3 廃村にて
雪を踏みしめながら、テユール様の後ろを歩く。すでに狼煙が見える範囲からも外れ、僕らが落下した地点まで戻ってきていた。
昨夜僕らが歩いてきた足跡は、とうに雪に埋もれて消えてしまっている。今歩いているのは、僕らがテユール様と出会った場所を起点に、針葉樹が生い茂るあたりだ。とはいえ、密集しているわけではないので、木々の間を縫うように進むのはそう苦でもない。
進めば進むほど、木々が増えていく。山を下っている為だろうか。このまま降りていけば、人里に出るらしい。細い道筋は、かつてノルーン村の人々が山に入るときに使っていた道だそうだ。
「テユール様、この世界の魔法書によると、魔力とは精霊や神の加護で授かるものとされていますが、大地や河にも、近しいものを感じることがあるように思います。それらは同種のものなのでしょうか」
「ほう」
歩きながら、大神警視がそんな疑問を口にした。それに対して、楽しげに声を弾ませる。どうやら、警視の推測は正解であったらしい。
「よく気付いたな。人の身の内にある魔力などより、大地や河、海に満ちる魔力の方が圧倒的に大きなものよ。人間共はやれ龍脈だ、やれパワースポットだとそればかりありがたがるがな。まあ、人に扱いやすい魔力溜まりであるから、仕方ないが」
「それじゃあ、そういった場所でなくても自然の中に魔力はあるということですか?」
「うむ。何故だか、人間はそれに気付かん。自分の中の魔力だけをひたすらこねくり回しておるが……。そうさな、自然に満ちるマナを己の魔力として扱えるようになればこそ、一流の魔術師というものよ」
「へぇ……。上級者になるとそんなこともできるんですねぇ」
僕なんてケイン君の魔力をなんとか循環させて身体強化したり、初級魔法書に書かれているいくつかの魔法をようやく使える程度だ。起きた時からずっと循環を試し続けて、ようやく滞りなく流れるようになってきた。
これならなんとか、身体強化をしながら歩くくらいはできるだろう。
「そもそも人間たちが使う魔法は、ここ数百年ろくな進歩もしていないようだがな」
「そうなのですか?」
「少なくとも村に人がおった時はそうであったな」
これは意外な評価……というわけでもないか。レイナードさんも言ってたもんな。魔法にはもっといろいろな可能性があるはずだ、と。
もしかすると、技術的なボトルネックができてしまっていて、まだブレイクスルーが起きていないんじゃないだろうか。魔道鉱石がその起爆剤になる可能性は十分あるはずだ。
……あ、レイナードさんと言えば!
「大神警視、伝言水晶は……」
「客室に置いてきて、持ってきていない。こんなことなら常に持ち歩いておくのだったな」
「そうですよね……」
あの水晶はなかなか重量があるし、かさばるので子どものディアナの身体では持ち運びに不便だから仕方がない。そもそも、外に持ち歩いて万一落としても大問題だしなぁ……。
まさかアルフィアス男爵がこんなにも直接的な危害を加えてくるとは予想していなかっただけに、準備不足が悔やまれる。
「テユール様、このあたりに他に人の気配はありますか」
「そうさなぁ。襲ってきそうなものは感知せぬが……。邪気のない生き物や、意識のない生き物の気配は、我には感知しにくい。お主、試してみてはどうだ」
「試す? 何かそういった魔法があるのですか」
「遠見や千里眼という術はあるが、そこまで高度なものでなくとも、大気中のマナに自前の魔力を繋ぐことで見えるものもあろうさ」
何を突然、高度なことを要求してくるのか、この神様は。
僕は心底無理があるだろうと思ったが、しかしそんな無理無茶もなんとかしてしまうのが大神警視である。
警視はしばらく考え込んでから、やがてぴたと足を止めた。
そうして目を閉じ、両手を前方へかざして意識を集中させていく。
傍目には、警視が何をしているのかは、よく解らなかった。だが、集中して様子を伺えば、大神警視の身体から滲み出る魔力が、周囲の空気になんらかの干渉をしているように見えた。
「……この先に誰かいるようです」
「魔獣ではないな」
「恐らく」
「警視、何をなさったんですか」
大神警視が先頭に立って歩き出し、テユール様と僕もついていく。
歩きながら、警視が説明してくれたことを纏めると、空気中に漂う魔力……テユール様が言うところのマナをつたわせるように魔力を飛ばし、人間らしき反応を感知したそうだ。マナと自身の魔力の循環が可能かというのは、歩きながらずっと試しいて、それを広範囲に広げていっただけだという。
「イメージとしては、ソナー探知だな」
「あっ。あー、なるほど……」
「そなぁ? なんだそれは」
「水中で、音波……特殊な音を発して、その反射で周囲を探る方法です」
「なるほど、異界の魔法か?」
「いえ、魔法ではなく科学技術です。専用の道具さえあれば、誰でも使える技術ですよ」
「ほう。異世界ならではの技術か。興味深いな。お主の捧げた歌も初めて聞くものであった。あれもあちらのものであろう。よし、お主らの世界について語るが良い。供物として受けとってやる」
テユール様の興味は、すっかり僕らの元いた世界に向いているようだった。故郷について語ることが供物になるというのは意外だが、望まれているのならば語るにやぶさかではない。
とはいえ、歩きながら語れたのは、この世界のような魔法を使うものはいないこと、魔法や魔術というものは、おとぎ話のような創作の中の出来事だと大多数の人間には思われていること。しかし、かつては呪術師や占術師、魔女と呼ばれていたような存在もいたこと。科学技術が発展したことにより、それらは迷信であるとして忘れ去られ信用を失っていったこと。
その程度のことだ。
日本について詳しい話をする前に、大神警視が静かにするよう合図をしてきたので、僕も口をつぐんだ。体感として、歩いていた時間は三十分ほどだろうか。すっかりと木々が密集し、森と言って良いほどになっていた区間を抜けると、雪に押しつぶされ、崩れてしまった小屋や家屋が点在する開けた場所へと出た。
「ここは……」
「廃村……ノルーン村の跡地ですか?」
「うむ、そのような名であったな」
小さな村は、山の麓から中腹にかけてを切り開いて作ったものであったようだ。斜面を這うように崩れた建物が点在している。元は畑だったのだろう開けた土地の上にも真っ白な雪が積もっていて、うち捨てられた農具がなければ、畑だったとは気付かなかっただろう。
おそらく村全体をゆっくりと歩いてまわっても、一時間もかからないのではないだろうか。そのくらい小さな村……いや、集落と言うべきか。
ぐるりと全体を見回して、大神警視はまた魔力で人の気配を探しているようだった。あれ、便利だなぁ。僕もあとでゆっくり練習してみよう。
細い雪道を歩き、迷いなく突っ切っていく大神警視の背中を追いかけながら、僕はそう心にとめた。
***
小さな村でも、それなりに中心的な役割を果たす人物の家というものは、他と比べて大きくしっかりした作りになるものだ。その家も、恐らく村長だか、そういった立場の者の所有していた家だったのだろう。
土台だけ石で組まれた木製の家は、村で唯一の二階建ての建物だったようだ。幸い、屋根も抜けておらず、壁も崩れていない。窓を塞いでいたはずの羽目板は外れ、玄関扉も蝶番が壊れて半ば外れてしまっていたけれど、まだ家と言える状態を保っていた。
大神警視が入っていったのは、そんな村の中心部に位置する廃屋だ。家財道具はある程度持ち出したのだろう。中に踏み入れば、ほとんど家具らしい家具もなかった。人影を見つけたのは、竈と兼用の暖炉の前。とうに薪は燃やし尽くしたようで、部屋の中は外気とさほどかわらない程冷え切っている。
そんな暖炉の前に、必死に身体を抱きしめるように丸まって床に転がっているドレス姿の女性。
「アルフィアス夫人!」
「……まだ息がある。佐藤君、暖炉に火を」
「ま、薪を探してきます!」
床に丸まり、ぼろぼろの毛布とも言い難い布きれを身体にまいて、アルフィアス男爵夫人は倒れていた。血の気はまったくなく、唇は紫色だ。身体は冷え切り、凍死寸前だった。
僕は大急ぎで近隣の荒屋を回って、薪代わりになりそうな木材をかき集めて中央の家に戻った。暖炉に薪を並べ、魔法で火をつける。使えなくなっていた魔法は、もうすっかり元通りだ。こういうとき、簡単に火がつけられる魔法は本当に便利だと思う。
大神警視はその間に、夫人の状態を確認し、雪に濡れて湿ったままだった衣類を熱風を起こして乾かしていたようだ。衣類はあちこち裂けていたが、大きな怪我はなさそうだ。もしかすると打ち身やねんざくらいはあるかもしれないが、流石に妙齢の女性を脱がせるのは躊躇われて、そこまで確認はできていない。
ともあれ、今は身体を温めるのが最優先だろう。出血を伴う怪我はかすり傷程度のようなのが不幸中の幸いか。
「よくまあ、生きておったものだな」
「ええ。木の枝や雪がクッションになったのでしょうか。……しかしこのまま意識が戻らなければ危険です」
「こうすきま風が多くては、部屋がなかなか温まりませんね。他の家に、毛布か何かないか探してきます」
「鍋があればそれも頼む。起きたときに白湯でも飲ませたい」
「はい!」
再び大神警視とテユール様にアルフィアス男爵夫人を任せ、僕は村に飛び出した。
廃村になって長いだけあり、ほとんどの家は雪に潰れて中に入るのもままならない状態だ。かろうじて家として形を保っているところをみつけては、慎重にお邪魔する。
どの家も家財道具はほとんど持ち出したようだが、焦げ付いた鍋だとか、縁の欠けたコップだとか、ちょっとしたものは置き去りにされていた。
なんとかお湯を沸かすくらいはできそうな、柄の折れた鍋と、すり切れてぼろぼろの毛布、当て布だらけのシーツを見つけるこができたのは、村の端にある家だった。
家の裏手側に広い放置された畑があり、その向こうは森だ。位置からすると、この森を抜けると麓の方へとたどりつくのだろうう。
畑のほうに道具小屋らしき小さな建物があったので、一度荷物を家の中において、小屋に向かう。もしかすると、何か使えるものが残っているかもしれないと思ったのだ。
「……流石に、ないか」
小屋にあったのは、壊れた農具だけだった。鉄くずとして再利用するのも難しそうな、さび付き、折れた鎌や底の抜けた桶、ぼろぼろの手ぬぐいくらいしかない。小屋の大きさの割に、中に残っている遺棄物が少ないということは、やはり使えるものや、鉄くずとして売れそうなものは全て持ち出したのだろう。
この世界では、日用品だってそれなりに貴重だ。村を捨てて余所に逃げなければならなかった人々にとってはなおのこと。だから何も残っていなくてもおかしくはないのだが、こうしてもぬけの空となっている人里を目にすると、物寂しい気持ちがむくむくと育っていく。
かつてここに人が集まり、賑わっていた頃を知っているのは、きっともうテユール様だけなのだ。
小屋の扉を閉めて、纏めた荷物を置いている家の方へ戻ろうとしたところで、ふと、僕は一面に積もった雪の中に、わずかに植物の蔓だか、葉を見つけた。かつて畑があっただろう土地の、端の方だ。もしや撒いていた作物が、まだ生き残っていたのだろうか。
もしも食べられる状態であるなら、アルフィアス男爵夫人が起きたら食べさせられるかもしれない。……まあ、あの高慢な女性が廃村の荒れた畑に自生していたものを食べるかどうかは別として。
駆け寄って、そのあたりの雪を払えば、細いながらも茎と葉が地面から生えている。とうに枯れているようだが、一メートル四方ほどの間に、種類の違ういくつかの葉や茎が確認できた。
収穫できる状況なのか解らないが、掘り返してみるか。しかし農具がないからなぁ……。
うーん、と少し考えてから、地面に両手をつく。
大神警視とテユール様が話していたことを思い出したのだ。
集中して、地中を探るつもりで魔力を流す。そうすると、ほんのかすかに、この身体のものとは違う魔力のような力の流れを感じた。
それに自前の魔力を乗せるつもりで地面に力を流していく。
穴を掘るのではない。イメージは、ふわっと、地面に空気を含ませ、柔らかくほぐすような――……。
そうして集中していたがために、僕はぎりぎりまで、気付かなかった。
誰かが自分の背後に、忍び寄ってきたことに。