7 この世界の魔法の扱いが勿体なさすぎる件
早朝、廃村は少し賑やかになった。
それというのも、僕と大神警視が数日ぶりに日課にしていたジョギングを再開し、廃村を走り回っていたところ、異常な光景を見つけてしまったからだ。
「こ、これはいったい!?」
「……見事に茂っているな」
そう、大神警視の指摘通り、茂っていた。明らかに、野菜の葉が。
僕がロイたちと再会した、村の入り口付近の、家の裏手にあった畑だ。あの日僕が見たときは枯れた草が雪の下を這っていただけだったのだが、おおよそ畳一畳分ほどの面積に、青々とした葉が雪を押しのけ茂っていたのだ。
「心当たりは?」
「えぇ? 何も……、あっ! そうだ、ロイたちと合流する前に、枯れた蔓や野菜の葉らしきものがあったので、土の中に埋まってる根菜とかがあれば収穫できないかと思って……。土に魔力を通してこう、柔らかくできないかと試しはしました」
「……原因はそれだろうな」
「ま、まさか……」
ちょっと土を軟らかくして、掘り返しやすくしようと思っただけなのに?
まさか本当に、土に魔力を注いだことで枯れていた植物が復活したっていうのか?
それだったら、農作業に魔法使いを割り振ればあっという間に豊作間違いなしなのでは?
と、僕は大混乱だったが、護衛をすると言い張ってついてきたロイも混乱していた。
「は? 土に魔力を通す? 土壌改善しようとしたってことっすか? そんな魔法聞いたことないっすよ……」
「誰も試したことがないのですか? これまで一度も?」
「いやぁー、もしかしたら趣味レベルでなら誰かやったことあるかもですけど、基本戦闘に使えない魔法って研究するひといないんで……。あと貴族が農作業なんてするもんじゃねぇっすから」
「あぁ……。まあ、それはそうか……」
言われてみれば、この世界は身分差がはっきりしているので、中世の日本で言うような半農の武士、のような立場の者もいない。平民出身の騎士や従士はもちろんいるが、対魔獣の戦闘要員としてしっかり雇用された戦闘の専門家だ。
戦士としてのプライドも高いので、農夫の真似事など屈辱、と考えることだろう。貴族は貴族で、土いじりなんて泥臭いことはしようとも考えないに違いない。
こんなことができると知っていたとしても、周囲には趣味がバレないよう黙ってる、なんてひともいるのかもなぁ。
いや、それにしたってもったいなさ過ぎるだろうに……。
恐らく収穫時期をとっくに過ぎて放置された結果、冬になって枯れてしまったのだろう植物を調べてみようと、蕪のような葉を引っこ抜いてみた。ら、なんだか……、どうにも……。
「これは……甜菜!? もしかして、甜菜じゃないですか!?」
「へ? テンサイ? なんすかそれ」
「落ち着きなさい。レイナードさんに鑑定して貰った方がいいでしょう」
「根っこごと! 周りの土も一緒に、根っこごと持って行って貰いましょう! ね!?」
恐らくケインくんの魔力を吸って、すっかり成長した蕪によく似た甜菜(仮)を、僕は廃屋から探し出した穀物袋や毛布に土ごとくるんで苗として確保する。春になるまで探すことを諦めていた、念願の品を見つけたかもしれないのだ。鼻歌でも歌いたい気分だ。いや、もしかしたら少し漏れていたかもしれない。苗の確保を手伝ってくれていた大神警視がなんだか呆れたような顔をしていたような気がするが、たぶん気のせいだ。
そうしてすっかり浮かれた気分で拠点にしている二階建ての家に戻ると、玄関口で出発の準備をしていたメリッサさんがあからさまに顔をしかめた。
メリッサさんはこれから、エヴァローズ子爵領へと旅立つ予定なのだ。昨夜、ロイに持って来てもらった伝言水晶でレイナードさんと連絡を取ることに成功し、彼女の保護を依頼したのである。事態を知って、レイナードさんも僕らのことを心配し、シモンズさんたちと連絡を取れたら教えるとも約束してくれた。
「ちょっと……なんなの、あんたたち、その泥だらけの格好は! ディアナ、あんたそれでも辺境伯家のご令嬢なの!? ありえないわ、こんなとこじゃ湯浴みもできないっていうのに!」
「大丈夫です、これは汚れても問題ない服なので」
「そもそも男みたいな格好してるのがありえないのよ!」
僕と一緒になって甜菜(仮)の確保をしていたせいで、大神警視もロイも、揃って土まみれだ。特に酷いのは僕だけれど。
生まれは貧乏貴族とはいえ、仮にも貴族生まれ貴族育ちのメリッサさんからしたら、特に大神警視の行動は目に余るように感じるのだろう。さっきから言ってることがまるで小言の多いお母さんのようである。
「ちょっと! そこのアンタ、さっさとお湯を沸かしなさい!」
「へ? は、はいっ!」
「あんたたちはさっさと家の中にはいる! その汚い草はなんなの、中に入れるんじゃないわよっ!」
ぷんぷん怒りながら、メリッサさんは旅装のまままた家の中に入っていった。僕らは顔を見合わせ、とりあえずメリッサさんの護衛として同行する予定の騎士に苗を渡し、レイナードさんへ届けて貰うよう依頼した。
それから家の中に入るや、腕まくりしたメリッサさんに一人ずつ服を脱がされお湯で濡らして絞った手ぬぐいでぐいぐい泥と汗を拭かれて着替えさせられた。まるで恨みでもあるのか、と聞きたくなるくらいには強い力で擦られて、ちょっと肌が赤くなっていたくらいだ。
「まったく! しっかりしてもらわないと困るのよ、こうなったらあんた達のどっちかが領主になってくれないと、私の命もかかってるんだから!!」
「……はい、すみません」
「……あ、ありがとうございます」
ひりひり痛む腕を服の上からさすりながら、まあ彼女の言い分も正しいしな、と大人しく謝罪して礼も言っておいた。ロイがなんだかにやにやしていたような気がするので、後で警視にチクっておこう。
アルバートとリックも、微笑ましそうにするのはやめてほしい。こちらとしては、年齢の近い女性に服を剥かれて全身拭われるという苦行だったんだぞ。下着まで脱がされなかったのは良かったけれど!
大神警視の時は男連中は全員家から追い出されたけど、僕の時はみんなの目の前で容赦なくやられて本当に恥ずかしかった。辛い。
メリッサさんは元侍女の手腕を存分に発揮して、大神警視の髪も結って、着替えのドレスも着せつけたところでようやく満足したようだった。自分の作品の出来を確かめるように荒ら屋に佇む美幼女を頭から爪先までじっくり見てから、ふん、と鼻を鳴らして「まあ、いいんじゃない」と櫛を道具箱にしまった。
ちなみに、これらの着替えの衣類やら櫛やらの身支度に必要な道具は、ロイがエリスから預かってきてくれたものである。エリスにだけ僕らが見つかったことを伝えてあるが、ついてくると言い張る彼女を説得するのは随分骨が折れたらしい。
大神警視の命令で、まだ見つかったことを伏せている為、エリスにはブランカ城で待機していてもらわないといけない。無理について来られても、最低限の人員しかいない護衛騎士達だけでは守り切れないし、こちらで頼みたい仕事もあるから、と説得した結果、ならばせめてと持たされたのがディアナ嬢とケインくんの身支度用品一式だった、というわけだ。
メリッサさんの着替えも追加で包んでくれていたが、さすがに宝石類は持ち出せなかったらしく、メリッサさんは売れば逃亡の軍資金にできたのに、と悔しそうだった。……うん、本当に開き直ったなぁ、この女性は。
いや、いいと思うよ。ちょっと前までの高飛車傲慢ないかにも愛人でござい、な振る舞いより、今の何が何でも生き延びてやるぞ、とたくましさ全開な方が見てて気持ちいいからね。
出がけにそんなすったもんだがあったせいで遅くなってしまったが、予定通り、メリッサさんたちが先に出発することになった。向かうはエヴァローズ子爵領である。近場の街で馬か馬車を調達することとし、ひとまずは一頭に荷物を積み、一頭にメリッサさんと騎士の相乗りだ。
緊急時なので、メリッサさんも文句は言わなかった。
「では、くれぐれも道中、目立たないよう気をつけてください。メリッサさんをよろしくお願いします」
「はっ!」
「必ずや無事、エヴァローズ子爵邸へお連れいたします」
大神警視の言葉に、護衛騎士達はぴしっと敬礼をして頷いた。
「……ディアナ」
「はい」
「あんた、私も侍女も居ないからって、また適当な格好するんじゃないわよ。美しく装うことこそ、女の武装なの。あんたが舐められたら、グローリア辺境伯家も舐められるってことなんだから、そこのところしっかり自覚なさい」
「はい、肝に銘じます」
「それから! ……馬車では悪かったわよ」
最後のほうはぼしょぼしょと聞き取りにくかったが、流石に誰も、聞き返すような無粋な真似はしなかった。騎士達は馬車? と不思議そうだったが、スルーである。大神警視は柔らかく笑うだけで何も言わない。メリッサさんが返答を求めていなかったからだ。
「……っ、ほら! 出発してちょうだい! また襲われたらたまらないわ」
「は、はい!」
「では、出立いたします!」
ふん、とそっぽを向いてはいたが、耳の頭が真っ赤になっていたなぁ。せめて今夜は、ちゃんとした宿に泊まれるといいのだけど。旅の無事を祈って見送っていたら、隣でぽそっと、本当に小さな小声の……日本語で、警視がつぶやいた。
『君の趣味はわかりやすいな。しかし既婚者はやめておけよ』
…………。
………………。
「――はぁっ!? ちょ、違いますけど!?」
「いや、すまない、余計な口を挟んで……」
「本当に違いますから!! 前より今の方が取っつきやすいなぁって思ってただけですから!」
「そうか、そうだな」
あからさまな棒読みで、半笑いで言うのはやめてほしい!
ロイも便乗して「坊ちゃん、流石に年上趣味過ぎじゃないっすか」とかからかうな!
そりゃあ!? 確かに!? どちらかというと気の強い女性の方が好ましいと思ってますけども!?
「なんだ、お主、ああいうのが好みか」
「うわぁ!?」
唐突に現れたテユール様にまでそう認識され、僕は思わず声を張り上げた。
「――だから、違いますってば!!」
懸命の抗議にも関わらず、ロイはじめ護衛騎士の間で、僕が年上の気が強い女性が好みだという認識が定着してしまったのは、誠に遺憾である。




