表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
流れ星の見える夜  作者: 長栄堂
第二章 消えた身代金(一)
7/38

五つの謎

 有馬慎吾は、十八号コテージのソファにもたれて目を閉じている。足がパンパンに張っていた。ホテルペルージュに戻った有馬慎吾は、ペットボトルを詰めたリュックを背負って、一人で何度もペルージュの裏山を駆け下りてみたのだ。

 今度は出来るだけ速く下りてみた。それでも県道にたどり着くのに、八分以上掛かった。何度やっても、それ以上速く下りるのは無理だった。夏場でもこうなのだ。冬場の雪に覆われた山林を、七分以内に駆け下りるのは無理である。

「足跡は、身代金を奪う時に付けられたのではない。保前正樹が身代金を奪って逃走したように見せ掛けるための偽装である」

 やはり、そう考えざるを得なかった。しかし、そうであれば、身代金はいったいどこに消えたのだろう? それが全くわからなくなってくる。

 それと……。

「タクシーの中ですか? 赤いリュックを膝に抱え、何度も中に一億円の現金が入っていることを確認しました。しばらくして犯人から電話があり……」

 君原真紀は、間違いなく、赤いリュックに入った現金一億円をホテルペルージュに運び込んでいるのである。しかし、その君原真紀の指紋がべったりと付いた身代金は、その後、保前正樹の遺体とともに賀谷地区の山荘で発見されている。さすがに長野県警は、その日の宿泊客と従業員の手荷物検査くらいはやっただろう。仮に真犯人がいるとして、その人物は、警察による検査をすり抜けて、一億円もの大金をどうやって賀谷地区の山荘まで移動させたのだろうか?

「かえって問題が難しくなってしまったぞ」

 権藤一郎の言葉を思い出しながら、有馬慎吾は足をテーブルに投げ出して目を閉じた。

 謎は五つである。

 誰がいつペルージュの裏山に足跡を付けたのか? 

 身代金は、どこに消えたのか? 

 身代金は、どのようにしてホテルペルージュから運び出されたのか? 

 保前正樹は、どのようにして連れ出されたのか? 

 それと、賀谷地区の山荘に作られた密室の謎……。

「さて、どれから片付けるか?」

 マンション・セントレジデンスに仕掛けられた密室の謎……、賀谷地区の山荘に作られた密室の謎……、これらについては、謎を解くための幾つかのアイデアがある。ホテルペルージュからの保前正樹の連れ出し方についても、おおよその見当は付く。やはり、最も悩ましいのは、身代金はいったいどこに消えてしまったのかという問題である。それと、その身代金を誰がどうやって、ホテルペルージュから賀谷地区の山荘まで運んだのだろうか? この二つがわかれば、ペルージュの裏山に足跡を付けた人物は、自ずとわかるだろう。有馬慎吾は、気分を変えるために、ホテルの敷地を少し散策することにした。


 コテージの森をぶらぶら歩いていると、草刈りをやっている集団が目に入った。十人くらいはいるだろうか、機械ではなく、手作業で伸びた雑草を刈り取っている。有馬慎吾は、その一人に近づいた。

「いつもその作業をされているんですか?」

「俺は知らんな。それがどうかしたか?」

 作業の手を止めたことを怒っているのだろうか? 無精髭を生やし、真っ黒に日焼けした作業者が振り向いて、挑みかかるような目で有馬慎吾を睨みつけてきた。日除けカバーの付いた帽子をかぶった女性作業者が、それを見て、慌てて別の男を呼んでくれた。

 奥の方から飛んで来たのは、四十代半ばのネクタイの上に作業服を着用した男性である。

「あの、何か不都合でも……」

 有馬慎吾が作業にクレームを付けていると勘違いしたようだ。

「いえ、そうじゃなくて、少し教えて頂きたいことがありまして……」

 男はほっとしたような表情を見せ、名刺をくれた。吉村造園株式会社・代表取締役社長・吉村達夫と書かれている。吉村達夫は集団に作業を続けろと言い、少し離れたところで話を聞こうと言ってくれた。

「実は十五年前の誘拐事件のことを調べていましてね。ここで身代金の受け渡しがあった事件なんですが……」

「十五年前? ああ、保前さんの事件ね。よく覚えているよ。警察にも聞かれたからね」

「保前正樹のことをご存じなんですか?」

「保前さんの会社の敷地管理もうちでやってたからね。しかし、保前さんが犯人とは信じられないよ。良い人だったな」

「保前さんの会社?」

「保前さんは、株式会社ホーゼンっていう精密機械加工部品を作る会社を経営されていてね。松本に本社と工場があったよ」

「その会社はどうなったのですか?」

「あんな事件を起こしたからねえ、客が全部逃げてしまって倒産寸前まで追い詰められたけど、このホテルの社長が買い取って、今は何とか持ち直しているよ」

「このホテルの社長って、本郷裕子さんですか?」

「そうだよ、よく知ってるね。ここの社長と保前さんの奥さんは幼なじみで、社長は困った奥さんを見ていられなかったんだろうね。確か、五億円で買い取って、今は、当時、松本工場長だった大黒信也って人に社長をやらせているよ」

 残された保前正樹の家族のことは、よく知らないと吉村達夫は言った。

「ところで、あの日、周辺の山に人の足跡はなかったと警察に証言された業者さんがおられたそうですが、それは吉村造園さんですか?」

「そうだよ。冬場は雪が降ると雪かきをやるんだ。その時、初めに敷地をぐるっと回って、フェンスの点検をやる。その時に、人の足跡があれば、すぐにわかるよ」

「それで、足跡はなかったと……?」

「ああ、あの日も前の日も、昼過ぎに何人かで周囲をチェックしたけど、足跡は一つもなかったと作業リーダーが言っていたよ。もっとも僕が知っている限り、人の足跡があったためしはないけどね。もしあれば、すぐにホテルに知らせるよ」

「その後、除雪作業をされたのですか?」

「フェンスの点検は三十分くらいで終わるから、その後は二組に分かれて本館近くのコテージと奥の方のコテージの雪かきをやったと聞いてる。結構、大変な作業でね。その日に予約の入っているコテージの玄関付近の雪を除くんだ。それと外周道路までの小径だ。お客さんが本館とコテージをカートで往復出来るようにしておかないといけないからね」

「作業者の方は、皆さん、吉村造園の社員の方なんですか?」

「いや、色々だ。社員だけでやる作業もあるけど、雪かきはやらない。作業リーダを除いて、もっぱら不定期の日雇いか学生アルバイトだ。だから、急に言われると人を集めるのが大変なんだ」

「身代金の受け渡しがあった日は、何時まで作業をされたか、覚えておられますか?」

「警察にも聞かれたけど、午後四時過ぎには作業者は全員上がったと思うよ。僕も少しだけ遅れて出て行った」

「吉村社長も、事件の日、ここに来られていたのですか?」

「雪かきの作業は作業リーダーに任せていたから、僕は立ち会ってはいない。でもホテルからノズルを付け替えてくれって、急に頼まれてね。それで午後四時少し前だったかな、僕もここに来て、その作業をやった。すぐに終わって四時過ぎには帰ったけど……」

「ノズル……ですか?」

「外周道路は、冬場はノズルから温水を流して自動除雪するんだ。あの日はそのノズルに詰まっているものがあるから、交換してくれって急に言われてね。他に頼む人間がいなかったから、僕が自分でやったんだ」

「色々な作業をされるんですね」

「造園会社と言ってもね、ここの敷地管理全般を請け負っているから、たいがいのことはやるよ。機械の修理とか点検とか、電気工事とか……。それにコテージの修理もやる。とにかく何でもやるよ」

 どうやら、造園というのは創業当時の業務内容で、今は建物および敷地の総合メンテナンス会社のようである。

「こういうところに出入りしていると、これしか出来ませんってのは通用しないんだ。だから、いろんな資格を取って、仕事を広げさせてもらっている。どうしても無理な工事は、専門の業者に頼むけどね」

「そうですか。よくわかりました。ありがとうございました」

 有馬慎吾は作業の手を止めたことを詫び、吉村達夫のもとを去った。


 有馬慎吾は十八号コテージに戻って、防犯カメラの映像をチェックした。十五年前の一月七日の車両出入り口の映像である。防犯カメラは本館西側の壁面に設置されており、パソコンのディスプレーには、本館西側を走る車道とそこに設けられたゲート、さらに車道の奥にある緑地部分が広く映し出されている。

 午前中まで降り続いた雪が止み、陽射しが道路を照らし始めた午後一時、それまでただ淡々と車両出入り口付近の風景だけを映していた防犯カメラの映像に変化が現れる。

 緑のベンチコートを着た従業員が、画面右方向から現れ、道路に設置されたゲートを開けている。すると画面右方向から一台のワゴン車がホテルペルージュの敷地に入って来た。防寒着に身をまとった男女十二人が、ワゴン車から降りて来る。ぞろそろと従業員に向かって歩き、記帳を行った後、運転手が通行証のようなものを受け取っている。十二人の男女はすぐにワゴン車に戻り、ゆっくりと画面左のコテージの森に向かって走り去って行った。従業員はゲートを閉め、画面右方向に消えて行く。これが午後一時から午後一時五分にかけての映像である。

 次に防犯カメラの映像に変化が現れるのは午後三時五十分である。緑のベンチコートを着た従業員が、画面右方向からやって来て、道路に設置されたゲートを開けると、今度は白塗りの乗用車が入って来た。作業服姿の男が車から出て、記帳をした後、やはり通行証のようなものを受け取っている。その後、男はすぐに車に戻り、コテージの森に向かって走って行った。従業員はゲートを閉め、画面右方向に消えて行く。

 次に従業員が画面に現れるのは、午後四時十分である。画面左方向からやって来てゲートを開けると、先ほどのワゴン車がコテージの森から現れ、防犯カメラの前で停車した。入って来た時と同じ十二人の男女が車から降り、記帳をして車に戻って行く。運転手は通行証を返却した後、車に戻り、ワゴン車を運転して外に向かって走って行く。

 しばらくすると、今度は白い乗用車が画面左方向から現れる。入って来た時と同じ男が車から降り、通行証のようなものを従業員に渡している。その後、男は車に乗って外に向かって走り出し、従業員は午後四時十五分にゲートを閉めて、画面左方向に消えて行く。

 これが、この日、車両出入り口に映し出された防犯カメラの映像であり、この後は警察によって道路が封鎖される午後七時十分まで、防犯カメラの映像に人の動きは見られない。

 有馬慎吾は、今度は映像を止めて、そこに映し出された人物の顔を注意深く見た。

 午後三時五十分に白い乗用車を運転してコテージの森に入り、午後四時十五分に同じ車を運転してコテージの森から出た人物は、十五年の年月が少し風貌を変えてはいるが、先ほど話をした吉村達夫で間違いない。ワゴン車に乗ってコテージの森に入った十二人の作業者は、全員、同じ人物が間違いなく午後四時十分に退出している。 

「特におかしな点はないか」

 そう思って、映像を閉じようとした時、有馬慎吾はあることに気が付いた。緑のベンチコートを着た従業員である。フードを被っているのでわかりづらいが、少なくとも午後一時から午後一時五分までと、午後四時十分から午後四時十五分までの二回の映像に映っているのは、同じ人物である。

「早川真理子だ」

 午後三時五十分に姿を現した従業員の顔はわからない。しかし、他の二回は、間違いなく、先日、遺体で見つかった早川真理子である。

 早川真理子は、ホテルペルージュの従業員であり、業務用車両出入り口のゲートを開閉し、出入りする者の入退場手続きを行っても特におかしくはない。しかしその日、彼女は午後五時前に仕事を切り上げて、その後、今度は客としてホテルに現れているのである。

 なぜ、これほど頻繁に早川真理子が登場するのだろう? 有馬慎吾には、早川真理子の顔に隠された彼女の本性が、まだわからなかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ