閑話1 或る騎士たちの晩酌
今回はおっさんしか出てきません。
変わった、と言えるほど、その少女のことを知っていたわけではない。
警護騎士団の団長である私にとって、少女――ディアナ・グレイス・グローリア様は主家の姫君であり、守るべき主君の孫娘。そうして、いずれはグローリア辺境伯領の主となる可能性が最も高い方であった。
とはいえ、あの方が誕生されてからこれまで、交流があったかと言えば、そのようなことはない。
それを正直に伝えれば、ロックヒル殿はわかりやすく残念そうな顔をした。
場所は二の隔の騎士宿舎に構えた私の私室だ。普段であれば、勤務時間があければ三の隔の私邸へ帰宅するのだが、今夜はディアナ様やケイン様のお側を離れるのは不安があり、宿舎に残ることにした。一の隔と二の隔は近距離なので、お二人が目を覚ませば、すぐにロイが知らせてくれる手はずだ。
ディアナ様とケイン様が、奴隷商の一味に拐かされたと――正確に言えば、自ら囮となったと聞いたときは耳を疑ったものだが、その結果として、奴隷商は全員捕縛し、彼らの隠し持っていた帳簿や手紙、売買契約書も押収することができた。囚われていた領民はみな保護できたし、驚くべきことに我々を悩ませていた、近隣の村を襲った魔獣も討伐がかなった。
結果としては最良の釣果だ。
だが、その為に肝心の、我々が守るべき主が倒れてしまったとあっては……。とても素直に喜べやしない。
主治医の診察の結果も、ただの魔力枯渇による入眠であるということはわかっており、決して命に別状のあるものではなかった。言ってしまえば、疲れて寝ているだけ。ぐっすりと眠って、たっぷりの食事を取れば何の問題もない症状だ。
だからといって、この状況を是とできるものでは決してないのだが。
何故、守護すべき騎士達ではなく、守られるべき方が倒れているのかという話である。 本当に、腹立たしい。
あってはならない事態……、なのだが……。
「まさか、あのご年齢でああも強固な防御結界を扱えるとは……」
「警護騎士団長が知らなかったのであれば、私の耳が特別遅いというわけではなかったようだな」
沈痛を装う私とは対照的に、ロックヒル殿はあからさまにくつくつと喉を震わせ笑っている。
騎士食堂で夕食をとったあと、宿舎へ戻ろうとした私に声をかけ、酒瓶を片手についてきたのだ。管轄の違いや、年齢が近くライバルであった彼とはこれまであまり個人的な交流は持っていなかった。元から私自身、そう社交的な性格をしておらず、誰かと酒を酌み交わすということも希だ。
普段ならば了承しなかったであろうに、彼を追い返さなかったのは、身の内に溜まった整理のつかない感情を語り合う相手がほしかったからに他ならない。
北方では貴重なワインを酌み交わし、返した答えはどこか愚痴めいたものだった。
「ディアナ様は城から出たことがなかったのだ。一の隔の、それも東棟から出ることすら希だった程だ。専属の護衛もついていなかったのは先代様からだからな……。先代様や大奥様から、非常に聡明で利発なお子であるとは聞いていたし、使用人の間でも、三つ四つの頃には書物を紐解き、五つの頃には魔法書を読むようになったと噂されていたが……。流石に誇張だろうと思っていたさ」
「私も大旦那様から、孫娘は神童かもしれないとは聞いていたがね」
大旦那様……先代様は、厳格で思慮深い方だった。
自分にも他人にも厳しく、血を分けた子にも甘い顔など見せたことのない方だ。そんな方が、ディアナ様のことを聞かれた折、そのように答えたものだから、この方でも孫相手には甘くなるのかと意外に思ったものだ。
……ただの孫可愛さで言っていると思っていたのだ。今となっては、浮ついた身内びいきな評価などではなく、実に現実的な評価だったのだとわかる。
いくら生まれついて魔力が強くとも、実際に魔法を扱えるようになるのは十三を過ぎてから。魔法学院に入学して、その使用方法を学んでからのことだ。
もちろん、上級貴族の中には、高い授業料を支払って家庭教師を呼び、入学前に魔法の勉強をさせることはある。
だがそれでも、実際に魔法を扱えるようになるのは大抵十を過ぎてからだ。何故なら、魔法を使うために必須の触媒――杖や、魔法剣といった補助魔法道具を持つことが許されるのがその年齢からだからだ。
いかに上級貴族であろうと、この決まりは破れない。こっそり道具を仕立てていることがばれたら重大な違反となり、場合によっては生涯魔力封印を施される可能性すらある。これはこの皇国の貴族にとって、死罪よりも屈辱的な刑罰だ。
補助魔道具を用いなくとも、魔法を使うことは可能だが、非常に難しく、熟練の大人でも失敗してしまう。補助魔道具さえあればすんなり成功させうる初級魔法すらまともに扱えないのが当たり前だし、そもそも補助魔道具無しで魔法を使う事態など普通はあり得ないのだから、練習する者がいない。
どんな高位貴族の、勉強熱心な家の子どもでも、十の誕生日に補助魔道具を貰って、家庭教師をつけるものだ。それまでの間は、行儀作法や語学、歴史や社交術の教育を主に行う。
そもそも六つの子どもならまだ子守に行儀作法の最初の手ほどきを受ける段階だろう。まして、魔法の習熟には集中力と精神力を要するので、長時間学習に耐えられない子どもには辛いばかりのものだろうに。
流石に、家庭教師を招いていたのなら、城内警備と主家の護衛が任務である私の耳に入っていないはずがない。となれば、ディアナ様は独学で魔法を学んだことになる。
ロイに確認したところによると、ディアナ様が作らせた大浴場は、浴槽を掘り抜いて固めるところまではディアナ様が土魔法で行ったと言う。俄に信じられなかったが、あの強固な結界を見てしまえば、事実であると納得するしかなかった。
「そう、確かにディアナ様は神童と言って良いだろう。ケイン様も、今のところディアナ様ほどの才覚は示していないが、他家の同年代の子らと比べ、頭がいくつも飛び抜けている。あの方も、補助魔道具なしで初級魔法を扱えると聞いた。あの結界も、ケイン様がディアナ様に魔力の同調接続を行ったが故に維持できていたのだ。だが、特異なのは、魔法に限った話ではあるまいよ」
「……ああ」
まったく、その通りだ。
ロックヒル殿の指摘に、私は頷くしかない。
こんなことは、あってはならないことであるのに、それなのに。
「大旦那様に見せて差し上げたかったな。小さな身体で、初めて相対する魔獣に臆することなく、民を背に守り通したのだぞ! あれこそまさに、貴族の本懐ではないか! 何よりも、勇んで攻撃に転じなかった状況判断が素晴らしい!」
「……やめてくれ、手放しで喜びたくなってしまう」
「喜べばいいじゃないか」
「お二方がお目覚めになったら、諫言せねばならんのだ。顔が笑ってしまったらどうする」
本音を口にしてしまえば、ロックヒル殿は大きく口を開けてげらげらと笑った。愉快で愉快で仕方ないといった風だ。
それはそうだろう、と、内心では同意する。
ロックヒル殿の言うように、ディアナ様とケイン様の特異なところは、あの年齢で、補助道具も持たず魔法を使えることではない。いや、それも十分特異だが、それだけならば、ただ将来有望な魔法使いだと感心するだけだ。そうして、未熟者が補助無しで魔法を行使すれば暴走の原因になり得るから控えなさい、と諭しただろう。
しかしあの子ども達は、とても――恐ろしい程に、冷静だった。
あれだけの魔法が使えたならば、荒事に慣れた奴隷商の一味といえど、男三人くらい昏倒させるのはそう難しくはなかったろう。だがそれはせず、拉致されていた領民の保護を優先した。
ジャバウォックに襲われたときも、なまじ魔法に自信があれば、自分で討伐してやろうと逸ってもおかしくない。そうでなくとも、初めて間近にあれほどの魔獣を目にしたのだ。恐怖と混乱からパニックに陥って、闇雲な攻撃を行うことだってあり得た。
どれも、学院を卒業したての新兵がよくやることだ。
己と相手の力量を正確に推し量ることができず、適切な判断を下せない者のなんと多いことだろう。
しかしお二人は、冷静だった。
すぐに我々騎士団が駆けつけると知っていたからこそでもあったかもしれないが、それにしたって、猛攻撃を仕掛けてくる魔獣に対し、ひたすら防壁を張って耐え続けるというのは、口で言うほど簡単なことではない。なんとかしようと攻撃に転じてしまった方が、気持ちとしては楽だったはずだ。
民を背にしての防衛戦など、よほどの胆力がなければ耐えきれない。
それを六つの幼子が、当たり前のように為したのだ。
騎士団が到着し、ジャバウォックを討伐した後のディアナ様の指示も的確だった。魔力切れで今にも気を失いそうであったはずなのに、救出した領民の前では終始何でもない表情を保ち、馬車という密室空間に入って初めて意識を手放したというのだから……。ここまでくると、もはや令嬢というよりも、ひとかどの武人の逸話だ。
この皇国において、貴族の興りはその魔力――魔法と武力によって魔獣や外敵から人々を守ってきたことにある。
今となっては宮廷での権力争いに明け暮れてばかりで、領地のことなどほったらかしの貴族も多いし、領民は年貢を納めるためにおり、貴族に傅くのが当たり前と捉え、人とも思っていない者も多くいるけれど。少なくとも、魔法使いであり戦士階級たる貴族が民を守護し、その庇護下で民は生活する代わりに税を納めるという建前は強く残っている。どんなに私腹を肥やしていようと、自領の民を保護しない貴族などいない。それをしてしまえば、最悪の場合、封土を皇王陛下へお返しせねばならなくなると知っているからだ。
魔獣から民を守るのは、貴族の義務であり、本懐である。
北方の魔獣生息域から皇国を守護するグローリア辺境伯領においては、その考えは特に顕著で。自らその範を示したお二人を、軽んじる騎士はあの場に居合わせた騎士団の中にはもういない。
例えこの先、当主代行様が何を言ってこようとも。
「……正直私は、代行様が何を考えているのか不安で仕方ない」
「当主代行様か」
ロックヒル殿が上機嫌を一転し、皮肉な笑みを顔に刻んだ。自分もそうだが、彼の言う「当主代行様」という呼び名が、まさしく騎士団の気持ちを表している。
現在グローリア辺境伯領の領主であるハンス・グローリアは、あくまでも後継者が継承可能年齢になるまでの後見人であり、代理人でしかない。
よって、我々の剣を捧げるべき人物ではないのだ――、と。
グローリア騎士団は、皇国の武力組織の中で、皇軍に次ぐ規模である。押し寄せる魔獣と日々闘っていることから、平和を享受しぬくぬくしている皇軍などよりよっぽど練度の高い、皇国最強の騎士団だという自負もある。
だからこそ、皇都に入り浸りで領へろくに戻ってこない者を、正式な主と認めることなどできないのだ。あの方も、それを知っているからなおさら領へ戻ってこないのかもしれない。
もしも今後、代行様とディアナ様が反目することがあったならば、騎士団はディアナ様につくだろう。
そうなれば領を割る諍いになりかねず、領民にも皇国にも少なからぬ影響を与えるはずだ。そのような事態はなんとしても避けねばならないが、肝心の代行様の腹の内が見えぬ為、手を打ちかねる。
ただの放蕩者であるならば、いっそ遠い皇都で好きなだけ遊びに溺れていればいいと捨て置けるのだが……。
あの方が時折、大旦那様に向けていた仄暗い眼差しが楽観を許してはくれなかった。
「大旦那様は、代行様を確かに嫌ってはいたが、大きな負い目から行状を諫めることもかなわなかった。代行様の……恨みが深いことは、当然のことと受け止めていらしたからだ」
「それは理解している。だが、だからといって私は、いい歳をして己の不出来の原因を他人に押しつけるような男に、我が剣を捧げるつもりはないぞ」
「……そなた、随分あけすけに言うな」
「酒の席の本音だ。聞き流してくれ」
「いいさ。私も似たようなものだ。……此度の件で代行様が何を言ってくるかはわからない。場合によっては、セドリック様へご相談した方が良いかもしれないな」
北の山嶺の最前線で防衛隊を指揮しているグレイ伯爵は、ディアナ様の大叔父様にあたる。現在は魔獣の出没が盛んになっているというから、多忙でいらっしゃるだろうが、せめて一報は入れておくべきだろう。
「君の元上司だったな。私はあの方とはあまり面識がない。報告は頼んで構わないか」
「ああ、任されよう。できるだけ近いうちに、お引き合わせできればよいのだが……」
防衛隊の頭であるセドリック様はそうそう前線から離れられないため、すぐには難しいだろう。それでも、あの方なら何かあればお二人を守ってくださるに違いない。
数年の後、正当後継者たるお二人のいずれかが、グローリア辺境伯領を無事継承することができるよう祈って、私たちは杯を掲げた。
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