2 神様との約束
神というものは、認知に寄って存在が確かとなり、力が増すものであるそうだ。信仰心こそ、神の力の源であるわけで、つまり、今現在、テユール様はとても弱っているのだという。
「我は元は、ここよりさらに北方に根ざしていた民族の神であった。今は皇国と同化し、そちらの神と同一視されることもある。我を真に信仰しておった者らも、散り散りになってしまった故な……。この地は、人の子には生きづらいものであるから、仕方のないことだが……」
かつて、このあたりは今ほど住みづらい土地ではなかったが、時がたつに連れて気候が寒冷化し、今では誰も住まないようになってしまったのだという。
神様の時間感覚でいう「かつて」がどのくらい前なのかは、想像するに気が遠くなりそうものだが、地球でも中世と呼ばれる時代は小氷河期に相当していたはずなので、何かと似通っているこの世界も同じような状況となっていてもおかしくはないだろう。
「……つまり、テユール様が力を取り戻せるよう、信仰を広めよということでよろしいのでしょうか」
「まあ、そんなところだ」
「かしこまりました。必ずや成し遂げましょう」
しっかりとテユール様と視線をあわせ、大神警視はテユール様の命を受けた。他の神様がテユール様のように、我々を助けてくれるかどうかなど解らない。ならば、この差し出された手を取らないなんて選択はあり得ない。
幸いというか、僕らはもともとこの世界の人間ではない、現代社会を生きる日本人だ。特定の神や宗教を信仰しているわけではないから、命を助けてくれたテユール様を敬い丁重に祀ることになんの抵抗もない。
問題は、布教活動なんてしたことがないというところだけど……。まあ、新興宗教やカルト宗教の内偵はずっとやっていただけに、そういった世界を全く知らないわけじゃない。もちろん、カルト化させるつもりはまったくないけど。
「さしあたって、我々が無事に帰還しフレアローズ城へ戻ったのちに、領内に神殿を建てようと思いますが、いかがでしょうか」
「ふむ、新しい住まいか。悪くない」
大神警視の提案に、テユール様は上機嫌に頷いた。神様にとって、自分を祀る神殿が増えるというのは、家が増えるのと同じようなものなのだろうか。
幸い、僕らの命を助けてくれたという事実があるから、そのお礼にとグローリア辺境伯領のどこかに……フレアローズ城の一角にでも、小さくても神殿を建てることは可能だろう。既に軍神アレスの神殿があるけれど、もともと多神教の国だから、そう難しくはないはずだ。そのあたりは、無事に帰れたら、シモンズさんに相談したらいいだろう。
問題は、どうやって無事に帰るか、だけど。
魔獣に襲われた使用人達はみな無事だろうか。ロイをはじめ、護衛たちがいたのだから、きっとなんとかしているとは思うけれど、非戦闘員も多かっただけに心配だ。
「ロイ達、無事でしょうか」
「もしかすると、我々を捜しているかもしれないな」
「せめてこの吹雪が止むまでは大人しくしていてくれているといいんですけどね……」
「……そうだな。二次災害が起こっては目も当てられん。アルフィアス男爵夫人もどこかに避難して生きていてくれればいいのだが」
「吹雪が止んだら、狼煙を焚いてみましょうか」
「ああ。その上で、近隣を捜索してみよう」
アルフィアス男爵夫人と、救助隊。どちらでもいいから遭遇できたらありがたいが……。まあ、そう簡単にことは運ばないだろう。
麓までの道はテユール様が教えてくれるというので、吹雪がやんだら近隣を探索し、夫人が見つかっても見つからなくとも、午後には麓へ向けて下ろうと方針を決めた。
麓まで降りれば、街道に出る。その街道はブランカ城に繋がっているし、反対方向に一日も歩けば小さな村があるはずだ。
「……ブランカ城へ戻ることは、時間をかければ可能でしょう。僕の魔法が使えないのもそのうち解消されそうですし」
「そうだな。……だが、できればあちらの状況を確認したいものだ」
「そうですねぇ……。アルフィアス男爵が僕らに殺意を持っていたのは間違いないでしょうし、グラスベリー子爵が無関係であったとも考えにくいですしね」
このままブランカ城へ戻ったところで、また命を狙われる可能性は高いだろう。そもそも、こうなっては本当にハンス・グローリアがブランカ城へ来る予定であったのかすら疑わしい。 今回の犯行に、彼が全く関与していないとは、とても思えないからだ。
「先の質問の答えだが、魔獣をある程度操る魔具はあるぞ。人間は魔笛と呼んでいたはずだ。正確には魔獣を意のままに操るというよりも、ある程度方向性を持たせて誘導する程度のものだがな」
「……笛、ですか」
「うむ。我がお前達が居たあたりまで赴いたのも、かすかにそれが聞こえたためよ。以前にも同じ笛を聞いた故、また何者かがいたずらに魔獣を呼んだのかと思うてな」
「それは、いつのことですか」
息を飲んだのは、僕も大神警視も同様だ。
テユール様も、先に聞いていた僕らの話から、そこに思い当たったのだろう。くつ、と喉の奥で笑って、頷いてみせる。
「お主らの予想通り、秋の頃……枯れ草月の、大雨が降った翌日のことよ」
「その時も、様子を見に行かれたのですか」
「行ったが、遠目に崩れた山道を見ただけだ。隣の山のことゆえ、我はそこまで行けなんだ。既に生きた者の気配もなかったからな」
「そうですか……」
まさかこんなところで、あの日の目撃者と出会おうとは……。
大神警視も、今日、魔獣が現れる前に笛の音を聞いたと言っていた。今日も、先代グローリア辺境伯が土砂崩れに巻き込まれたときにも、魔獣を操る魔笛の音がしたと言う。テユール様が偽証をする理由などありはしないから、疑うべくもないだろう。
やはり、ディアナの祖父母が亡くなったのは、作為的なものであったのだ。
「……まあ、魔笛を吹いた者のことは、明日にでも考えるが良かろう。人の子は脆いものだからな、今日のところは休むがいいさ。我が居る場に近寄る魔獣も獣もおらぬゆえ、安心するがいい」
「……そうですね。ありがとうございます、テユール様」
疲労困憊の時にあれこれ考えを巡らせても仕方がない。
僕らはテユール様のすすめに従って、大人しく休むことにした。朝には吹雪が止んでいることを祈りながら。
***
翌朝は、嘘のような快晴だった。
降り積もった雪が日差しを浴びて、眩しいほど輝いている。
洞窟から出て、見晴らしの良い場所に岩を組んで台座を作り、狼煙を上げる。これを見て、誰かが我々の生存に気付いてくれれば良いのだが。
いや、でも、待てよ?
「大神警視……。今思ったんですけど、コレ見て駆けつけてくれるのって、味方とも限らないのでは?」
「まあ、そうかもしれないな」
「やっぱり消しましょうか? アルフィアス男爵が更に追っ手を差し向けてくるかも……」
「それならそれで、情報源が来てくれたと思えばいい」
「えぇ……」
情報源って。
いや、まあ確かに追っ手を生け捕りにできれば、アルフィアス男爵の犯行を立証しやすくはなるけれど……。こともなげに言ってくれるが、今の僕らは六つの子どもなんだけどなぁ。
僕の表情から不安を察したか、鷹揚に笑ったのはテユール様だった。
「なぁに、案ずるな。お主らふたりくらい、無事人里へ帰してやるさ。でなくば我の神殿が建たぬからな」
「え、あ、ありがとうございます、テユール様」
て、この方、ついてくる気だったのか。
大神警視に驚いている様子がないってことは、いつの間にかそう話がまとまっていたのかもしれない。そういえば、僕より先にふたりとも起きてたもんな……。そう、朝も僕は上司より後に起きてしまったのである。ちなみに朝食もイーガル鳥の焼き鳥串だった。さすがに持ち運ぶための容器も包みもないため、全部食べきったから、ちょっと苦しいくらいである。
「レン、カズマ、発つ前にお前達に預けたいものがある」
狼煙をしっかり焚いた後、もう一度神殿に戻って身支度を調えたところで、テユール様は僕らを神殿の奥へと案内した。僕らが一晩を過ごしたのは、神殿の前広場だ。奥へと進めば細い階段があり、それを昇ると、拝殿へとつく。拝殿の中央にある祭壇には、かつてノルーン村の村人たちが供物を捧げるのに使った食器や燭台、杯が置いてあり、最も奥に石を組んで作った箱があった。
御影石のようにつるりとした表面の美しい石には、見事な彫りで狼の文様が彫り込まれている。恐らく、テユール様の姿を模したものだろう。
洞窟を利用した神殿は、拝殿がドーム型となっており、天頂部は開いているのだろう。日差しが差し込んで明るく照らされている。
良く見れば、壁を補強するように建てられた柱にも狼のレリーフが彫り込まれていた。
人が訪れなくなって長いはずだが、荒廃した雰囲気はない。静謐で厳かな空気は、神域と呼ぶにふさわしいものであった。
……本当に神様なんだな、この狼さん。
テユール様が顎をくい、と上に上げる仕草をするや、箱の蓋がズズ、と重そうな音をたててずれていった。半分ほどズレたところで、中からふわりと浮かび上がってきたのは、金色に輝く玉石だった。まるで宝石のようにきらきらと輝く美しい石は、子どもの拳ほどの大きさがある。
ふわふわと浮いていたそれは、大神警視のてのひらへぽとりと落ちるや、もう勝手に動くことはなくなった。石蓋はまた自動で動き、ぴったりと閉じられる。
「テユール様、これは……」
「我がこの地に祀られたときよりの神体よ。この土地で出でたもっとも美しい石を神体とした故な。今の我はその石よりそう遠く離れられぬ。もっと力が戻れば、どこへなりと動けるのだがな」
「……確かに、お預かりします」
テユール様には、この石を持って移動することはできないそうだ。テユール様を信仰する者だけが、移動させることができると説明を受けて、大神警視は僕のハンカチでそれを包んで、コートの内ポケットへと収めた。神様のご神体……言うなれば、テユール様の本体である。僕にはそれを持って移動なんて、怖くてとてもできない。
「……しかし、テユール様はこの地を離れてもよろしいのですか?」
「よい、よい。もとより我は北方より我を信望する者らと渡り来たのだ。今再び行き渡りてなんの問題があろうよ。それに、この地にはもはや、我を必要とする者はおらんでな」
「……さようですか。では、ここよりも更に立派な宮を必ずやお建てしましょう」
「うむ、楽しみにしておるぞ」
言葉も声音も、明るく楽しげであったのは、間違いない。
けれど神殿を一瞥したテユール様の眼差しは、どことなく寂しげであった。
このままここに居ても、きっとテユール様はやがて消えてしまっただろう。
恐らく……いや、間違いなく、あの金色の宝石こそが、【堕ち神の宝珠】に違いないのだから。
あんなにも美しく、神々しい輝きを持った宝珠が、なんだって【堕ち神の】などと名がつくものになってしまうのか……。理由はわからない。だが、もしかすると、信仰する者がいなくなったが為に、力を失ったテユール様のご神体が、何らかの作用で呪具となってしまったのではないか。元が破邪の神の宝珠なのだ。反転して、魔獣に大きく作用する呪具となるというのは、あり得ないことではないように思えた。
それを思えば、テユール様の宝珠が美しく輝いているうちに、新たな神殿へ移っていただいた方が良いのだろう。
テユール様も、このまま消え去るよりも、新たな地で力を蓄えることを望んだからこそ、僕らに力を貸してくれる気になったのだろうし。
だとしても、慣れ親しんだ、自らの神域として守ってきた土地を離れるのは、やはり思うところがあるだろう。
いずれ……、たとえば、甜菜の栽培を本格化させるとき。もしもこの地にも甜菜の畑を作れたなら、あの神殿を再度整備して、またテユール様のお住まいにしていただくこともできるかもしれない。
そうなったらいいな、と。
そんなことを考えながら、僕らは神殿を後にした。