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流れ星の見える夜  作者: 長栄堂
第九章 旭日荘の住人
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奇妙なヒント

 有馬慎吾はソファに座り、テーブルに足を投げ出して目を閉じた。

 静かな夜であったが、有馬慎吾の住む旭日荘の周りは少しざわついていた。長野県警と京都府警の刑事が、再び有馬慎吾の警護体制に入ったのである。

 旭日荘の斜め向かいの町家には、すでに朽木啓介ら三人の刑事が入った。三階の三十六号室には、京都府警の刑事一人と大津涼平が、高いところから人の動きを見張っている。管理人の大前順子にはまたかわら屋に移ってもらい、管理人室には立花清美たち二人の刑事が入って、息を凝らして周囲の様子を伺っている。

 しばらくは窮屈だが、それも仕方がない。いよいよ黒幕Xが動き出したのである。

「慎吾、気を付けろ。岩城至誠が京都に来た」

 大津涼平は、有馬慎吾の部屋に入って来るなり、そう言った。今日の捜査会議の内容は、メールで全て教えてもらったが、その後、会議では出なかった、二つの新たな情報が長野県警に入ったのである。

 一つは、岩城至誠が本郷裕子を探すという名目で京都にやって来たのである。宿泊場所は四条烏丸の六角堂ホテル、すでにチェックインは済ませたようである。ここは本郷裕子と岩城至誠の京都での定宿である。

 もう一つは、桂浩太郎が姿を消したという情報である。捜査会議の後、神奈川県警の捜査員が横浜の自宅を訪れたが、そこにはおらず、賀谷地区の山荘にも会社にもどこにも彼の姿が見当たらないと言う。会社の従業員の話では、桂浩太郎は一昨日から出社していないとのことである。


 いよいよ、黒幕Xが動き出した……。

 有馬慎吾は黙って考えた。黒幕Xは、岩城至誠で間違いがない。そして彼は、有馬慎吾の居所をとうとう突き止めたのだ。迂闊であった。ホテルペルージュの駐車場に停めていた車にGPSを取り付ければ、有馬慎吾のアパートの場所は、わかるのである。

「慎吾さん、車にGPSを付けてくれと言ったら、簡単に取り付けてくれたよ。この車がどこを走っているのか、京都府警は丸わかりだ。寄り道は出来んな」

 鬼車宗八のこの言葉がヒントをくれた。

 事件の関係者でそれが出来るのは……? 

 有馬慎吾が秋里市で接触した本郷裕子と桂浩太郎と白木初枝、それにチラッと車の中から見た岩城至誠の四人であり、このうち、身長が一六八センチから一七〇センチの範囲に入るのは、本郷裕子と岩城至誠の二人だけである。

 しかし本郷裕子は、有馬慎吾の車にGPSを取り付けてはいない。彼女が有馬慎吾の写真を持って山本春子を訪れたのは、八月の初旬、もう有馬慎吾が京都に帰った後である。彼女がGPSを取り付けたのであれば、その頃には有馬慎吾の居場所を知っていたはずでであり、それを知っているのに、有馬慎吾の写真を持って山本春子を訪れるという、いかにも怪しげな行動を取るはずがない。

 では、本郷裕子はなぜ姿を消したのだろうか? 有馬慎吾の頭がフル回転した。

 本郷裕子は姿を消したのではない。拉致されたのだ。

 何のために……? 有馬慎吾を殺害した後、本郷裕子を殺すためにである。

 岩城至誠の目的は、単に岩城総合病院が人手に渡るのを防ぎたいということだけではない。本郷重富の遺産を根こそぎ自分のものにしようとしているのだ。

 本郷裕子と結婚し、彼女に本郷重富の遺産を相続させ、その後、本郷裕子を殺害する。これが岩城至誠の元々の計画なのである。そのために、一番目障りな小川悟志を二十七年前に抹殺し、彼に君原流星という子供がいることがわかると、今度は君原流星を殺害しようとした。それが十五年前の君原流星誘拐事件である。

 ところが、君原流星が助かったことで、岩城至誠の計画は大きく狂った。仮に本郷裕子を殺害しても、君原流星が生きている限り、君原流星に全ての遺産を持っていかれるという彼の不安は消えない。岩城至誠は、必死になって君原流星の居場所を探したはずである。そして十五年後の今、有馬慎吾と名乗って生きる君原流星を見つけた。

 岩城至誠の狙いはただ一つ。有馬慎吾を殺害し、その後、本郷裕子を殺害することだ。彼は、小川悟志が生きていることに、未だに気が付いていない。

「馬鹿な男だ」と、有馬慎吾は苦々しく言い放った。


 それはともかく、いくつかわからないことがある。

 一つは、なぜ岩城至誠はヘロインの入ったビニール袋と桐箱に本郷裕子の指紋を付けたのだろう? 万一のことを考えて本郷裕子に濡れ衣を着せようとしたのかも知れないが、もし本郷裕子に容疑が掛かれば、彼女は本郷重富の財産を相続する資格を失うかも知れないのである。当然、岩城至誠にもその財産は渡らない。ひょっとすると……、二十七年前の時点では、岩城至誠はただ自分の病院が欲しかっただけで、本郷重富の財産を根こそぎ奪うというのは、もっと後から生まれて来たのかも知れない。

 もう一つわからないのは、岩城至誠が有馬慎吾の車にGPSを仕掛けたのであれば、彼はこのアパートを八月の初旬には見つけたはずである。なぜ、今まで行動に移さなかったのだろうか?

 有馬慎吾は、懸命に考えた。

「それは……、計画を練っていたのだ。自分には捜査が及ばない新たな殺害計画を……」

 どんな計画なのだろう?

「早苗が事故か自殺に見せ掛けて殺されたら、十五年前と同じだ」

 バー・モレロで聞いた片瀬正平の言葉が頭に浮かんだ。この犯人が知恵を絞るとすれば、それは一つしかない。それは……、新しいトリックを使った密室殺人……。

 黒幕Xは、自殺に見せ掛けるのに遺書は使わない。一目見て、他殺はあり得ないと皆が思う方法……、そう、密室である。それが黒幕Xにはふさわしい。

 では、どんな密室なのだろうか? ここまで考えて、有馬慎吾の思考は止まった。

「さっぱりわからん。情報が少なすぎる」

 わかることは、もう焼きばめ方式の窓は使わないだろうということくらいである。

 本郷裕子は、どこに監禁されているのだろう? 自宅、六本木のマンション、ホテルペルージュ、賀谷地区の山荘……、これらは警察がすでに調べている。密室の作り方がわからないと、その場所を想像することすら出来ない。それでも有馬慎吾は、必死で考えた。


 その時である。有馬慎吾のスマホの着信音が鳴った。『有馬。今、大丈夫か?』と言う永井守の声が聞こえた。有馬慎吾が「大丈夫」と答えると、永井守は、『明日の朝、大学に来られないか』と聞いてくる。

『そのう、密室のことなんだけど、もう一つ、作り方を思い付いて自分で作ってみたんだ。それを君に見せようと思って……』

「もう一つって、それはどんな方法なんですか?」

『言葉で説明するのは難しいな。ただ焼きばめ方式よりずっと簡単だ。形状記憶合金ってのを使えば良いんだ』

「形状記憶合金……?」

『そうだ。形状記憶合金だ』

 どこかで聞いたことのある名前である。しばらくぼうっと考えていたが、すぐに有馬慎吾の顔色が変わった。血の気が引いてくるのが自分でもわかる。形状記憶合金……。鬼車宗八が釣り船の上で何度も念を押すように、有馬慎吾に言ったある材料の名前である。

 黙って考えていると、『有馬。どうした? 大丈夫か?』という永井守の心配そうな声が聞こえてきた。有馬慎吾は我に帰り、「永井さん、悪い。ちょっと気になることがあって……。わかった。明日、午前九時に大学に顔を出す」と言って、電話を切った。


「慎吾さん。これは天秤と言って、形状記憶合金で出来ている」

「形状記憶合金だ」

「慎吾さん。形状記憶合金だ。覚えておけ」

 鬼車宗八の言葉が、頭の中をぐるぐると駆け巡った。彼は、形状記憶合金という材料を使えば、密室が作れるということを有馬慎吾にわからせようとしたのだろうか?

 そう言えば……、鬼車宗八は、何かもう一つ、唐突に言ってきたような気がする。

 それは何だったか……?

 有馬慎吾は、鬼車宗八と釣りに行った日の会話を懸命に思い出そうとした。

 午前二時に駐車場に行って、暗いうちに網野に着いて、それから船に乗って……。鬼車宗八が何かを言ってきたのは、それらの時ではない。船の上で仕掛けをセットしてもらっている時でも、釣りをしている時でもない。その後は、船を降りて、風呂に入り、食事をした。鬼車宗八が何かを言ってきたのは、その時でもない。

 それは……、有馬慎吾の頭がぼうっとしている時のこと、そう帰りの車の中である。

「慎吾さんの部屋には、いくつエアコンが付いてる?」

 唐突に、有馬慎吾の部屋のエアコンの数を聞いてきたのだ。有馬慎吾が正直に三つと答えると、自分の部屋も三つだと鬼車宗八が言って、それで会話は終わった。

 あれは、なんだったのだろう? エアコンの数が事件と関係するのだろうか? そもそも、彼は事件とは無関係のはずである。なぜ、事件の謎を解くヒントのようなものを有馬慎吾にささやくのだろうか?

 このまま考えているより、聞いた方が早い。有馬慎吾は外に出て二十三号室を覗いたが、鬼車宗八はまだ帰っていないようだ。有馬慎吾は、「宗八さん」と呼びながら、玄関をドンドンと叩いたが、返事はない。しばらく突っ立っていると、大津涼平がやって来た。

「どうした、慎吾。何かあったか?」

「いや、かわら屋の料理人に聞きたいことがあってな。まだ帰ってないようだから、今からかわら屋に行ってみる」

「そうか。なら、仕方ないな」

 大津涼平もかわら屋に付いて行くことになった。


「あら、有馬君。どうしたの? こんな遅くに……」

 女将の田口紗江が、驚いたような顔で有馬慎吾に声を掛けてきた。時計を見ると、もう午前零時を回っている。

「ちょっと宗八さんに聞きたいことがあるんだけど、中にいるかな?」

 有馬慎吾が聞くと、「宗八さんは、今日は休みよ」と田口紗江は言う。仕方がないのでアパートに戻ることにした。

「慎吾。どうした? 料理人がどうかしたのか?」

 二人で夜道をぶらぶら歩いていると、大津涼平が心配そうに聞いてきた。

「いや、なんでもない。それより、本郷裕子は、まだ見つからないのか?」

「慎吾、それはまだ無理だ。ただ山本春子が長野県警に電話を掛けてきて、情報提供してくれたらしい」

「山本春子が……?」

「それが九月二十六日の夕方、本郷裕子と渋谷で食事をしたらしい。その時の本郷裕子の様子がおかしかったと言うんだ」

「様子がおかしかった?」

「本郷裕子は、店に入って来た時からすごく眠いと言い、食事をしている時も意識がもうろうとしていたらしい。それで食事は早めに切り上げて、店の前で待機していたタクシーに乗せたと言っている」

 山本春子は、その後、心配になって何度も本郷裕子の携帯に電話したが、電話は繋がらず、翌日になって松本の自宅にも電話を掛けたようである。すると岩城至誠が電話に出て、本郷裕子は元気に京都に向かったというので、それで一度は安心したが、やはり本郷裕子から返信がないのはおかしいと思って、長野県警に連絡してきたようなのである。

「慎吾。本郷裕子は、やはり誰かに連れ去られたみたいだな」

「犯人はそのタクシーだ。特定は出来ないのか?」

「山本春子は、黒の個人タクシーだったと言っているが、ナンバーは覚えていない」

 そのタクシーは彼女をどこに連れ去ったのだろう? つらつら考えていると、やがてアパートが見えてきた。そこで大津涼平と別れ、有馬慎吾は自分の部屋に戻った。

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