#3 志佑「漫才師になりたいんだ」
「死ねえええええええええええええッ!!」
少女の尻尾が俺の腹に突き刺さるように叩き込まれた。
俺は室内の壁に背中を打ちつけ、床に崩れた。少女がそそくさと下着とスカートを持ち上げ、身だしなみを整えながら血走った目で俺を見下ろしてくる。
少女の吊り目はさらに吊り上がっていた。細い腕を組むと、はっきりとわかる胸のふくらみはさらに強調される。
「まあ、落ち着いてくれ。ワケがあるって言ったろ」
俺は両手の手のひらを突き出し、話し合いに持ち込もうとする。彼女の形相は1ミリだって変わりはしない。
「なに冷静ぶってんのよ強姦魔!」
「別に冷静ぶってるワケじゃない」
感情の起伏が表に出ないだけだ。
少女は鼻で笑う。殺意に満ちていた表情は急に、俺を嘲るような笑みに変わる。
「ま、無実を装っても無駄よ。これ、どういうことかわかる?」
そう言ってインナーの胸ポケットから取り出したのは、スマホ。
「……なにが言いたい?」
「こっそり録画してたのよ」
「……あー、まずいなそれ」
スマホの画面をこちらに見せてくる少女。そこには確かに、少女から見た俺の姿が映っていた。
「まだそんな冷静な態度を取れるのね。……本当は命を奪いたいところだけど、強姦未遂って死刑にならないのよね。だから自害してもらえる?」
「だから、これは事故だ。たぶんトイレの鍵が壊れて――」
「そういやあんた漫才師を目指してるって言ってたわね? 芸人らしく笑いを生んでから死になさい。じゃあ、お題を言うわね。『こんな自殺はイヤだ。どんな自殺?』」
「あんた頭おかしいのか?」
どんな自殺も嫌に決まっている。
「あんたが言うなッ! もう辛抱ならん!」
顔を真っ赤にしながら歩み寄ってくると、俺の胸ぐらをつかんでぐっと顔を近づけてきた。
よく見れば綺麗な顔立ちをしている。大きな目、長いまつ毛、小ぶりな鼻と唇。うっすらとメイクをしているようだったが、ナチュラルの域を出ない上品な印象を受けた。
ふと、首筋や肘のラインに赤い鱗が覗いているのが目に留まる。
いったいなんの亜人なんだろうなーと思っていると、頬に鋭い痛みが走った。ビンタだった。反対の頬にもう一発。反対側にまた一発。
「強姦魔! 女の敵! 性欲おばけ! 死ね!」
往復ビンタだった。ポケ◯ンしかやらねえだろ、こんな攻撃。
逃げようとするが、彼女の尻尾が腰に巻きついているせいで身動きが取れない。
ふと、気づいた。
さっきまで赤かった彼女の鱗が、黄色に変わっていたのだ。
バシバシと顔面を叩かれながら、俺はある答えを導く。
「変わった亜人特性だな。あんたカメレオンの亜人か? それにしては擬態が下手だな」
「違うわよ!」
彼女の手は止まらない。身をよじらせると、尻尾の締めつけが強くなった。
「違う? なら人に似たカメレオンか? それにしては擬態が下手だな」
「そんなワケないでしょ! カメレオンの亜人で間違いない! てゆーか、カメレオンの亜人特性は〝擬態〟じゃないから!」
彼女は最後にグーで往復ビンタを締めくくった。もちろんビンタではなかった。
「じゃあなんのための変色なんだ? 教えてくれ」
手と尻尾がそっと離れる。もう鱗の色は赤に戻っていた。
「罪を償ったら教えてあげるわよ……証拠はちゃんとあるから、ほら、警察いくわよ」
「……なんか見覚えあるぞこれ。この紋章ってどの一門の紋章だっけ?」
壁紙にプリントされた紋章に目が留まった。円の中に刀剣が描かれているものが、水玉模様みたいに規則的に並んでいる。
「話逸らさないでよね」
「刀剣紋ってことは大鍛冶屋か?」
「だから話逸らすな」
「駅の壁紙に漫才一門の紋章が印刷されるとは、さすが演芸都市と呼ばれてるだけある。ちなみにこの辺は大鍛冶屋一門に由来のある地なのか?」
「おい話逸らすなって。……この路線は大鍛冶屋一門を推してるのよ」
「そうなのか。さすがに名門は影響力が違うな」
「聞こえてんじゃない」
バシッと二の腕を尻尾で叩かれた。
「いいツッコミだな。なんかやってたのか?」
「スポーツでしか言わないわよそれ」
「……漫才師か?」
問いかけると、彼女は肩を使って溜め息をついた。
「あんた、犯そうとした相手によく堂々と質問できるわね。そうよ、漫才師。あたしの相方が大鍛冶屋の門下生」
門下生というのは、大鍛冶屋一門に入っている芸人のことだろう。
「だからあたしは忙しいの。早く警察いくわよ」
「漫才師になりたいんだ」
半ば遮るようにして、俺はそう告げた。
彼女はポカンと口を開けた。時間が止まったんじゃないかと思うくらいの沈黙が流れる。
「……はぁ。なんか急にバカらしくなったわ。もういい」
肩を落としてそう言うと、そいつは俺に背を向けて特殊亜人用トイレの引き戸を開けた。
俺は乱れた服を整えながら、背中に向かって頭を下げる。
「本当に悪かった。事故とはいえ、正しい対応ではなかったと反省してる」
彼女は「もういいってば」とめんどくさそうに言う。
俺が顔を上げたとき、彼女は続けてとんでもないこと言った。
「身ぐるみ剥ぐだけで勘弁してあげる。その真っ黒のスーツとスマホと身分証以外、ぜんぶ置いてって?」
こちらに振り返り、スマイルを浮かべて床を指差しやがった。
俺は咄嗟に自分のバッグを抱き寄せる。
「……マジかよ。上京してきたばかりなんだぞ」
「問答無用」
冗談ではなさそうな引きつったスマイルに、俺は重い息を吐く。
最低限のものだけを残すところにガチみを感じるぜ。ヤベえな上方。
――……
「じゃ、上方での新生活を楽しんでね♪」
俺の財布とバッグを持ち、立ち去ろうとする彼女を俺は引き止めた。
「待ってくれ。最後に一つだけ訊かせてほしい」
「……はぁ。あんた結構あたしに訊いてるけど? ホントに最後にしてよね」
「漫才師にはどうやってなる?」
彼女の眉間にシワが寄る。なんて思われているのかは見当がついた。
「バカなことを言ってるってのは自覚してる。漫才は亜人が築き上げてきた芸能だ。亜人と比べて人間は芸能に不向き。そんなことはわかってる。でもなりたいもんはなりたい」
頭を掻きながら、彼女は参ったとばかりに答える。
「……あんた、それ本気?」
「本気だ」
即答すると、また溜め息をつかれた。この数分で一番の溜め息だった。
「……気概のいい漫才師に弟子入りして、屋号をもらいなさい。演芸では屋号がライセンスみたいなもの。屋号を手に入れるか、屋号を持った芸人とコンビを組みなさい」
「屋号があれば、俺も漫才師になれるか?」
「なれる」
頷きと一緒に、彼女はそう答えた。
「……わかった。ありがとう」
きっちり俺の荷物を持ち去った彼女の背中を、俺は見送る。左右に揺れる赤い尻尾は、どこかイラ立っているようにも見えた。
「そういや、名前訊き忘れたな」
彼女にはまた、どこかで会うハズなのに。