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15 襲撃



 冬でも十分景勝地として鑑賞に値する場所として、連れてこられたのは、馬車で三十分ほど走った湖の畔だった。

 湖面は凍って分厚い氷が張っていて、周囲の木々も雪化粧に覆われている。

 まさしく銀世界と称するにふさわしい場所だった。

 針葉樹が高くそびえ立つ周囲とくらべ、湖のあたりはぽっかり開けて空が見える。


「このあたりは春になると紫色の小さな花がたくさん咲くんです。小さくて素朴な花ですが、一面に咲いているのはなかなか見応えがありますよ」

「そうですか。それは是非見てみたいものですね」


 アルフィアス男爵の言葉に、大神警視(ディアナ)が頷く。

 思いの外、本日の案内係であるアルフィアス男爵夫妻は、真面目にガイドを行ってくれるつもりのようであった。馬車で移動する道中も、ずっと媚びるような笑顔を浮かべているのが鬱陶しいし、使用人と同じ馬車に乗るのに難色を示されたので、馬車の中はこの夫妻と僕らの四名のみ、というのは苦痛であったけれども。これも敵情視察のうち、と割り切って、表情筋に力を込めて笑顔を保つこと二時間弱。


 湖の次には、見晴らしのいい展望台へ案内された。北へと旅をする者たちが使う細い山道にそって設けられた東屋は、旅人たちの休憩所としても使われているそうだ。


 東屋には、既にアルフィアス男爵が手配していたのか、お茶のセットが用意されている。東屋だけに吹きさらしであるが、周囲にたき火を焚いてわざわざお湯を沸かしているのだ。随分はやくから準備していたのだろう。


「……変わった香りのお茶ですね」

「ええ、これにはマッセリカの実で作ったジャムを溶かし込んでいるのですよ。疲労回復によく効くのです」

「それだけでなく、美容にもよいのですよ。マッセリカの実を絞ったジュースを飲むと、肌の艶がよくなるんですの」

「そんな素晴らしい実があるんですか」


 マッセリカの実、とは。

 初めて聞く名前だな。この世界、僕らの世界と作物はほとんど同じだけれど、独自の植物もあるようだ。ハーブの中にも、たまに聞いたことのないものがあったりして、効用を調べると魔力の回復を助ける、とか書いてあったりする。異世界ならではだなと思っていたが、まさか回避しにくい状況で出されるとは……。


 別に毒を盛られることはなかろうが、初めて聞く実、それもこの世界独自のもの、となると、ちょっと口にするのが躊躇われた。せめてどういった植物なのか調べてからにしたいものだが、この場で調べる方法などあるわけもなく。


「……本当だ。ちょっと甘酸っぱくて美味しいですね」

「そうでしょう。わたくしのお気に入りなんですの」


 少しずつ、様子を見ながら……舌にしびれや、変な苦みがないか確認しながらお茶を口にする。警戒しすぎかと自分でも思うけれど、職業病のようなものだ。公安職員は本来、他人から出された飲食物には手をつけないし、外食も控えるものだ。流石に、子どもたちの中に入り込んでしまった時点で、そういうわけにもいかないから、料理人の作ったもの等は普通に食べているけれど。


 この人達の用意したものとなると、どうしても身構えてしまう。

 特におかしな味もしなかったし、身体にも異変はないので考えすぎであったのだろうけれど。


 歓談しながらお茶と焚き火で温まり、小半時たったあたりでアルフィアス男爵が「そろそろ戻りましょうか」と切り出した。


「城へ戻るんですか?」

「ええ。本当はもう一カ所、お見せしたい場所があったのですが、空模様が怪しくなってまいりましたので、今日はもう帰りましょう。明日の狩猟パーティーでは晴れるといいのですが……」


 アルフィアス男爵の言うように、確かに見上げた空は厚い雲に覆われていた。今朝方は晴れ間が覗いていたのだが、山の天気は変わりやすいものだし、天候ばかりはどうしようもないだろう。


 使用人達が後片付けを始めるなか、横に止めていた馬車に乗り込もうとして、前を歩いていた大神警視がぴたと足を止めた。

 素早く周囲に視線を走らせ、眼差しに警戒を滲ませている。


「どうしました?」

「……今、笛が」

「笛?」


 言われて、僕も耳を澄ませる。すると、確かにどこか遠くから、かすかに聞こえる笛の音……。なんらかの曲を奏でているというよりも、ただ適当に音を鳴らしているかのような、そんな音だ。


「ディアナ様、ケイン様。どうかなさいまして?」


 アルフィアス男爵夫人に声をかけられ、僕らは会話を中断した。夫人の言葉は問いかけだが、表情はさっさと馬車に乗ってくれ、と言っている。この寒い中、外にいるより馬車の中の方が幾分マシであるから、彼女の言い分も、まぁ解る。

 何でもありません、と返して、大神警視、僕の順番で馬車に乗り込んだ。すぐにアルフィアス男爵夫妻も続き、いざ出発というところで、ちり、と首の後ろがあわだつような違和感。


 覚えのある感覚に、まさかと身構えたところで……。


「うわぁあぁぁっ!!」

「な、何だ……!?」

「きゃあぁ――っ!」


 東屋の方から悲鳴が響く。

 何事かと窓に張り付けば、犬型の魔獣が使用人たちに襲いかかり、それを護衛騎士達が蹴散らしているところだった。


「ちょっと!! なんでこんなところに魔獣が出るのよ!?」

「出せ! すぐに馬車を出すんだッ!!」


 恐怖のせいか、金切り声を上げる夫人。アルフィアス男爵も声を荒げ、御者に馬車を出すよう大声で怒鳴りつける。しかしこちらとしては、状況もわからないまま流されるわけにもいかない。


「ちょ、ちょっと待ってください、騎士達がすぐに……」

「はやく出せ!! 逃げるんだ、はやく!」

「ちょっ、わっ」


 ガッタン、ゴットンと大きな音をたて、馬車が揺れる。急に最大速度で走り出した馬車に、ロイが待て! と必死に制止していたけれど、それを振り切るように馬車は山道を突き進む。

「アルフィアス男爵! 使用人たちが」

「護衛騎士がついているのですから問題ありません! 彼らが食い止めている間に、お二人を城までお連れするのが私の役目です」

「……」


 そう言われると、まあ、彼の行動はそうおかしくはない、か?

 いや、でもやっぱり、いくら急に魔獣が出てきたからって護衛を全て振り切って逃走だなんて……。追撃があったらひとたまりもないじゃないか。


「ご安心ください、私が必ず城までお守りしますから」


 大人として、自分たちを守る、と言い切った相手であるから、頼もしく思うべきところであるはずなのに、どうしても彼の言葉を空虚に感じてしまう。夫人の方は、顔色も悪く、汗を滲ませ、すっかり怯えきっているというのに。

 アルフィアス男爵のこの落ち着きぶりはどういうことだろうか。それほど魔法の腕に自信があるのか? グローリア騎士団の騎士達の守りは不要だと思うほどに?


「あっ、ああっ! あなた!! 何か来るわっ」

「むっ、ややっ、あれは!」


 とっくに騎士達の姿は見えなくなったが、窓の外を不安げに見ていたアルフィアス男爵夫人が悲鳴を上げた。夫人と一緒に窓の外を見た男爵は、わざとらしいほどに驚きの声を上げた。そうして今度は何を思ったか、馬車を止めさせたのだ。

 アルフィアス男爵夫妻の身体が邪魔で、外がよく見えない。なんとか隙間から様子を探れば、大型の鳥類がものすごい勢いで迫ってきているようだった。


「アルフィアス男爵、あれは……」

「飛行型の魔獣です。私が食い止めますので、先に行ってください。なに、大丈夫ですよ。城はもうすぐそこですから」

「いやぁ!! もう来るわ、こっちに来る!!」

「さあはやく!!」

「まっ……」

「待て! 馬車を走らせるな!!」

「ひぃぃぃ!!」


 大神警視が制止したが、飛来する魔獣に恐れおののいた御者が悲鳴を上げて、再び馬車を走らせた。開きっぱなしの扉から、こちらに向かってまっすぐ飛んでくる大型の鳥類……鋭いかぎ爪と爪を持った魔鳥が襲ってくる。――立ち尽くすアルフィアス男爵をすり抜けて、まっすぐに、この馬車に向かって。


「止めろ! あれは動く者を追ってくる!!」

「えっ」


 警視が馬車から実を乗り出し、御者に向かって叫ぶけれど、恐慌状態の御者は聞いてすらいない。


「もっとスピードを出しなさい!!」

「こ、これ以上は……!」

「馬車を止めろ! 狙われるぞ!」

「うるさいわね! じゃあアンタたちだけ降りなさいよ!!」


「えっ」


 どん、と。


 開きっぱなしの扉につかまり、御者に声をかけていた大神警視(ディアナ)の身体が、馬車の外に押し出される。


「あぶな……!」


 とっさに警視は扉に縋り付いたが、身体は完全に馬車の外だ。必死に手を伸ばし、馬車に引き戻そうとしたところで、甲高い鳥の鳴き声とともに馬車が衝撃に揺れた。

 鋭いかぎ爪が、馬車の屋根に食い込み、けたたましい馬のいななき。

 悲鳴、怒号。

 さまざまな音が入り乱れるなか、なんとか大神警視の腕を掴んだ、ところで。


「ぐげぇっ!!」


 御者が鋭いくちばしに胴を貫かれ、地面に投げ落とされた。

 それだけではない。馬車ごと、鋭い爪で持ち上げられ――……。


 山道から、崖の方へと跳び上がる。


「いやぁ――っ!! どうしてッ!?」


 アルフィアス男爵夫人が、座席にしがみつきながら、杖を振り回していた。

 大神警視は、扉にしがみついたまま、山道の方を睨んでいる。その視線の先にいたのは、アルフィアス男爵だ。

 遠ざかる彼は、妻の乗った馬車が魔鳥に持ち去られようとしているのに、慌てる風でもなく佇んでいる。遠くて顔は見えないが、その顔は、笑っているように感じられた。


「どうして魔法が使えないの!?」


 バキッ


 悲痛な叫びも、木材の割れる音をかき消してはくれない。


 大神警視が掴んでいた扉が、馬車からはがれおちる。

 馬車が大き揺れ、甲高い鳥の鳴き声が響き。


 警視の腕を掴んでいた僕も、馬車の奥でふるえていた夫人も、もろともに。




 壊れた扉ごと、高度から投げ出された。




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