6 魔眼の持ち主と渡界人
エヴァローズ子爵領は、メイプルシロップの他にはこれといって特産品のない領だが、このシロップが評判がよく、皇都でも高く売れるのだとか。その為、領都にあたるメイルズの街の至る所にメイプルの葉を模した旗や看板が掲げられている。領の特産品だけあって、飲食店や宿屋でも、メイプルの葉を店の看板に組み込んでいることが多いようだ。
まずは商人ギルドに顔を出さなくてはいけないというサリバンさんたちと別れ、僕らは真っ先にエヴァローズ子爵邸へと向かった。
山城であるフレアローズ城とは違い、楓の森の湖畔に瀟洒な城館が建っている。グローリア辺境伯家の分家ではあるが、随分と趣がことなるものだ。
しかし気になるのは、城館の庭の隅に、用途の良くわからない木製の大きな器具が放置されていたり、とある一室の窓から煙が漏れていたりすることなのだが……。
と、思っていたら、ドォンと爆発音が響いた。
「何事だ?」
馬車が止まり、騎士達が警戒するように周囲を固めた。ちなみに、まだ馬車停めには辿り着いていない。
どうしたものか迷っていたら、庭仕事をしていた使用人が、大慌てでこちらに駆け寄ってきて、気にせず馬車を進めてくれと言い出した。しかし護衛達も、原因がわからないことには、はいそうですかと頷くわけにもいかず……。
「こんの馬鹿領主!! 今日はお客様がいらっしゃる日だってあれほど念を押したでしょうがっ!!」
――なんて怒声が遠く聞こえてきたので、どうやら原因はエヴァローズ子爵であるらしい。
戸惑いつつも、馬車停めまで進み、僕らが降りると、待ちかねていたかのように正面玄関の扉が開かれた。
「ようこそおいでくださいまいた、ディアナ様、ケイン様」
にっこりと微笑みを浮かべ、数名のメイドが頭を下げる。馬車を降りたことで、煙たい臭いが鼻についたけれど、エヴァローズ邸のメイドたちはまるで何事もなかったような顔で僕らを応接間へと通した。
応接間に移動したのは、大神警視と僕、エリスとロイの四名だ。他の護衛達は荷ほどきのあとは別部屋で休憩をとることになるだろう。
すぐに紅茶が給仕され、メイプルクッキーが茶請けとして出された。
流石特産品。甘めの味付けのクッキーを食べながら、待つこと十五分。どたどたと慌ただしい足音のあと、ばーんっと効果音がつきそうな程勢いよく扉が開かれた。
ロイが反射的に警戒態勢となり、剣の柄に手を伸ばしたが、別に敵襲でもなんでもない。なんせやってきたのは、小柄で白い髭をたっぷりと蓄えた、白雪姫を題材とした某国のアニメーションに出てくる小人を彷彿とさせる老人だったのだから。
「ディアナ! ケイン! 良く来たね!!」
子どものような笑顔で子ども達の名前を呼んで、老人は挨拶をしようと立ち上がった僕らを纏めて抱きしめた。
衣服は汚れひとつないけれど、少し……いや、だいぶ煙臭い。たっぷりとした髭や髪についてしまった臭いだろう。臭いって案外、服を着替えたくらいじゃとれないんだよな……。
それにしても、やっぱりあの爆発はこの老人……レイナード・エヴァローズ子爵が原因だったようだ。
「あ、あの、苦し……」
「旦那様! お二方をお離しくださいませ。窒息させるおつもりですか」
「おぉ、これはすまん」
鋭い叱責に、エヴァローズ子爵はようやく僕らを解放してくれた。小柄な割に、なかなか腕力のある老人だ。
事前情報では、ディアナ嬢もケインくんも、彼と会ったことはないはずだ。しかしエヴァローズ氏がこちらへ向ける眼差しは、とても柔らかい。
「主が大変失礼いたしました。お嬢様方がおいでになると伺ってから、大変浮かれンンッ、お喜びになり、首を長くしてお待ちしていたのです。なにとぞお許しくださいませ」
今浮かれてって言おうとしたよな?
うやうやしく頭を下げた男性は、年の頃は三十もいかないか、といったところ。若いながらにこの子爵家の家令を勤めているらしい。名をセバスチャン。……うん、いかにも執事っぽい名前。
お仕着せの黒服もよく似合う、理知的な見た目だが、この声、さっき庭まで聞こえる大音量でエヴァローズ子爵を罵倒していた声だ。
「セバスチャン、言葉にトゲがあるぞ~」
「気のせいでございます、旦那様。そんなことより、いつまでお嬢様方を立たせているおつもりですか」
「おお! そうだった。ふたりとも座って、楽になさい」
座れと言われても、先に挨拶くらいはすべきだろう。親戚といえど、礼儀は大切だ。
「ディアナ・グレイス・グローリアと申します。このたびは急な訪問となりましたのに、快く迎え入れていただき、ありがとう存じます」
「お初にお目にかかります、ケイン・グローリアと申します。よろしくお願いしま……」
「かたいぃぃ~!」
丁寧な挨拶は、老人の身分を考えれば目を剥きたくなるほどの嘆きの声で遮られた。正式な礼をとっていた僕らは反応に困ったが……。びきっとセバスチャンさんのこめかみに血管が浮かんだぞ、今。
「ディアナもケインも兄上たちの孫なんだから、ワシの孫も同じじゃないかね!? おじいちゃまにそんな固い挨拶なんぞするもんじゃな」
「旦那様! 人様の挨拶を遮るものではございませんっ」
「ひぃっ」
……どうやらこの家では、家令の方が圧倒的に立場が上らしい。
「な、なんだね、セバスチャン。いつもは人前ではあれこれ言わないのに……。ほ、ほれ見ろ。ディアナたちが驚いているじゃないか」
「恐れながら旦那様。お嬢様方は旦那様の兄君方のお孫様。旦那様のお身内にございます。まして、この屋敷にしばらく滞在なされるのですから、取り繕うのも無理があると愚考した次第でございます」
つまり、取り繕うのも無駄だから最初からしない、ということらしい。片眼鏡をくいっとはめ直す仕草をして、慇懃無礼に言ってのけるのだから、なんともおかしな主従関係もあったものだ。
「それでは旦那様、わたくしめは旦那様がめちゃくちゃにした第五研究室の修繕手配にいってまいりますので、くれぐれもお客様がたに失礼のないようおもてなしくださいませ」
「は、はい……」
副音声に、しっかりやれよクソジジイ、と聞こえたような気がしたけれど気のせいか。
どうやらセバスチャンさんは絶賛不機嫌まっただ中であり、その原因は先ほどの爆発のようだった。
「あの、大叔父様……。先ほどの爆発は一体……」
「おぉ、聞いておったか。いやなに、ちょいと実験に失敗してしまってねぇ。珍しい鉱石を見つけたものだから、うまいこと使えんもんかと思っていじくりまわしてるんだが、なかなかうまくいかなくてなぁ。この半年で五回部屋をダメにしてしまったもんだから、セバスチャンの機嫌が悪くってね……。いやはや、失礼した」
「そ、それはまた……」
短期間に五回も部屋を吹っ飛ばせば、そりゃあどんなに温厚な使用人でも怒るだろうよ。庭師さんが気にしないでくれと言っていたのも、日常化してしまっていたせいだろう。
趣味の研究に没頭している老人だということは聞いていたが、レイナード・エヴァローズ子爵は随分クセのある人物のようだ。
「それはそうと、シモンズに聞いたよ。ジャバウォックがフレアローズの近くに出たんだろう? しかも奴隷商まで領に潜り込んでたとは。魔獣の襲撃で奴隷商のアジトが発見されたなんて、皮肉なものだが……。君たちが無事で良かった……」
シモンズさんは、流石におおっぴらにディアナとケインが奴隷商捕縛に関わったことまでは教えていないようだ。そもそも今回の訪問も、魔獣襲撃や村の壊滅、奴隷商の捕縛とで領都が騒がしくなっているので、一時的にディアナとケインをのどかな場所でリフレッシュさせたい、という名目になっている。
だからしみじみと無事を喜ばれるのはおかしくはないのだけれど、何故だろうか。
エヴァローズ子爵はむむっと眉間に皺を寄せ、大神警視と僕を交互に見て首を傾げた。
「うむ? ……おかしいのぉ。ふたつ……」
ぼそぼそと何やら考え込むようにつぶやかれた言葉に、大神警視は軽く目を見張り、それからロイとエリスに退出を促した。
「エリス、ロイ。私たちは大叔父様とゆっくり話したいので、あなた達は休んできてください。ふたりとも長旅で疲れているでしょう」
「かしこまりました」
「いいんすか? それじゃあ、お言葉に甘えて」
エリスとロイが退出しても、エヴァローズ子爵はまだ何か考え込むようにぶつぶつつぶやいている。やがて、うん、とはっきりと頷いた。
「やっぱり間違いない。君たち、なんで魂がふたつあるんだい?」
「っ!?」
まさかの指摘に、僕は危うく、手に持っていた紅茶のカップを取り落とすところだった。
レイナード・エヴァローズ子爵曰く、彼は俗に鑑定眼とも呼ばれる魔眼を持って生まれたという。これは魔力の多寡には関係ない、特殊能力の一種で、彼の魔眼は観察対象の本質を分析・解明するといったものだそうだ。
そうして、その眼を通して見ると、僕らの身体の中には、全く別人の魂がふたつずつ収まっているのだとか。
加えて、「んんん? 渡界人? 異世界の警察官? 警察官ってなんだね??」などとぶつぶつつぶやいたりするものだから、驚いたなんてものじゃない。
予想外の事態に、僕は大神警視をちらりとみやった。警視は少しばかり考えるように沈黙してから、す、と姿勢を正し会釈する。
「改めて、ご挨拶申し上げます。私は大神蓮。ケインくんの中にいるのは佐藤一馬。我々はこことは異なる世界の警察官……。こちらでいうところの憲兵隊のような職についている者です」
「ほっ!?」
下手に隠し立てして疑念を招くよりも、情報開示し協力を求めることにしたようだ。これまで淑女らしく振る舞っていたのが嘘のように、大神警視の仕草が僕の見慣れたものへと変わる。思わず、僕も姿勢を正し、警視に倣って頭を下げた。
あまりに突拍子もない告白に、エヴァローズ子爵は口をあんぐり開けて、しばらくフリーズしてしまった。かと思えば、動揺のあまりだろうか。手がふよふよと意味不明な動きをしはじめる。
そんな状態ではあったが、できるだけ簡潔に、ディアナ嬢とケインくんに憑依してしまった経緯、ふたりとは夢の中でコンタクトできることなどを話せば、エヴァローズ子爵はうんうん唸ったあとに、すっかり冷めてしまった紅茶をぐっと飲み干してから――……。
「孫がご迷惑をおかけしましたッ!」
テーブルに頭突きしそうな勢いで、頭を下げたのだった。
***
「いやぁ、まさかなぁ。ディアナが禁術に手を出しちゃうほど追い詰められてたとは……。これはワシら大人の責任だよねぇ。本当に、ご迷惑をおかけして……」
「いえ、あの……。我々としては、原因はふたりが行った禁術そのものではなく、百目木という犯罪者が行っていた儀式にあると考えておりまして……」
「そうかもしれないけど、相乗効果で次元に穴が開いた可能性もあるかも……。いや、どうだろう。そもそも異世界から人が渡ってくるなんて……。あっ! そういえば、大ガロリア帝国時代の伝承で渡界人の話があるくらいだから、あり得なくはないのかもしれないね」
「渡界人、ですか」
詳しく尋ねれば、エヴァローズ子爵は大ガロリア帝国時代の古文書に記されている伝説について教えてくれた。
「この地に言葉あれど文字はなく、人は諍い、奪い合うばかりの混沌とした世に、文字とともに文明の灯火をもたらしたのが異界より渡り来た偉大なる賢者である……とか、まあそういった伝説だよ。この地にはない叡智をもたらし、世の発展をもたらす存在として崇められたひとが大昔にいたそうだ……」
異なる世界からの文明の伝来か。そう考えれば、遙か昔の日本で、大陸から渡ってくる技術や知識をありがたがり、研究発展させていったのと同じようなことが大ガロリア帝国でも起こったのだろうか。
……あれ、待てよ?
文字がなかった時代に、もしかして、英語の読み書きを教えたひとがいた、とか?
いやいや、さすがにそれは考えすぎだよな……。
「大ガロリア帝国時代の古代の、原本が残っておらん書物に載ってたそうで、写本も稀少だからね。あまり知られた話ではないよ。どうも一時期、帝国の発展は帝国人が作ってこそ、という風潮が流行ったらしくて、渡界人の情報はほとんど途絶えてしまってるんだ」
えぇー……。なんだそれ、日本で言う国風文化の盛り上がりみたいなものかな? 紙が高級品なあたり、製紙技術はもたらされていなかったのだろうし、情報を保存する術が乏しかったのも原因かもしれないけれど。
いずれにせよ、僕らにとって重要なのは、伝承が何故途絶えたかではない。
「では、その渡界人が元の世界に帰ったかどうかも不明なのでしょうか」
「ああ。すまないね。渡って来た人がいる、という伝説だけで、その後どうなったのかまではさっぱりだよ」
「そうですよね……」
恐る恐る訊ねてみたが、やはり答えは予想していた通りだった。まあ、そう簡単に帰る手がかりが得られるとは思っていなかったけどさ。
「しかし、まいったな。ディアナとケインをそのままにするわけにもいかないし、かといって、魂替えの法の失敗をリカバリーする方法なんて、そうそう思いつかん。神々に祈祷して助力を請わないといけないかもしれないが……。神のご加護なんぞそうそういただけるものでなし。しかも技術不足による失敗が原因とあっては……」
「祈祷? この世界では、神々に助力を得られるんですか?」
「奇跡のような希事ではあるがね。神々は気まぐれだから、手順を守り供物を捧げたからといって、必ずしもお応えいただけるわけじゃないんだ」
むずかしい顔で腕組みしながらエヴァローズ子爵が教えてくれたが、申し訳ない。僕が言いたかったのは、本当にこの世界に神が存在するのか、ということだ。魔獣がいて魔法があるのだから、そういった超常的な存在がいても確かにおかしくはないけれど、現代日本の宗教観に慣れ親しんでいる身としてはなんとも信じがたい。
「神頼みは人事を尽くしてからにすべきでしょう。我々としましては、この世界へと逃げ込んだ罪人を捕縛し、元の世界に連れ帰ることを最終目的としております。もちろん、それが果たせなくとも、最低限この身体を本来の持ち主に返したい。しかしいかんせん、我々は魔法と無縁な世界の者。何卒、ご助力願えませんか」
「それはもちろん! ワシにできることなら何でもするとも。兄上方の孫たちを、放ってなどおけるものかね」
きりっとした表情で協力を願い出た大神警視に、エヴァローズ子爵は二つ返事で快諾した。……今の警視の台詞、殊勝なこと言ってるけど、多分神様うんぬん信じてないというか、はなからアテにしてないよなぁ。
この世界の人間であるエヴァローズ子爵の手前、全否定しなかっただけだろう。
ともあれ、予想外のことではあったが、僕らは晴れて、事情を知る協力者を得ることができたのだった。
この世界や魔法についてはど素人の僕らにとっては、なんとも心強いことだ。
「ありがとうございます、エヴァローズ子爵」
「レイナードでいいよ、ワシもレンとカズマと呼ばせてもらっても……」
「こんっのクソジジィーッ! テメェで部屋ぶっとばしたくせに、オレにかたづけおしつけて何やってんだっ!!」
朗らかなエヴァローズ子爵の言葉は、怒声によって遮られた。
続いて、ドガンッと大きな音とともに、重厚な樫の扉が蹴破られる。
……この屋敷、当主への罵声が響きすぎじゃないか?
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