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11  ハンス・グローリア




 やっとテユール様が満足して、地上に降ろして貰えたと思ったら、城壁の外で戦闘に従事していた騎士達が、跪いて頭を垂れてきたのを目にしたときの僕の心境を察してほしい。

 思わずびくっとして硬直してしまったのは仕方ないことなのだ。

 しかしこんな時でも大神警視は落ち着いたもので、テユール様に向き直ると、騎士達と同じく膝を折って最敬礼をした。慌てて僕も、警視の隣で同じように膝を折る。


「恐るべき魔獣を討ち払い、我らが危機をお救いくださったこと、篤くお礼申し上げます。グローリア家長子、ディアナ・グレイス・グローリアはあなた様をあらたなる守護神として、生涯敬い、信仰を捧げることをここに誓いましょう」

「……良かろう。許す」


 恭しく誓いの言葉を並べ立てる大神警視に、テユール様はすぐに意図を察したか、愉しげに目元をたわませ、厳かにそう述べた。


「ありがとう存じます、テユール様」


 大神警視が頭を下げたまま微笑めば、そのときにはもう、テユール様の姿は目の前から消えていた。一瞬にして姿が掻き消えたが、かすかに気配はある。恐らく、人の目に見えぬよう姿を隠したのだろう。


 なんの茶番だこれ、と内心僕は思ったりもしたのだけれど。凄まじい力で数多の魔獣を蹴散らした猛々しい神の力と、一転静謐な印象を与える先の佇まいは、十二分にこの世界の人々の心を打ったようだ。

 特に、この三日間ほぼ不眠不休で迫り来る魔獣との戦闘を繰り広げていた騎士たちにとっては、まさか神話の中にしかおらず、人の前に姿などあらわすわけもない神に救われるだなどと――。思いも寄らない体験は、彼らの疲れ切った心身をいたく刺激したのは想像に難くない。


「うぉぉおおぉぉ!!」

「万歳!! テユール様万歳!!」

「グローリア辺境伯家、ディアナ万歳!!」


 拳を天に突き上げ、野太い歓声があちこちであがる。

 勝利を祝う凱歌を歌いだす者さえあった。

 テユール様の名前の他に、ディアナの名も上がったが、ディアナが新たな守護神を連れて窮地を救いに来たのだ、と解釈してくれたのなら、まさしく警視の思惑通り。……詐欺かな? とちょっと思わなくもないけれど、実際テユール様は全力で闘ってくれたのだから、十分グローリア辺境伯家の新たな守護神として祀るにふさわしいんじゃないかな、うん。


 こうして、大神警視の「どさくさ紛れに神様をプロデュース計画」は大成功に終わった。グローリア辺境伯家、ひいてはガロリア皇国の危機も救ったのだから、まさに一石二鳥である。


「……ディアナ、ケイン」


 渋い声に名を呼ばれ、僕らはゆっくり振り返った。柄にヒビの入った巨大な戦斧を持った老騎士が、厳つい顔に嬉しげな笑みを浮かべて歩み寄ってくる。ひときわ立派な鎧には、グローリア辺境伯家のものと似た、けれど少し異なる意匠の文様が彫り込まれていた。声は聞き覚えがある。伝言水晶越しに聞いたばかりの声――となれば、この老騎士はセドリック・グレイ伯爵に違いない。


「ふたりとも、よく来てくれた。まさか古き神の守護を得て飛んできてくれようとは……!」


 心底驚いたぞ、と豪快に笑うグレイ伯爵。……そういえば、テユール様のことは彼には説明していなかった、ような?

 グレイ伯爵の方も、大氾濫が起きたことでばたついていて、伝えられたのはせいぜい、僕らがグラスベリー子爵とアルフィアス男爵に殺されたかけたこと、恐らく主犯はハンスであること。ハンスが傭兵たちを引き連れ北の山嶺に向かっているので注意して欲しいということ。僕らもそちらに向かっていること……くらいだったような。


 うん、言ってないな、テユール様のこと。


 上機嫌のグレイ伯爵は、ケインくんの祖父であり、ディアナの大叔父ということもあり、僕らを大歓迎してくれた。


「ケイン、大きくなったな。会ったのは赤子の頃だったが……。うむ、父にそっくりだな、お前は」

「え、ええっと、ご無沙汰しております……」


 ぐりぐりと頭を撫でられる……というより、上から押し込まれているような感じだが、親しみの籠もった仕草には違いない。グレイ伯爵とケインくんは、ケインくんが覚えている限りでは会ったことがなかったようだけど、それはグレイ伯爵がこの城塞から離れられない立場だったからだろう。息子夫婦が訪ねるにしても、フレアローズからですら、ここまで馬車で五日はかかるのだ。グローリア辺境伯家がいかに広大かというのがよく解る話である。

 こう遠くては、しかもそこば魔獣がいつ現れるかも解らないような土地だとなると、そうそう幼い子どもを連れて訪ねることもできないのは仕方ない。


「ディアナは兄上の葬儀の時に会ったが……。ふむ、顔つきが随分変わったな。しかし、ドレスで戦場に降り立つとは、まるで神話の戦姫のようではないか。怪我はないか?」

「大丈夫です。ずっとテユール様と一緒に居ましたから」

「テユール様……あの古き神の御名だな」

「はい。白鷲山の隣にそびえる白狼山に坐します一柱にございます。吹雪の中さまよっていた我々をお助けくださいました」

「なんと……。そうか、お前達をお救いいただいたのみならず、このような遠き地にまで赴いてお救いくださるとは……。なんと慈悲深い神であろうか」


 ぐっと握り拳を胸にあて、感激するグレイ伯爵。見るからに体育会系といった雰囲気だけど、ちょっと思い込みが強そうな感じがするな……?


「篤く礼を申し上げねば……。ああ、そうだ、お前達も疲れただろう。部屋を用意させるから、休みなさい。おい! ふたりを客間に案内せよ。丁重にもてなすのだ」

「いえ、大叔父上、まだ話さねばならないことが……」

「解っておる。場所を移すだけだ。私もこんな姿だからな。血塗れで子どもの相手をしたなどと知られたら、妻に張り手を食らわされるわ」


 と、豪快に笑ったグレイ伯爵だったけれど……。残念ながら、場所を移して改めて話をするような時間はなかった。

 何故と言って、ハンス・グローリアが傭兵隊とともに、エンランドの街に乗り込んできたからだ。




 ***




 北の砦――正式名はエンランド城塞の正門前広場は、無骨な城塞の中で唯一といっていいほど装飾的な植栽で整えられている。これは希に、視察やら何やらで皇家や有力貴族を迎えることがあるからだ。


 とはいえ、今はそのせっかくの景観も台無しな有様となりはてていた。なんせ通路という通路には武具をはじめとした物資が並べられ、救護所となっていた講堂で収まりきれなかった怪我人が寝かされていたり、隅の方で炊きだしが行われていたりと、いかにも戦時といった様相となっているのだ。

 さらに異様なのは、正面玄関にいたる中央通路に、ずらりと並ぶ武装した騎士達の姿。その中央に立つのはセドリック・グレイ伯爵である。


 一見すると、賓客の出迎えと受け取れなくもないだろうが、グレイ伯爵の表情は険しい。その眼差しを一身に受けているのは、三十代半ばから後半くらいの男だ。


 ――ハンス・グローリア。


 並ぶ騎士達の足の間から、大神警視と僕は初めてディアナの父親、ハンスの顔を確認した。いや、もちろん肖像画くらいは見たことあったけれど、ああいうのは実物より盛って描かれるものだろうから、あまりあてにしていなかったのだ。

 しかし僕が想像していたよりも、ハンスは肖像画通りの容貌をしていた。すらりと背の高い、絵に描いたような優男。役者のような美男だが、ちょっとなよっとしすぎているような気がする。一応鎧を着ているけれど、鎧に着られているような感じで、まったく身体に馴染んでいない。

 普段から運動をすることはないのだろう。あんな鎧を身につけて動き回るには、見るからに筋力不足だ。


 ハンスは土埃や魔獣の血で汚れたグレイ伯爵の姿を目にし、大袈裟に表情を変えた。眉根を寄せつつ、眉尻は下げ、痛ましいとでも言いたげな表情だ。


「ご無沙汰しております、叔父上」

「――この忙しい時に何の用だ」

「それはもちろん、援軍に参ったのですよ」

「援軍だと?」


 ぴくりとグレイ伯爵の眉尻があがった。ハンスは大仰に胸をはって笑顔を見せる。風貌は爽やかと称していいものだろうに、何故だろうか。なんだか陰湿な気配を感じるのは。


「ええ、大氾濫が起きたのでしょう? 対策を取るのは当主として当然の義務ですから」

「……見慣れぬ者を連れてか」

「フレアローズを守る兵は残さねばなりませんから、私が皇都でみつくろってきた私兵を連れて参ったのですよ」

「ほぅ……?」

「叔父上もさぞお疲れでしょう。指揮は私が変わりますから、しばらくお休みください」

「その必要はない。もう終わった」

「は、……?」


 貼り付けたような笑顔が、わずかに固まった。しかしそれで見るからに取り乱すような下手を踏むような男ではなかったようだ。ほんの少し強張った表情のまま、ハンスは訝しげに首を傾げた。


「終わった、とは……」

「戦闘は終結した。魔獣の群れも討伐し、討ちもらした群れは山嶺の向こうへと逃げ去った」

「そ、それは……。ようございました。どうやら私は一足遅かったようですね」

「いや、来てくれたことには礼を言う。せっかく当主代行殿が初めて北の砦を訪ねて来たのだ。歓迎しようではないか」

「……ありがとうございます」


 甥と叔父、というには、ふたりの間にある空気は冷え切っている。ハンスはあからさまに態度には出さないけれど、眼球が落ち着きをなくし周囲を見回していた。グレイ伯爵の言葉が真実なのか、周囲の様子から情報を集めようとしているのだろう。

 彼の思惑が、この時点で外れてしまったことは明白だ。

 ハンスの算段通りならば、未だこの城塞は魔獣の群れに襲われており、大混乱に陥っていたはず。そうしてその混乱に乗じて私兵を投入するつもりでいたのだろう。こうしてグレイ伯爵に砦の正面で出迎えられた時点で、想定外であったに違いない。


 ではここで、更に想定外のことが起これば、どんな顔をするだろうか。


「お前たちも父に会えて嬉しかろう」

「ええ、大叔父様」


 意地悪く唇の端を持ち上げて、にやりと笑うグレイ伯爵に、鈴を転がすような声が答えた。

 目の前を壁のように塞いでいた騎士が横にずれ、前が開ける。

 大神警視(ディアナ)は数歩足をすすめ、グレイ伯爵の隣に並び立つと、スカートの裾を持ち上げて優雅に礼を施した。


「ご無沙汰しております、お父様」

「――ッ、……!」


 ハンスの深い緑の瞳が大きく見開かれた。先ほどはうまく取り繕ったはずの驚愕や焦りが、どうしようもなく漏れ出している。

 その様子に、くすりと笑う幼子は、まったく幼児に似つかわしくない微笑を浮かべていて――。


「……あら、どうなさいました? まるで幽鬼にでも会ったようなお顔ですね」


 くすくすと嘲笑う様は、……いや、うん。

 部下(みうち)の贔屓目を差し引いても、悪魔のようにしか見えなかった、というのは……。本人(じょうし)にはとても言えない事実であった。




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