が落ちた。これは僕らは昨夜からずっと引っかかっていたことだ。ディアナが嗚咽の合間に言っていたからだ。
――じょうずに魔法がつかえるようになれば、ほめてもらえるかもしれないと思ってがんばったけど、そうするとあの人はとてもこわい顔をするようになったの。
どうしてかしら、何がいけなかったのかしら。
そう、泣いていた子どもに、何も悪いことなどないと言い聞かせるのはなかなか大変だったのだ。
「……生まれ持っての魔法の才というものを、彼奴は憎んでおったのだ」
僕らの疑問に答えてくれたのは、グレイ伯爵だった。
語ってくれたのは、きっとハンスの供述から導き出した動機なのだろう。
ハンス・グローリアは、グローリア辺境伯家を憎み、恨んでいた。特に、先代領主であるアーネストを。本当ならば、ハンスの父であるダリウスこそが長子としてグローリア辺境伯家の正当な後継者となっていたはずだからだ。
けれど、ダリウスには生まれつき、魔力がなかった。貴族にしては低い、という程度ならばまだそこまで扱いは悪くはなかっただろう。だが、血無しと呼ばれ蔑まれる程に、なかった。
その為に、ダリウスは悲惨な人生を歩むはめになり、ハンスが嘲るように笑いながら語った半生は確かに憐れなものであったそうだ。子どもの前だからと遠慮して、グレイ伯爵は詳細は語らなかったが、彼の表情からその程度は推測できる。グレイ伯爵にとっても兄に当たる男性は、それは酷い目にあっていたのだろう。
そうして、それを間近に見ていたハンスは、父と自分を苦境に追いやったのは、グローリア辺境伯家だと見なした。次男ながら魔力の高さを評価され、跡継ぎとなったアーネストは、ハンスから見れば薄汚い簒奪者だったのだ。
だから……ハンスにとっては、自分こそが正当な後継者であるべきだった。そうして、自分の後を継ぐのは……アーネストの孫ではいけない。セレスティアの産んだ子どもが当主など、認められない。ダリウスの血統こそが正統であると信じていたハンスは、愛人との間に子を授かったことにより、かねてからの計画を実行したのだ。
まず、先代グローリア辺境伯夫妻と護衛騎士たちに、一時的に魔力操作を阻害する効果を持つ魔法薬を入れたお茶を飲ませ、事故に見せかけ殺害した。そうして辺境伯代理となった後、後継者のディアナとケインを暗殺する。その後、次に継承順位の高いグレイ伯爵を、大氾濫の混乱に乗じて、手にかける計画だったようだ。
レイナードさんに対して特別手段を講じていないのは、彼が変わり者で有名で、独身であったからだろう。そもそもレイナードさんには後継者となる子孫がいないし、年齢を考えれば今更辺境伯家を継ぐに適切とも言い難いのだから。
そこまで近しい血縁者をことごとく殺してでも、ハンスがグローリア辺境伯家を欲したのは、名誉欲や権力欲ではなく……それこそが亡父への弔いであり、復讐の完遂であると考えていたからのようだ。
「……何というか、他にやりようはなかったんでしょうか」
憂鬱な気持ちが、声にそのまま出てしまった。しかしこの場で取り繕う必要も感じられなかったので、そのまま溜息もつけておく。
ダリウス・グローリアの不幸については、確かにグローリア辺境伯家が原因と言えるから、グレイ伯爵もレイナードさんもこれについては歯切れが悪い。実際、気持ちは咎めているのだろう。しかしいくら憎まれるに足る理由が家門にあったとしても、それはそれ、これはこれだ。
「ケインの言うとおりです。自分が不幸だったからと言って、他人を傷つけていい道理などありません。ましてや、あの人は十分にグローリア家から恩恵を受けてきたのですから」
「……ああ、その通りだ。残念だが、彼奴の罪を放置はできん」
大神警視の指摘に、グレイ伯爵は重い口ぶりで頷いた。レイナードさんもシモンズさんも異論はないようだ。恐らく、僕らを呼ぶ前に、ある程度今後については話し合っていたのだろう。
これはグローリア辺境伯家の問題であるのだから、本来赤の他人である僕らが口を挟むのも憚られる。ディアナやケインの不利になるような事があれば、全力でどうにか干渉するつもりだが、そうでなければこの家の大人達が方針を決めてくれるのが一番だ。
ハンスは少なくとも、先代辺境伯夫妻とその護衛騎士たちを暗殺し、ディアナとケイン、メリッサ・アルフィアス男爵夫人をも手にかけようとした。それだけでなく、この半年の魔獣騒ぎの多くは、魔笛の効果によるものだ。特に大氾濫を故意に引き起こしたことが一番の問題で、これによってことはグローリア辺境伯家だけで処分できる問題ではなくなってしまっている。
まあ、普通に考えて、国家反逆罪に問われる案件なんだよな……。なんせグローリア辺境伯家で抑え切れなかったら、他の領に……ガロリア皇国全体に問題は波及してしまっただろうから。
下手をしたらお家お取りつぶしもありうるような大問題なのだから、大人達が頭を抱えるのも無理なからぬことだ。ゲームのシナリオでも、この一連の事件がおきていたのかは解らない。もしかすると、これこそディアナ視点だったというファンディスクにでも描かれていたのかも知れないが……。そうだとしたら、一体どうやってことを収めたのだろう。ゲーム内で、グローリア辺境伯家は北方の大貴族という立ち位置だったし、罪人の子なんて描写はなかったはずだ。
「ハンスの極刑は免れんだろう。あとは……どのように皇王陛下にご説明したものか……」
『最低限降爵は覚悟すべきかもしれませんね……』
いかにしてグローリア辺境伯家の被害を抑えるか……。そこに苦慮する大人達。その様子を見て、大神警視は「差し出口を申しますこと、お許しください」と口を開いた。
「いっそのこと、皇家も巻き込んでしまえばよろしいのではないでしょうか」
「…………」
『…………え?』
「…………は?」
にっこりととんでもないことを言い放った大神警視に、しばらくの間、誰も意図を理解することはできなかった。
***
結論から言うと、大神警視の提案は全面的に採用された。
警視の言い分は、こうだ。
そもそもの発端は、『血無し』への差別にある。これは皇国全体の問題であり、グローリア辺境伯家だけのものではない。特に注目すべきは、ダリウスを迫害した当時のグローリア辺境伯が、元皇族で、男子の居なかった辺境伯家に婿養子として入っていたことだ。
ディアナの祖母も元皇女で、義父とは元々叔父姪の関係にあった。その為幼少の頃からアーネストとは幼馴染みとして育ち、自然互いに憎からず思い合うようになり婚約が整ったのだ。……というのは表向きの話で、ディアナの曾祖父は、自分の子に『血無し』が生まれたことを酷く気にしており、汚点と考えていた。その為、息子に自分と同じ皇家の娘を娶らせることで、自分の子孫に二度と『血無し』が現れないように、と画策したのだという。
このことは、当然曾祖父の甥にあたる現皇王陛下も重々承知だ。現皇王が即位するにあたり、ディアナの曾祖父は随分手助けをしたそうだから、影響力はかなり強かったのだろう。
婿養子となっても、皇国で最も高貴な血筋であることを誇っていた曾祖父。彼のダリウスへの迫害は、実の親子とはとても信じられないほど徹底したもので、その冷酷さは今でもグローリア辺境伯家の兄弟と、皇王陛下とが揃うと話題になることもあったほど。
皇王陛下とアーネストは学友で、グレイ伯爵も皇太子の頃から交流のある相手なので、気心も知れている。だからこそ、グレイ伯爵からハンスのやらかしたことを、「両親があまりに非道な仕打ちをしたばっかりに……」と切々と語ってやるのが効果的だ。
もちろん、いくら叔父の非道に端を発したものであっても、皇王としては同情はしてもあまり甘い対応はできないだろう。そこで登場するのが、テユール様である。
今、市井では曾祖父のせいで実の父に恨まれ、命を狙われた幼い姉弟が、古き神の加護を得て、父の陰謀を暴き新たな領主となる――という芝居が大流行している。
元は吟遊詩人の歌であったものが、芝居となり、ほんの二、三ヶ月のうちにあっというまに皇都でも大流行するようになったものだ。
もちろん、極秘であるが、仕掛け人はグローリア辺境伯家である。シナリオを書いたのは、何を隠そう僕だ。と言っても、大神警視が提案した大筋に、いろいろブラフや脚色を加えたものだけど。いやぁ、まさかこんな空前の大ヒットになるなんて……。意外な才能に我ながら驚きを隠せない。
……なんて、解ってるよ。
実話がベースだって誰もが知ってるからこそのヒットだっていうのは。
もちろん芝居の中の登場人物や家名、地名、国名すらも、固有名詞はほぼ全て架空のものだけど、庶民だってこれがグローリア辺境伯領で起こったできごとだっていうのはみな知っている。何故なら、時期的に起こるには不自然な大氾濫については、隠しようもなかったからだ。
ランセンの街では、テユール様の背中に乗って城塞へと向かう二人の子どもの姿も多数に目撃されている。北の砦に詰めていた騎士達には大々的にテユール様を宣伝していたわけだし、グローリア辺境伯家の後継者が、神様と共に戦場に降り立ったという話は、その日の晩にはとっくにランセンの街に広まっていたのだ。
その人々の口コミを補強する形で、吟遊詩人が歌を作り、それが庶民の間で流行りだした頃、まずはグローリア辺境伯領内で旅芸人が件の芝居を公演した。この旅芸人を仕込んでくれたのは、サリバンさんだ。
民衆は、解りやすい悲劇や喜劇、冒険活劇を好む。子どもたちの年齢が、まだたったの六つというのも同情を誘うには十分だ。悲惨な目にあった幼子が、神様の加護を得て、魔獣の襲来を阻止し民を守る決意をする、という筋書きは、悲劇としても冒険譚としても王道のストーリー。そう、王道がなぜ王道かって、万人受けするからなんだよな。
つまり――ハンスやグラスベリー子爵、アルフィアス男爵らを拘束し、徹底的な取り調べと、物証の確保、目撃情報や関係者の証言などを集め、精査し、供述書としてまとめるのに二ヶ月。グレイ伯爵セドリックが、皇都へ報告の為に北の山嶺を旅立って、到着するまでに更に一ヶ月。
皇王陛下へ直接面談を申し入れ、事情説明を行ったその日には、皇都で「話題の芝居」として公演されるようになっていたのである。
それも、初演を大盛況で終え、連日満員御礼という人気ぶり。
恐らく、芝居の内容が『血無し』を虐待したが故の悲劇であり、最も冷徹な扱いをしたのが現皇王陛下の叔父であることから、近く上映中止になることだろう、ともっぱらの噂である。その噂が、今観にいかないと二度と観れなくなるかもしれない、と市井の人々を煽っている面もあるだろう。
ちなみに、芝居のタイトルは『テユール』。固有名詞は全て架空のものだが、唯一の例外が、テユール様だ。
「……まったく、我はなんとも出来物を引き当てたようだな。まさかたったの三月程度でここまで力が戻ろうとは思わなんだぞ」
フレアローズ城の中庭。僕らにとって馴染み深くなってしまった池の畔で、テユール様はしみじみとそうおっしゃった。
季節はすでに花月も末。北の地であるグローリア辺境伯領でもとうに雪も溶け、うららかな春の日差しが庭園を柔らかく照らしている。フレアローズ城の庭のあちこちで色とりどりの花が咲き誇り、そんな中で大きな白い狼がくつろいでいる姿は、まるで童話の挿絵のようだ。
「認知は力となるとおっしゃっておりましたので」
「いやー……。まさか本当にこんなにうまくいくとは思いませんでしたよ……」
世間の同情をグローリア辺境伯家の幼い姉弟に集め、当主代理が私怨により皇国を危機に晒した罪が、その企てを暴いた子ども達にまで及ばないようにする作戦は、おおむねうまくいった。ここまで世論が同情一色になると、グローリア辺境伯家に直接的な罰は課しにくいだろう。ハンスらの処刑は免れないが、辺境伯家は当主代理を交換し、罰金や謹慎を命じられるくらいだろう。と、いうのがシモンズさんの予想だ。
いずれディアナかケインくんが継ぐお家を守る為の世論操作と、テユール様のプロデュース。一石二鳥を狙ったのがうまくいきすぎて、ディアナとケインが神童だの神の寵愛を受けた御子だの言われるようになっているのがアレだけど。その辺は今後、どんどん「全てテユール様のおかげです」とでも言って、テユール様に転嫁していくつもりだ。テユール様万歳。
……もっとも、全てがうまくいったわけではない。
ハンスとその共犯者たちは重罪になるだろうというのは、やったことがことだけに仕方のないことなのだが……。
結果としてディアナの父親を極刑に追い込んだことになる。加えて、ハンスとその愛人の間に授かった赤子も流れてしまった。今回の騒動は、産み月を控えた女性にとっては相当なストレスだったのだ。無理もないとは思う。そもそも、この世界の出産はただでさえ命がけだ。僕らの世界のように医療が発展していても、百パーセント安全な出産などありえないのだから、この世界では推して知るべし。
産まれてくる子に罪はない。無事に産まれたら、グローリア辺境伯家に迎えることは難しくとも、どこか安全な預け先を探そう、そう準備をしていた矢先のことだった。不幸中の幸いでハンスの愛人は一命をとりとめたが、今後子どもを産めるかはもう解らないと診断されている。その女性は、ハンスがやろうとしていることまでは知らなかった。ただ、自分が辺境伯夫人になるのだと、そう聞かされ、信じていただけ。
すっかり憔悴し、まだ病床にあるその女性には、できるだけ腕のいい医師をつけるように指示しているけれど、立ち直れるかは本人次第だろう。
赤子だけではない。白鷲山で魔鳥に襲われた御者も、懸命の治療の甲斐なく亡くなった。ハンスに不意をつかれ、風魔法をまともに食らった護衛騎士も、重症を負ってしまい、しばらく療養が必要な状況だ。魔笛による魔獣騒ぎでも、多くの人が亡くなっている。その全てが、ひとりの男の憎しみに巻き込まれてのものなのだ。
人の死が伴う事件に、後味のいいものなどない。そんなことは解っていたけれど、この結果はなかなか堪えた。
そんなわけで、顔には出さないまでも少し落ち込んでいた僕らだったが、今日はひとつ、良いこともあった。
「テユール様の神殿も、先だって着工できました。完成は来年になりそうですが」
「構わぬ。それまでは仮住まいで我慢してやる。……その頃には、我の力も、お主らの願いを叶えてやるくらいには回復するだろうさ」
「……! そう、ですか」
「……何卒、よろしくお願いいたします」
僕らの願い。
ディアナとケインの魂を、保護すること。
大神警視が子ども達の名前が広まり、注目を集めることになるリスクを取ってでも、テユール様の名前を大々的に宣伝する手段を取ったのは、その為だ。
芝居のタイトルにテユール様の名を借りたのも、テユール様が圧倒的に格好良く活躍しているように描写したのも、全部。
テユール様の名が広まり、多くの人にそのような神が居たのだと、幼子を助けてくれる優しく勇敢な神様なのだと認知されること。それがテユール様の力の回復に繋がるから。
現在はフレアローズ城内にテユール様を祀る仮祭壇を作っており、神殿は城を擁するゴルウィック山の一部を切り開き、建設予定である。本来なら数年はかかるような工事だが、急務として土魔法が使える騎士達の手も借りて、基礎工事に着工した。これはテユール様のご意志である、と言えば、魔法を戦闘以外に使うことを渋った騎士達も嬉々として協力してくれたので、工期短縮も期待できるだろう。
一年――。
その頃まで、僕らはまだこの世界にいるのだろうか。できれば元の世界に帰っていたいところだけど、難しいだろうことは理解している。
だから、今は。
あの子達が抱えるリスクを、減らす目処がついたことを、ただ喜んでいよう。