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流れ星の見える夜  作者: 長栄堂
第八章 黒幕X
30/38

密室

「慎吾。元気にやってるか?」

 翌日の昼過ぎ、権藤一郎が旭日荘に顔を出した。もう九月も後半だというのに相変わらず汗だくである。今日も最寄りの駅から歩いてきたようである。

「親父。駅に着いたら電話しろよ。車で迎えに行くのに……」

「最近、運動不足でな。十五分くらいなら歩くのにちょうど良い」

「佳代子さんは大丈夫なのか?」

「ああ、順調に回復している。もうすぐ退院出来ると医者も言っていた。昨日、佳代子の妹が来てくれて、しばらく、付いてくれることになった。慎吾。心配するな」

「そうか。それなら良いが……」

 しばらくすると、朽木啓介もやって来た。

「捜査の方は、何か進展はありませんか?」

 大津涼平が朽木啓介に問い掛ける。

「中国での調査はてこずっているようだな。何せ件数が多くて照合に手間が掛かるみたいだ。気長に待つしかない」

「ハードディスクの復元は……?」

「涼平。それもまだ始まったばかりだ」

 いずれももう少し時間が必要なようである。

「それより、今日は密室の謎だ。有馬君、早速、見せてもらおうか」

 有馬慎吾は了解し、今から大学に行くと言って、四人を部屋から連れ出した。車で二十分ほど走ったところにある洛北大学に向かうのである。


「なあ慎吾。密室の謎って、そのう、なんて言うか、口では説明出来ないような、そんなにたいそうなものなのか?」

 助手席に座った大津涼平が聞いてくる。

「あの密室は、建物に仕掛けを施さないと出来ない。見てもらった方が早いと思うんだ」

「やはり、建物自体に仕掛けか……?」

「そうだ。犯人は建物に仕掛けを施している。それが俺の結論だ」

 大津涼平は、よくわからないという顔をしている。

「涼平。防犯カメラに写されずにセントレジデンスの八〇一号室に侵入する方法は一つしかない。まず何らかの方法で屋上まで上がり、そこから向かいの八〇二号室のベランダにロープか縄ばしごで降りて、八〇二号室を通って八〇一号室まで行く。これしかないんだ」

 大津涼平は、うんうんと頷きながら黙って聞いている。

「その時の問題は二つある。一つは、防犯カメラに写らずにどうやって屋上まで行き、どうやって屋上から逃走したのかという問題だ。もう一つは、施錠された八〇二号室にどうやって侵入し、どうやって元の状態に戻したのかという問題。この二つが解ければ、自動的に賀谷地区の山荘に作られた密室の謎も明らかとなる」

「それはそうなんだが……。それがわからないから困っているんだ」

「涼平。屋上まで行く方法はいろいろとある。例えば八階の八〇四号室と八〇六号室の住人なら、防犯カメラには写されずにロープを使って屋上まで行くことが出来るし、あらかじめ一階と二階の踊り場のはめ殺しの窓を外しておけば、外部の者でも階段を上がって屋上まで行くことが出来る」

「慎吾、八〇四号室と八〇六号室の住人は、あの時間、マンションにはいないし、アリバイもある。容疑から外しても良い」

「そうか。他には……、まず考えられないが、地上からロープで壁をよじ登るという方法もあるにはある。しかし、どの方法を取っても、八〇二号室の錠を開け、それを元の状態に戻すには、高坂早苗とマンションの管理人の協力が必要となる」

「しかし、片瀬正平にアリバイがある以上、高坂早苗も白と考えざるを得ない。彼女が片瀬正平以外の誰かと組むとは思えないからな」

「そうなんだ。俺にも高坂早苗が犯行に加担しているとは思えない。しかし……、となると、全ての可能性が消えてしまうんだ。でも現実問題として密室は存在する」

「だから、マンション自体に仕掛けを施したに違いない……、そう考えているのか。どんな仕掛けなんだ?」

「それを今から見せようとしてるんだ」


 有馬慎吾の運転する車は洛北大学に着いた。車を駐車場に停め、四人はキャンパスを歩いて目的地に向かった。

「有馬、遅かったな。待ってたぞ」

 何もない倉庫のような建物に入ると、背の高い、ひょろっとした男が四人を迎えてくれた。有馬慎吾の大学の先輩で、洛北大学准教授の永井守と彼は名乗った。

 目の前には、まるで住宅の壁の一部を切り取ってきたかのような、グレーのタイル調の塀が立っている。幅が二メートル、高さも二メートルの正方形で、中央の開口部には、コーナーが丸く弧を描き、全体にふっくらとした丸みを帯びた窓がはめ込まれている。高さ九十センチメートル、幅七十センチメートルのマンション・セントレジデンスで見たのと同じ、はめ殺しの窓である。

「これは、永井さんに頼んで作ってもらったんだ。これを使って今からある実験をやろうと思う。それを見れば、密室の謎がわかると思いますよ」

 挨拶もそこそこに、有馬慎吾が「早速、始めて下さい」と永井守に頼むと、朽木啓介が「ちょっと待ってくれ」と言って塀に近寄った。確認したいことがあるようだ。

 永井守は一歩後ろに下がり、「どうぞ」と言って朽木啓介と権藤一郎、大津涼平の三人を塀のそばに招き入れた。朽木啓介が、窓を指で叩くとコンコンと乾いた音がした。形が少し変わっているということ以外、何の変哲もない普通の窓である。

 三人は塀の裏側に回った。内装は施されておらず、構造材がむき出しになっている。塀の外周は柱と梁を模しているのか、小型のH型鋼で枠が組まれ、その中には等間隔で角形鋼管製の間柱が上下に走っている。中央付近の間柱は窓にぶち当たったところで上下とも切れ、そこには窓台と窓まぐさが水平方向に取り付けられている。

 窓台は窓の底部を固定し、窓まぐさは窓の上部を固定するための水平の板である。さらに窓まぐさと窓台の間には、窓幅に合わせて縦方向に二枚の板が間柱と平行に取り付けられ、この四枚の板で窓を取り付けるための開口部が形成されている。

「この開口部に窓の湾曲に合わせた金具を取り付けて、それにこのガラスの入った窓枠をネジで固定しています」

 永井守がざっくりと説明した。彼は、ここではガラスの周囲の枠のことを窓枠と呼ぶと言う。朽木啓介が窓枠を揺するが、頑丈に金具に固定されており、手で揺すったくらいではビクともしない。大津涼平が窓枠にメジャーを当てて、枠の幅を測った。

「三・五センチですね。マンションにもこの幅の窓枠が取り付けられていましたね」

「恐らく、大津さんが見られたマンションの窓は、犯人が取り付けたものだと思いますよ」

 何気なく言う永井守の言葉に、朽木啓介と大津涼平は驚いた。

「図面を見ると、正規の窓枠は幅も厚みも三センチです。恐らく大津さんが見られた窓にも、そのサイズの窓枠が元々は付いていたはずです。しかし、密室を作るには、窓枠の幅を少し大きくしないといけないのです」

「マンションの窓を全部ですか?」

 朽木啓介が、びっくりした顔で永井守に聞く。

「いえ、犯人が出入りする窓だけです」

 永井守は淡々と答えるが、朽木啓介の驚きは増すばかりである。永井守は、犯人は何か特別な仕掛けを施した窓を取り付け、そこから出入りしたと言うのである。この、叩いても揺すってもビクともしない窓からである。しかも、それはまだ犯人が取り付けたままの状態で放置され、もとの正規の窓に戻されていないとも永井守は言う。

「涼平。あのマンションのどの窓のサイズを測った?」

「確か……、八〇二号室の出窓の右側のはめ殺しの窓……。左側のはめ殺しの窓は、枠幅が三センチでした。それと、八〇一号室の窓も……」

 大津涼平が答えると、有馬慎吾も頷いた。

「それと、これなんですが……」

 永井守が窓枠の底部を指差した。朽木啓介が覗き込むと、枠の底から電気コードがぶら下がり、それがコンセントに繋がっている。どうも窓枠に電力を供給しているようである。

「これが密室を作るためのミソとも言える仕掛けです。実際の密室の壁の中にも、窓に電力を供給するためのコンセントが付けられていたはずですよ」

 朽木啓介が大津涼平に目で合図をすると、彼はすぐに建物から飛び出して行った。秋里署に確認の電話を入れに行ったのである。

 しばらくすると大津涼平が戻って来た。確認にしばらく時間が掛かるようである。

 少しイラっとする時間が流れるが、永井守は嫌な顔一つせず、待ってくれた。

 やがて十五分ほどして、大津涼平に電話が掛かってきた。

「セントレジデンスに行って窓枠のサイズを測ったら、八〇二号室の出窓の右側のはめ殺しの窓と、一階と二階の階段の踊り場の窓は、幅が三・五センチで、他は全て三センチだったようです。もっとも人が住んでいる部屋は測れていませんが……」

「壁の中のコンセントは?」

「八〇一号室の内装をはがした時の写真が秋里署にあって、確かに壁の中にはコンセントが付けられているそうです。なんでも結露防止用の窓を取り付けることもあるので、そのために壁の中にもコンセントを付けているとの説明だったようです」

「なるほどな」

 朽木啓介は納得した。どうやら永井守の言う通りのようである。


「では、始めてもよろしいでしょうか?」

 二人のやり取りが終わったのを見て、永井守が朽木啓介に声を掛けた。

 朽木啓介がうんと頷くと、永井守は「有馬、頼む」と有馬慎吾に何かを促した。いよいよ密室の謎解きのスタートである。有馬慎吾が外壁の方に回ったので、他の三人も有馬慎吾の後に続いて、外壁側に移動した。有馬慎吾は窓に近づき、外周部を覆っているカバーを外し、窓枠に取っ手のようなものを取り付けている。窓枠には取っ手を付けるための小さなネジが切られているようである。

「では、皆さん、少し下がって下さい。もう窓には触らないように……」

 永井守はそう言って、手に持っていた無線スイッチを窓に向かって押した。

 いったい、何が起こるのか? 三人の刑事は固唾を飲んで見守った。

「何も起こらんな」

 二分ほど経った頃、大津涼平が、どうしたんだという顔で有馬慎吾を見た。

「焦るな、涼平。もうちょっと待て」

 有馬慎吾が、大津涼平に向かって言う。

「有馬、そろそろ頼む」

 永井守が有馬慎吾にまた何かを促すと、有馬慎吾は再び窓に近づき、先ほど取り付けた取っ手を握った。よく見ると、いつの間にか、分厚い皮手袋をはめている。

「有馬、もう良いぞ」

 さらに三分ほどが経過した時、永井守が有馬慎吾に声を掛けた。有馬慎吾が握っている取っ手をゆっくりと手前に引っ張った。すると……。

「おおぉ……」

 朽木啓介と権藤一郎と大津涼平の三人が大きな声を上げ、それががらんとした建物の中で、こだまのように響いた。窓が外れたのである。

 なぜ? あれほど強固に取り付けてあった窓がなぜ外れたのか? 喚声を上げた三人であったが、今度は狐につままれたような顔になって、声が出なくなった。

「触るな、涼平」

 取り外した窓に近づいて手を出そうとした大津涼平に、有馬慎吾が大きな声で叫んだ。

「大やけどをするぞ」

「熱いのか、これ?」

「百二十度に加熱されている」

 有馬慎吾は窓を近くの作業台の上に寝かし、窓枠に冷却スプレーを掛けている。永井守も壁の開口部周辺にスプレーを掛け始めた。

「もう大丈夫だ。触っても良いですよ」

 十分に冷えたのを確認して、永井守が朽木啓介たちに声を掛けた。

 よく見ると、有馬慎吾が取り外したのは、窓枠の全てではない。ガラスが取り付けられた窓枠の内周部だけで、外周部は壁に固定されたままである。この窓枠は、外周部と内周部の二重構造になっているのである。

「これをもう一度、取り付けることは出来ますか?」

 権藤一郎が、有馬慎吾が取り外した窓を指差して、永井守に聞いた。

「このままでは出来ません。取り外した内枠の外周の方が、壁に付いている外枠の内周より大きいものですから……。しかし、先ほどと同じことをすれば出来ます。少し時間が掛かりますが、やりますか?」

 権藤一郎が「ぜひ」と言うと、永井守はまた無線スイッチを壁に向かって押した。

「有馬、取り付けてくれ」

 五分ほどが経った頃、永井守の声に促されて、有馬慎吾がまた皮手袋をはめて窓枠の取っ手を持ち、壁にぽっかりと開いた開口部に立て掛けた。慎重に位置合わせをしている。

 それからさらに五分ほどが経過すると、「有馬、もう大丈夫だ」と永井守が有馬慎吾に声を掛けた。有馬慎吾が手を離すと、永井守はまた窓枠に冷却スプレーを掛け、十分に冷えたのを確認して、窓をドンドンと叩いた。ビクともしない。

 朽木啓介も、有馬慎吾が取り付けた取っ手を持って窓を外そうとしたが、しっかりと壁に固定されており、とても外れそうにはない。

「これが密室の作り方か……」

「確かに少しだけ、重ね合わせた線が見えますな」

 権藤一郎が、窓枠の外周部と内周部の境界に、その枠が二重構造であることを示す細い線を見つけたが、「言われてその気になって見ないと、とてもわかるものじゃないですね」と朽木啓介は呆れたように言った。


「これは焼きばめと言いましてね、工場なんかでは大昔から使われている古い技術です。ただ有馬君から、この焼きばめを応用した二重構造の窓枠を作ってくれと言われた時には、参りましたね。窓に使うとなると、考えなきゃならない点がたくさんありましたから……」

 永井守は、この窓枠を試作するに当たっての苦労話を語り出した。

 焼きばめというのは、金属材料の接合方法の一つで、例えば穴の空いた部品Aに軸Bを挿入して、両者を強固に結合させたい場合などに使われる。

 この場合、常温では部品Aの穴の直径より軸Bの直径の方がわずかに大きいが、部品Aのみを加熱した状態では、膨張した部品Aの穴の直径の方が軸Bの直径より大きくなるように両者を加工しておく。

 すると、加工したままの状態では、軸Bは部品Aの穴の中には入らないが、ある温度まで部品Aを加熱すると、その穴に軸Bが入るようになる。

 そして、再び常温まで冷えると部品Aの穴は収縮し、部品Aによる軸Bへの圧縮力によって両者は強固に結合される。これが焼きばめという接合方法である。

 今回の窓枠で言うと、部品Aは壁に取り付けた外周枠、軸Bは有馬慎吾が取り外したガラスの付いた内周枠である。

「この壁に取り付けられた外周枠だけを加熱したということですか……?」

 権藤一郎が、不思議そうな顔をして窓を覗き込んだ。

「そうしたいところなんですが、取り外す時は外周枠と内周枠はぴったりと密着していますのでね、外周枠だけ加熱しても、熱が伝わって内周枠も温度は上がってしまうのです。ですから今回は材料を使い分けることで、焼きばめと焼き外しが出来るようにしました」

 永井守が言うには、熱による膨張と収縮の程度は、材料によって異なるらしい。そこで今回は、外周枠には、熱による膨張と収縮の大きいオーステナイト系ステンレス鋼という材料、内周枠には、ほとんど熱による膨張や収縮を起こさないインバー合金と呼ばれる特殊な材料を使ったようである。

 これだと常温から百二十度まで加熱すると、外周枠は、高さ方向で約一・六ミリメートル、幅方向で約一・二ミリメートル膨張するが、内周枠は、同じ温度に加熱してもその二十分の一程度しか膨張しない。

 従って、例えば、外周枠の内面を高さ九十センチメートル、幅七十センチメートルちょうどに仕上げ、内周枠の外面を高さ方向でそれより〇・八ミリメートル、幅方向で〇・六ミリメートル大きく加工しておけば、百二十度まで加熱すると、内周枠は余裕で外周枠の中に納まる。そして常温まで温度が下がると、十分に焼きばめが可能となるのである。

「その時の外周枠が内周枠を締め付ける力は、ざっと計算して四トン以上になります」

「四トン……?」という驚きの声があがった。

「それだと人間が手で外そうとしても無理ですわな」と、権藤一郎が感心したように言う。

「それだけの荷重が掛かっても内周枠は座屈したりはしません。それに耐えるだけの十分な強度を持っています」

 永井守は、落ち着いた声で冷静に言う。

「それで外枠の加熱はどのようにして……?」

 朽木啓介は、俄然、興味が湧いてきたようである。

「外周枠の中にヒーターを埋め込んでいます。場所による温度むらを避けるためにヒーターは六分割し、実際の温度を測定しながら、その六つのヒーターを別々にプログラム制御するようにしています」

「先ほどの無線スイッチは、そのプログラムをスタートさせるためのものだったのですね」

「そうです。ただ、いくら均等に加熱しても、冷却の際にはどうしても場所による温度むらが発生してしまいます。特に角が直角の窓だと、そこに歪みが集中して、ガラスが割れるかも知れませんね」

「だから犯人は、角を丸くして、全体にふっくらとした形状にしたのか……」

 朽木啓介は、目の前にある窓を見ながら、感心したようにつぶやいた。

「そのために意図的に丸みを持たせたのか、たまたま丸みを持った窓があったから、それをうまく利用したのかはわかりません。ただ、犯人は、角に歪みが集中するということを知っていたと思います」

 永井守は、あくまで冷静である。

「それと焼きばめという方法を窓枠に使うには、もう一つ、どうしても解決しなければいけない問題があります」

「それはどのような……」

「窓枠が建物に拘束されているという点です。これだと外周枠が膨張しようとしても、建物に邪魔をされて、それが出来ません。窓枠は座屈するし、当然、ガラスは割れます」

 朽木啓介は、もう一度、目の前にある窓を目を凝らしてじっと見た。確かに窓枠は金具にネジで固定され、その金具は壁の構造部材に密着するように取り付けられている。これでは、窓枠は金具や壁の構造部材に邪魔をされて膨張出来そうにない。

「これを解決するために、実は窓枠の再外周にセラミックファイバーで強化した厚さ五ミリの硬質ゴムを貼り付けています。それと、窓枠を金具に取り付けるネジも、実は金属製ではなく硬質ゴムを使っています」

 朽木啓介はもう一度、窓を覗き込んだ。金具にぴったりと窓枠が固定されているが、実はこの外周枠も一体物ではなく、外側は硬質のゴムで出来ているのだ。色合いが同じなので見た目にはゴムが貼り付けてあることには、全く気が付かない。

「これだと、外周枠の膨張をこのゴムが変形することで吸収してくれます。路面からの振動をタイヤで吸収するのと同じです」

「だから、窓枠は五ミリほど厚くなっているのですか……」

「そうです。このゴムの耐熱温度は三百度。しかも非常に硬いので、人が窓枠を揺すったくらいでは、ゴムが付いていることに気が付かないし、窓が外れることもありません。ただ建物の拘束には負けて、変形するように材質を工夫しています」

「そうですか。いや、よくわかりました。ところで先生、これと同じ物を作ってくれる研究機関って、日本にありますか?」

「私でも出来たくらいですから、お金さえ払えば、考えてくれるところも作ってくれるところも、いくらでもあると思いますよ。日本でなくても海外にもね」

 朽木啓介は永井守の答えに納得したのか、そこで質問を終えた。

「他に先生に聞いておくことは……?」

 権藤一郎と大津涼平に問い掛けるが、二人は黙って首を横に振っている。おおむね永井守の説明を理解したのか、それともまだあっけに取られて言葉が出ないのか、朽木啓介は、多分、後者だと思った。

「そうそう。それと……、言い忘れましたが、ガラスは割れやすいので、わずかな歪みも伝えることは出来ません。そのために、ガラスを取り付けるゴムには、軟質性のシリコンゴムを使っています。これだと耐熱性はあるし、高温でも歪みを十分に吸収してくれます」

 最後に永井守は、密室の再現のために、これと同じ窓を三つ作っていると言い、そこで彼の説明は終わった。


 四人は大学構内にあるカフェで一休みすることにした。

「しかし、びっくりしましたな。あんな方法があるとは……」

 権藤一郎は、まだ心ここにあらずである。朽木啓介も一人でぼうっと考えている。

 賀谷地区の山荘の密室は、二階の寝室と一階のリビングに付けられたはめ殺しの窓のいずれかを、この焼きばめ方式の窓枠に付け替えれば、作ることが出来る。

 マンション・セントレジデンスの密室は、一階と二階の階段の踊り場のはめ殺しの窓と八〇二号室のリビングのはめ殺しの窓を、焼きばめ方式の窓枠に付け替えれば、これも作ることが可能である。

 しかし窓枠の付け替えは、窓の内側からしか出来ない。この焼きばめ方式の窓枠を使って密室を作るには、事前に、いったん部屋の中に入らないといけないのである。

 それが出来るのは……、賀谷地区の山荘とセントレジデンス八〇二号室の合鍵を持っている者だけ……。

「だから君は、白木初枝と桂浩太郎、山路玄太の三人にも目を付けたのか?」

 朽木啓介が有馬慎吾に目を向けた。

「朽木さん。外から窓を破って部屋の中に強引に侵入すれば、窓枠の付け替えは可能だ。しかし俺は、この犯人はそんな強引なことはしていないと思う」

「ガラスの破片とか粉が部屋の中に飛び散るからな」

「そうです。ただ、その三人が密室を作ったのだと、決め付けているわけではない。三人以外でも密室を作るのは可能だ」

「それはわかっている。マンションの管理人室に入ることが出来る者なら、誰でも合鍵を作ることが出来るし、賀谷地区の山荘の合鍵だって、本郷裕子と岩城至誠なら、作るのは可能かも知れん。ただこの三人が、黒幕の片棒を担いでいるかも知れんという線も忘れてはいかんということだ」

 有馬慎吾も朽木啓介の言葉には納得である。

「朽木さん、関係者の身長を教えてくれないか?」

 有馬慎吾が、以前から気になっていたことを朽木啓介に聞いた。

「身長……? そうだな」

 朽木啓介が手帳を見ながら答える。関係者の身長は、本郷裕子と山路玄太は一六八センチ、岩城至誠は一七〇センチ、桂浩太郎は一七五センチ、白木初枝と山本春子は一六〇センチである。本郷裕子、岩城至誠、山路玄太の三人が黒幕の条件に該当する。

「さて、どうするか?」

 朽木啓介は、顎に手を当てて考えた。

 早川真理子を殺害した犯人が、密室を作るために焼きばめ方式の窓を使ったのかどうかは、すぐに確認出来る。一階と二階の階段の踊り場のはめ殺しの窓と八〇二号室のはめ殺しの窓を調べれば良いのだ。永井守の話では、犯人はまだ窓を元の正規のものに取り換えてはいないと言う。

 なぜ正規の窓に取り換えていないのかという問題も答えは簡単である。取り換えた後、犯人は、大きな窓枠を持ってマンション内を移動しなければならず、その姿が防犯カメラに写されるからである。少なくとも犯人は、密室の謎がばれるリスクより、窓枠を持ってウロウロする姿を防犯カメラに写されるリスクの方を恐れたのである。

 犯人は、焼きばめ方式という密室のトリックがばれても、そこから自分に辿り着くことはないと高を括っている。恐らく、海外の研究機関にでも依頼して、十五年前に作らせたものを使ったのであろう。朽木啓介は、なぜ有馬慎吾が、密室の謎が解けても犯人を捕まえることは出来ないと言ったのか、その真意をやっと理解することが出来た。

「有馬君。犯人がマンションに何かの痕跡を残してくれていれば良いのだが、君の言う通り、密室のトリックから犯人に辿り着くのは難しいかも知れない」

 有馬慎吾は黙って頷いた。

「今は君の仮説の裏を取ることに全力を尽くした方が良さそうだな」

 それが朽木啓介の出した結論だった。

「有馬君、どうした? 何か言いたいことがあるか?」

 朽木啓介が、もじもじする有馬慎吾に向かって聞いた。

「朽木さん。捜査方針について口を出すつもりはないが、一つ頼みがある。俺のアパートに張り付いている刑事を何とかしてくれないか?」

「何とかって?」

「もう勝手なことはしないから、刑事を引き上げさせてくれないか。どこに行くのにもべったりと張り付かれたら窮屈だし、申し訳がない」

 朽木啓介は、苦笑いを浮かべた。実は京都府警からも、いつまで有馬慎吾を見張るのかと苦情を言われているのである。

「京都府警からも、出来れば三十六号室だけにして欲しいと言われているんだ。三十六号室に刑事が一人常駐し、君の尾行はしない。それでどうだろう?」

 有馬慎吾は「申し訳ない」と頭を下げ、それで了解した。

「有馬君。どうした? まだ何かあるのか?」

 まだもじもじしている有馬慎吾を見て、朽木啓介が声を掛けた。

「朽木さん。二十七年前の岩城至誠の勤務先と、それから小川悟志と岡本奈津、それに……、君原夫妻の当時の住所を調べてもらえないだろうか?」

 朽木啓介は少し困った顔をした。今からやらなければいけないことが山ほどあり、手が足りないのである。それを見て権藤一郎が、「慎吾。それは俺がやろう」と言ってくれた。

「権藤さん、それは助かる。ところで有馬君……」

 最後に、有馬慎吾が岩城至誠に目を付けた理由を聞いてきたので、有馬慎吾は「今日中にメールで涼平に送る」と言い、朽木啓介はそれで了解した。

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