5 旅は道連れ
ガタゴトと揺れる馬車に乗って、一路向かうはエヴァローズ子爵領。旅の同行者は、大神警視と僕の他は、子ども達の専属騎士となったロイと、侍女になったエリス。それから、馬車を引く御者と、他数名の護衛騎士たち。
ロイを含め、騎士たちは馬に騎乗していて、エリスは僕らと同じ馬車に乗っている。おかげで内緒話ができないが、まあ仕方がない。
ケインくんと夢の中で話した翌日、大神警視に確認したら、確かに警視もディアナ嬢と会っていた。警視の父親になる宣言をディアナ嬢が喜んで受け入れた為、新造親子はその晩あれこれ色んなことを語り合ったようだ。
警視は途中でケインくんが僕のところに行くと姿を消したことを気にかけていたが、理由については濁しておいた。僕の口から勝手に言うようなことじゃないからな。
ともあれ、楽しい時間はあっというま、その短い邂逅の間に好奇心旺盛なディアナは僕らの世界のスイーツについても興味を示したらしく、食べられるのを楽しみにしていると言っていたそうだ。
子どもが楽しみにしているのならばと、甜菜探しは必須事項へと格上げされた。ついでに、謎の人物からのマリアベルを探せという言葉も気にとめてはいる。
とはいえ、子どもの身でそうそう皇都やランドン男爵領までは行けない。人を雇おうにも、まだ自由にできる金は手元にはない。奴隷商たちを引き渡した懸賞金が手に入ったら、改めて検討することとなった。
その代わり、できることから着実にやっていこう、ということで。
甜菜を見つけた場合の栽培メリットをシモンズさんにプレゼンした結果、レイナード・エヴァローズ子爵を訪問し、そこを拠点とするならと条件付きで探索を許可して貰うことができた。
エヴァローズ子爵は、ディアナの祖父アーネストの弟にあたる。彼へはシモンズさんが連絡をしてくれることになり、先方から滞在許可を得るのに八日日ほど待つことになった。そうして晴れて出発の日と相成ったのだが……。
「……エリス、眉間に皺がよってますよ」
「えっ、も、申し訳ございません、ディアナ様」
大神警視の指摘に、エリスは慌てて自分の額を手で押さえた。
「ここ数日のことを思い出してしまって……。大変失礼いたしました」
感情をあからさまに表情に出すなんて、名家の使用人としてはあまりよろしくない行いだ。それでエリスはすっかり恐縮してしまっている。しかし彼女が思いだし怒りなどというものをするにいたった出来事は、確かに僕にとってもあまり気分のいいものではなかった。
まず、六日前。
西棟の客人たちが、シモンズさんとエルダ夫人が戻ってきていることについて噛みついてきた。これにはウィルソンにも事前に言い含めてあって、表向きディアナが勝手に雇用したことになっている。
それから、エリスがディアナ付きになったことにも現在の家政婦から文句を言われたが、これもウィルソンからディアナの強い希望を無碍にできず、と説明させた。ラナは現在も西棟勤務のままだが、これは情報収集目的だ。
次に、四日前。
西棟のご婦人方が、使用人達の髪や肌艶が良くなっていることに遅まきながら気付き、自分たちにもその秘密を教えろと騒ぎ出した。とはいえ、これに秘密などなにもなく、温泉に入りたいならどうぞ、とウィルソン経由でお伝えしたのだが……。
使用人風情と同じ湯など使えるか、とめちゃくちゃに騒ぎたて、あろうことか大神警視の元におしかけて、専用浴場を使わせろと言ってきたのである。
これにエルダ夫人を筆頭にモリー夫人もエリスも大層立腹し、当主の好意で置いて貰っているだけの客が、跡継ぎに対して何という態度だと全面戦争が勃発。使用人のほとんどはエルダ夫人を支持したのは言うまでもない。
流石にこれは、グラスベリー子爵とアルフィアス男爵も形勢悪しと判断し、夫人らを宥めすかして引き下がらせたのである。
そもそもディアナの専用浴場を大浴場と分けて作るべきだと主張したのは、ジャックさん始め大浴場建設に携わった使用人たちである。主家の姫君と全く同じ大浴場を使うのでは、使用人が遠慮すると言われた結果そうなった。
使用人達からしたら、なんで図々しくも居座っているだけの客に、ディアナ様が見つけて作りあげたモノを貸してやらねばならないのだ。それも、下からお願いするならまだしも、居丈高に使わせろとわめくなど、言語道断である――と、いうことらしい。
そして、今朝。
エヴァローズ子爵領へと出発しようとした僕らに、グラスベリー子爵が声をかけてきた。
曰く、
「エヴァローズ子爵領へお出かけですか。ちょうどようございますな。そこからほど近い狩猟用の別荘で、狩猟パーティーを行う予定なのです。ハンス兄上から、狐狩りの準備を頼まれておりましてな。冬の社交も重要ですから、私が代行することになったのですよ。都合がつけば兄上も参加するかもしれないと申しておりました。よろしければディアナ様とケイン様もおいでくださいませ」
だそうで。
いくら姻戚関係にあるとはいえ、グラスベリー子爵が辺境伯家の冬の社交を主催するのだか。僕らは驚いたが、エルダ夫人もシモンズさんも大層驚いて、苦い顔をしていた。しかしどれほど不愉快でも、現在代行とはいえ当主の座にいるのはハンスだ。
そのハンスが、冬の社交をグラスベリー子爵に代行するよう頼んだというのなら、ディアナが雇ったことになっているシモンズさんたちに止められるはずもない。
……というか、狐狩りなんて女の子が好みそうな催しでもないのに、なんだって誘ってきたのだか。
僕らが子ども達に憑依してから一ヶ月以上、まったく接触してこなかったくせに、この八日でどういった風の吹き回しだろう。イヤな予感しかしないので、できれば参加したくないのだが……。
「お父様がいらっしゃるなら、考えておきましょう」
幸い、日程は半月以上先だ。大神警視はにこりと微笑んで、答えを保留にした。
これら一連の出来事で、ただでさえ使用人達の間で客人らの心証がよくなかったのが、更に悪化したようである。
新参であり、ハンスに雇われた立場のエリスすら怒り心頭という有様で、出発までの間はロイが懸命に宥めていた程だ。古参の使用人……とくに大神警視が呼び戻したシモンズさんとエルダ夫人の怒りようは、何をか言わんや。
猛吹雪が吹きすさぶ幻視を背景に、フレアローズ城を出発する羽目になってしまった。
「不愉快なことを思い出すより、楽しいことを考えるほうがいいですよ。エリスはエヴァローズ子爵領には行ったことはありますか?」
「いえ、今回が初めてです。噂では、領主様がよく突飛な発明をなさるとか……」
「そ、そうなんですね」
噂になるほど突飛な発明って、一体何を作ってるんだろう。これから滞在する場所なだけに、ちょっと不安になるな。
「土地はあまり肥えてはいませんが、メイプルシロップが採れるので、それが特産品として有名ですよ」
「へぇ……! それは素晴らしいですね」
メイプルシロップかぁ。
パンケーキ……ワッフル……。クッキーやパウンドケーキに入れてもいいな。もちろん紅茶にいれて飲んでも美味しい。けど、紅茶も高級輸入品なんだよなぁ……。まあ、裕福な貴族の家なら入手に困ることはあまりないんだけど。
ついついお茶菓子に思いを馳せてしまったところで、ガタンと少し大きく揺れて馬車が止まった。何事かと思っていたら、馬車の横について馬を歩かせていたロイが軽く馬車の扉をノックしてくる。
扉を開ければ、なんだか嫌そうな顔をしていた。
「先を歩かせてた者から伝令がきました。少し先で商隊が魔獣に襲われてるみたいで……」
「最低限だけ残して後は全員、助けに向かうよう指示してください」
「言うと思った! そもそもこの人数が最低限なんすけど!?」
「迅速に」
「あー、もうっ!」
これだから嫌だったんだ、とぶつぶつぼやきながらも、ロイは自分に与えられた護衛隊の小隊に指示を出した。
御者にも急いで騎士達に合流するよう指示を出す。これは、護衛から取り残されたこの馬車が個別で襲われない為の用心なのだが、本当に用心するなら、そもそも助けに向かわなければいい話。
しかしまだグローリア辺境伯領内であるから、領を通過する旅人の保護は領兵の仕事のうちでもある。まして、気付いていて放置したなんてことが知られたら、グローリア辺境伯領に商人が寄りつかなくなってしまうだろう。
領都のように大きな都市ならばともかく、小さな町だとそれは死活問題だ。
……なんて、領主家の立場としての大義名分は置いといても、お巡りさんが市民が襲われている場に急行しないわけがないのだ。大神警視が自ら飛び出さないあたり、ディアナの身体だからということでかなりの自重である。
御者を急かすだけ急かせば、馬車の乗り心地は比例して悪くなる。舌を噛まないように必死に口を閉じているうち、先行させた騎士達と無事合流できた。
「どうやらもう討伐されたようですわね」
窓から外を覗いて、エリスがほっとしたように息をつく。その手には、いつの間にやら彼女の杖が握られていた。いざというとき、僕らを守ることを考えてくれたのだろう。
あまり魔力は強くなく、強力な魔法は使えないと言っていたのに、魔獣が出たとわかっている場所に突っ込んでいくなんて怖い思いをさせてしまっただろうか。
「大丈夫ですか、エリス」
「え? あ、もちろんです、ディアナ様。領内で魔獣が出たとなれば、グローリア辺境伯家にとって放置できないことであるのは重々承知しておりますから」
ぐっと杖を握りしめて、エリスは気丈に笑った。
聞けば、エリスの父も、警備騎士団に所属しているそうで、砦のひとつを任されているのだとか。それだから、城への奉公が決まった時から、メイドといえどいざというときは杖を振るう覚悟で勤めよと言い聞かされていたんだとか。
何ソレ、武闘派ばっかりなのか、この領。
さすがは対魔獣防衛最前線の辺境伯である。
なんて、少し引いていたら、ロイから商人らが礼を言いたいらしいと伝えられた。
***
「このたびはお助けいただき、まことにありがとうございます」
深々と頭を下げた男性は、チャールズ・サリバンといった。サリバン商会の商会長で、エヴァローズ子爵領へ向かう途中だったのだという。
商会長の率いる一団だけあって、なかなかの大所帯だ。護衛も腕の立つ者を雇っていたが、あらわれた魔獣が中型ながら群れをなす魔犬で、数も多かったため難儀していたようだ。
僕らの護衛騎士が合流したことで、死者は出なかったが、怪我人は複数。もう少し助けに入るのが遅ければ、被害はもっと大きくなっていたことだろう。
「大事にならず幸いでした。領内の安全を守るのは領主家の義務ですから、礼には及びません」
「は、これは、グローリア辺境伯家のお方でございましたか」
大神警視としては礼は要らないと伝えたかっただけだろうが、サリバン氏はえらく恐縮してしまった。僕らの馬車は無紋だったから、領主家の者とは思っていなかったようで、怪我人の救護にあたっていた商団員たちも慌てたように手を止めて頭を下げてくる。
「公の場でもないのです。頭を上げてください。それよりはやく怪我人の手当を……」
「は、はい、ありがとうございます」
護衛騎士達にも、襲われた者の救護や、崩れた荷の積み直しを手伝うよう頼んでから、大神警視はサリバン氏から聞き取りを行った。それによると、このあたりで魔獣が出たのは初めてのことらしい。
春が近づいてきたとはいえ、まだまだ寒い。この時期に北の山嶺から離れた領都付近で魔獣騒ぎが増えたとなれば、春には大氾濫が起きるのではないか、と商人達の間では不安視されているようだ。
これは頭の痛い話だ。横で聞いていたロイも厳しい顔をしている。
「あ、もちろん、辺境伯様が何の手立ても打っていないわけがないと、皆存じております」
渋い顔をする僕らに、サリバンさんは慌ててそう言い添えたけれど、残念ながら、当代の辺境伯様は何もしちゃいないだろう。
あとでシモンズさんにこの情報を伝えて、対策を検討してもらうのがいいのかもしれない。このような場合、これまでどういった対応していたかなんて、僕らじゃ知りようもないのだから、詳しいひとに任せるのが一番だ。
サリバンさんたちはエヴァローズ子爵領へ向かうところだと言うので、僕らも同行することにした。襲われたばかりの商団員たちも、怪我人が多数でた雇われ護衛たちもそれはありがたいと喜んでくれたので、一気に旅程が賑やかなことになる。
そうして、途中宿場町で宿を取りつつ、三日目。
エヴァローズ子爵領へと到着したのだった。
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