1 逮捕よりも、事後処理の方がずっと大変。
くつくつと、鍋の中で煮詰めたジャムが音をたてる。
厨房は甘い匂いと、それから香ばしいパンの焼ける匂いとでいっぱいだった。
「よし、できた!」
「こっちも完璧ですよ、坊ちゃん」
竈から、酵母入りのふっくらとした食パンを取り出した僕に、料理長のカールさんがにこにこ笑いながら、できたてのジャムをスプーンにすくって渡してくれた。
「ん、美味しい!」
林檎の爽やかな酸味と、とろりと濃厚な甘みが口のなかに広がる。
「ああ、久しぶりに作ったが、なかなか良い出来だ。嬉しいもんだね、好きに調味料を使えるなんてさ」
「……まさか、味付けが塩ばっかりなのが、辺境伯家の伝統だったとは思いませんでしたよ」
「ははは、まあ、有事に文句を言わないよう、平時から粗食に耐えよ、なんてやってる貴族様はあんまいませんわな。ワシとしちゃあ、せっかく若い頃大陸のあちこち旅して鍛えた腕がふるえんのが歯がゆくてならんかったもんですが」
僕が買ってきた砂糖、胡椒、胡麻、シナモン、酢と言ったスパイス類を並べた棚を前に、カールさんはしみじみとそう言った。
驚くべきことに、この城で出てくる料理が塩味ばかりだったのは、この国の料理文化の問題ではなく、辺境伯領の無骨な伝統によるものだった。それが判明したのは昨夜のことだ。城下に降りると聞いたその日から、砂糖が入手できることを願ってこっそり作っておいた林檎の酵母。それを使ってふかふかのパンを作ろうと、夜のうちに厨房を借りた折発覚したのである。
グローリア辺境伯領内でも、貴族向けの飲食店では砂糖やスパイスを使った料理も扱っているそうだが、庶民には高価で手が届かないので、屋台料理は塩味がメインなのだという。それを知っていたら、屋台で軽食なんて食べずにどこかの店に入ったというのに……。まあ、時間が時間だったから開いてなかったってのもあるけどさ。
こちらの世界でも、香辛料は皇国内では生産されていなくて、内陸部の街道や、海路で貿易を行っているため高級品なのだ。
魔法のある世界なのだから、移動時間も短いのかと思いきや、そんなことはまったくなかった。実に不便。本当に乙女ゲームの世界なのか、ここは? シナリオライターに何を考えてこんな設定にしたのかよくよく問い質したいところだ。
そういえば、ゲームの中でも長距離の移動とかには苦労してたんだよなぁ……。魔導鉱石を搭載した高速船なんてのも、物語の終盤で最新兵器! みたいな扱いで出てきてたし。あれ、そういや誰が作ったんだっけ? 流石にそこまで細かい設定は覚えてなかったからなぁ。
そもそも、この一ヶ月で大神警視と調査した限り、魔道鉱石なんてこの世界になかったもんな。ゲーム内でも、最近発明されて注目されている素材って扱いだったから、まだ発見されてないだけだろうけど。
百目木真莉愛がそういったアイテムをいち早く入手しようと動き出したら困る、とは大神警視も考えていて、軍資金が入手できたら対策を検討することになっている。その為にも僕は一度警視に提出した、この世界の情報を纏めたレポートを、再度見直して抜け・漏れがないか毎晩記憶を振り絞っているのだ。
おかげさまでそう、糖分が足りない。
何か甘いものが食べたい。
塩味はしばらくごめんだ。
そんな強い思いから、誰に何と言われようとせめて菓子パンくらい作ってやる、と息巻いて厨房にやってきた僕を、カールさんは驚きつつも喜んで迎えてくれた。
パン生地をこねたり、発酵待ちしている間に聞かせてくれた、彼の若き日の料理修業の日々はなかなかに波瀾万丈で、皇都で構えていた店は、行列ができるほど評判の店だったそうだ。ちなみに、その店は現在カールさんの弟さんが継いでいるらしい。機会があれば一度行ってみたいものだ。
「それなのに、よく今まで勤めてくれてましたねぇ……」
「大旦那様は恩人でしたんでね」
そう言って、カールさんは首の後ろをポリポリとかいた。その首筋に、恐らく背中に続くだろう大きな裂傷が残っている。場所が場所だけに、生死に関わる怪我であっただろうことは明白だ。
「皇都の店が軌道に乗った頃、新たな食材を調達しようと、ここからさらに北部へ旅をしましてね。なんでも、甘い蕪のような植物があるって聞いたもんで。けどそこらは魔獣がちょいちょい出てくるところでねぇ。商人の隊列についてったんですが、山道で襲われちまって。こりゃあもう死ぬ! って思ったところで助けてくれたのが、先代様だったもんで」
「えっ、先代様って、お強かったんですか?」
「そりゃあもう、凄腕の魔法剣士でいらしゃいましたよ」
「へぇ~……」
なんとなくインテリおじいさんのイメージだったから以外だなぁ。
聞けば、魔獣の中でも滅多に見ないような大物を、得意の風魔法であっという間に吹っ飛ばしてしまったらしい。
それから怪我が癒えるまでフレアローズ城の一角に滞在させて貰い、動けるようになるや厨房で働きたいと願いでて、そのまま勤続三十年だというから、カールさんはかなりの忠義ものだ。
……って、ん?
あれ?
「――甘い蕪っ!?」
僕が素っ頓狂な叫びを上げて、カールさんにそれがどういった形のものか、どこにあるのか、どうしたら手に入るのか、等々。
ひたすら質問攻めにしてしまったのも、仕方のないことだと主張したい。
***
奴隷商を捕縛してから四日目の昼。僕は焼きたての酵母入り食パンを薄くスライスし、サンドイッチを大量にこしらえた。パンに自家製マヨネーズを塗って、レタスと薄切り肉を挟んだものと、卵とハムを挟んだもの、林檎ジャムとクリームを挟んだもの……。
久しぶりの料理にテンションが上がり、浮かれた気持ちのまま、自ら大量のサンドイッチをのせた皿をワゴンで運ぶ。行き先は、すっかり執務室の様相になってしまっている図書室だ。
扉の前で警護に立っていた若い騎士が、僕を見てぎょっとした。慌てて代わりにワゴンを引き受けようとするものだから、遠慮して問答をするのも面倒で、任せてしまうことにする。
「お疲れ様です。少し休憩にしませんか」
「ありがとう、ケイン。皆、手を止めてください。休憩にしましょう」
僕の提案を受けて、大神警視はすぐに立ち上がり、部屋に詰めていた者達に声をかけた。とはいえ、この図書室に出入りできる人間は限られており、僕にとってはすっかりおなじみの顔ぶれだ。
大神警視の他は、エリスにロイ、ネルソンさんにロックヒルさんである。みなで何をしていたかというと、奴隷商の帳簿の写しの精査と、事情聴取の内容を纏めた報告書の作成だ。
事情聴取は、常に二人の憲兵が尋問にあたり、仕切りで姿を隠した三人目が記録を取る、という形式で行われている。そうして上げられた記録を纏めて確認し、疑問点や矛盾点を洗い出し、次の聴取に活かす、というのを繰り返してきたのだ。
もちろん、互いに口裏を合わせたりできないよう、全員独房に入れて見張りもつけているし、聴取はひとりずつだ。たまに僕や大神警視が仕切りの影で話を聞いていたこともある。
取り調べは連日昼夜問わず代わる代わる行われ、ボリス以下八名は大分精神的に疲労がたまっているようだ。
「それで、ウィルソンとの繋がりは証明できたんですか?」
「奴隷商から証言が取れましたので、いっそ纏めて皇国憲兵隊につきだしてはどうかと提案していたところですよ」
ネルソンさんに状況を問えば、むっつりと眉間に皺を寄せて教えてくれた。どうやら、ウィルソンがボリスらの正体を知った上で便宜を図った、という物証までは見つかっていないらしい。
ウィルソンもグローリア騎士団憲兵隊の取り調べを受けているが、奴隷商と既知であったことは否定していた。あくまで前の院長が高齢だったので新たに雇用者を募ったら、彼らがやってきただけだ、と主張しているのだ。
物的証拠はないから、言い逃れは可能だと思っているのだろう。実際、僕らの世界だったらそれも通ったかもしれない。だけど、この世界ではどうだろうか。封建社会では領主が黒と言えば白でも黒になるようなところがあるし、ハンスが見放せば、ウィルソンはあっさり破滅するだろう。と、なればハンスが自分を見捨てるはずがないとでも思っているのか。そうだとしたら、その根拠はどこにあるのか……。
うーん、ケインルートでも、ハンスって結局出てこなかったから、よくわからないんだよなぁ。実際のところ名前も出てこなかったんだよ。
回想では確か、辺境伯家の迎えの馬車に乗せられて、連れて行かれた城で領主にディアナと引き合わされた、とかそのくらいで。そこからの窮屈な生活と、ディアナと仲違いして、分家の子どもたちに殺されかけて人間不信になる……って流れだったから、義父との関係なんてちっとも触れられてなかったもんな。
一応、ゲームではディアナは皇太子の婚約者で、ケインがグローリア辺境伯家の後継者って扱いだった。ケインルートでは、最終決戦で魔獣の女王となったディアナを斃すために、皇国から最新の魔導高速船で皇都目指して襲ってくる魔獣の群れを迎え撃つため、グローリア辺境伯領へ向かって、グローリア騎士団を指揮するって……。
あれ? なんだろう、なんか違和感があるな。
むむ、と僕が考え込んでいると、大神警視はテーブルの上に広げられた大量のサンドイッチを一瞥し、いささか呆れたような顔をした。
「数日前から何かしていると思ったら、酵母から作ったんですか」
「え? ああ、はい。久しぶりにパンなんて焼きましたよ」
「えっ!?」
「はい!?」
上司に声をかけられて、無視はできない。僕が考え事を中断して答えれば、驚愕の声を上げたのはロイとエリスだった。何事だと彼らの方を見やれば、若いふたりだけでなく、ネルソンさんとロックヒルさんまで目を丸くしている。
「ほ、本当に坊ちゃんが作ったんですか!?」
「ほう。種なしのパンの上に具材を乗せたり、包んだものはよく見かけますが……」
「薄く切ったパンで具材を挟んでいるのですな」
しげしげとサンドイッチを眺められて、僕と警視は少しだけ顔を見合わせてしまった。
そういえば、サンドイッチって、十八世紀のイギリスの伯爵の名前が由来だったっけ。てことは、この世界でサンドイッチは今までなかった? まあ似たような食べ物はいくらでもあっただろうから、彼らが驚いているのは初めて見る形の軽食そのものではなく、それをケインが作ったというところだろうな。
カールさんも、僕が料理をしたいと言ったときはとても驚いていたし、やっぱりこちらの世界でも、貴族の子どもが料理をするのは珍しいのだろう。多分令嬢だって、自分で料理はしないはずだから当然か。
「時間もあまりありませんし、いただきましょう」
大神警視が促せば、朝早くから働き詰めだった皆、サンドイッチに手を伸ばしはじめた。評判は上々で、特に人気があったのは卵サンドだ。やはりマヨネーズは強い。何にでもマヨさえかければ美味しくなる、なんて言うやつもいるくらいだからな。重度のマヨラーである同僚、増田の顔がちらっと浮かんだが、特に思い出したい顔でもなかったのでさっさと脳内から追い払うことにする。
「うまっ!? なんだこれ!?」
「た、……卵、ですよね? 初めて食べました、こんな美味しい卵料理……!」
「これは美味い! いくらでも食べられそうですな」
「素晴らしいですな。パンに塗ってあるこの白いソースがまた……」
と、全員から大絶賛を受けて、僕は実にご満悦だった。
やっぱり自分が作ったものを美味しそうにたくさん食べてもらえるというのは、嬉しいものだ。こういう顔が見たくて作っているようなところもあるからな。
基本的に食に頓着しない大神警視ですら、表情が少し柔らかくなるので、それを見ると内心密かにガッツポーズしてしまう。
実を言うと、料理は僕が唯一警視に勝てる分野だ。大神警視はやれば何でもできる人だから、本格的に訓練すれば料理人並に作れるようになれそうだけど、今のところそんな気はないらしいので、自炊レベルとしては上手、といったくらいだ。
対して僕は昔から食べることが大好きで、料理の研究に余念がなかった。美味しいものは幸せな気持ちにしてくれるのだから、突き詰めて悪いことなどない。公安に配属されてからは気軽に外食もできなくなってしまったから、余計に美味しいものを食べたくて研鑽を重ねたのである。
正直、引退したら定食屋でも開こうかな、なんて半ば本気で思っているくらいの腕はあるのだ。公安職員は安心して外食できる店が少ないので、同僚たちにはかなり期待されていたりする。……まぁ、それも日本に帰れたら、の話なんだけども。
「それで、義父上からはまだ何も返信はきていないんですよね?」
「ええ。魔獣騒ぎの第一報に対する返事すら届いていない状況ですよ」
ハンスを父と呼ぶのは、便宜上とはいえ違和感がすごいなぁと思いつつ問いかければ、ネルソンさんが忌々しげに答えた。ロックヒルさんなどは、鬼瓦のような顔になってしまっている。
辺境伯領の治安を預かる騎士団長らは、他の使用人達とは比べものにならないほどハンスに対して思うところがあるようだった。
「このままでは義父上の許可もなく奴隷商らを皇国憲兵隊に引き渡さなくてはならなくなってしまいますね。かといって、連絡が取れるまで待たせるというのも、避けたいですし……。もっと気軽に連絡が取れる手段があれば良いのに……」
「さようですな……」
「まだ皇宮魔法研究所ですら、遠隔地との連絡手段を確立できておりませんからな。近距離ならば、使い鳥を飛ばすこともできますが、伝言程度しか持たせられませんし」
ゲームの中でも出てきた皇宮魔法研究所と、使い鳥。魔法研究所は基本的に攻撃魔法や防御魔法の研究、魔法の行使を補助する魔法道具の研究をしているところだ。実生活を豊かにする方向の研究所ではないというところが、いろいろともったいない。使い鳥は伝書鳩のようなもので、小さな紙片くらいしか持たせることができないし、紛失の危険性が高いため、重要事項の連絡には不向き。もっぱら親しい間柄での近況報告や恋文のやりとり程度でしか使われていない。
うん、本当に交通・運搬・通信手段が発達していないな。せっかく魔法なんて便利なものがある世界なのに! ゲームの中ではもうちょっと遠隔地との連絡も素早く取れてたはずだけど、もしかしてあれも魔導鉱石ありきだったのかな。そうだとしたら、まだ発明されてなくても不思議はないか……。
僕らの世界だって、文明が高度に発達したのは産業革命以後だしなぁ。
本来ならばこういうとき、領主の代わりに重大な決断を下すのは家令であるはずなのだけど……。肝心の家令が取り調べの対象なのだから、まったく情けない話だ。こうなっては、次期後継者有力候補であるディアナの名前でことを処理し、後からハンスが何か言ってきてもウィルソンを任命したあなたの責任だ、と突っぱねるしかない。
――と、ネルソンさんとロックヒルさんは考えているようだが……。
「皇国憲兵隊なんて、待たせとけばいいんじゃないっすか? 領内で悪さした連中をどうするかなんて、こっちの勝手なんですから」
素朴な疑問、とばかりに首を傾げたのはロイだ。
封建制度の強いこの世界で生まれ育ったロイからしたら、領内で捕まえた犯罪者の処遇は領主に裁く権利があると考えるのもおかしくはない。しかしどうやらこの世界、というかこの国は封建社会から皇宮への中央集権化の過渡期にあるので、そう単純にはいかないのだ。
このあたりの政治感覚は、渦中にある国民が感じ取るのは難しいだろう。政治家でもなければ、なおさらだ。
「……そうしたいところですが、そうもいきません。ウィルソンが彼らを領内に匿った以上、下手に長引かせれば無用な諍いを招きかねませんから」
「ディアナ様のおっしゃるとおりです。下手をすれば、グローリア辺境伯家が関与したことを隠そうとしている……と勘ぐられるやもしれませんな」
苦り切ったネルソンさんの表情は、もしかすると、ウィルソンが奴隷商を匿っていたことを、ハンスが知っていた可能性を考えているからだろうか。
ハンスが皇都で贅沢な暮らしをしたいなら、流石にそれはないと思うのだが……。まあ、僕らは彼と会ったことすらないからな。僕らが知り得ないハンスの人となりから、ネルソンさんは疑いを持っているのかも知れない。
逆に大神警視と僕は、ウィルソンの様子から、その点においてハンスを疑ってはいなかった。そうしてその、自分たちの目でこっそり確かめた情報から、既に大神警視の中では彼の処遇は決まっているのである。
「帳簿や契約書類の複製もなんとか間に合ったことですし、彼らと会いましょう」
大神警視の言葉に、二人の騎士団長は重々しく頷く。ぴりっと緊張した空気を感じ取りながら、僕は――。
はやく重大な情報を、警視に伝えたくてそわそわしていたのだった。
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