#2 志佑「亜人特性がないから、ねえ」
「吐きそう……」
旅立ちの初日から俺は死にそうだった。
やはり上方の電車は人口密度がバグっている。
ホームのベンチで横になっている俺の脳内に、数分前の出来事がフラッシュバックする。
車内には、大柄の亜人と小型の亜人が隙間なく詰め込まれていた。視界を埋め尽くすのは鱗や毛皮に覆われた肌、鳥の翼に太い尻尾に大きな爪にエトセトラ。顔だけ見れば人間と見分けがつかず、しかし確かな人外的特性――亜人特性を持つ人種、亜人。
上方府は亜人の人口が世界一。海外や地方では亜人を物珍しく思う人も多いが、上方府は亜人が八割も占めることで有名な演芸都市だ。
上方府の満員電車を「まるでパズルのよう」とかほざく野郎がいるけど、全然違うからな。ピースはこんな強引にぶち込んじゃいけません。うっかり内臓を吐き出しちゃうところだったもの。
思い出しただけで頭痛が増した気がした。ただでさえ夜行バスで寝不足だというのに。
「人間は亜人特性がないんですから、無理して一般車両に乗らないでくださいね?」
「は、はぁ」
付き添ってくれた駅員さんの背中を見送る。人間である彼がそれを言うと、なんだか卑屈に感じた。
「亜人特性がないから、ねえ。……つーか、ここどこだ。路線間違えてるみたいだし、『青羽駅』までいくにはどうすればいいんだ……?」
ベンチから体を起こして、スマホで路線図を見る。
絡まった糸のように複雑な路線図。ぐっと画面を顔に近づけ、背後の駅名標と見比べる。どうやら反対方向の電車に乗っていたらしい。
大きく溜め息をついてから、重たい腰を持ち上げる。初日から幸先悪い。
地元の横浜駅ですら、ルートを覚えるのに五年かかった俺だ。日本の第二都市である上方の鉄道で迷わないワケがなかった。
とりあえず、トイレを済ませてから反対側のホームにいこう。
ホームにあるミラーで自分の表情をチェック。芸人はリアクションが大事だ。
しかし、反射する俺の顔は無表情そのもの。笑顔を作ろうとするが、白い歯が露わになるだけで「不自然な笑み」すら作れない。
俺は小さい頃から、一人でなにかに熱中していることが多かった。従妹の分析によれば、人になにかを求めることが少なかった分、感情を表に出すクセがつかなかった……ということらしい。
カバンを肩にかけ直し、俺はホームをあとにした。
すれ違う人々に視線を奪われながら、案内板の通りにトイレを目指す。亜人用に設計された駅は不思議なサイズ感だった。ホームは幅20メートルはあるし、天井は8メートルはある。
「おい、マジかよ……」
トイレの前の光景を見て、俺は提げていたバッグを床に落としてしまった。
男子トイレに「故障中」の張り紙が貼ってある。全長5メートルはある大柄な男――恐らく巨人族だろう――が人間の清掃員に対し、照れ臭そうに頭を下げていた。どうやら個室の便座を壊してしまったらしい。
水漏れは入り口にまで及んでいる。「改札外にあるお手洗いをご利用ください」という張り紙を見て、どっと疲れた気がした。
「あの……あそこのトイレって使えるんですか?」
俺は年配の清掃員さんに声をかけ「特殊亜人用トイレ」を指差した。清掃員さんの「空いてるならいいよ」という返事を聞いてから、引き戸に手を伸ばす。
やけに重たい扉だった。そりゃそうだ。特殊亜人用トイレは、身体的な理由で一般のトイレを使えない人が使うもの。扉の高さは3メートル以上はある。並の力で開かなくて当然だ。
俺は両足を踏ん張り、両手で引き戸の取っ手を握った。
全身の体重をかけて扉を開け、中に入ったとき――出会ってしまったのだった。