第二十話 先代閻魔様はぶっ飛ばす (前編)
(エンマ視点です)
――困惑、疑念、後悔、悔恨、激怒、悲哀。それらは混ざりに混ざって混沌が胸の内をかき混ぜる。記憶が、思い出が頭を駆け巡る。
なんで、あの時【八薙神】の権能を使わなかった。――使えばわかっただろう。
なんで、その正体を確かめ無かった。――知りたくなかったからだろ。
そもそもだ。あのケルベロスが享受の神の記憶の残滓に反応して、朱華を噛んだように、あの先代も噛まれていた。
あれは、そういうことではないのか。先代が神であることの証明ではないのか。
神が擬態しているのか。神が先代なのか。それすらもうわからない。
降り注いでいる先代の拳の雨の中では、考えを纏める余裕なんて無い。
「ウラララララララララララララララッ」
「オラオラオラオラオラオラオラオラッ」
――俺は馬鹿だ。
妹を助けられず、無様に死後の世界を作り変え、息も絶えかけた俺を助けて、一人前の人間に、一丁前の閻魔に育ててくれた。
そんな第二の父――そして閻魔としての師匠、それが先代閻魔。だからこそ、信じたくはない。だが、信じる材料が揃った。揃ってしまった。だからこそ、俺は。俺は!
「――ウラララララッ! 拳に迷いがあるぞ!」
「何でそんな嘘をつくんだ! あんたが! あんたがあのクソ神なんて信じれるわけねぇだろっ! なんでだ? どこで? どうしてなんだよっ! くそジジィっ!!」
「――言ったはずだ。エンマ。お前は考える事は向いてねぇって。カカッ!」
「がはっ!?」
子供が駄々をこねるように癇癪を起こすように心の声を全部吐き出す。顔もぐちゃぐちゃだろう。だけど、俺はそれでも信じたくはなかったが、その心の隙間に拳は突き刺さる。
打ち返しきれない拳のそれぞれが俺の胸部、鳩尾、下腹部を正確に捉える。全身に力を込め、威力を抑える。抑えようとする。だが、それも意味はない。
肺の中の空気が無理やりに吐き出される。それは、次の攻撃を打つための呼吸ができなくなるということ。
そして、挙動がわかるくらいゆっくりと頭に打ち込まれる先代の洗練された神速の拳は俺の頭を正確に捉えようとする。
――矛盾している。そこで気づく。これは走馬灯のようなもの。殴られる直前、きっと俺はこのまま拳を頭に喰らうのだろう。
その刹那――いや、須臾の時間が俺に過去の記憶を想起させる。
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――いつも通りの喧嘩。振りかざされた拳の豪雨。それらを初めて打ち返し、一矢報いた時は嬉しかった。師匠と並ぶことが出来たとそう思えて心が震えた――。
――本来、閻魔という役職で死後の世界を管理する俺のいや俺たちの娯楽は喧嘩だった。
なんでも出てくる世界だ。なんでも出来る世界だ。
だが、そこには唯一欠けていたものが存在した。それは生者との人との交流である。
当然、死後の世界だ。死者はやってくる。だが、生者がやってくる事は稀。いや、先代はともかく俺は会ったことが無かった。
だからこそ、先代と俺は一緒の家で生活し、それぞれの悪口を言ったり、【閻魔】の仕事を学んだりと死後の世界での日常を謳歌していた。それは食べ物で得られない心の栄養が満さるものであった。
「――はっ! ほっ! どうだ? 師匠? いい感じか?」
拳を前に突き出す。前に前に。
――より速く。
――より素早く。
それは、師匠に近づくための師匠に並び立つための修行だ。
「いいじゃねぇの? ワシ、そういうの詳しい拳の振り方わからんが。カッカッカッ! じゃがのう――」
灰色の髪を逆撫でて、琥珀色の瞳はエンマの姿を映す。
「――ワシと並みに戦えるのならそれは“いい感じ”って言えるかもなぁ!」
カッカッカッと笑う師匠。それに釣られ俺も思わず笑った。大いに笑った。
他愛も無い日常。それはいつまでも続くそう馬鹿な俺は思っていた。
――終わりは唐突、いや、ここでも俺は気づけなかったのだ。
そもそも【閻魔】には寿命はない。病気も、老衰もだ。元々見た目が高齢の爺さんだった師匠――先代は老衰してから閻魔になったのかそこは詳しくは聞いていない。
だが、その老衰も寿命も死後の世界で死者を裁く役割の【閻魔】であれば存在しない。では、【閻魔】で無くなればどうなる? 【閻魔】の役職を自身ではない“誰か”に交代させればどうなるか。
「わりぃな。こんなジジィの看病なんてさせてよぉ、カカッ!」
布団の中で笑っているが爺さんは虫の息。身体もまともに動かない
――もう、長くはない。理由は単純。
俺に【閻魔】の役職を移行したため。正確には享受の神が俺に役職を与えたのだ。その時点で先代の【閻魔】の力は失われ始めていたのだろう。
そう気づいた頃にはもう先代は――。
「ジジイ! それ以上喋るな! もう、駄目なんだろ? なんでもっと早く言わなかった!? 俺が、俺が閻魔の役職を奪っちまったから! あの神、クソの享受の神が与えたから! それが原因なんだろ? ――だったら、こんな役職なんていらねぇ!」
「カカッ! ガキか、クソ弟子。まぁ、落ち着け。いいか、よく聞けよ? お前さんは妹の罪滅ぼしでこの世界を生きてんだろ? ごほごほっ、ぜぇぜぇ――」
閻魔の役職を失った存在はもはや死後の世界で形を保っているだけでも奇跡。それでも、魂が崩れそうでも先代は。師匠は。第二の父はそれでも俺を見てくれた。琥珀色の瞳は俺の眼をじっと見つめ、言葉をかける。
「だから、お前さんはそのまま閻魔を続けろ。――なぁ、エンマ」
「なんだ? もう遺言なんて聞かねぇぞ」
「カカッ! 死に体の人間に掛ける言葉じゃねぇのぉ!」
俺は涙を拭い、先代は笑う。お互いの強がりの言葉は先代の、今はもうエンマの家とかした居間で消える。
畳の硬さ。布団の柔らかさ。そして、近づく死の香り。
「ワシは死ぬ。じゃが、お前さんは死なないじゃろて。だから、腕を磨き続ければいつかはきっとワシと並びたつような喧嘩が出来るかもなぁ! カカッ!」
「――あぁ! ああ!! そうだな、ジジィ。俺は死なない。【閻魔】は、エンマは死なない。だから、またやろう喧嘩! なぁ! ……なぁ。また、喧嘩を。拳の振り方、教えて、くれよ。ください。頼むよ。お願いだ……」
その言葉はどこまで届いたのだろうか。先代の腕は力を無くし、だらりと畳に落ちる。その事実が信じられなくても何度も手を握る。
だがその手が握り返してくれる事は無かった。
《――っ!?》
――青い光の粒が俺を包む。。それは魂が具現化した元閻魔の身体が消えてゆく現象。悠久の時を生きた魂は浄化されることも、記憶の泉に入ることも、輪廻転生装置に入ることも無い。
ただ、無となって消えていくだけ。それは青い灯火のようにボッと燃えると、俺を優しく包んだ。それは、師匠が、先代が、死後の世界での父がしてくれなかった抱擁のような気がした。
いや、都合がいいいか。ただ、魂が俺の前で燃えて消えただけだ。だから、この涙もこの嗚咽の声も気のせいだ。全部、全部。気のせいだ。
死者を見送るための設備。工場のベルトコンベアのような装置は輪廻転生装置まで続いている。それは先代が作り上げ残した装置。
それは三途の川の向こう岸まで“人魂”を流すための唯一の役割をしていた。
それを完膚なきまでに壊す。先代の魂が向こうに行かないように。生まれ変わらないように。我ながら馬鹿なことだと思う。そんなことをしても師匠は。先代は帰ってこない。そもそも、魂は目の前で燃えた。そんな事実を認めたくなくて。
「――くそっ!」
もう、その悔しさをぶつけるもの設備は壊れている。それでも――。
「くそっ、くそっ! くっそぉおおおおおおおおおおお!」
俺の中のわだかまりは消えることは無かった――。
『――っー!』
それからは時間がゆっくりだったか。速くだったかよく覚えてない。
だけど事は覚えている。殴った。
「オラッ!」
また、殴った。
「オラオラッ!」
人魂を運ぶ装置も無い。俺がぶっ潰した。
なら、人魂はどうやって輪廻転生装置までいくのか。
「オラオラオラッ!」
俺が人魂を殴って向こうに渡らせるしか、無い。そう、馬鹿げた方法を信じてひたすらに殴り続けた。
「――オラオラオラオラオラオラオラオラッ!」
それは奇しくも俺の拳の腕を上達させることになった。
いつか来るはずのいや、来るはずもない師匠との喧嘩の為の腕が磨かれていった。
『エンマっー!?』
記憶の最中、誰かの声が聞こえていた。だが、それを気にしている暇がなかった。
なんだ。何なんだ。俺は一体何を。何を――。
「エンマっ!? 危ない!」
その言葉は朱華によるもの。
ゆっくりだった時間は元の戻り、走馬灯という体の俺の自己逃避は終わりを告げる。
そして、ゆっくりだった神速の拳は俺の頭を元の速度で正確に撃ち抜いた。
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ズキズキと痛む頭。死ぬことはない。だが、痛みもないわけでない。血も出ないわけでない。前回の忘れ物センターで行った娯楽の喧嘩とは違い、その拳には喧嘩では味わうことの出来ない殺意の意思が込められた本気の一撃。
俺は、頭を無理やり殴られる方向に回転させ、身体にも衝撃を逃がせるようにキリモミ回転の要領で吹っ飛んだ。それに効果があったかは定かではない。
「ごぼっ! げほっげほっ、はぁ……、はぁ……」
「やっぱり耐えたか。クソ弟子。くたばっちまったら向こうの渡り方がわかんねぇからのぉ。頑張りな――っと!」
「くっ!?」
転がったところにゆっくり近づいてきたと思ったら、急に速度を上げ俺の腹狙って槍のように鋭い蹴りが来る。
それを、全力で転がりながら躱す。蹴りが放たれた芝生は抉れて深さ1メートル程の穴ができ、消し飛んでいた。
――これが先代の本気。いや、享受の神の本気。力量差が有りすぎる。あの喧嘩のときは俺に合わせた力でぶん殴っていた。そういう事だろう。
なんとか立ち上がろうとする。だが、殴られた影響でまともに立ち上がれずに立て膝を着く。
その瞬間、近づかれた先代に首を捕まれ、俺の身体が宙に浮く。
抵抗しようとジタバタもがきにも身体に力が入らない。そしてそのまま、首を持ち上げられ
「カカッ! 弟子のそんな顔を見るのは悲しいのぉ」
「ぐっ……嘘をつけ! クソ神! 俺を騙して楽しいか?」
神が擬態しているのか、元々神で先代という皮を被っているだけなのかわからない。だが、言葉だけでも強がりをしないと心が折れそうだ。
「騙してはおらんよ。一部嘘を混ぜたがのぉ」
「――嘘? それって一体……」
「まぁ、それは後から来る子に聞くんじゃな」
「は?」
一体何を言って――。
「とりあえず、まぁ。ぶっ飛べ」
「ぇ? ちょっ、まじか!?」
首を上に持ち上げ、さらに宙に浮いた俺を三途の川の方向に投げ飛ばし、着水する直前に先代――神は神速の拳を放ち、殴り飛ばした。
――それは、俺が人魂を殴り飛ばす時のように高く、高く、打ち上げられた。
「――ガァッ!」
どんどん遠くなる。朱華もケルちゃんも、先代も。
「じゃあな。クソ弟子。いや、エンマ。愛してるぜ? なんてな。カカッ!」
「ふざけんじゃねぇーっ!」
三途の川を飛ぶ。それは人魂だけが経験することだと思ったが俺が飛ぶハメになるとは夢に思っていなかった。
俺はそのまま、ぶっ飛んだ。あの検証のときと同じように元の位置に戻るだけ。
そう考え、俺は空を飛び続ける。
――まだ、飛んでいる。
――まだまだ、飛んでいる。
「は? 元に戻らねぇ!? 一体どうなってやがる!?」
俺の叫びが聞こえたのか、それとも幻聴なのか。岸辺の方から快活な笑い声が聞こえた気がした。
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