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流れ星の見える夜  作者: 長栄堂
第二章 消えた身代金(一)
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ペルージュの裏山

 有馬慎吾は、再び本館近くの外周道路にやって来た。黒色のリュックに売店で買った二リットルのペットボトルを五本入れている。一億円の現金とほぼ同じ重さだ。

 そのリュックを担いで、有馬慎吾は外周道路を反時計回りにゆっくりと歩き出した。十五年前、君原真紀が歩いた道を自分も歩いてみようと思ったのだ。権藤一郎が運転する電動カートが、ゆっくりと後ろから付いて来る。

 やがて六と表示された標識が、右手に見えてきた。右に交差する小径の先に二階建ての大きなコテージが見えた。六号コテージである。高坂早苗は、このホテルには最大十四人が収容出来る大型コテージもあると言っていたが、これもその一つだろう。

 外周道路の外にも、いくつかのコテージがある。先ほどの六号コテージもそうだし、有馬慎吾が泊っている十八号コテージや今から向かう十四号コテージもそうである。道路に沿った標識には、十一、二十七、二十三、三十、十八、十四と多くの数字が並んでいる。

 しばらく行くと、今度は少し小振りだが二階建ての十一号コテージが、右手に見えてきた。そこを通り過ぎたところから、次第にアップダウンがきつくなってくる。有馬慎吾は、汗をかきながらカーブとアップダウンの続く道を進んだ。

 二十七号コテージ、二十三号コテージ、三十号コテージ、十八号コテージと順に通り過ぎると、やがて十四号コテージが見えてきた。有馬慎吾の泊まる十八号コテージと色合いが若干異なるが、同じタイプの二人用コテージである。

「親父。何分掛かった?」

 十四号コテージに到着した有馬慎吾が、汗を拭きながら権藤一郎に問う。

「十三分十五秒だ」

 十五年前、君原真紀が歩いた時間とほぼ同じである。

「親父。また時間を測ってくれ」

 今度はリュックをカートに置いて、帰りの時間の計測である。ホテルペルージュの敷地は南側が低く、全般に北側の本館に向けて上り傾斜となっている。約十キロのリュックをカートに置いて肩と背中は楽になったが、行きより帰りの方が上りが多く、足と腰がきつい。有馬慎吾は、タオルで汗を拭きながら本館を目指した。

「親父。時間は?」

 本館に着いた有馬慎吾が、権藤一郎に聞く。

「今度は十二分五十秒だ」

 行きより帰りの方が少し早いが、あまり時間は変わらない。


 二人は次に十四号コテージの裏庭にやって来た。コテージの森とその南に広がる山林との境界には、高さ一・八メートルのフェンスが設置されているが、十四号コテージの裏庭付近に出入り口があり、錠は掛かっていない。どうも、この南に広がる山林もホテルの敷地の一部のようで、雪の降る冬期以外は宿泊客に開放しているようである。有馬慎吾は、このコテージの森の南に広がる山林を、勝手に『ペルージュの裏山』と呼ぶことにした。

「慎吾。雪の中を歩くように、ゆっくりと進めよ」

 有馬慎吾は頷き、リュックを背中に担いで、一歩一歩、地面を踏みしめるようにペルージュの裏山に向かった。フェンスまでの距離は約二十メートル、そこを抜けてペルージュの裏山に入ると傾斜が少しきつくなる。有馬慎吾は歩く速度を下げた。

 高坂早苗から手渡された紙袋の中には、十五年前に犯人がこのペルージュの裏山に付けた足跡の写真が入っていた。足跡は一歩一歩が鮮明で、雪を蹴散らしたり、かき分けたりした跡は見られない。転げ落ちたり、滑り落ちたりした跡も見られない。しっかりと雪の中に足を入れ、雪を乱さないように足を抜きながら、ペルージュの裏山を下っているのである。有馬慎吾も雪山を想定し、積もった雪を乱さないように、ゆっくりと前に進んだ。

「親父、何分だ?」

 県道まで辿り着いた有馬慎吾が、権藤一郎に聞く。

「慎吾。十分二十秒も掛かっているぞ」

「親父。これ以上、速く下りるのは無理だ」

 君原真紀が、十四号コテージに身代金の入ったリュックを置いたのは、午後六時四十分。秋里署の刑事が、この県道に到着したのは、午後六時四十七分。犯人は七分以内でこのペルージュの裏山を駆け下りたことになる。計算が合わない。

 十四号コテージの裏庭まで戻った時、権藤一郎が「俺にもやらせろ」と言って、有馬慎吾からリュックを取り上げた。今度は有馬慎吾が時間の計測係だ。

「慎吾。何分掛かった?」

 権藤一郎は、はあはあと息を切らせて、県道との境界に設けられたフェンスにもたれ掛かっている。

「十一分十五秒だ」

 やはり七分以内というのは、無理である。

「親父。犯人はここで計算違いをしたんだ」

 犯人にとって、秋里署の刑事が県道に到着するのが早すぎたのだ。それと足跡を付ける行為が丁寧すぎた。これは犯人の大きなミスである。


 二人は次に、ホテルペルージュから裏山の南側を走る県道まで車で何分掛かるのか、その時間を測ることにした。長野県警は十一分掛かったと言うが、その確認である。

 市街地からホテルペルージュに向かう県道をそのまま進むと、ペルージュの裏山に出る。十五年前、この道を通った秋里署の刑事は「道は除雪されていた」と言っていたそうだが、そうは言っても冬の山道である。それほど猛スピードで突っ走ったということはないだろう。有馬慎吾は少し遅めの速度で進んだ。

 道はホテルペルージュの東側に横たわる山を迂回するように走っており、思ったより距離がある。幾つものカーブを曲がり、上り下りを経て、やがて有馬慎吾の運転する車はホテルペルージュの南に広がる裏山が見える場所に到着した。

 有馬慎吾が権藤一郎に掛かった時間を尋ねると、「十分十秒だ」という答えが返ってきた。ほぼ誤差範囲である。やはり計算が合わない。

 権藤一郎は「うー」という唸り声を発しながら、頭を抱えている。

「慎吾。一つだけ言えることは……、足跡は偽装だ」

 確かに、足跡は偽装であり、君原真紀が身代金を運び入れた時には、すでに誰かによって付けられていた可能性が高い。しかし……。

「十四号コテージは施錠されていたので、持っていた鍵でそれを開け、犯人の指示通り、中に赤いリュックと犯人から渡された携帯を置きました」

 君原真紀は、十四号コテージの錠を開け、身代金をそこに置いたと言っているのだ。君原真紀が十四号コテージを出る時、それまで担いでいた身代金を持っていなかったことは、二人の刑事が目撃している。その身代金は、いったいどこに消えたのだろう?

 有馬慎吾は、よくわからなくなってきた。保前正樹でなくても犯行は可能だということを証明するつもりが、保前正樹でも犯行は不可能だという答えを得てしまった。

「かえって問題が難しくなってしまったぞ」

 権藤一郎は頭を抱えている。

 有馬慎吾は車から降りて、県道の北側に広がるペルージュの裏山を見上げた。降り注ぐ陽射しを浴びて、枝葉がキラキラと光り輝いている。

「十五年前、ここで何が起きたのだ?」

 しばらくすると風が吹いてきた。重なり合った枝葉が風になびき、光と影が揺れ動く。山林はざわざわと音を立て始めた。ペルージュの裏山が、何かを語ろうとしている……、有馬慎吾にはそう思えたが、いくら耳を澄ませても、その言葉を聞き取ることは出来なかった。


 有馬慎吾と権藤一郎は、そのまま県道を直進することにした。しばらく行くと、道は片側二車線の道路に合流した。右に進むと秋里市の市街地に戻り、左に大きく曲がると、保前正樹が遺体で発見された賀谷地区を経て、違う町に行く。十五年前、警察は犯人が付けたと思われるタイヤ痕をこの辺りで見失っている。合流した片側二車線の道路は交通量も多く、溶けた雪によってタイヤ痕が消えてしまったようである。

「親父。ちょっと賀谷地区に寄って行っても良いか?」

「時間はまだあるから構わんが、山荘はもうないぞ」

「取り壊したのか?」

「オーナーがあの山荘は気持ち悪いと言って、新しいのに建て替えたそうだ」

「それでも構わない。とりあえず行ってみる」

 有馬慎吾はハンドルを大きく左に切った。そのまま十分ほど走り、細い道を左に曲がると、やがて賀谷地区の集落が見えてきた。

 目指す山荘は、その集落の奥に広がる山の中にあった。丸材を組み合わせた二階建てのログハウスで、玄関から横庭にかけて大きなウッドデッキが備えられている。前庭は広く、そこにSUVが一台とセダンが一台停まっていた。周囲に家はなく、完全に山の中である。

「保前正樹は、ここで死んでいたのか……」

「ああ、古い山荘の地下室でだ。この新しい山荘も古いのと同じ間取りだが、地下室は埋めてしまって、今はもうないと長野県警は言っていた」

「何部屋あるのだ?」

「二階に三部屋、一階はキッチンとダイニングとリビングが一続きになったLDKと、他には洋室が一部屋だ。古い山荘では、一階の洋室は書斎として使っていたらしいが、今はわからん」

 よく見ると、ウッドデッキにエアコンの室外機が三台、二階のベランダにも三台設置されている。しばらく山荘を眺めていると、裏庭の方から男が一人、姿を現した。

「慎吾。あれが、桂浩太郎だ」

 手に釣竿を持っている。職業は経営コンサルタント、普段は横浜に住むこの山荘の所有者である。どうやら山荘の前に車が停まっていることに気が付いたようだ。怪しい者が家の中の様子を探っているとでも思ったのだろうか、鋭い視線をこちらの方に向けてきた。少しするともう一人、男が姿を現した。

「慎吾。ちょっと話をしてくる。おまえはここで待っていてくれ」

 権藤一郎が車から降りた。二人に近寄り、軽く会釈して会話を交わしている。五分ほど話をすると車に戻って来た。

「何の話をしたんだ?」

「単なる世間話だ。渓流釣りが趣味で、シーズン中は、ほぼ毎週ここに通っているそうだ。今日も今から釣りに行くと言っていた。それだけだ」

「もう一人は誰なんだ?」

「桂浩太郎の友人で岩城と言っていた。松本で医者をやっているらしい」

 桂浩太郎と岩城と名乗る医者は、まだ二人が乗る車に視線を向けたままである。

「慎吾。これ以上ここにいても仕方がないから、そろそろ行かないか」

 権藤一郎が時計をチラッと見た。

 有馬慎吾は車を走らせて、来た道を戻ることにした。

 途中、権藤一郎が有馬慎吾に声を掛けてきた。

「慎吾。俺は今晩、ホテルペルージュに泊まることにする。ホテルに戻ったら十四号コテージを予約しておいてくれないか。もし空いていなかったら、おまえの部屋に泊めてくれ」

 有馬慎吾は了解し、秋里署の前で権藤一郎を降ろした。

 ホテルに戻った有馬慎吾がフロントに問い合わせると、幸い十四号コテージは空いており、すぐに予約が取れた。高坂早苗の姿は、相変わらずどこにも見当たらない。


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