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流れ星の見える夜  作者: 長栄堂
第四章 三つの時計
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再びバー・モレロにて

 その日の夜、有馬慎吾は再び、バー・モレロに顔を出した。あの日以来、ホテルペルージュに高坂早苗の姿が見えないのが、気になって仕方がなかったのだ。

 店に入ると、相変わらず不愛想なマスターがカウンターの中に立ち、手を動かしている。カウンターの奥には、隣り合って二人の客が座っていた。

 手前に座っているのは、頭に白髪の混じった六十歳くらいの女性である。有馬慎吾が店に入って来たのを見て、その女性客はちょっと慌てたように、「じゃあ、私は、ぼちぼち、このあたりで帰ろうかね」と言って席を立った。ボトルをキープしているようで、マスターがそれを片付ける時に、『白木』と書かれたネームプレートが見えた。

 奥の席では、やはり六十歳前後と思われる男が静かに酒を飲んでいる。有馬慎吾が少し離れて席に着くと、その男がチラッと有馬慎吾を見た。

「あんた、この間、俺の別荘の前に車を停めて、中を覗いていた人じゃあないのか?」

 男が有馬慎吾に体を向けた。桂浩太郎である。どうやらあの時、運転席にいた有馬慎吾の顔も見たようである。

 有馬慎吾は驚き、「親父と車を走らせていたら、山の中に洒落た別荘があったんで見せてもらっていたんだ。覗いて悪かったな」と、取って付けたような嘘で誤魔化すと、桂浩太郎は、「そうか……」と言ってそれ以上は何も聞かない。また前を向いてグラスに口を付け、しばらくして、「じゃあ、俺もそろそろ帰るとするか」と言って、席を立った。


「あの二人はよくこの店に来るのか?」

 桂浩太郎が出て行った後、マスターに聞いてみたが、相変わらず何も答えない。有馬慎吾がぶすっとした顔をしていると、マスターは少し気にしたのか、「常連ではない。たまに来る程度だ。今日もばらばらに入って来たが、どうも二人は知り合いのようだ」と、今度は少し詳しく教えてくれた。

 二人ともこの店にはそぐわない客である。親子ほど歳の離れたこの無口なマスターと、どんな会話をするのだろうか? それともただ酒を飲むためだけに来ているのだろうか? 有馬慎吾は妙なことが気になったが、マスターに聞いても答えてはくれないだろう。話題を変えることにした。

「ところで早苗さんの姿が見えないんだが、彼女がどこにいるか、知らないか?」

 オーダーしたバーボンの水割りに口を付けながら、有馬慎吾がマスターに聞いた。

「彼女なら大丈夫だ。心配するな。それより何かわかったか?」

 有馬慎吾は、高坂早苗から連絡先を教えてもらっていない。何かあれば、この店のマスターに伝えてくれと言われている。とは言っても、調べた結果をこの不愛想なマスターに伝えるのは、少し抵抗があった。有馬慎吾が黙っていると、マスターは動かしている手を止め、少し困った顔をした。有馬慎吾は、高坂早苗でなければ話しをする気はないという顔をしている。やがて、根負けしたのか、マスターは一枚の名刺を差し出した。

「俺の名刺だ。もう調べはついているんだろう?」

 その名刺には『バー・モレロ 片瀬正平』と書かれている。

「やはり君が片瀬正平なのか……」

「俺の元の名前は保前雅也。美咲、いや早苗はあるところにかくまっている。誰があいつを狙っているか、わからないからなあ」

 片瀬正平は、おかしなことを言う。

「早苗さんを狙っている? どういう意味だ? 彼女に何かあったのか?」

「そうではない。そうではないが……、早苗が事故か自殺に見せ掛けて殺されたら、十五年前と同じだ。密室を作られて、凶器を横に置かれでもしたら……、それで早苗の容疑は確定だ」

 十五年前、密室の山荘で身代金と共に見つかったことで、保前正樹の容疑は確定した。今回も、もし高坂早苗が密室の中で凶器と共に事故か自殺に見せ掛けて殺されていたら、早川真理子殺害事件の捜査は、そこで終わっていただろう。犯人がそれをしなかったのは、ただそのチャンスがなかったからだけで、高坂早苗の容疑が晴れた今も、彼女の危険は去っていないと片瀬正平は考えているようだ。

「それで彼女を犯人から隠したのか?」

「事件の後、あいつは徹底的に警察にマークされていたから、ある意味、安心だった。しかし、今はそうでもない。だからあるところにかくまったんだ。場所は言えないが、この街のどこかにいる」

「だからホテルにも顔を出していないのか……」

 有馬慎吾は水割りを飲みながら、犯人に見つからないように、どこかで静かに隠れている高坂早苗の姿を思い浮かべた。

 誰かに命を狙われる……、有馬慎吾には、その恐怖が痛いほどわかる。彼自身が毎日、その恐怖と闘いながら生きているのだ。

「彼女も大変だな。メンタルは大丈夫なのか?」

 有馬慎吾が真面目な顔をして問い掛けると、片瀬正平は意外なことを口にした。

「有馬さん、あんたは、あいつをわかっていない。逆なんだ」

「逆? 何が逆なんだ?」

「あいつは自分が大変だなんて、そんなことはちっとも思っていない。ビビッてなんかいないし、極めて元気だ。逆に……、張り切って、自分がおとりになって犯人を誘い出そうとするんだ。有馬さんの誘いに乗ったのもそうだ。どこかに閉じ込めておかないと、とても危なっかしくて見ていられない」

 有馬慎吾は、口に含んだ水割りを吹き出しそうになった。確かに高坂早苗には、そういった妙に気の強いところがある。だから早川真理子が殺された後もマンション・セントレジデンスに住み続け、容疑が晴れ次第、すぐに仕事にも復帰した。そして有馬慎吾が現れると、その誘いに乗って、犯人かどうかを確かめようとした……?

「しかし……、ちょっと待てよ」

 有馬慎吾は、今の片瀬正平の言葉にちょっと引っ掛かるものを感じた。高坂早苗には、片瀬正平も持て余すような、そんな無茶っ気が確かにある。それは有馬慎吾も同感である。そんな彼女が、片瀬正平の目の届かないところで、おとなしく隠れているはずがない。

「そういうことか」

 片瀬正平、語るに落ちるである。

 有馬慎吾は席を立ち、店の奥にあるドアを勢いよく開けた。やはりこの店の奥には、人が住める小部屋がある。下駄箱を見ると、そこには女性用のシューズが納まっていた。

「やっぱり……」

 有馬慎吾が部屋の中を覗くと、そこには、腹を抱えて、げらげらと笑い転げる高坂早苗の姿があった。


「慎吾さん、勘が良いのね」

 高坂早苗が部屋から出て来て、有馬慎吾の隣に座った。

「ところで、頼んだ調査、何かわかった?」

 あっけらかんと彼女は言う。有馬慎吾は、あっけに取られながら、これまで調べたことを高坂早苗と片瀬正平に話すことにした。

 犯人はホテルサンロイヤル五一七号室で、君原真紀が着替えている間に身代金をすり替え、君原真紀の指紋の付いた現金をそこで手に入れたこと、十八号コテージを十四号コテージに偽装し、錠の付け替えをやって君原真紀に十八号コテージに身代金を運ばせ、彼女の指紋の付いた赤いリュックだけを回収したこと、立花清美と朽木啓介が見た十四号コテージに入った女性は、君原真紀に扮装した犯人であったこと、君原真紀に扮装したのは、十八号コテージに泊まった早川真理子の可能性が高いこと……等々、十四号コテージから身代金を背負ってペルージュの裏山を駆け降りたのでは、時間的に間に合わないことから考えた今の仮説を説明した。

「すごいじゃない、慎吾さん」

 高坂早苗は、感心している。

「今は防犯カメラの映像の解析をやっている。車両出入り口の防犯カメラだ。映像を改ざんした痕跡が見つかれば、警察も動かざるを得なくなる」

「もし映像に改ざんの痕跡がなければ、父も犯人の一味ということになるのね」

 高坂早苗は頭が良い。人知れず、保前正樹をホテルペルージュの外に運び出す方法を見つけない限り、ペルージュの裏山に足跡を残したのは、保前正樹という結論になる。それはとりもなおさず、保前正樹は、犯人グループの一員ということを意味するのである。

「そうではない。改ざんの痕跡を見つければ良いのだ。防犯カメラの映像が改ざんされていれば、保前正樹さんは犯人ではない。完全な被害者だ。必ずその痕跡を見つけて、次に賀谷地区の山荘に作られた密室の謎を解いてやる」

 高坂早苗は黙ってふんふんと頷き、それからしおらしく、「ありがとう」と言った。


「君たちは、十五年前の事件の後、ずっとこの秋里に住んでいるのか?」

 有馬慎吾は、高坂早苗と片瀬正平のことが気になった。

 高坂早苗は黙っている。代わって片瀬正平が、昔を思い出すように語り出した。

「あの事件の後、俺たちの生活は悲惨だった。親父が被疑者死亡のまま送検されると、一斉にマスコミが家に押し掛けて来た」

 店の灯りが、片瀬正平の顔に暗い影を落としている。彼はカウンターに両手をつき、少し苦し気な表情で話しを続けた。

 事件の後、保前正樹の家の前には多くのカメラと大勢の報道陣が張り付き、妻の保前春子からコメントを取ろうと大騒ぎしたらしい。雅也と美咲の二人の子供にも遠慮くなくマイクとカメラが向けられ、家に閉じこもると、玄関のチャイムと電話が鳴り響いた。

 マスコミが去ると、今度は落書きである。家の壁、玄関、いたるところにペンキで『流星君を返せ』『恥知らず』といった文字が殴り書きされた。何度消しても、いくら消しても、それは繰り返された。家の中にいることがわかると、誰かが石を投げ入れ、窓ガラスが割れた。電話の回線を切り、部屋を暗くして、三人で片寄せながら過ごす日が続いた。

 保前春子と雅也、美咲の三人が松本市の家を出たのは、雪深い信州にも春の気配が漂い出した三月の下旬である。保前春子は姓を旧姓の山本に戻し、親子三人で日本中を転々とする生活を選んだのだ。

 知らない土地に引っ越すと、しばらくは落ち着いて暮らすことが出来た。新しい学校ではすぐに友人も出来たし、近所には親切な人が大勢いた。しかし、どこに住んでも三か月もすると事件のことが知れ渡るようになり、掌を返すように、親子三人は世間から白い目で見られるようになった。露骨にこの町から出て行ってくれと言われたこともある。

 山本春子は家庭裁判所に申し立てを行い、山本雅也の名前を正平に変え、美咲を早苗に変えたが、それも大した効果はなかった。どこで調べて来るのか、誰かが事件のことを引っ張り出し、名前を変えたことで、三人はまたいわれのない誹謗中傷を受けた。

 正平と早苗の生活が落ち着いたのは、山本春子が、二人の子供を別々の親戚に養子に出し、親子三人が分かれて暮らすようになってからである。山本正平は、片瀬正平となって千葉の習志野に住んだ。山本早苗は高坂早苗となって横浜に住んだ。正平が高校一年、早苗が中学一年の時のことである。母親の山本春子のもとには、嫌がらせの電話やSNSへの書き込みがしばらくは続いたが、正平と早苗へのいじめはそれ以来、ピタッとなくなった。

 山本春子は東京の安アパートで、今も一人ひっそりと暮らしている。未だに二人の子供とは、決して会おうとはしない。

「あれから、もう十五年が経つ」

 高坂早苗は、勤めていた会社を一年前に辞め、ホテルペルージュに潜り込んだ。父親の無実の証拠を見つけるためである。それを知った片瀬正平も、仕事を辞めてこの秋里市に越してきた。バー・モレロの奥の小部屋に住みながら、高坂早苗を守ろうとしている。

「俺たちの望みはただ一つ。母親に会って、一緒に飯を食うことだ」

 最後に、片瀬正平は静かにそう締めくくった。


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