13 お嬢様、商談に臨む
一夜明け、朝から大神警視はやる気に満ちていた。
何のやる気かって?
ディアナの幸福な未来の為の土台作りだ。
「まず経済的にあの男の影響を受けずとも十分余裕のある文化的な生活を送れるだけの基盤を作る」
と、宣言するや、エリスに頼んでサリバンさんを呼び出したのである。
「ディアナお嬢様、内密に話したいとは、いったい……」
辺境伯家の令嬢が何か購入したい、という希望でもなく、商会の会長を呼び出したのだから、サリバンさんが困惑するのは当然だろう。サリバンさんの横では、彼が来たことで自分に会いに来たものと思ってひっついてきたエドガーくんもいる。
エヴァローズ子爵邸の応接室を借りたが、これが商談だと認識しているのは、この時点で警視と僕のふたりだけだったろう。
「エリス、あれを」
「はい。こちらにございます」
大神警視が片手を差し出せば、エリスが紙の束を手渡した。警視はそれをテーブルの上に広げる。紙の束の横にあるのは、フレアローズ城から持ってきたシャンプーやリンスなどの美容品と、先日サリバン商会で買ってきた洗髪剤をはじめとした美容品だ。
「これは……」
「グローリア辺境伯家のフレアローズ城で働く女性職員と、こちらの城の職員に、従来品の洗髪剤や石鹸と、私が作ったものとを使い比べてもらった上でとったアンケート……使用感に関する報告書です」
「つく……えっ!?」
「私もこちらに来てから市販品を使ってみましたが、自作品の方がよほど出来が良いと感じています。エリス、あなたは?」
「恐れながら、フレアローズ城でディアナ様がお使いの品を分けていただくようになってから、私のみならず皆髪も肌も調子が良く、とても市販品を使おうとは思えません。そちらの報告書にもありますように、この城のメイド達にも大変好評です」
「しょ、少々失礼いたします」
エリスの言葉に、サリバンさんは真剣な表情になって、アンケート用紙の束をめくりはじめた。
この一週間、エリスに何かさせているなぁと思ったら、大目に持ってきた美容品を城の女性に試験して貰っていたらしい。
まあ、こういうののテスターは多ければ多いほどいいもんな。
サリバンさんは、僕らには親ばかな表情ばかり見せていたけれど、ゲームでは皇国で一、二を争う大商会の会長にまでなったひとだ。ただの親ばかではない。仕事のできる親ばかなのだ。
筆跡の違う女性たちの感想、文字が書けない者のぶんはエリスが代筆したそうだが、フレアローズ城とこの城とで、併せて八十人以上の女性たちの率直な商品レビューである。この世界の人間は、こういったマーケティングには馴染みがないだろうが、口コミの重要さは彼も理解しているようだ。
「……それほど、使用感に差があるものですか?」
「私の髪、この一週間はサリバン商会で売れ筋だという洗髪剤を使っておりましたが、以前会ったときと比べてどうです?」
「…………」
大神警視の言葉に、サリバンさんは沈黙で答えた。
そりゃあ、言えないだろう。
旅の途中だった一週間前の方が、サラサラ艶々だった、なんて。今だって別に見苦しい程ではないが、艶がおちているのは間違いない。
「ケインはいつもフレアローズ城で使っているものをそのまま使っておりますから、違いもわかりやすいでしょう?」
「……さようでございますね」
まさかご令嬢より、ご子息の髪の方がキレイです、なんて言えるはずもない。サリバンさんは答えにくそうにそっと目をそらした。
「こちらの洗顔石鹸や化粧水も、メイドたちに評判がよいのですよ。あんまりみなが欲しがるので、それならいっそ商品として売り出そうかとも考えたのですが、我が家にはそのような経験はございませんし……」
にっこりと微笑む大神警視。
ごくりとつばを飲み込むサリバンさん。目が完全に、売れ筋商品を見つけた営業マンだった。
「それなら、作り方をどなたかに教えて代わりに売って貰えばよいかと思ったのですが……。大叔父様が懇意になさっていらっしゃるようですし、サリバンさん。これらの作成法、興味はございません?」
「それはもう、教えていただけるのでしたら、そうですね……。全ての品あわせていただけるのなら、金貨三十枚でも惜しくはございませんね」
「あら、それだけですか? 残念ですね、もう少し見る目がおありかと思っていたのですが」
えぇ……。
ありもので作れる日用品にどれだけふっかけるんだ、このひと。洗髪剤なんてひとつ銅貨八枚程度だってのに……。いや、たしかに精油使ってるから市販品よりもっとかかるだろうけども。
サリバンさんもそう思ったのか、ちょっと不審そうな目だ。
しかし大神警視は余裕の表情のまま続けた。
「これが市場に出回ったあとの利益も含めて考えていただけなければ……。そうでしょう? 適切な値を提示してくださる商会が見つからないなら、我が家で適当な商会でも買って卸せばよいだけですもの」
「――っ、おっしゃるとおりで。わたくしとしましては、お嬢様がなぜそうなさらないのか不思議でしかたありませんな」
「それでしたら単純なことです。見ての通り私はまだまだ小娘ですから。むやみに目立つことはしたくないのです」
ばちっとどこかで火花が散っているような音が聞こえた気がする。気のせいかな? 気のせいだと良いな。
しばらくして、ふ、とサリバンさんが不敵に笑った。
「確かに、失礼ながら、一週間前と比べてこちらの城の皆様、御髪もお肌もお綺麗になられております。まして、お嬢様がお使いのものと同じとなれば……。よろしいでしょう。併せて金貨四十枚、月の売り上げから二割。これ以上はわたくしどもも厳しゅうございます」
「一割で結構です。今後も、何かとお世話になることもあるでしょうから」
「それはそれは。まことに楽しみですな」
ふふふふ、はっはっは。
朗らかに笑い合う幼女と商人の組み合わせは、端から見ていて実にそら恐ろしいものがあった。
かくして、大神警視は懸賞金の他に、金貨四十枚と毎月の不労収入を確保するとともに、いずれ大商会となる商人とのコネ作りに成功したのである。
なお、今回警視が売ったのは、シャンプー、リンス、洗顔石鹸、化粧水の四点で、蜂蜜パックのレシピは売っていない。それはまた時間をおいてから新商品として売り出すつもりらしい。
――数ヶ月後、サリバン商会はまず貴族向けに高級路線で売り出したこれらの商品で貴族相手の販路を大きく広げることに成功するのだが……。
このときはまだ、知るよしもないことだった。
***
エヴァローズ子爵邸に滞在中、僕らはもっぱら、日課の鍛錬の他は、レイナードさんの蔵書を読みあさったり、レイナードさんの発明品の制作の手伝いばかりしていた。
そうなると、自然、レイナードさんの小さな助手であるエドガーくんとも交流が増える。
ラスボス令嬢と攻略対象者のひとりが仲良くなるというは、ゲームのシナリオ的にアウトでは? とも思ったが、中身が僕らの時点で今更だしな。
初めて会った翌日には大泣きしているところを目撃され、一週間後には自分の父親と対等に取引なんかやらかした大神警視に対して、対抗意識が芽生えたらしい。エドガーくんはやたら大神警視にこれはできるか、あれはできるか、と挑んできた。
その内容が、魔導鉱石の欠片に魔力を注入する速さ勝負だったり、朝のジョギングでの勝負であったり、腕相撲だったりしたのだが……。大人げない大人は、子どもの身体だから対等だと言わんばかりに、ことごとく少年を負かしていった。本人曰く、真剣に勝負を挑んできている相手に手加減など、失礼なことはできるか、とのことである。
まあ、一理あるような、ないような?
そんな微笑ましくも賑やかな日々も、とうとう終わりを迎えた。
二日後に狩猟パーティーを控えた今日、グローリア辺境伯家のお子様一行は、白鷲山の別荘へと出発する。
「もう行ってしまうなんて、寂しいなぁ。まだ雪深いから、気をつけて行くんだよ? お土産をたくさん包んでおいたからね。あとでゆっくり見るといいよ」
「ありがとう存じます、大叔父様」
「ありがとうございます」
エヴァローズ子爵邸の馬車寄せで、見送りに出てきてくれたのは、レイナードさんだけではない。滞在中すっかり顔なじみとなったこの城館の使用人達もずらりと並んでくれている。
料理長には道中のお弁当の他、メープルシロップの瓶と、シロップを使ったカップケーキやクッキーもどっさり貰った。荷物はこの城館へやってきたときの倍近くに増えてしまっている。自分たちで買い込んだものはそうなかったので、ほとんどエヴァローズ子爵邸の皆さん……主にレイナードさんからもらったお土産だ。
サリバンさんも、明日には皇都に発つらしく、一足早く街を去る僕らを見送りにきてくれた。
短い間だったけれど、この街ではとても有意義な時間を過ごせたと思う。
「おい!」
ひゅん、と放り投げられた何かを、大神警視が危なげなく受け止めた。ついで、僕のほうにも投げよこされたそれを、掌で受け止める。
パライバトルマリンのような色合いの、綺麗な石だ。大きさは一センチほどだろうか。
魔力が込められた魔導鉱石を投げよこしたのはエドガーくんで、きゅっと眉間に皺を寄せ、唇をへの字に曲げていた。が、頰は真っ赤に染まっているので、険しい表情も照れ隠しなのがバレバレである。
「せっ、せんべつだっ! 次は絶対! かけっこもうでずもうもオレが勝つんだからなっ!!」
びしっと大神警視に指を突きつけて宣言してくれたのだけど、僕はスルーされてるのがちょと寂しいな……。いや、僕にも餞別くれてるけどさ。
「いいでしょう、再戦を楽しみにしています」
まっすぐにぶつかってくる少年を、大神警視は結構、かなり、気に入っていたので、この言葉はかけねなしに本心からのものだったろう。だからいつもの冷静さが全面にでたほぼ無表情でも、意図的に作り出した微笑でもなく、ふわりと柔らかな、楽しそうな笑みがこぼれたものだから――……。
何度でも言おう。
今の警視は、身体は美幼女なのだ。
西洋人形よりもなお愛らしい美幼女なのだ。
商談のあとは洗髪剤をいつものシャンプーとリンスに変えたおかげで、髪の艶も取り戻し、敵陣に乗り込むとあって気合いを入れて整えた旅装束だ。
そんな美幼女の煌びやかな心からの笑顔に、幼気な少年は真っ赤になって固まってしまったのは、仕方ないんじゃなかろうか。
うん、君は悪くないよ、エドガーくん。
それが普通の反応だよ。
ああ、だけど、それにしても――……。
「あなたは本当に酷いひとだな……」
「……? 何だいきなり」
ガタゴト揺れる馬車の中。赤面したまま「あう、あわ」と人語をしゃべれなくなってしまった幼子の姿が小さくなっていくのを見つめながら、僕は苦言を呈したのだけれども。
少年の心に深刻なダメージを加えた当人は、まるで自分の犯行の罪深さを理解していなかったのだった。
お気に召していただけましたら、下部の☆☆☆☆☆より評価をお願いいたします。