3 親ばかの素質
大神警視に絶対服従を誓ったウィルソンは、それまでのらくらと言い逃れをしてきたのが嘘のように、実によく謳った。
自分とハンスが学院に居た頃からの友人であることだとか、借金で身を持ち崩したところに、ハンスから家令をしないかと誘われたこと。その時ハンスに「頼まれた」ことだとか。湯水のように吐き出される情報は、どれもろくでもないものであったけれど、僕らにとっては有益なものばかりだ。
ウィルソンの事情聴取は、あの後一日かけて行われ、その間に、フレアローズ城には来客があった。
エドワード・シモンズ氏と、アリーシア・エルダ夫人である。
折り悪く……いや、良く、だろうか? ウィルソンが取り調べ室に再度連れて行かれるところでやってきた彼らは、自分たちを居丈高に解雇した若者の変わり果てた姿に目を丸くしていた。
ちょうど大広間から取り調べ室へ連れて行くには、玄関ホールを通らないといけなかったので遭遇してしまっただけで、狙ったわけではないのだが……。不当な解雇をされた彼らの溜飲が、これで多少は下がってくれれば御の字だ。
シモンズさんとエルダ夫人は、長くグローリア辺境伯家の家令と家政婦を勤めてくれていた方々だ。
大神警視はウィルソンを追い落とすと決めた時点で、彼らへ訪問の許可を求める手紙をしたためていた。そう、こちらから出向くつもりでいたので、彼らのほうから訪ねてきたのは想定外。
「お嬢様……っ!」
来客の情報を得て、大神警視と僕が急いで応接室へ向かえば、ラナがふたりにお茶を給仕しているところだった。こちらが口を開く前に、目に涙を浮かべて腰を浮かしたのはエルダ夫人だ。
「お二方とも、ご無事で何よりでございます……っ」
大神警視と僕を頭から爪先まで確認して、エルダ夫人はハンカチで目頭をおさえた。シモンズさんも、安堵している様子が見える。
そのふたりの様子に戸惑ったが、聞けば、大神警視が訪問の許可を請うた手紙に、ネルソンさんからこの一週間ほどの出来事を完結に纏めた手紙が添えられていたのだという。不当解雇されたふたりに、ディアナの元に戻ってほしいと説得するためのものであったが、長年仕えた主の孫の一大事。怪我もなく無事に帰ってきたとは聞いても心配で、城を追い出されてから身を寄せていた縁者の家からすっ飛んできたというわけである。
到着が同時になったのは、示し合わせたわけでもなく、偶然であったらしい。
「こんなにも幼いお嬢様に、矢面に立たせたなど、わたくし共の力及ばす、まことに面目次第もございません」
慚愧に堪えぬと言わんばかりのシモンズさんとエルダ夫人に、大神警視は少し困ったような表情を浮かべて見せた。
「いいえ。私の方から訪ねるべきところを、ご足労いただきありがとうございます」
まだ正装のままであったので、豪華なドレスの裾をつまんでカーテシーを決めれば、エルダ夫人が涙の溜まった目を更にうるうると潤ませた。
ご立派になって……! と小さくつぶやいているあたり、まるでおばあちゃんだ。これ、あの礼儀作法の教本置いていったの、この人だな。
「ウィルソンには首輪をはめました。父の目を誤魔化すため、名目上は家令のままとしますが、実権は取り上げます。お二方にはどうか、今一度当家に力を貸してほしいのです」
「……顔を上げてください、お嬢様……いえ、ディアナ様。この老骨をお求めとあらば、骨身は惜しみません。どうぞ存分にお使いくださいませ」
まるで騎士が主君に礼を捧げるがごとく、床に膝をつき、胸に片手を当て頭を下げるシモンズさん。その隣で、エルダ夫人も同じく膝をつき頭を下げた。
かくして、我々は領内のもろもろの実務を丸投げできる大人を、再雇用することができたのである。
***
「甜菜を探しに行きたい?」
再雇用した家令と家政婦へ重要事項の引き継ぎを終わらせ、食事と入浴を済ませてようやく部屋でくつろげるようになったところで、僕はディアナの部屋を訪ねた。そうしてやっと。本当にやっと! 甜菜のことを報告することができたのだ。
「はい。カールさんが昔探しに行こうとしていた幻の食材っていうのが、甘い蕪のような植物だっていうんです。甜菜の可能性は非常に高いと思います!」
「それは……。まあ否定はしないが、何だってまた。前に言っていた内政チートとやらがしたいのか?」
「そういうわけではないのですが、本音を申しますと手軽に砂糖が使えるようにしたいんです」
「……懸賞金が入るのだし、買えばいいんじゃないか?」
「そうなんですけど、そうじゃないんですっ! 僕はもっとこう、気軽に砂糖やスパイス類が流通してほしいんですよ。だって今のままじゃ、この世界の菓子は進歩しませんっ」
ぐっと握り拳をつくっての僕の熱弁に、大神警視は呆れ顔だ。だがしかし、もう少し聞いてほしい。これは別に僕の食い意地が張っているというだけの話じゃないのだ。
「我々の世界でだって、西洋料理及び西洋菓子の発展は大航海時代を経て、砂糖やスパイスが比較的安価に入手できるようになった近世から近代にかけてのことです。それまでは僕らがよく知る菓子の原形のようなものはありましたが、とても洗練されたものとはいえません。生クリームだって、19世紀に遠心分離機ができるまではとんでもなく手間暇のかかるものでした」
そうなのだ。この時代、クリームはあることはあるけれど、クリームを作るだけでものすごい重労働。比例して、食卓にあがることは少ない。庶民にはとても手がでないのが菓子類だ。貴族ならば砂糖も使えるから、ケーキやクッキーのような焼き菓子は食べられる。しかしそれらも僕の基準からしたら実に素朴。
いや、それはそれで美味しいけれど、物足りなさを感じるのは仕方のないことだろう。チョコレートなんて、まだホットチョコレートすら伝来していないくらいだ。乙女ゲームの世界なのに!!
よくよく思い出してみれば、あのゲーム、何か食べてるシーンとか滅多に出てこなかった。攻略対象者に焼き菓子を渡すとかいうイベントがあったくらいじゃなかったかな。それだって、スチルではクッキーだった。見た目も味も華やかなパティスリー文化はまだ花開いていないらしい。
カールさんに菓子のレシピを見せて貰ったけど、宴会用の高級菓子ですら、生クリームやジャムを挟んだスポンジケーキが精々だ。
「甜菜なら、このあたりの気候でも栽培可能なはずです。領内で砂糖が作れれば、安価で売れる。庶民にだって手が届くようになるでしょう。砂糖の値が下がれば、その分をスパイス類の購入に充てられます。そうしたらもっと料理の幅がぐっと広がるんです」
「それはそうだろうが……」
「僕らが首尾良くあの子達に身体を返せたら、あの子達にもっと美味しい物をたくさん食べさせてあげられるんですよ!」
「それもそうだな」
渋っていた……いや、面倒臭がっていたのが嘘のように、大神警視は見事に掌を返した。
狙って言ったのは確かだけど、まさかここまでうまくいくとは思わなかったぞ。この人、前々から思ってたけど身内には甘いところがある。そう、親ばかの素質があるのだ。
「プリンくらいならすぐ作れるか……? 砂糖を大量に確保できたら、……カカオを入手できればチョコレートも……」
なんてぶつぶつとつぶやきだしたので、恐らく、いや、間違いなく、大神警視の脳内にはカカオからチョコレートを作る手法や、砂糖の抽出方法なんかも記録されているのだろう。一度見たものは忘れない、大神大百科はとても便利だ。
材料を揃えられたら、料理器具ももう少し、僕に馴染みのあるものを揃えたいのだけど、それは後回しだ。
今重要なのは、いかにして砂糖の大量生産を実現させるか、なのだから。
「場所の見当はついているのか?」
「はい。カールさんが昔集めた情報だと、領都から馬車で四日ほど北上したあたりが怪しいそうです。北の山嶺と皇都までひろく渡り歩いている行商人から、甘い蕪の話を聞いたとか」
「馬車で四日か……。我々だけでは外出の許可はでないだろうし、商人に頼むにも、名称も不明では、そう簡単にはいかないだろうな」
「金の生る木を探すようなものですから、できれば目的を伝えるのは少数にして、秘密裏に見つけ出したいですよね」
砂糖は大きく分けて、二種類の作物から採れる。有名なのはサトウキビだろうけれど、南国でしか育たないサトウキビと違って、寒い地方でも栽培可能な有り難い植物が甜菜だ。気候的に栽培可能であるにも関わらず、砂糖がとても高価だということは、甜菜から砂糖が抽出できることはまだ知られていないに違いない。
この一ヶ月ちょっとで判明したことだが、僕らがいた世界とこの世界では、植物の固有名詞もほとんど同じであるし、僕らにとって馴染みの野菜も普通に流通している。大洋を挟んで西の果てにあるという大陸が、アメリカ大陸と似た植生をしているらしく、トマトやジャガイモ、トウモロコシも海を越えて渡ってきているくらいだ。
最も、それらはまだ高級輸入食材だったり、園芸品種の扱いだったりするのだが。
「壊滅した村の復興にともなって、救荒作物としてのジャガイモと、うまく見つかれば甜菜の栽培を推奨してもいいな。どうせ一から畑を作り直すことになるのだから、四圃制農業を提案するつもりではあったが」
「あれ、領政に口を出すんですか?」
この国や領の発展は、この世界の人間の手にゆだねるべきだと言っていたのに。警視が一度決めたことを覆すことは珍しいので驚いていれば、少しバツが悪そうに小さな肩を竦めて見せた。
「さすがに多少なりとも交流を持った人間が、飢える可能性があるのを放置はできんよ。不作続きの中で、この魔獣騒ぎだ。ウィルソンが備蓄麦を転売していたせいで、飢饉へのそなえも万全ではない。この冬はなんとか持ちこたえたとして、来年どうなることやら……」
「あー……。それは確かに……」
「それに、今の我々が衛生観念も生活レベルも全く違う世界でもなんとか生活できているのは、領主の家の子どもに憑依したからだ。税金で良い暮らしをさせて貰っているのだから、最低限その分は還元しなくてはならないだろう」
「あ、はい。まったくもってそのとおりで……」
基本的に、国政には関与しないが、領内において、領民へ最低限の衣食住を提供できるよう提案くらいはしよう、ということになった。子どもの言うことであるし、採用されるかどうかもわからない。相手にされなければ、それがこの世界の人の判断ということで割り切ればいい。
「それに、君が提出してくれたレポートを見るに、魔道鉱石の発見で文明が飛躍的に進歩したように見える。ボトルネックが外れれば、飛躍的な進歩を見てもおかしくはないからな」
「ええ。なんなら魔道鉱石を早期に探し出して、先んじて研究してしまってもいいようなきもしますけど」
「先んじるといえば、ゲーム内で出てくるアイテムの件だが……。確か北の山嶺へ向かう途中に【堕ち神の宝珠】というものがなかったか」
「え? ああ、ありましたね。ディアナがそれを先に入手すると、魔獣を操る魔道具の素材になるっていう……」
グローリア辺境伯領と、エヴァローズ子爵領の境目に位置する雪山にあるんだったか。ゲームではほとんどの場合、このアイテムはディアナが入手してしまってたんだよな。まあ、マリアベルには本来必要ないアイテムだし、クライマックスに向かうための布石だからそれも当然かもしれないけど。
「百目木がマリアベル嬢になりきるつもりなら、不要なアイテムですが……」
「万が一にも奴の手に渡って悪用されるのもまずい。できれば回収しておきたいんだが、エヴァローズ子爵領なら、ディアナの大叔父の領土だ。会いに行くとか理由をつけて、甜菜探しと平行して探してみないか」
「そうですね、方角も同じですし」
確か、【堕ち神の宝珠】があったのは、領境の雪山の中腹に遺棄された神殿があって、そこで祀られていた神が魔に転じたのを封じたもの、だったはず。それなら、そのあたりの神殿について調べれば場所も特定できるだろう。
むしろこれは、甜菜探しの方が難航するかもしれないな。
とにもかくにも、次にやることは決まった。早速明日にもシモンズさんに相談しようと決めて、僕はディアナ嬢の部屋をおいとまし、日課の日記をつけて、瞑想をしてから眠りについた。
ら、夢の中で、ケインくんとこんにちはすることになったのだった。
謳う……警察用語のひとつ。捜査官に対して供述すること。