#6 佐奈南「お姫様みたいな格好で舞台に立って」
――あいつみたいなアホになれたらな。
自室のベッドでうつ伏せになりながら、今朝出会った人間の顔を思い出す。
はぁー、と、お気に入りの小鳥のぬいぐるみに顔を埋めながら溜め息をついた。
体が重い。お腹痛い。頭ガンガンする……。
豆電球だけがついた薄暗い部屋で、うーと唸る。
ライブ終わりの体調はいつも最悪だった。「可愛い姿で舞台に立ちたい」という理想とは正反対で、あたしは舞台上では「滑稽なボケ」だ。
カメレオンの「変色」という亜人特性を活かす漫才ネタということもあり、あたしにかかる負担は大きい。
カメレオンの亜人はよく「擬態するために変色している」と思われがちだが、実際は違う。
カメレオンは本来、体の色を自分でコントロールできないのだ。感情やホルモンバランスによって体の色が変わるため、意図的に変色するとあたしはいつも体調を崩してしまう。全身がだるくなったり、生理周期が乱れたりする。
「佐奈南ー? 洗濯機回すけど大丈夫ー?」
突然お母さんが襖を開けて部屋を覗いてきた。あたしはぬいぐるみを後ろに向かって投げる。
「ノックくらいして!」
お母さんは咄嗟に尻尾の先でぬいぐるみを受け止めた。母もまた、あたしと同じカメレオンの亜人だ。
「あんたまた体調崩したの? ……あのね佐奈南。いくら名門の娘だからって、無理して漫才なんて続けなくていいのよ?」
「…………」
一戸家は、大鍛冶屋一門の創設者「大鍛冶屋黒金」の血縁にあたる家系だ。あたしは一戸家の長女にあたるため、親戚から重たい期待を寄せられている。
今あたしたちが住んでいる平屋も、代々受け継がれてきた豪邸だった。
「聞いてるの佐奈南? やっぱ漫才は体によくないんじゃない? 嫌ならやめてもいいのよ? お母さんが味方してあげるから、嫌なら正直に言いなさい?」
うつ伏せのまま、シーツをぎゅっと握る。
別に漫才が嫌なんじゃない。
「うっさい! 知ったふうな口きかないで!」
「……薬買ってくるわね」
「……うん、ありがと」
パタン、と襖を閉めるお母さん。
足音が遠ざかっていき、やがて玄関から出ていく音がした。
「ん〜…………あぁ、もう!」
お母さんに八つ当たりしてしまった自分が嫌になり、ベッドの上で体を起こす。
部屋の明かりをつけると、ふと見慣れないバッグが目に留まった。
――あいつから没収したバッグだ。
さして興味もなかったが、なんとなくバッグのチャックを開けて中を覗いてみることにする。
中に入っていたのは、黄ばんだ封筒、ボロいB5ノート、着替え。まずは黄ばんだ封筒を取り出す。表には、万年筆で書かれたと思われる達筆な字。
「……上方堂シキ……?」
なんだか覚えのある名前だ。
――あいつが、あの上方堂の関係者とか。
思わず笑ってしまった。
そんなことあるハズがない。「漫才の父」と呼ばれた伝説の男なのに。
上方堂シキ。それは、日本演芸に携わる者なら誰でも知っている名だ。多くの芸人をまとめあげ「親父」と慕われていた。世界初のお笑い養成所を創ろうとしたが、断念したと日本史で習っている。
「……なんであいつが、こんな封筒持ってるんだろ」
ずいぶん古びた封筒だ。今は亡き上方堂シキが遺したものである可能性もある。
なんだか不気味に思い、あたしは封筒をバッグに押し込んだ。
今度はノートを引っ張り出す。
中をパラパラとめくって流し読みすると、ネタ帳だとわかった。
『デイリーヤマザキのパチモンなんてあるワケねえだろ』『路上喫煙してる男はドンキでしか出会いを求めるな』『転売ヤーの申し子か』と謎のワードが乱雑に書かれている。正気の人が書く内容とは思えなかった。
意味不明なセンスについつい笑ってしまう。
「あいつ、ネタ書いてるときもアホなんだ」
クスクス笑いながら、ページをめくっていく。
ふと、ネタ帳の隅に「姉ちゃんを笑わせたい」と書いてあることに気づいた。
そこだけやけに字が汚く、勢いがある。不思議と、その言葉からは強いメッセージ性を感じた。
――お姫様みたいな格好で舞台に立って、お父さんとお母さんをいっぱい笑わせたい!
小さい頃、あたしが口にした言葉が脳裏に蘇る。
あぁ、そっか。
違うよ。
アホなのは、あたしの方なんだ。
パタン、とノートを閉じる。
翌朝、あたしはいつもより二時間早く起きて、シャワーを浴びてから化粧台と向かい合った。
化粧ポーチを大きく広げる。左から化粧水、乳液兼美容液、日焼け止め兼下地――と使う順番に並べていく。
過去最高に、理想のあたしに近い魔法を。
胸を張って舞台に立てる理想の自分を。
二時間以上かけて、丁寧につくっていく。
童心に返って、あの頃の夢をもう一度、言葉にしよう。
化粧台の鏡を真っ直ぐ見つめて、あたしは口を開く。
「お姫さまみたいに、可愛い漫才師になりたい!」
あいつにはお礼を言わなくちゃ。
あたしは化粧台の隅に置いてあったノートを取り、あいつのバッグに戻す。
そのとき、ページの隙間から一枚の写真が落ちた。
「え、もしかしてあいつって――」
写真から読み解ける、ある事実に言葉を失うが――
「ま、あいつの事情に首突っ込んじゃ悪いか」
ノートの適当なページに写真を挟んで、家を出る。
今日は第二劇場で昼公演。第一劇場で夜公演のMCをやって終わりだ。
いつもよりヒールの高い靴を履いて、玄関の姿見で入念にチェック。あたしはあたしらしく、あたしのなりたい姿で舞台を踏むんだ。
――あいつみたいなアホになれたらな。
自室のベッドでうつ伏せになりながら、今朝出会った人間の顔を思い出す。
はぁー、と、お気に入りの小鳥のぬいぐるみに顔を埋めながら溜め息をついた。
体が重い。お腹痛い。頭ガンガンする……。
豆電球だけがついた薄暗い部屋で、うーと唸る。
ライブ終わりの体調はいつも最悪だった。「可愛い姿で舞台に立ちたい」という理想とは正反対で、あたしは舞台上では「滑稽なボケ」だ。
カメレオンの「変色」という亜人特性を活かす漫才ネタということもあり、あたしにかかる負担は大きい。
カメレオンの亜人はよく「擬態するために変色している」と思われがちだが、実際は違う。
カメレオンは本来、体の色を自分でコントロールできないのだ。感情やホルモンバランスによって体の色が変わるため、意図的に変色するとあたしはいつも体調を崩してしまう。全身がだるくなったり、生理周期が乱れたりする。
「佐奈南ー? 洗濯機回すけど大丈夫ー?」
突然お母さんが襖を開けて部屋を覗いてきた。あたしはぬいぐるみを後ろに向かって投げる。
「ノックくらいして!」
お母さんは咄嗟に尻尾の先でぬいぐるみを受け止めた。母もまた、あたしと同じカメレオンの亜人だ。
「あんたまた体調崩したの? ……あのね佐奈南。いくら名門の娘だからって、無理して漫才なんて続けなくていいのよ?」
「…………」
一戸家は、大鍛冶屋一門の創設者「大鍛冶屋黒金」の血縁にあたる家系だ。あたしは一戸家の長女にあたるため、親戚から重たい期待を寄せられている。
今あたしたちが住んでいる平屋も、代々受け継がれてきた豪邸だった。
「聞いてるの佐奈南? やっぱ漫才は体によくないんじゃない? 嫌ならやめてもいいのよ? お母さんが味方してあげるから、嫌なら正直に言いなさい?」
うつ伏せのまま、シーツをぎゅっと握る。
別に漫才が嫌なんじゃない。
「うっさい! 知ったふうな口きかないで!」
「……薬買ってくるわね」
「……うん、ありがと」
パタン、と襖を閉めるお母さん。
足音が遠ざかっていき、やがて玄関から出ていく音がした。
「ん〜…………あぁ、もう!」
お母さんに八つ当たりしてしまった自分が嫌になり、ベッドの上で体を起こす。
部屋の明かりをつけると、ふと見慣れないバッグが目に留まった。
――あいつから没収したバッグだ。
さして興味もなかったが、なんとなくバッグのチャックを開けて中を覗いてみることにする。
中に入っていたのは、黄ばんだ封筒、ボロいB5ノート、着替え。まずは黄ばんだ封筒を取り出す。表には、万年筆で書かれたと思われる達筆な字。
「……上方堂シキ……?」
なんだか覚えのある名前だ。
――あいつが、あの上方堂の関係者とか。
思わず笑ってしまった。
そんなことあるハズがない。「漫才の父」と呼ばれた伝説の男なのに。
上方堂シキ。それは、日本演芸に携わる者なら誰でも知っている名だ。多くの芸人をまとめあげ「親父」と慕われていた。世界初のお笑い養成所を創ろうとしたが、断念したと日本史で習っている。
「……なんであいつが、こんな封筒持ってるんだろ」
ずいぶん古びた封筒だ。今は亡き上方堂シキが遺したものである可能性もある。
なんだか不気味に思い、あたしは封筒をバッグに押し込んだ。
今度はノートを引っ張り出す。
中をパラパラとめくって流し読みすると、ネタ帳だとわかった。
『デイリーヤマザキのパチモンなんてあるワケねえだろ』『路上喫煙してる男はドンキでしか出会いを求めるな』『転売ヤーの申し子か』と謎のワードが乱雑に書かれている。正気の人が書く内容とは思えなかった。
意味不明なセンスについつい笑ってしまう。
「あいつ、ネタ書いてるときもアホなんだ」
クスクス笑いながら、ページをめくっていく。
ふと、ネタ帳の隅に「姉ちゃんを笑わせたい」と書いてあることに気づいた。
そこだけやけに字が汚く、勢いがある。不思議と、その言葉からは強いメッセージ性を感じた。
――お姫様みたいな格好で舞台に立って、お父さんとお母さんをいっぱい笑わせたい!
小さい頃、あたしが口にした言葉が脳裏に蘇る。
あぁ、そっか。
違うよ。
アホなのは、あたしの方なんだ。
パタン、とノートを閉じる。
翌朝、あたしはいつもより二時間早く起きて、シャワーを浴びてから化粧台と向かい合った。
化粧ポーチを大きく広げる。左から化粧水、乳液兼美容液、日焼け止め兼下地――と使う順番に並べていく。
過去最高に、理想のあたしに近い魔法を。
胸を張って舞台に立てる理想の自分を。
二時間以上かけて、丁寧につくっていく。
童心に返って、あの頃の夢をもう一度、言葉にしよう。
化粧台の鏡を真っ直ぐ見つめて、あたしは口を開く。
「お姫さまみたいに、可愛い漫才師になりたい!」
あいつにはお礼を言わなくちゃ。
あたしは化粧台の隅に置いてあったノートを取り、あいつのバッグに戻す。
そのとき、ページの隙間から一枚の写真が落ちた。
「え、もしかしてあいつって――」
写真から読み解ける、ある事実に言葉を失うが――
「ま、あいつの事情に首突っ込んじゃ悪いか」
ノートの適当なページに写真を挟んで、家を出る。
今日は第二劇場で昼公演。第一劇場で夜公演のMCをやって終わりだ。
いつもよりヒールの高い靴を履いて、玄関の姿見で入念にチェック。あたしはあたしらしく、あたしのなりたい姿で舞台を踏むんだ。