8 凶報
宿場町マーガルは、北部最大の都市フレアローズと、皇国の北の最果ての地である北の山嶺を繋ぐ街道に面している。フレアローズから北の山嶺までの道は複数あるが、最も安全で交通量の多い街道はこのノーセンド街道だ。
冬場は閑散期だが、それでも行き来する者が途絶えるわけではなく、そこそこの賑わいだった。
宿屋が集まる通りの近くには、露天や旅人相手の商店が集まっている。特に人気なのは保存食や防寒具を扱う店だろうか。
「はい、乾し肉とドライフルーツ。お嬢ちゃんたち可愛いから、おまけしておこう」
「ありがとうございます」
どっさりとおまけされたドライフルーツに、金髪碧眼の美幼女がにっこりと笑う。その可愛らしさに、売り子のおばあさんも相好を崩した。最初にロイが声をかけたときはむすっとした表情だったのが嘘のようだ。
なかなかの重さとなった袋を受けとったロイは、ちょっと悔しそうな表情である。彼は老若問わず女性には親切丁寧、フレンドリーな対応を心がけており、すぐにうちとけることができると自負しているものだから、大神警視に負けたとでも思っているのかもしれない。
普通、成人男性と人形のように愛らしい幼女となら、幼女の方に愛想がよくなるものなのだから、気にすることもないと思うのだが……。
「しかし、子ども連れで北の山嶺へ向かうなんて、ねぇ……」
「仕方ないです。祖父があちらに住んでいるので……」
「余所の家の事情をとやかくは言えんけどねぇ。つい昨日、辺境伯様の騎士団が北の山嶺に向かったばかりなんだよ。だからほら、どの店も品薄だろう?」
「ええ、聞きました。領主様ご一行が立ち寄って、たくさんお買い物をしていったんでしょう?」
「そうなんだよ。そりゃ毎年、雪が溶けた春に部隊の入れ替えでこの街で食料やら補給していかれるけど、こんな時期になんて滅多にないんだ。魔獣が随分出るのかもしれないって、昨日からこのあたりじゃその話で持ちきりさ」
やれやれと肩を竦め、ご婦人は僕らに、しばらくこの街に滞在して、様子を見てからにしてはどうかとすすめてくれた。それに曖昧に笑って誤魔化し、宿へと戻る。
町でそこそこのランクの宿の、そこそこいい部屋に入れば、護衛隊副隊長のリックは先に戻っていた。
「どうでした?」
「はい、ディアナ様の予想通り、領主様が皇都のお屋敷から護衛騎士を引き連れてこの街を通過したようです。今朝方北の山嶺へ向けて出発したとかで……。ただ、どうも護衛騎士だけではなく、傭兵隊を伴っていたようです」
「やはり……」
傭兵隊、の単語に、大神警視は眉間に皺を寄せてそうつぶやいた。そうしてしばらく、黙考に入る。
現在宿の部屋に居るのは、大神警視と僕、ロイとリックの四名とテユール様だ。
警視と僕は、途中の村で入手した古着に着替えており、一見して大貴族の子女には見えないだろう。ロイとリックも、やたらと目立つグローリア辺境伯騎士団の鎧から、簡素な革鎧だけの旅装束に着替えている。
大神警視の座る椅子の横には、小型犬サイズに縮んだテユール様が丸くなっており、退屈そうにあくびをかみころしていた。
「まさか本当に領主様が北の山嶺に向かっていたなんて……。いったい何を考えてんですかね?」
ロイが首を傾げるのも無理はない。
なんせ、今現在進行形で、ハンス・グローリアは「実の娘と養子にとった息子が、白鷲山で魔獣に襲われ消息不明となっている」のである。
だというのに、白鷲山やその近隣に騎士団を派遣して大捜索をするでもなく、フレアローズでブランカ城に詰めていた護衛騎士からの捜索状況の報告を待つでもなく、自分が馴染みの護衛騎士の一団と傭兵を引き連れて北の山嶺に向かっている、というのだから。
恐らくそうしているだろう、と大神警視が予想していたが、今日の昼過ぎにこの町に着くまで、ロイもリックもこれには半信半疑だったくらいだ。
ロイに伝言水晶を取りに行って貰ったとき、警視は他にもいくつかの指示を出していた。
その中で一番重要なものが、ブランカ城の現状確認だ。
ロイたちが一度ブランカ城へ戻った時、そこにハンスの姿はなかった。他の招待客は吹雪の止んだ朝には続々と到着したようだが、魔獣が出て、ディアナやケイン、アルフィアス男爵夫人が行方不明と聞くや、ある者は連れてきた護衛を捜索に出そうと申し出、ある者は魔獣に怯えて帰って行ったそうだ。結局、グラスベリー子爵が狐狩りどころではないからと、招待客達に謝罪してみな帰すことにしたようだ。
警視はロイに、招待客のうちグラスベリー子爵と二人きりで、もしくは長くこっそりと話すものがあれば、その動向も探るよう指示していたのだが、案の定二人きりで話し込んでいたものが居たのである。
ボークベン男爵家の次男だか三男だかの男で、ブランカ城から出たあと、その男はどこだかに使い鳥を出していた。
流石に使い鳥の行方を追うことはできなかったそうだが、ロイはブランカ城に戻った時点で、僕らが全く見つからない、生存は絶望的だと吹聴していたので、わざわざ魔法の鳥を使って報せた内容はそれだろう。
今、ブランカ城にいる者の中に僕らの生存を知っているのは、エリスと城に残っているグラスベリー子爵らの護衛をしてきた小隊の隊長だけだ。ロイをはじめ、僕らの護衛担当の小隊は、捜索範囲を広げているため、ブランカ城へもしばらく戻らない、ということになっている。
一応、ハンスの手の者が別の手勢を使っていた場合を想定し、ノルーン村からほど近い、流れの速い川に面した崖の周辺に、さもそこから落下したかのような偽装工作を施しておいた。
そこまで周到に手を回しているかは解らないが、念には念を、だ。
そこまでして僕らの生存を隠すのは、身の安全の為と、相手の出方を探る為でもある。
ディアナとケインが魔獣に襲われたこの一件に、ハンス・グローリアが関与していないというのは、僕らには考えられない。その為、僕らはブランカ城にもフレアローズ城へも戻らず、メリッサさんをレイナードさんに頼み、自分たちは北の山嶺へ向かっているところだ。
僕らを襲った破落戸たちにも、護衛騎士から監視役をひとりつけ、雇い主に仕事を完遂したと虚偽報告をさせた。それが終わったあとは、彼らは憲兵隊にこっそり突き出すことになっている。
騎士ひとりで六人もの破落戸を見張れるのか、逃げられたりしないかと少し心配だったが、ロイやリックが言うには、相手が平民ならば何も問題はないのだそうだ。そのくらい、魔法を扱える貴族……それも対魔獣で活躍する魔法剣士との戦力差は大きなものらしい。
言われてみれば、僕や警視も、非力な子どもの姿でも複数の大人を無力化できたのは、魔法が使えたからこそだ。この圧倒的な戦力差があるから、同じ騎士団でも貴族出身の者の方が出世するというのは、まぁ仕方のないことなのだろう。
なんだかちょっと僕らの世界の警察の、キャリア組とノンキャリア組の差に似てるなと思ったが、生まれで決まってしまう努力ではどうしようもない能力差というのは、それよりずっとシビアだ。
剣と魔法の世界も、なかなか世知辛いな。……なんて考えていたら、宿に備え付けの小さなテーブルに置いてあった伝言水晶がぴかぴかと光りだした。通信を受けたのだ。大神警視がさっと手を伸ばし、伝言水晶に魔力を通す。
『――ディアナ様、ケイン様……! 聞こえますか?』
「シモンズですね?」
『……っ! 本当に声がっ!』
『ご無事でいらっしゃるのですね!?』
水晶から、シモンズさんだけじゃなく、複数名のどよめきが聞こえた。声からすると、ネルソンさんとロックヒルさんかな?
『先に確認をさせてください。ディアナ様、ケイン様。お二人ともご無事でいらっしゃるのですね?』
「はい。我々に怪我はありません」
相手の顔が見えない、いわゆる電話会議だ。あまり複数名で同時に話しても、場が混乱しかねないということで、こちらからは大神警視が、あちら側はシモンズさんが代表して話をすることになった。
聞けば、伝言水晶がフレアローズ城へ届いた翌日、僕らが白鷲山で行方不明になったという一報を早馬が届けたのだという。
捜索隊を派遣しようと騒いでいたところ、シモンズさんの元へレイナードさんから通信が入り、僕らと連絡を取るよう促されたのだとか。
『手紙を見たときは半信半疑でしたので、本当にレイナード様からご連絡があったときはとても驚きました。まさかあの方がこれほどのものを発明なさっていたとは……』
「無事に届いたようで何よりです」
大きく安堵の息をついたシモンズさんに、大神警視は手短に起こったできごとを説明した。テユール様に助けて貰ったという下りには、水晶の向こうでどよめきが起こったが、それだけだ。
正直、山の神様に助けて貰った、なんて言ったら頭がおかしくなったのかと疑われても仕方ないような気がするのだけど……。まあ、魔法のある世界だ、信仰心は僕らの世界よりずっと強くて、神様といった神秘的な存在も身近なんだろう。予想していたよりはあっさり受け入れられた。
「ところで……、そちらに父は立ち寄りましたか」
『え? ええ、十日ほど前にブランカ城へ向けて出立されましたが、まだブランカ城へはおいでになっていらっしゃらなかったのですか?』
「ええ。ブランカ城へは向かうと見せかけて、立ち寄りもせずに北の山嶺に向かっています」
『な、何故そのような……』
「……シモンズ。父は女性を連れていましたか?」
『はっ!? い、いえ、そのようなことは……』
「では皇都に置いてきたのでしょうね。メリッサさんが言うには、父の愛人に子ができたようです。至急、真偽を確かめてください」
『……承知いたしました』
「それから、セドリック大叔父様にも伝言水晶を送っています。恐らくそろそろあちらに届く頃でしょう。我々は明日、父を追って出立します。セドリック大叔父様に連絡がつくまで、呼びかけを続けてください。父があちらに向かっていること、何か企んでいることを伝えて警戒をしていただくように」
『御意に』
驚きを呑み込んで、シモンズさんは重々しく応じた。この大神警視の冷静さを、彼らはどう受け止めているだろう。中身が異世界の警官であり、成人男性と知っているのはレイナードさんだけだから、もしかすると実の親に殺されかけながら、全く動じない冷徹な少女と思われているかもしれない。
それは、ディアナ嬢にとってはあまり良くないことなのではないか。ゲームのディアナが、まさにそういった少女だからだろうか。僕にはあの子が、周囲にそんな風に受けとられ、忌避されないかと心配だった。
だけど、今はそこを憂いていても仕方がない。
どんな印象を周囲に与えたとしても、大神警視にも僕にも……。今、子どものふりで事態を他人に任せることはできないのだ。
ハンスが物理的にあの子達の命を奪おうと動いた以上、こちらももう、彼を放置することはできない。拘束し、罪を暴き、罰をくださねばならないのだ。その罰が、この国の法に照らし合わせれば、極刑でしかないと解っていても。躊躇はできない。ディアナとケインを守るためには。
その後、いくつか情報を交換し、新たな指示を与え、その晩は通話を終えた。そうして――グレイ伯爵セドリックと連絡がついたとの一報が入ったのは、翌日の昼過ぎのこと。
そうして併せてもたらされたのは、北の山嶺で大氾濫が起こったという凶報だった。