6 崖っぷち夫人の証言
常々クズだと思っていたディアナの父親、ハンス・グローリアは僕が思っていた以上にクズだった。これが判明したのは、朝方、ぽつぽつとハンスとの関係についてメリッサさんが語り出したおかげである。
メリッサさんの実家は、北部の貧しい男爵家だった。貴族とはいえ、ほぼ名ばかりの貧しさで、二代前に格上の家から嫁を取ったおかげでそこそこの魔力を持っていたが、学院に通うのも苦しい程の経済状況だったそうだ。
そんな風だったから、メリッサさんは学院からでてすぐに就職先を探した。親類縁者の伝手もたより、グローリア辺境伯家にセレスティア付きの侍女として就職したのは、学院を卒業してすぐの十七の頃。当時セレスティアは十四歳で、王都の邸宅から学院に通っていたため、住み慣れた地で働くことができた。
跡取りであったセレスティアの兄が他界したのは、魔法学院卒業を間近に控えた頃で、急遽婿を取らねばならなくなったセレスティアは、熱心にハンスとの結婚を望んでいたという。いとこ同士で、子どもの頃から面識があり、兄のように慕っていたハンスとなら、時期領主としての重圧も分かち合える……そう語っていたそうだ。
けれどセレスティアの妊娠がわかってから、ハンスはだんだん留守がちになっていった。セレスティアはハンスが帰ってくるのを心待ちにしていたので、メリッサさんはハンスが帰ってきた夜、もう少し彼女の側に居てくれないかと頼んでみたのだが――……。
急に怒り出したハンスに、手荒く組み伏せられて、貞操を奪われたメリッサさんは、最早ハンスの行動に口を出せなくなってしまった。それどころか、彼の機嫌をとり続けるしか、もうできない。もしも彼がこの関係を吹聴したら、職を失うことは確実だったからだ。
けれど結局、いつまでも隠し通せるものでもなく、関係は露見する。産み月を間近に控えたセレスティアには、絶対にバレないようにと城内で箝口令が敷かれたが、先代辺境伯夫妻は激怒し、メリッサさんは馘首されることになった。
それを拾い上げたのは、意外なことにハンスだった。自分の学院時代の友人、アルフィアス男爵の後妻として、嫁がせてくれたのである。アルフィアス男爵は学院卒業後すぐ結婚していたが、その妻は妊娠中に病を得てしまい、母子ともに帰らぬ人となっていたのだ。
雇用主の婿と不倫関係にあったメリッサさんにとって、後妻とはいえ貴族に嫁げるのは良縁だ。職を奪った罪滅ぼしなのかと思えば少し複雑だったが、有り難いことであると感謝もした。手籠めにされたのだと訴えたのを、最初は信じていなかった様子の先代グローリア辺境伯夫妻も、ハンスの素行の悪さから認識を改めたのか、当時まだアルフィアス家の爵位をついでおらず、収入の面でも不安のあった夫へブランカ城の管理人という仕事を与えてくれて。
そう贅沢はできないが、生活する分には十分な収入を得られるようになった。結果として、常に誰かに傅く立場でもなくなったのだ。そう考えれば幸運なのではないか。
そう思った矢先のことだ。
新婚のメリッサさんのもとへ、ハンスが通ってくるようになったのは。
「笑えるでしょ、ウチの旦那はね、何でもハンスの言いなりで、ハンスの言うことならなーんでも聞くの。夫婦の寝室に、にこにこ笑って他の男を通すことなんてなんとも思っちゃ居なかったわ」
病み上がりのやつれた顔で、嘲るように笑うメリッサさんは、なんとも痛々しかった。こういう女性を、僕は何度も見たことがある。彼女は、親や恋人に売られて、性風俗店や違法売春宿に沈められた女性達と同じ表情をしていた。
道具として扱われて、すり切れた自尊心を、ホストに貢いでチヤホヤされたり、与えられた金で散財し贅沢することで回復させようとしていたひともいた。いずれにせよ、ますます借金がかさんでその世界から抜けられなくなっていくのだが……。メリッサさんの場合は、後者だろうか。贅沢をして、他者にきつく当たって、下に見ることで自分を守ろうとしてきたのか。
はたまた、彼女の供述がでたらめで、本当は望んで愛人になったのかもしれないし、何の臆面もなく贅沢を享受していたのかもしれない。
いずれにしても、情報の裏付けを取る必要はあるが、続くメリッサさんの証言は、僕らにとってはとても重要なものだった。
「ハンスは子どもが欲しかったの。お嬢様以外の女が産んだ子どもが。間違いないわ。だってあの人、二年前に私が流産して、お医者様に子どもはもう産めないだろうと言われてから、すぐに皇都に別の女を作ったんだもの」
「……何とまぁ」
呆れ果てた、と言わんばかりに嘆息した大神警視と僕に、メリッサさんは面白くなさそうにフン、と鼻を鳴らした。
つまり、ハンスは念願のセレスティア以外の女性との間の子どもを手に入れる算段がついたので、メリッサさんの存在が邪魔になったのだ。
今のままでは、実子のディアナ嬢と養子のケインくんのどちらかがグローリア辺境伯領を継ぐことになるが、この二人が幼くして亡くなれば、継承権が宙に浮く。
アーネストの兄弟のいずれかが継ぐのか、もしくは……。いずれにせよ、アーネストの兄、ダリウスの子であるハンスにもチャンスが巡ってくるのは確か。現在領主代行をしているハンスがそのまま正式な領主に……というのもなくはない。
そんなことをしなくても、現在領主代行で将来的にも領主の父という立場は確定しているのに、何だってこんなことをしでかしたのかは僕には理解しがたいが、それはまだピースが足りないのかもしれないな。
いずれにせよ、ハンスにとってディアナとケインは排除すべき存在であり、ならばついでとばかりに不要になった愛人も始末しておこう、ということだろう。
「変な子たちね。子どものくせに、意味をわかっててその反応なの?」
「耳年増なものですから」
「……あなたの父親の話よ」
「私は父だと思っておりませんので」
すぱっと言い切った大神警視に、メリッサさんはしばし唖然としてからはじけるように笑い出した。こちらの話を複雑な表情で聞き耳立てていたアルバートとリックは、多少なり驚いたようである。もちろん僕は、中身が警視であることを知っているので、普通に本音を語っているというのは明白なのだが。
「そう、そうよね。父親らしいことなんて、ひとっつもしてないものねぇ!」
当然だわ、とメリッサさんは笑った。淑女らしからぬほど声をたてて、笑って、笑って。そうしてまた少し、涙をこぼした。
――いや、本当に最低だな、あの男。
朝の爽やかな空気に不似合いな話をひとしきり終え、また深く眠りにつき、昼を大きく過ぎる頃には、メリッサさんも大分調子を取り戻していた。乾し肉を刻んで入れたスープに文句をつけ、お茶が渋いと顔をしかめる。
口ぶりは相変わらずといった様子だが、居丈高に騎士達に怒鳴ったり嫌味を言ったりすることもないし、大神警視や僕への態度もかなり軟化していた。
「だいぶ汗もかいたし、湯浴みがしたいわね。ああ、はやくフレアローズへ戻りたいわ」
僕ら四人を追いだしてぬれタオルで身体を清め、赤いドレスに着替えたあとに、メリッサさんはしみじみとそう言った。
「ブランカ城じゃないんですか?」
「馬鹿言わないでよ、戻れるわけないでしょ。絶対殺されるわ」
思わず聞けば、あっさりとした口調でそう返される。昨日の襲撃者のことを、大神警視が話したのだろうか。そう思って警視を見れば、首を横に振られた。話したわけではないらしい。
「何よ、その顔。ラドクリフが何か細工して、あんたたちもろとも私も始末しようとしたことくらい解ってるわよ。ディアナに聞いたわよ。あんたもあの時、魔法が使えなかったんでしょ? あのお茶を飲んだから」
「え、はい」
「……いいこと教えてあげるわ。先代様がブランカ城へ来たとき、接待したのは夫のラドクリフよ。出立の朝、朝食後に同じお茶を出したのもね」
「……!」
やっぱりか!
メリッサさんはそのお茶がどこから入手したものかも知らないそうだが、これまでもたまに、アルフィアス男爵が入手したそのお茶を、食後に出すことがあったという。魔力のある貴族といえど、普通は常時魔法を使うわけじゃない。まして奥方ともなれば、いざというとき……緊急時の攻撃手段としてくらいでしか使わない。だからそのお茶を飲むと魔法が使えなくなるのか、それとも他に何か混ぜられていたのかは解らないという。
ただやはり同じお茶……マッセリカのジャム入りのお茶を先代辺境伯夫妻が亡くなる直前に出したというのであれば、怪しいのはそれだろう。
「それで、あなた達、これからどうするつもりなの」
「……ロイが戻ってきたら、今後について改めて決めましょう。あなたにはやはりフレアローズ城へ……いえ、ここからならば、エヴァローズ子爵邸へ向かっていただくのが良いかもしれませんね」
今後について問われ、答えたのは大神警視だ。メリッサさんも、この場で決定権を持っているのが大神警視であると認識しているようで、複数形で問うてはいても、目線は大神警視を見ている。
「ああ、そうね……。フレアローズにはあの人がいるかもしれないものね。エヴァローズ子爵のことは存じ上げないけど、私はそれでも構わないわ。あなた達があの人を皇王陛下に訴えるのなら、私も喜んで証言してあげる。ラドクリフの独断で、こんな大それたことするわけないもの。間違いなくハンスの指示よ、ってね!」
「よろしいのですか?」
「ええ。その代わり、私の身の安全は保障してくれるでしょう?」
「もちろん、必ずや」
しっかりと頷く僕らに、それならいいわ、とメリッサさんは口ぶりだけは素っ気ない。けれど表情には安堵が見えた。
彼女としては、僕らのような子どもに自分の命を預けなくてはいけない状況は恐ろしいものだろう。それでも、これまで彼女の生活を支えていた愛人や夫に命を脅かされている状況では、他にどうしようもないのだ。
ロイが部下を引き連れて戻ってきたのは、この数時間後、そろそろ日が暮れようかという頃合のことだった。