第三十六話 救えない男②
(エンマ視点)
第三者が見れば異様な光景であった。
ガラスで仕切られた大部屋の病室。
中には数十人の医者が床に倒れ、二部屋のベッドには同じ顔をした少女が二人横たわっている。
そこで、黒い大蛇に包まれた細身の男としわくちゃのTシャツを身にまとった青年が殴り合っている。
喧嘩という生易しいものではなく、それは殺し合いと言って差し支えないだろう。
だが、そこに付け加えておきたいのが戦っているのは人間と人間というありふれた組み合わせではなく、細身の男が神で、青年が人間ということだ。
二人はお互いの利益のために戦う。一方は死ぬための戦い、もう一方は救えなかった自分の愚かしさを発散するための八つ当たり。強いて言うなら、ベッドの上で横たわる少女への罪滅ぼしだ。
青年の拳が振り下ろした瞬間。神の手が極光に包まれる。
その瞬間、二人は光に飲まれ、その先に見える世界の片鱗を垣間見る。
ゴツゴツとそびえ立つ岩肌の山々、グツグツと煮えたぎる赤い海。紫色の空には、暗雲が立ち込め、その間を稲光が通過する。かと思えば、反対の空は黄金色の朝焼けのような輝きがあり、神々しい白い輪っかがいくつも見える。
――そこは煉獄。かつて存在した天国と地獄の狭間の世界。死後の世界の入り口世界。
そこに二人の男はやって来たのであった。
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「さぁ、ぶっ飛べッ! ……って、なんだ!? ここ!?」
神に殴りかかって、立花の仇討ち、罪滅ぼし、そんな思いも空振りに終わり、驚愕が勝ってしまう。
先程のガラスの大部屋とは違う世界。もはや室内でもない。
外である。通常の青い空や黒い夜空ではなく、紫色の空と黄金色の2つに分かれた世界はなんとも異様というか異質であった。
ここにくる直前に神の手のひらから白い極光が放たれていたのはわかる。
だが、それとこれに何の関係があるのか。
「まぁ、あそこは狭いからね。場所を移させて貰ったよ」
神は心を読んだかのようにこちらに手をひらひらと振り、自身に纏わりつく大蛇を撫でながら呟く。
「場所を移したって、ここはもはや人間のいる空間じゃないぞ……」
寒気がする。ただ、寒いのではない。身体が感じ取る気温の変化よるものではなく、身体の奥底。それこそ、魂と呼ばれるものが震えている。
この世界は生者の来るべきものではない。そう生存本能と失われた人間の野生の勘が訴えかける。
「あぁ、ここはそうだね。煉獄さ。人のいる場所じゃない。でも、広いほうが戦いやすいだろぉ? ――こんな風にね」
「――? あっぶな!?」
神による説明を聞きながら呆けている所に、大蛇の攻撃が飛んできた。既の所で身体を大きくよじって避けたがどんな攻撃かはわからなかった。
それは針のように鋭く、銃弾の様に素早い一撃。
射出された攻撃は地面に突き刺さり、その全容を露わにする。
長さは30センチほどの長さの細身の剣。
鈍い銀の輝きと細くしなやかな剣身は、柄こそ無いがレイピアという西洋の武器によく酷似していた。
それが、黒い大蛇の口から発射されたのだ。銃弾のようなインチキなスピードで。
「おいおいおいおいおい……。これじゃあ殴りの間合いに入れねぇじゃねぇかよ!?」
「――さぁ、どうする? エンマくん?」
神はその細い身体に見合った骨と皮付きの腕を広げて、黒い大蛇に指示をする。
大蛇は鎌首を構え、こちらにその鋭い視線を合わせて標準をセットする。
大蛇は目一杯に大口を開けてどういう理屈で出しているかわからないレイピアを射出する。
ヒュン、ヒュンと風を切り、二つのレイピアが銃弾のような速度で棒立ちするエンマの両方の頬を掠り、通り抜けてゆく。
向こうも確実に狙って撃ってきている。
今回はたまたま動かったから当たらなかったがそうでなければ今頃顔に突き刺さっていたところである。
――拳銃の弾は遅いと言われている。いや、違う。正確には弾を見切れる達人からしたら遅いというのが正しい。
そんな知識があっても、弾を見極められなければ意味がないのでここはさっさっとどうにかするために一手を繰り出さなければならない。
「オラッ!」
「どこを殴っているんだい? こんな序盤でもうボケたのかぁい?」
「ハッ! これは明確な反撃への一歩だってーの!!」
「――ほぅ」
エンマが殴った場所にはまるでガラスがあったかのように、空間に黒い亀裂が入っていた。そこにエンマは構わずに右腕を突っ込み、指の第一関節ほどの大きさの鏡を取り出す。
そして、それをコンタクトレンズの要領で両目に取り付けて神に対して、挑発をかます。
「――さぁ、これで神様の動きは読めるぜ」
「では、試してみよう」
ヒュンヒュンヒュン。今度は三本のレイピア。それが連続で射出される。
それを、わずかに身体を反らせるだけの最小限の動きで全てのレイピアを躱す。
エンマの後ろのゴツゴツとした地面にはいくつものレイピアが突き刺さっている。
ヒュンヒュンヒュンヒュン――。
数多のレイピアがより速度を上げ、拳銃の速度よりも速い速度であってもそれを躱し続けるエンマ。
それを見て神は一言。
「それは、もしかしてあれかい? 【八咫鏡】ってやつかい?」
「――なんで、知ってやがるんだ? って、神なら神器のことも知ってるのも理解できるな。なら、これもなんなのか知ってるだろう?」
「――【草薙の剣】。たしか、あのバカでかいヤマタノオロチちゃんの尻尾に隠しておいた剣だよね。懐かしいなぁ」
「……あんたやっぱり神様なんだな。なんか見直した」
「とか言いながら切りかかってくるのは矛盾の塊だねぇ」
エンマは先程、黒い亀裂から万物の動きを映し出す鏡、【八咫鏡】と同様の力を持つ【草薙の剣】を取り出して神に向かって上段から振り下ろすように斬りつける。
ガギンッ、と硬い者同士がぶつかったような鈍い音が響く。
【草薙の剣】の剣身と神に纏わりつく大蛇の黒光りする強靭な鱗とぶつかりあった音である。
「おいおい……、なんつう硬さだよ、その蛇はよぉ……」
「すごいだろう? 自慢の友達さ。で、エンマくん。君の攻撃はそんなものかい? まだ、その手品はたくさんあるんだろう?」
「当然!」
黒いこぶし大の亀裂から次々と大小様々な武器が出てくる。
そのどれもが殺傷能力のあるもの。そして、知名度のある神器と呼ばれる神の武具のレプリカであった。
――真紅の槍グングニル。雷槌のミョルニル。神の剣エクスカリバー。それらがエンマの身体の中空に浮かび、神器の矛先は神の首へと向けられていた。
あの大蛇がレイピアを射出する意趣返しだ。
「――いいねぇ! 僕の喉元に届き得るその殺意! その勇気! 素晴らしい! これは全力でお相手しなければならないねぇ」
神が不敵な笑みを浮かべ、黒い大蛇にそっと触れる。
大蛇に首が二つ、三つと引き裂けるチーズの様に次々に分裂していく。
一つの首が、二つに。二つの首が四つに。ねずみ算方式でどんどん増えてゆく。
その数、およそ千。
神話に出てくるヒュドラと呼ばれる多頭の蛇でもこんなに多く頭を持っていない。
密度が高く、その姿は揺れ動くいくつもの台風の様に見えた。
その全てがこちらに顔を向けて、大口を開けている。
攻撃は先程と変わらない。
だが、攻撃の密度と範囲は数段を飛び越え、数千段を越えている。
――つまり。
「こいつはちょっとまずいかもな……でもまぁ、」
「さぁ、どう出る? エンマくん?」
「――やるしかねぇ。ここで何もしないのは違う。このまま神器を撃ち放って一矢むくいてやらぁ!」
「――じゃあ、とりあえず。撃て」
千を超える大蛇の口から、一斉にレイピアが射出された。
死を連想させる銀の輝きの豪雨がエンマに襲いかかる。
「さぁ、来い!」
エンマも自らの拳で中空に浮かぶ神器を殴り飛ばして応戦する。
銀の豪雨。いや、嵐となったレイピアの弾幕とエンマの繰り出す神器が衝突し合う。
――破壊の衝撃が死後の世界の煉獄で爆ぜる。
激しく撒き散らす火花と閃光は眼を眩ます。だが、お互いに眼を逸らすことはない。
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラッ! ぶっ飛ばせッ!!」
千は百に減ろうとも、その勢いは止まらない。
レプリカであっても神器は神器。その威力は凄まじい。でも、止まらない。
質量はおおきな力となって、エンマが殴り飛ばす神器の数々を撃ち落とす。
「ォオオ! ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
血が口の端から垂れる。肺が潰れそうなほど息を吐いてその拳に全神経と全膂力を込め撃ち放ち続ける。
そして、その壮絶な破壊の嵐の先に見えた光景は――。
――レイピアに体中を突き刺され、膝を折る男の姿。
「見事。とでも言っておこう。君はよく頑張った。でも、残念。その神器は。その拳はまだ僕を殺し得ない。届かない。残念だ。」
跪くエンマは身体に穴が空き、その全てにレイピアが刺さっていようともその眼は決して、神から逸らさなかった。
気高く、力強い瞳。
自身を屑だと、だめな人間だと認めつつも絶対の悪を殺そうという殺意だけは血まみれで瀕死になろうと消えはしなかった。
「――やっぱり君たちエンマは僕を殺し得る可能性を持ってるね。素晴らしい」
そういい、地面に刺さるレイピアをエンマの身体に刺さっていない場所。
心の臓へと突き刺す神。
そして、神の意味の分からない称賛。それはエンマにとっては耳障りのものだったが、それが忌まわしくもエンマにとっての人生最後の光景となった。
エンマの身体と精神はその人生に大きなしこりを残して、後悔と一緒に意識は暗い闇の底へと落ちていった。




