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#4 志佑「屋号がありゃいいんだろ?」

 上方府は「南上方」と「北上方」にわけられる。俗に南上方を「大阪」、北上方を「京都」と呼ぶらしいが「南・北」と呼ぶのが一般的だ。俺の新居は、北上方の都心から少し外れた場所にある。


 俺は逆方向の電車に乗って折り返し、目的地である「青羽駅」を目指しはじめた。電車を二回乗り換えて、あとは七駅進むのを待つだけ。


 時刻は午後一時。ピークはとっくに過ぎているから、満員電車は避けられると思ったが――電車の遅延が影響で、また混みはじめていた。


 ――人間専用車両に乗って正解だったな……。


 ドアの傍らにある壁に寄りかかり、車内を見回す。

 人間、人間、人間、人間。神奈川であれば珍しくない光景だが、上方で視界いっぱいの人間を見るのはこの瞬間くらいだろう。


 さっきの一般車両よりは幾分マシだが、俺はもとから人混みに弱い。できるだけ薄そうな空気を吸わないよう気をつけながら、電車の不快な揺れと戦う。ちなみに乗り物にも弱い。


「あわっ、その、すみません……」


 電車が揺れた拍子に、小柄な女の子が俺の胸に顔を埋めた。あわあわとした様子で離れようとしているが、人混みのせいで密着状態はなかなか解けない。


 背丈は俺の肩にも満たない。ボブカットの灰髪はふわっとしたウェーブがかかっており、フレームが太い赤メガネをかけている。地味なフレームなのに対し派手な色を選んでいるところに、なんとなく彼女の頑張りが垣間見えた気がした。


 至るところに密着している四肢は、ふれたら折れそうなほど細っこくて、俺の腹部辺りにふれているふくらみは小柄な体格相応に似つかわしい慎ましやかな――


「……悪い」


 モロに当たっていることに気づいた俺は、少女に向かって軽く会釈をした。


「……いえ」


 顔を赤らめて、俺から視線を逃がすようにそっぽを向く。

 年は十三か十四歳くらいだろうか。セーラー服を着ている。この辺りの中学校に通っているのだろう。


『間もなく、青羽、青羽。降り口は左側です。お降りの際は、他のお客様の亜人特性にお気をつけください』


 そのアナウンスにほっとする。

 青羽駅に到着すると、灰髪の中学生は慌てたようにホームへ飛び出した。同じ駅に降りるらしい。


 俺も押し出されるようにしてホームに出る。

 中学生は思い出したようにこちらへ振り返り、無言で一礼。それからくるりと身を翻し、ちっちゃなお尻をこちらに向ける。そのとき――


 短いスカートから、一瞬、黒いものが見えた。

 黒くて細い、尻尾。先端がハートの形をした、悪魔みたいな尻尾だった。


「……ん? 人間専用車両、だよな」


 電車のドアが閉まる。俺たちが乗っていた車両の窓には、確かに「人間専用車両」のステッカーが貼ってあった。


 視線を前に戻した頃には、中学生は女子っぽさ漂う下手クソなフォームで、ホーム端に見える改札まで走っていた。

 目を凝らしてもう一度、中学生のお尻を見る。そこにはもう、黒い尻尾は見えなかった。



 青羽駅の周辺は、特筆することもない平凡な住宅街だった。

 上方らしい日本家屋の連なりを想像していたが残念だ。関東と大差ない。


「腹、減ったな」


 思えば昨日の夜からなにも食べていない。


「できるだけ上方っぽい店で食おうか……」


 などと独言りながら、住宅街に紛れた個人店を目で探す。

 禿げた看板が立てられたボロい店を見つけ、立ち止まる。シャッターは壊れているのか、上まで上がりきっていない。のれんはもともと白かったのだろうが、日焼けで黄ばんでいる。中からはテレビの音や話し声がした。


 俺は引き戸をガラガラと開けて中へ入る。店の規模は、二十人入ればキャパオーバーになるような小ささだった。席の八割はテーブル席になっている。


 強面の男店主が「いらっしゃい」と野太い声で言う。顔から下は豹柄の毛皮に覆われていた。ヒョウの獣人らしい。


 俺はヒョウの店主に会釈をしながらカウンター席につく。するとカウンターの向こうにいる店主は太い眉をひそめて「……人間やろ?」と訊いてきた。


「人間だけど……どういう意味っすか」

「いや、悪気はないねん。人間が一人でくるのは珍しいんや」

「そっすか」


 新手の煽りだろうか。堂々たるフィジカルハラスメント。

 俺は自分のケツポケットをまさぐる。入っているハズのものが入っていなかった。


 そうだ。カメレオン女にスマホと身分証以外巻き上げられたんだった。

 しかし、こういうときのために保険はかけてある。


 俺は手帳型スマホケースのポケットの中に、万札が数枚入っていることを確認した。あの財布はダミーだ。

 こんな保険をかけるのは俺の性分ではない。これは従妹の入れ知恵だ。従妹は俺を見送るとき、こんなことを言っていた。


 ――上方府は八秒に一度のペースでカツアゲ被害者が増えてるんだ! 気をつけろよな、兄ちゃん!


 すげえハイペースじゃん。楽天カードかよ。


「メニューはこれっすか?」

「それは亜人用のメニューや」

「え? それもう食うしかないだろ。やめてくれよ」


 否が応でもフリに答えるのが芸人だと姉ちゃんが言っていた。

 俺はメニューを戻そうとしていたが、恐る恐る開く。


 最初のページは虫ばかり。ムカデの素揚げにミルワームの踊り食い。コオロギの天ぷらにトカゲの唐揚げなどがあった。どれもでかい。メニューの写真のムカデなんて、渦状に巻いてもどんぶりからはみ出すくらい大きい。


「すんません。トカゲの亜人がトカゲを食ったら共食いになるんですか?」

「初対面への質問がキツすぎるやろ。共食いにはならへんよ。で、なに食うんや?」

「ペルビアンジャイアントオオムカデの上天丼で」

「あんた大丈夫か?」


 俺は深く頷いた。もちろん大丈夫ではない。

 十分後に頼んだ料理が運ばれてきた。ムカデは親指よりも太く、箸の二倍くらい長い。


 まずは箸で赤黒いそれをつまみ、尻から一口。それは俺はどんぶりを大きく傾けて一気食いした。

 空になったどんぶりをカウンターに置く。


「ごちそうさまでした」

「いい食いっぷりやったで。料理人として嬉しいわ。味はどやった?」

「不愉快」


 海老天みたいな感じを期待したが、苦く、薬味っぽい味だった。あと足が喉に引っかかって痛かった。


「俺に向かってよう言えるな。そんで顔色悪いぞ。……人間やのに無理するからや」

「……舌に合うかどうかだ。種族は関係ない」


 などと話していると、隣のカウンター席に見知らぬおっさんが座った。さっきまでテーブル席にいた人間だ。


「おもろいな。一人かい青年? 寂しいねえ」


 小柄なおっさんだった。背丈は一五〇センチくらいだろうか。色褪せたキャップを被り、サングラスをかけている。


 俺は顔だけをチラとおっさんに向けてから、前に向き直った。


「忙しいんで。だから一人っす」

「忙しいときほど誰かと一緒にいるべきやろ。仲間は頼らんかい、青年」


 正直うっとうしいなと思った。関西独特の距離感は、もしかしたら俺には合っていないかもしれない。


「ワイは『神祭橋ENGEI WEEK』の編集長の、安全寺っちゅうもんや。青年みたいな変わった人間見るとワクワクするわ」

「……『神祭橋ENGEI WEEK』って、あの演芸雑誌っすか?」

「そや」


 ドンと自分の胸を叩く安全寺。

 俺は椅子の横に足を放るように伸ばした。


「演芸に詳しいなら訊きたいことがあるんですけど」

「なんでも訊いてや! 芸能界の知識ならおっちゃんの右に出る奴はおらん」

「人間が漫才師になれると思いますか?」

「……あ?」


 サングラスのスモークからうっすら、見開かれた目が見えた。

 安全寺は腹を抱えて、カウンターチェアの上で身をよじらせて笑い出す。


「エグい冗談かますなあ青年! 無理や! 亜人特性のない人間は無理に決まってるやろが!」

「……やっぱ、その反応が正しいんだよな」


 奥歯を噛む。これが一般的な反応で――


 ――屋号があれば、俺も漫才師になれるか?

 ――なれる。


 あいつの方が、ズレている。


「おい聞いたかお前ら! 人間が漫才師になりたい言うてるぞ!」


 そう叫んだ直後、テーブル席にいた男たちから爆笑が生まれた。

 俺は呆然と、笑いが止むのを待っていた。


 ――こいつら全員人間だ。なんで人間を笑う側が、人間なんだよ。


 腑に落ちないが、目の前で笑っている安全寺たちが〝一般的〟なんだ。


「俺、漫才師になるために屋号がほしいんすよ。屋号をもらうためには、どっかの一門に弟子入りしなきゃダメって言われて。弟子入りする宛がないから、助けてもらえないっすか?」

「君おもろいわ。イキりたい思たらまた連絡してや」


 俺に名刺を差し出してくる安全寺。もう落ち着いているが、今にもまた笑い出しそうだ。


「たぶん近いうちに」


 俺は名刺を雑に受け取り、くしゃりと握りつぶした。

 安全寺はニタリと口角を持ち上げる。


「おおきに。……なあ、エンデリカはどや? この人間が漫才師になりたい言うてるぞ」


 安全寺は笑い混じりに、テーブル席の中にひっそり混じっている女の子に話を振った。


「あの、わたしは、えと……」


 エンデリカと呼ばれた女の子は、セーラー服の袖を握ったり、放したり、なにか言いたそうにもじもじする。結局なにも答えなかった。


 そう言えばあの子、さっき満員電車で隣に立ってた子だ。灰色の髪と赤縁メガネが印象に残っている。あの子も編集部の関係者なのだろうか。


「……あんたも笑うのか?」


 俺は席を立ちながら、店主の顔を見上げた。


「笑いはせえへんけど、現実見た方がええとは思うな」

「よっぽどの理由があんのかもしれへんけど、人間の身で演芸の世界目指すんはやめとき。亜人特性で笑いを取る漫才は特にそうや。ネタの幅が狭い人間は、おもろない」

「……知ってる。言われなくてもわかってる」


 テレビに出ている芸能人は亜人ばかりだった。人間はMCや現場のスタッフなど、裏方に回るケースが多い。

 理由は「亜人特性がないから」の一言に尽きる。尻尾一本あるだけで、動きを大きく見せられるからウケやすくなる。翼があれば飛行という表現手段を選べる。


 亜人特性は、才能だ。亜人特性のない人間は、才能の優劣すら測れない論外。

 俺はスマホケースから取り出した現金をカウンターに叩きつけた。


「笑いたきゃ笑え。要するに……屋号がありゃいいんだろ?」


 店内を見回し、そう吐き捨ててから店を出る。

 そこから引越し先のアパートまで歩いているとき、背後からずっと視線を感じた、気がした。

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