16 ディアナとケイン
やっと子どもたちが出せました。
まず真っ先に浮かんだのは、ドラゴン、という単語だった。
だがその姿は奇怪としか言いようがなく、ファンタジーゲームや漫画で良く見るビジュアルとはいささか異なっている。躯はまさに西洋のドラゴンそのもので、長い尾にコウモリのような翼と鋭い爪を持っていた。成人した人の二、三倍はありそうな巨躯。
しかし異様なのは、その頭だ。
まるで魚のように平たく、額に二本の触覚、口元にも触手なのか髭なのか良くわからないものが映えていた。口から覗く歯は鋭く、びっしりとサメのように生えそろい、顎はいかにも強靱そうな異形の怪物。
全身から放たれる威圧感に、背筋がびりびりとしびれるようだった。
ああ、これはまずい。
思わず、指先がぴくりと震え、銃を探そうと彷徨った。今の僕は帯銃などしていないというのに、生存本能が自分が扱いうる最も強力な武器を求めたのだろう。
しかし仮に銃を持っていたとしても、とてもこの化け物にかなう気がしない。逃げろ、と頭の中で警鐘が鳴り響いている。同時に、動いてはいけないとも感じていた。いや、動けなかったのだ。足に根が生えたように、体が固まってしまっている。
あれはなんだ。
あんな生き物は知らない。あり得ない。
そう、理解するのを拒みたいほどに。
巨体の鱗が黒光りしているためわかりづらいが、怪物の体から、草の上に赤黒い液体がぽたぽたとしたたりおちていた。風に乗って漂ってくるのは、血と臓物の臭い。
――赤黒く見えるのは、まさか……。
嫌な考えが頭をよぎったところで、ぎょろりとした魚類の目がこちらを見た。
と、同時に。
バケモノが鋭い爪を持つ太い脚で地面を蹴り、瞬時に距離を詰めてくる。
あっと思った時にはもう二階の崩れた壁に脚をかけていて。
「下がれ!」
高い声が叫ぶ。
僕らを庇うように一歩、前に出て両手を広げたのは大神警視だ。
両の手を前にかざし、短縮呪文を口走る。
「祈りの壁!!」
防御魔法の初級呪文。ゲームの中でも何度も聞いたそれが、目の前で繰り広げられるのは、これで二回目だ。
一回目は、城の裏庭で魔法の練習をしていたとき。
実戦で見たのは、これが初めて。
ひとかたまりになった僕ら全員をすっぽりと覆うのは、半透明な仄白い光の幕だった。ドーム型の防御結界に、鋭い顎と爪が立てられる。
ガチッ、ギャリリッ
一度は阻めたそれも、二度、三度と繰り返されるうち亀裂が入っていく。
それを好機と見て取ったか、化け物がわずかに後ろに下がり、床に脚の爪を突き立てタメを作った。相手の魔力がぐっと凝縮されていくのを感じ取って、僕はちらりと大神警視を見やれば、滅多に見ないほど警視から余裕がはぎとられていた。
幼い頰を紅潮させ、額から幾筋も汗が流れ落ちている。
いくら魔力が強いとはいえ、まだ子どもなのだ。これだけの人数を守る大きさの結界を維持し続けるなど、容易なことではない。
それでも群青色の瞳は力強く、油断なく怪物の出方をうかがっている。
今の警視に逃げるという選択肢はない。
何故なら、後ろに民間人がいるのだから。
「――――!!」
化け物が、形容しがたい咆吼を上げる。
大きく開かれた顎が、鋭い爪が、結界に食い込んだその瞬間、僕はとっさにディアナ嬢の腕を掴んでいた。
「接続!!」
叫んだのは、僕であるはずだ。
だが、不思議なことに、僕はその言葉が何を意味するか知らなかった。
身体が勝手に動き、喉が勝手に吐き出した言葉。
――呪文だ。
そう理解した瞬間、僕の身体から瞬く間に魔力が吸い上げられていくのを感じる。ここ一ヶ月、毎晩寝る前に練り上げていた魔力操作の訓練。あの時の、全身に魔力が流れる感覚に似ていた。
僕の、いや、ケインの魔力が奔流となって掴んだ腕からディアナへと流れ込む。
仄白かった結界が、蒼く輝きを増し、そうして――。
ガギャ、となんとも言い難い大きな音がした。
化け物の巨躯が弾かれる。
今にも二階から転げ落ちそうになったそいつは、しかし体勢を立て直す間もなく金色の槍に喉を突き破られた。
「射てぇーいぃっ!!」
胴間声が響き、どこからともなく矢が射かけられる。
化け物は庭に墜落し、地響きが轟いた。
どうやって部屋に入ってきたのか、解らなかったけれど。
ロックヒルさんの大きな背中が僕らの前に立ちはだかり、ロイがディアナとケインの名を呼びながら結界をゴンゴンと叩いていたので――。
もう大丈夫かな、と思ったところで僕の意識は途切れたのだった。
***
――うわあぁん、ふえぇえぇっ……。
――ごめっ、……さい、うぅ、うわぁああん……。
大きな泣き声に、僕ははて、と首を傾げた。
目の前に広がるのは実に現実味のない光景だ。どこまでもつづく夜空。けれど地面はなく、宙に浮いているようだった。
なるほど、これは夢だな。明晰夢というやつだ。
そう納得して、なんとなく足を動かしてみる。
そうして初めて、自分の視界が随分高いことに気づいた。
いや、違う。慣れていた視界のはずだ。自分の身体を見下ろせば、見慣れたチャコールグレーのスーツを着込んだ、僕自身の身体であった。
夢の中だから、本来の自分の姿なのだろうか。
このまま目が覚めたら元の世界に戻っていました、だったらどんなにかいいだろう。
――ごべんなざいぃ……っ。
うわああ、と泣き声がひときわ酷くなった。
まるで僕の心の声が伝わってしまったようじゃないか。
驚いて周囲を見回しながら、声のする方へと歩いてみる。
どのくらい歩いたか、やがて景色が一変した。
上も下もないような夜空から、いつのまにか芝の生え茂った地面があらわれ、どこかで見覚えのあるような池の畔。大きな木の根元にうずくまる少年少女と、僕と同じようなスーツ姿の男性。
「あ、大神警視」
「佐藤くんか」
僕の呼び声に反応して振り返った大神警視は、相変わらず羨ましくなるくらいのイケメンである。すっかりディアナ嬢の姿に慣れてきていたが、やっぱりこれでこそ大神警視だよな。うん。
「ここはいったい……。ええっと、その子達は……」
「ディアナ嬢とケインくんだ」
「ふえええん」
「うぁあぁぁん」
ふたりはぴったりと寄り添い合って、びゃあびゃあと泣いている。
どうしたものかと互いに顔を見合わせた僕らだったが、突っ立って見ていても仕方ないと揃って芝の上に膝をついた。
「よーしよしよし、そんなに泣いてどうしたんだー? わっ」
「どこか痛むのか? 落ち着い……おっと」
「「ごめんなざいぃっ」」
僕にケイン君、大神警視にディアナ嬢というふうに、子ども達が泣きながらとびついてきたので、僕らは慌ててその小さな身体を抱き留めた。泣いて謝りながらしがみついてくる子ども達に、何が何やらわけがわからなかったが、こうなっては落ち着くまで待つしかないだろう。
それは僕だけでなく大神警視も同様のようだ。
正直聞きたいことは山ほどあったが、どんな凶悪犯相手でも怯まず取り調べをする自信があるとはいえ、泣く子には勝てないものだ。
「うっ、うぇぇっ」
「……何を謝っているんだ。さっき助けてくれたのは、君たちだろう?」
「わ、わたし……っ、わたしが、悪いことしたの、巻き込んじゃったの、だから……っ」
「違うよ、ディーだけが悪いんじゃないよっ! ぼく、ぼくもそっちがいいって思っちゃって、だから……っ」
わあわあと泣きながら、自分が悪いのだと主張する子ども達に、僕は途方に暮れた。
悪いことをした、巻き込んだ、という言葉で予想できるのは、僕らの身に起こった不可思議な出来事であるが、あれはこの子達ではなく、百目木という頭のイカレた狂信者のやらかしが原因であるはず……なのだが。
もしかすると、その認識が間違っていたのだろうか?
どうにか子ども達が落ち着くのを待って、ようやく話を聞けたのは、体感で三十分近くたってからのことだった。
「……お父様が、ほしかったの」
ぐすんと鼻を啜って、ディアナはそう言った。
その言葉に、僕らは首を傾げる。ケイン少年は、ぷるぷる震えているディアナ嬢を勇気づけるように背中を撫でていた。
ゲームでは敵対していたはずだけど、仲がいいな、このふたり。
「お祖父様のお部屋に、禁忌の魔法書が隠されていたの。それに、魂を入れ替える魔法が、のってて……。わた、わたし、お父様に、その魔法を……かけようと……」
「え……っ、と、つまり……?」
「ケインに手伝って貰って、わたし、お父様を……わた、わたしたちを愛してくれるお父様がほしかったの……っ」
再びわあぁ、と泣き出したディアナ嬢を、ケインくんがぎゅっと抱きしめて、何かを訴えるように僕らを見上げてきた。
つまり……要するに、この子達は、自分たちがかけた魔法が失敗したことで、僕らを自分たちの中に召還してしまったと、そう思っているようだ。
いやはや、それにしても、動機が「父親に愛されたい」じゃなくて、実の父の愛情は諦めてるから「誰でも良いから愛してくれるひとに父になってほしい」だとは。
この子が実の父親をどう思っているのか、察しがつくというものだ。
話を聞く限りでは、僕らがこの子達の中に入り込んでしまったのは、確かにその魔法が影響しているように思える。だけれど、恐らくそれだけではない。百目木真莉愛の行った儀式が、まったくの無関係とはとても思えないのだ。
僕の勝手な予想だが、あの儀式と、この子達が魔法を行使したタイミングが運悪く重なってしまったのではないか。
それを泣きじゃくるディアナに説明をしようとしたのだが、まるで霞がかかったかのように視界が曇る。
――ごめんなさい……ごめ……っ、……
何度も泣いて謝るあの子に、大丈夫だと、君が悪いんじゃないと、そう言ってやりたいのに、だんだんとあの子達の姿が、声が、遠くなっていく。
とうとう霞の中に姿は呑まれ、意識が急速に覚醒していくのを感じた。
深い眠りからすくい上げられていくかのように。
待ってくれ、まだ――、
「ディアナ……!」
がばっと飛び起きた僕の視界が、まばゆい朝の光にくらりとゆがむ。
視界にうつるのは、見覚えのあるケインくんの部屋だ。見下ろした身体も手も、小さな子どものもの。
「……夢?」
朝の冷え切った空気の中、呆然とした子どもの声が響く。
今もはっきり覚えている、泣きじゃくる子どもを抱き留めたあの感覚。あれはただの夢だったのだろうか?
いいや、きっと違う、だって――。
「佐藤くん!」
ノックも何もなく、ケインくんの部屋に飛び込んできた大神警視の宣言が、あれがただの夢ではないと教えてくれ――
「決めたぞ、私があの子達の父になる」
…………なんて?
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