閑話2 或る騎士の悔恨
常に前向きで、過ぎたことは引き摺らないのは俺の長所だが、今は流石に、数日前の自分をタコ殴りにしてやりたいくらいには後悔している。
俺、ロイ・スペンサーはグローリア辺境伯家に代々使える騎士爵家の次男坊だ。長男ではない上に、うちの兄貴は馬鹿は風邪をひかないの典型のような男なので、そうそうぽっくり逝くことはないだろう。ついでに剣の腕は俺の方が上だが、魔力は兄貴の方が上なので、俺が家督を継げる可能性はゼロに近い。
そんなわけで、王立魔法学院を卒業後、縁故を頼ってグローリア辺境伯家の騎士見習いとなったのは自然な流れだった。騎士爵家の次男以下の進路なんて、自力でどこぞの家に仕えるか、家格の釣り合う家の婿養子になるかくらいしかないのだから。
幸いなことに俺は腕が立つし立ち回りも上手い方なので、早々に騎士見習いから正式な騎士となり、二十歳そこそこでグローリア辺境伯家警護騎士団の騎士となれたというわけだ。
騎士の中でも精鋭が警護騎士団に入団すると言われているくらいで、フレアローズ城二の隔を根城とする警護騎士団は狭き門だ。普通は領地警備の警備兵として、領地の各所に配置され、そこで腕が認められれば領都の常任守備兵となれる。領都常任守備兵の次の出世コースは二種類だ。最前線、北の山嶺に布陣する防衛隊に指揮官として配置されるか、警護騎士団に入るか、だ。
正直前線送りは罰ゲームじゃないかと思うのだが、グローリア辺境伯領では「貴族及び騎士の本懐はその魔力を以て民を守ることにある」というのが大まじめに語られているので、魔獣討伐の最前線へ送られるのは栄転なのである。正直、俺には理解しがたい理屈だ。
そりゃあ? 確かに?
俺だってグローリア辺境伯家に仕える騎士の家で育ってきただけに、学院で出会った他領の……特に高位貴族達には思うところがあったものだが、だからといって常に命の危険に晒される前線に好んで行きたいかと言われたら、心から御免被る。
選べるんなら、皇宮で云うところの近衛騎士団にあたる警護騎士団に行くさ。当然だろう。
前線が嫌な理由には、可愛い女の子との出会いが全然ない、というのもあった。
これは本当に深刻だ。騎士見習いの時に一時前線に配置されたけど、あの時は女の子不足で死にそうだった。主に飯炊きをしてくれたおばちゃんを思わず口説きそうになったときは、本気でヤバイと思った。
いやいや、誤解しないでくれ。おばちゃんが悪いんじゃないんだ。健康で頑丈で明るくて気立ての良いご婦人だった。しかし流石に自分の母親と同じくらいの歳の既婚女性を口説くのはまずいだろう。俺が善良な婦人を道ならぬ恋に誘ってしまう前に領都へ戻されたのは本当に幸いだったと思う。互いのために。心から。
と、いうわけで警護騎士団入りした俺はこの世の春を謳歌していた。
フレアローズ城で働くメイドたちは美人が多いし、身元も確かだ。ここで良い嫁さんを見つけられたら最高だ。護衛騎士は実入りも悪くないから、城下でも町娘たちに大いにモテる。
ここ数ヶ月は、先代辺境伯様がお亡くなりになり、城も町も喪に服したり、何故か城内の使用人が大きく入れ替わったりと慌ただしかったが、俺はそれをさほど気にしていなかった。騎士団長は日に日に難しい顔をするようになっていったし、新たな家令はなんだかいけ好かない男だったが、一介の騎士でしかない俺の日常にはさほど変化はない。
毎日訓練をして、城内の警備をする。それだけだ。
時折古参使用人たちの不満や愚痴を耳にすることもあったし、家令が警備騎士団を城内へ気軽に入れないよう取り決めを作ったのには驚いたけれど、自分が当事者ではなかったのでちょっと眉をひそめただけだった。
まあ、まあ、あの男も伝統ある家に突然雇われて、肩肘張っているのだろう。新たな当主様も、後継者のお嬢様か養子にとった長男が成人するまでのつなぎでしかない。
代理人が当主である間は、多少の問題はあるかもしれないが、そういったことは上が考えればいいことだ。
――そんな風に、我関せずでいられた頃が本当に懐かしい。
俺の不幸は、一の隔に突如できた露天風呂なるモノを耳にし、興味をひかれたことから始まった。
露天風呂とはなんぞや?
初めて耳にする名詞だったから、気になったのは仕方ないのだと主張したい。
気になったなら調べずにはいられない性分だ。さっそく顔なじみの洗濯婦に声をかければ、一の隔の東棟に籠もりきりのお嬢様が、魔法の練習中に温泉なるものを掘り当てて、専用の風呂を作ったのだと言う。しかも東棟の裏手の無駄に広い割にさほど手入れされていない、庭? と首を傾げたくなる有様だった裏庭に、土魔法で穴を掘って固めただとか、それを大工に頼んで大浴場として形を整え、使用人にも無償で解放してくれているのだとか。
大ガロリア帝国式浴場は、現在使用人の間で大層話題となり大人気で、皆一日の仕事終わりに温泉に浸かって疲れを癒やしているのだ――、と。
ここまで聞いて、俺は情報量の多さに目眩がした。
温泉というものは、まあ知識としては知っている。大ガロリア帝国時代、公衆浴場というものが帝国のあちこちにあって、民の憩いの場となっていたということも学院で習った。
いつしかそれは廃れてしまった文化だったが、たまたま温泉を掘り当てたお嬢様がせっかくだから復活させようと思ったのだろうか。
お嬢様って六つじゃなかった?
なんでそんな、学院で習うような帝国時代の文化風俗を知ってるんだ。
そもそも、魔法を練習してたら掘り当てた?
土魔法で浴槽を掘って固めた?
六歳の子どもは、杖も魔法剣も持てない。であれば、魔法を使えるはずがない。
それなのに、平民が多い下級使用人たちは、お嬢様が魔法を使ったとこともなげに言っている。
魔法について、貴族は平民にその詳細を語ることを好まない。神より授かった特別な力なのだから、扱い得ぬ者に詳らかにするものではないと考えられているのだ。だから、杖のような補助魔法道具がないと魔法などまともに使えるわけがないとか、補助魔法道具を所持できるのは十歳以上と法律で決まっているだとか、魔力持ちの貴族階級には当たり前のことも、平民は知らなかったりする。
常識外れな出来事も、常識を知らなければ外れているなどと思うわけもなく、ただただ、流石グローリア辺境伯家のお嬢様、と感心しているようだった。
俺からしたら、んなわけあるか、とつっこみどころ満載なのだが。
お嬢様のおかげで最近肌の調子がいいのだと、にこにこしている洗濯婦のアニッサちゃんにそんなことを言えるわけもなく、その場では「そうなんだー、良かったねぇ」で流すしかなかった。
こうなっては、噂の露天風呂をこの目で見てみなくては、と思うのも仕方ないだろう。
三交代制の城内警備を終えたその足で、俺はさっそく、先輩を誘って噂の露天風呂へ行ってみた。使用人に解放されているという言葉は嘘ではなく、騎士も利用可能だったのだが、本当に使用人たちが当たり前のように脱衣場にいたのにはとても驚いた。
だって、一の隔の、お嬢様も使う浴場だぞ?
男女別に別れてはいたけど、普通主家の主専用にするもんじゃないか?
木造で、急ごしらえを感じさせないしっかりとした作りだったが、新しい木の匂いが印象的だった。
備え付けの棚の上にはまっさらな布がつまれていて、風呂から戻ってきたものたちはその布で身体を拭いている。その棚の側面には、大ガロリア式浴場の使用方法や禁止事項が書かれていた。
アニッサちゃんが言うには、ルール違反を三回すると、出禁になるらしい。
洗い場でしっかり身体の汚れを落としてから湯船に入ること、とか、湯船の中で放尿しない、だとか、まあいろいろ事細かなことが書かれている。
文字だけでなく、絵でも書かれているのは、文字が読めない使用人向けだろうか。なるほど、これはわかりやすい。誰が描いたのか、なかなか上手いものだった。
脱衣場から浴場へ続く扉をくぐると、むわっと湯気に全身が包まれた。独特の匂いは、温泉の湯の匂いらしい。
洗い場には大きな盥がいくつか並んでいて、盥には壁から突き出た管から湯が止めどなく流れ落ちていた。何人かが、手桶で盥の湯を汲んで、それで身体を清めている。
大盥の横には手桶や身体を磨くブラシ、布、それから複数の小瓶が置いてあった。小瓶は栓に色違いのリボンが巻かれている。青がシャンプー、白がリンスというものらしい。それから石鹸がいくつも置いてあった。
シャンプーとリンスは髪を洗うためのものだと聞いていたが、使ってみれば精油が含まれているようだった。石鹸だって、平民でも買えないわけじゃないけれど、安いものではないから、こうして誰でも使って良いという状態で置いてあるのは流石領主家の浴場、と感心すべきところか。
石鹸はともかく、シャンプーとリンスはこれまで見たことも聞いたこともない。これは絶対、売り物になるはずだ。もしかして、辺境伯家でこれを売り物にするつもりなのだろうか。その為のお試しで使用人たちに使わせている?
ありえないことではないが、だとしたら誰が考えたんだ?
できれば売ってほしいな。これを町で女の子にプレゼントしたら凄く喜ばれるぞ。
……と、ここで感心するだけに留めておけば良かったのだと、今ならば強く思う。
けれど俺は、いざ温泉に肩までつかって至福に浸っているその時に、気付いてしまったのだ。
「はーっ、気持ち良い~」
「ほんっと、最高よねぇ、温泉って」
「ねぇ、最近肌の調子良いような気がするのよ。ちょっと触ってみてよ」
「あら、本当。すべすべじゃない」
「マリー、最近綺麗になったんじゃない?」
「そ、そうかなぁ? ルシーこそ、髪が随分つやつやになったじゃない」
「うふふ、まあね! お嬢様の御髪を手入れしてるエリスに聞いた方法試してみたのよ」
「えーっ! 何それずるい! あたしにも教えてっ」
きゃあきゃあと愛らしい声が風に乗って聞こえてきて、俺は驚いた。
そうして、気付いてしまったのだ。
男湯と女湯を隔てる高い壁――それは天井までは届かず、上の部分は空いている。そう、繋がっているのだ、この空間は!
……これが過ちの元だった。
翌日、俺は女湯がはたしてどうなっているのか――それを確認してみたいという言い訳のもと、男湯に使用者がほぼいない時間帯にこっそりとはしごを持ち込み……のぞきの現行犯で捕まったのだった。
信じられないことに、とっさに逃げようとした俺をとっ捕まえたのは、六歳ほどの少年だった。
養子として引き取られた、この家の長男、ケイン様である。
逃げようと横をすり抜けようとしたのだが、走っていた俺の勢いをそのまま利用するようにすっ転ばされた。背中から脱衣場に投げられて、何が起こったのか目を白黒させていた俺の前に、それはもう恐ろしい形相で仁王立ちしていたのがディアナ様。
その場で正座というものをさせられて、理詰めで幼女に説教されたのは実に辛い苦行だった。足の感覚も無くなった。
いや、うん。反省はしてるよ。してますよ。出来心だったんだよ。どんなところで女の子たちがくつろいでいるのかな~とか、あわよくば誰か入ってないかな~とか思っちゃったんです、ごめんなさい!
新入りのメイドの中でも一等美人と評判のエリスとラナがお嬢様の入浴補助のあと、浴場を使うことが多いって知ってたから、狙ってたといえば狙ってたけども!
女性の羞恥心やら、噂が立って二人の名誉に傷がついたらとか、そこまで深く考えてなかったのは俺の落ち度だ。傷つけるつもりじゃなかったなんてのも言い訳である。ふたりには本当に申し訳ないことをしてしまった。でも美しいものを見たいと思うのは人間の自然な欲求でもあるわけで。
あ、いや、本当これについて反省してるよ? してるからな?
この日の過ちから、俺はしばらくの間、お嬢様にこき使われることが確定した。無償奉仕だが、最初はまあいっかって思っていた。だってエリスちゃんやラナちゃんと会う機会が増えるのだから、俺にとってマイナスばかりでもない。
そう思っていた。最初は、だ。今となってはそんな巧い話はない、とっととそんな浮ついた考えはどぶに捨てろと言いたい。
そのくらい、お嬢様は人使いが荒かった。
それだけじゃない。やることやること酷すぎる。貴族の、六つのご令嬢がやることじゃない。
そもそも街にお忍びで遊びに行きたいから誰にも内緒で護衛しろというところから、嫌な予感がしていたのだ。
いったいどこの誰が、初めての外出を試みた幼女と幼児が、自力でスリを捕まえるなんてことをしでかすと思うのだ。しかも捕まえた子どもから聞き出した情報から、領都内に皇国中で賞金付き手配されている犯罪者の存在を感知すると思う? 最悪だったのは、自分たちを囮にして、奴隷商の隠れ家を特定したことだ。
ディアナ様もケイン様も、見た目は子どもながらに「美しい」と言っていいような子ども達だ。奴隷商なら目をつけてもおかしくない。だけど実際に目をつけられたら、怯えるのが普通だろう。なんでそこで「使える」と思うんだよ。おかしいだろう、どう考えても。
確かにあの二人は、補助魔法道具なしで初級魔法が扱えた。それは驚くべきことだ。ケイン様など、どこで覚えたのか、不意打ちとはいえ俺を投げ飛ばしたくらいだ。体術に秀でているのは間違いない。
そうだとしても、まだ子どもなのだ。
それも、ほとんど城から出たこともない幼い子ども。
俺にはとても、将来有望だとか、神童だとか言って持て囃す気にはなれない。確かに主家の後継者が優秀なのは喜ばしいことだが、それは自分が遠く関わりない位置にいてこそ暢気に喜んでいられるのだ。
ケイン様はまだ神童という言葉で収まるだろうが、ディアナ様は違う。あれは神童というより、バケモノだ。魔法の腕が、じゃない。問題は中身だ。人を従え、束ね、指揮する。時に威圧し、時に懐柔し、人心を掌握することに手慣れているようにすら見える。この人ならばと、指揮官として仰ぎたいと思わせる……そんな幼児がいてたまるか!
あれに心酔したらおしまいだ。徹底的にこき使われるに決まっている。
自ら危険に飛び込むような、そんな主なんて、俺には到底守り切れない。できることなら、なるべく接触を持たず、遠くから見守るポジションに収まりたいというのが本音だ。
それなのにっ!!
「……ディアナ様の、専属護衛騎士、ですか」
「ああ。ケイン様の方は今選別中だ」
上司の更に上司にあたる、警護騎士団長ネルソン様直々の命令に、俺は今にも卒倒したい気持ちで一杯だった。
「な、なぜ私に……? そんな、大役……不相応では……」
「ディアナ様のご希望だ。常に側に置くなら、気心の知れたお前がいいとおっしゃられたのでな。大変な栄誉だ。心して励めよ」
え。嘘だろ。これ、拒否権まったくなしじゃないか?
気心が知れたって、あ、あのガキ、じゃない、お嬢様! 絶対俺なら弱みも握ってるからこき使いやすいとか思ってるだろう!? 無茶な要求も通しやすいとか思ってるな!?
嫌だ! 絶対嫌だ!!
そう声を大にして言いたいのに、ネルソン様は、「私が直接護衛につけないのは残念だが、立場的に難しいからな。我々の代わりにしっかりディアナ様をお守りするのだぞ」なんて大まじめに言っている。
ダメだ、この人もう籠絡されてる。先代様への忠誠心が強いというのは聞いていたけど、その方の実の孫で、グローリア辺境伯家の歴史の中でも飛び抜けて優秀なお子様だということで、自分の剣を新たに捧げるならばあの方だと定めているらしい。にっこにこだ。孫の活躍を喜ぶ祖父なみににっこにこだ。
ここで嫌だなんて言ったら騎士団を追い出されてしまうかも知れない。
ゾッとした。そんなことになったら俺の将来設計丸つぶれだ。
かと言って、あのお嬢様の専属騎士だなんて、胃がぶっこわれる未来しか見えないんだが??
どうしてこんなことになったのか――。
わかっている。全てはあの日、出来心で覗きなんてしようとした俺が悪かったのだ。
後悔先に立たず。
俺はしみじみと、その言葉を理解したのだった。
これにて一回目の毎日更新はいったんストップします。
第二章書きあげたら、また更新を再開します。だいたい三月中旬から四月ごろには戻ってこれるように頑張りますので、お待ちいただけると幸いです。
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