2 罪の代償
フレアローズ城の東棟の大広間に、ボリス以下、八名の奴隷商の一味が両腕に縄をかけられた状態で騎士に連れて来られた。連日の取り調べですっかりと疲弊した様子の彼らの後ろから、縄こそかけられていなかったが、同じようにウィルソンが引っ立てられてくる。黒のお仕着せはすっかりとよれて、足取りもおぼつかない。ボリスらの姿をみとめた途端、ウィルソンはますます顔色をなくし、眼球を落ち着きなくあちこちに走らせた。
広間の上座に置かれた玉座のごとく豪奢な椅子には、華やかな朱色のドレスを纏った幼女がちょこんと腰掛けている。光沢のある絹は見事な織りで、たっぷりとられたドレープが美しく映えていた。プラチナブロンドも後頭部で束ね、ポニーテールをドレスと同じ布のリボンで飾っている。
大神警視がディアナの中に入ってから、このようにきちんとした正装をするのは初めてのことだ。
右手に立つ僕も、ケイン君の手持ちの衣類の中で明らかに礼服と見えるものを引っ張り出して着ているし、僕らの両脇を固めるふたりの騎士団長たちも、鎧と外套を着込み、今にも戦場に降り立つのかと言わんばかりの戦武装。
護衛や見張りの為に奴隷商たちを囲む警護騎士団の面々も、みなしっかりと武装をしているものだから、大広間全体が重苦しい空気に満ちていた。
本来ならば当主しか座ることのできないはずの椅子に、堂々と大神警視が座っていることに、ウィルソンは抗議することもできないようだ。冷ややかに自分を見つめる幼子に、縋るような視線を向けている。
「ディ、ディアナ様……、このような不当な扱いはやめるよう、騎士団長たちにお伝えください。私はせ、誠心誠意、グローリア辺境伯家に仕えているのです。決して、決して、この者らが恐ろしい奴隷商と知っておりましたら、雇ったりなどしませんでした……!」
「おいおい、随分つれねぇことを言うじゃねぇか、ウィルソン。俺とお前は、十年以上の付きあいだろうが」
「バッ、馬鹿を言うなっ! 私は貴様のことなど知らん!! 貴様らが仕事がなくて困っているというから仕方なく雇ってやったんだ!」
険しい表情の騎士たちよりも、幼いディアナに取り縋るのがまだ希望があると思ったのだろうか。ウィルソンは両手をもぞもぞと摺り合わせながら、大神警視に己の無実を訴えた。しかしロックヒルさんらが何を言うよりも先に、ウィルソンの言葉を否定したのはボリスだ。
声を荒げて既知を否定するウィルソンに対して、ボリスだけでなく、彼の部下達もあるものは怒りを、あるものは侮蔑を表情に浮かべて口々にウィルソンを罵り出す。
彼らからしてみれば、ウィルソンはひとりだけ罪を逃れようとしていると見えるのだろう。
「――やかましいッ!!」
やにわに騒がしくなった大広間に、怒号が響く。続けて、ロックヒルさんはぎろりと罪人らを一瞥した。
「お嬢様方の御前である。口を慎め」
重々しい声に込められた気迫に、逆らう気力はなかったのだろう。静かになった広間中の視線が、大神警視と僕に集まった。
「ウィルソン。あなたは、この者らが皇国憲兵隊から手配されている罪人であるとは、知らなかったというのですね?」
「は、はい……! はい、仰せの通りにございます!」
「ですが、そこの者達はあなたとは旧知の仲で、あなたが彼らの商いを知らないはずがない、と。そう訴えているのですよ」
「ディアナ様、このような蛮人共の言うことなど信じないでくださいませ! 奴らは私を道連れにしようとしているのです。そうです、これは私を陥れるための罠です!!」
「それでは、あなたが故意に彼らを招き入れたわけではないのですね?」
「ええ、もちろんです!」
「おいおい、ちょっと待ちなせぇよ、そいつは――」
聞き捨てならない、とばかりに、大神警視とウィルソンとの問答に割って入ったのは奴隷商の頭領たるボリスであった。しかしその言葉は続かない。
次に大神警視が口にした言葉が、抗議を封じ込めたのだ。
「当主の居ぬ間に我が領の名を貶め、皇国に仇なす大罪をなすりつけようと画策したわけではない、と。そういうことでしょうか」
「は、……」
ウィルソンだけではない。ボリスの眉がわずかに上がった。黙って様子を伺っていた奴隷商らも同様だ。
何を問われたのか、まだ理解していないらしい。
「家令は当主より、重要な職務を任される代理人でもあります。その家令が、指名手配されている罪人に、領内で仕事を与え匿っていたのですよ。当主が、ひいてはグローリア辺境伯家が罪人を匿っていたと勘ぐられるのは当然ではありませんか」
「そ、そのようなことは、決して……」
「あなた方が結託して、我が領を蝕まんと画策していたのであれば、我々は皇国に潔白を証明するためにも、あなた方を捨て置くわけにはいかないのです」
すぅ、と群青の瞳が眇められる。凍てつくような視線は、ウィルソンからボリスへと滑るようにうつった。
「皇国法二十六条、領主自治権の保障において、騒乱を起こし治安を著しく乱した者は、領主の権限において即刻処罰をすることができる……のでしたね」
「はっ、グローリア騎士団には、領主に敵意を持ち反逆を企む者、また平穏を著しく乱した者は、裁判にかけずとも処分する権限が与えられてございます」
大神警視の確認に、ネルソンさんが頷いた。既にその手は剣の柄にかかっている。ネルソンさんだけではない。ロックヒルさんも、部屋に詰めていた騎士達も、それぞれが武器に手をかけていた。
ざぁっ、と音がしそうな程に一気に血の気を引かせたのは、ウィルソンだけではない。奴隷商達も揃って、身を震わせている。
ウィルソン以外の者は、皆、どうせ皇国憲兵隊に引き渡されて投獄されるか、処刑される運命だろうと諦念に苛まれていたはずだ。それでも、今この場で、反逆罪で処刑されるとなれば、一分一秒でも存えたいと命が惜しくなるのだろう。もしもこの場で殺されなかったとしても、奴隷売買に上乗せして、反逆罪も課されるとなれば、罪がより重くなるのは確実だ。
封建制の強く残るこの国では、皇王のみならず、領主に対して剣を向けても反逆罪が適用される。そうしてそれは奴隷禁止法よりも重罪で、当人だけでなく協力したものや、親類縁者にも罪が及ぶ。
大犯罪者やそれに連なる者の公開処刑は、たびたび皇都の民の娯楽ともなっている。その為、法に詳しくない平民にも、反逆罪が適用されればどうなるか、予想がつくものであったようだ。
最初に「違う!」と叫んだのは、奴隷商の一味の中で、もっとも年若い青年だった。きっとまだ、二十歳にも満たないだろう。
「お、俺はこんな奴知らない! たまたま、雇い人を募集してるって聞いたから、ほとぼりがさめるまでここで隠れていようと思っただけだ! 辺境伯に罪をなすりつけるだとか、逆らおうだとか、考えたこともねぇです……!」
「おい、テメェら」
「お、おお、オレもしらねぇ……。そんな大それたこと、するもんか……!」
ひとりが口火を切れば、我も我もとウィルソンとの関与を否定しだした。それをいいことに、ウィルソンも必死の形相で便乗する。
「ほ、ほら、彼らもこう言っているじゃないですか! 私は何も罪を問われるようなことなどしておりませんっ!」
「テメェ……ッ」
ひとり罪を逃れようとするウィルソンを、ボリスだけが忌々しそうに睨んでいた。その眼差しには明確な憎悪と嫌悪が宿っていたけれど、ウィルソンはまるで気にかけない。
悔しさに歯噛みしながら、しかし結局は、ボリスもウィルソンとの協力関係を否定した。
せざるをえなかったのだ。
自分ひとりの証言では、ウィルソンを道連れにするのは難しい。それなのに意地を張って、今ここで殺されることも、反逆罪を罪状に上乗せされることも、彼にとって望ましいものではなかったから。
そうして、皇国憲兵隊への引き渡しの為に、ロックヒルさんを筆頭に、警備騎士団の騎士たちに囲まれて、奴隷商たちは大広間から連れ出された。残ったのは大神警視、僕、ネルソンさんと護衛の騎士が数名。そうして、ウィルソンだ。
「は、はは……」
安堵と愉悦の混ざった醜い笑みを顔に貼り付けて、ウィルソンは奴隷商達の背を見送った。しかし未だに、自分を取り囲む騎士達の表情が険しいものであることに気付き、ようやくこちらへと向き直る。
「おわかりいただけたようで嬉しく思います。しかし騎士団長らの私への非礼はどのように詫びていただけるのか――ひっ」
もう自分への嫌疑は晴れたと思ったか、僕らの方へ歩み寄ろうとしたウィルソンに、騎士が剣を抜き切っ先を向けた。この男、本当にどうして家令になんて選ばれることができたのだろう。グローリア辺境伯家七不思議に数えてもいいなじゃないだろうか。
そのくらい、ウィルソンは自分の立場というものをまったくわかっていなかった。
「――さて。それではウィルソン。あなたの処遇について話し合いましょうか」
「ディアナ様、私の無実はたった今証明されたではありませんか。処遇など……」
「共謀したわけではない、と。それだけです。故意でなかったとしても、あなたが我が領を危険に晒したことは変わりありません」
「そ、そんな……!」
「あなたの主張通りであったとしても、一度は面識があったことは否定できない。にもかかわらず、ろくに素性も調べずに彼らを雇った結果、大罪人を領内に四ヶ月も匿う結果となったのです。この責任を、逃れられるとでも?」
奴隷商の帳簿に、ウィルソンの名があったことは、とうに本人も認めている。しかし十年前に一度会っただけの相手であったから、顔など忘れていて気付かなかった。そう言い逃れをしてきたのだ。今更それを反故にはできないだろう。
旧知であったことを認めれば、纏めて皇国憲兵隊に引き渡される。認めなくとも、この大失態の責任を求められる。
当然のことだ。彼らを雇用したのは、間違いなくウィルソンなのだから。
しかし、ここに至っても、起死回生を諦めていないようで、ウィルソンは必死に虚勢を張った。
「私だって奴らに騙されたのです! 旦那様なら私のこれまでの献身を汲んでくださるはずです。そ、それに、そうですよ、私を雇ったのは旦那様なのですから……! 私の処遇を決められるのは旦那様だけのはずで……」
ネルソンさんとロックヒルさんの殺気だった視線に、だんだんと言葉が小さくなっていく。諦めない姿勢は評価してもいいが、流石にそろそろ見苦しい。
「なるほど。あなたの言い分ももっとも。それでは、此度の件と併せて、この四ヶ月の間にあなたがおこなった横領についても父へ報告するとしましょうか」
「……は、……?」
「ケイン」
「はい。ウィルソンが使っていた部屋の屋根裏、床下の収納スペースから隠し金庫を発見しました。横領の証拠はこの裏帳簿に全て記されています。たった四ヶ月の間に、皇都の貴族屋敷通りに小さいながら屋敷を買える程度には着服していますね。領都どころか領内の孤児院、救貧院、各神殿への寄付金をはじめとして、先月あたりからは飢饉に備えた備蓄麦が半分以上売られています。もちろん、義父上へ報告されている正規の帳簿にはそのような記載まったくありません」
大神警視に目配せされて、僕が足下に置いてあった布鞄から分厚い帳簿と麦の売買契約書を引っ張り出して見せれば、ウィルソンは金魚のように口をぱくぱくさせて、がくりと両膝をついた。顔色は青を通り越して土気色で、顔どころか首にも脂汗が滲んでいる。
何で、とか、どうしてそれが、とかぶつぶつつぶやいているけど、まさかこの男、取り調べを受けている間に自分の使っていた部屋が全て徹底的に調べられるとは思っていなかったのか? もしくは、調べられても見つからないと思っていた? だとしたらあまりにも見通しが甘すぎる。
「天井裏とか、机のカーペットの下とか、そりゃ探すのは面倒と言えば面倒ですけど、隠し場所として取り立てて珍しくもないのに、何をそんなに驚いてるんですか?」
そもそも大神警視なんて、机まわりのカーペットの摩耗具合から真っ先にそこ調べてたぞ。机だってそんなに重量のあるものじゃなかったから、ロイひとりでも動かせたし。ちなみに、屋根裏で麦やらなにやら、ウィルソンが勝手にうっぱらったものの売買契約書の入った金庫を見つけたのは僕だ。ウィルソンの身長なら、上に乗れば天井に手が届く高さのチェストがあって、その真上の天井の羽目板が少しこすれて汚れてたからな。手垢ってのは案外つきやすいし、一度ついたら落ちにくいものなのだ。
この男は慎重と言えば聞こえはいいが、小心者であるので、大事な物を隠すのは自分の部屋であったし、隠したものは使う必要がなくとも何度もそこにあるのを確認しないと気が済まない性質であったようだ。おかげで目当てのものはほとんど探すまでもなかったとも言える。
「さすがにこれらを見て、父もあなたを庇いたてようとは思わないでしょうね」
「……ぅ、あ……」
とうとう言い逃れも思いつかなくなったようで、うつむきうなだれたウィルソンは、まともに言葉を発することもできていない。
それも当然だ。売買契約書にははっきりと、彼のサインが記されているのだから。
ハンスは領やディアナを放置しているけれど、彼自身の富を勝手に削ることをウィルソンに許しているはずもない。それはウィルソンも重々理解しているようで、ようやく自分に味方はいないことを自覚してくれたようだ。
まさしく彼の人生はもう、詰んでいる。
ハンスはウィルソンを助けない。使用人が横領を働いたというだけでも重罪なのだから、奴隷商うんぬんがなくともハンスの気分次第では比喩ではなく首が飛ぶ。
僕らが何らかの策を考えるまでもなく、自業自得で自滅することは確実だ。
――だからこそ、付け入る隙がある。
「……ど、どうか、何卒……お、おた、お助けください……っ! い、いの、命だけは……っ」
全身を瘧がついたように震わせて、必死に幼女に命乞いをする家令に、居合わせた大人達は皆一様に嫌悪をあらわした。
そんな中、音も立てぬほど軽い動きで、大神警視が立ち上がる。
「ウィルソン」
ゆったりとした足取りで、大神警視がウィルソンへと近づけば、ウィルソンに剣を向けたままだった騎士が切っ先を下げた。万が一にも、ディアナに刃先が触れないようにという配慮であって、ウィルソンへの警戒をといたものではない。その証に、眼差しも険しくウィルソンを注視している。
その警戒対象であるウィルソンは、金縛りにあったかのように身動ぎすらできず、大神警視を見上げていた。
「私は慈悲深いので、あなたに選択肢をあげましょう」
ゆるりと、幼い面に笑みが浮かぶ。
それはまるで、春のひなたのような柔らかなものであるはずなのに、群青の瞳は凍てついた氷塊のように冷たい。
ぞっと、ウィルソンが肌を粟立たせたのが聞こえてくるようだった。
「服従か、死か――好きな方をお選びなさい」
これぞまさしく悪魔の囁き。
後に、ロイが顔を蒼くしてこのときのことを振り返ったのだが……。
この程度なら、まだ序の口なんだよなぁ……。と、僕が遠い目をしてしまったのは、警視には絶対に内緒だ。
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