第十六話 新たな名は新たな生を産む
「……き、気持ち悪い」 「……同感じゃ」
同時に放たれた言葉は憂いに満ちていた。エンマとお爺さんの表情は苦い虫を潰したかのように渋い。身体は、ベトベトでふたりともへたり込んでいる。
『いいですか? 喧嘩はよく有りません。私は元地獄の門番でありますから、こういう痴話喧嘩を止めるのも私の義務なのです。わかりましたか?』
「へいへい」「あいあい」
『返事は?』
「「――はい」」
頭から直接語りかけているような声はケルベロスのケルちゃん。《柴犬》の姿で二人に説教していた。時刻はあの夜の騒動から一夜明けていた。
ケルベロスは出てきたいときや出てこなければいけない時にその身体が入れ替わるそうで、首だけ入れ替わるのは非常時のみだそうだ。
ちなみに、嗅覚が鋭いのが秋田犬、言語が喋れて、権能が使えるのが現在の柴犬、最後のゴールデンレトリバーは身体の均衡を保っているそうだ。
なんでも、ケルベロスの中にある別々の魂が干渉しないように頑張っているらしい。なので、表に出てくることはそう無いらしい。あと、は可愛さが変動するだけか。
―一二人の喧嘩人達は昨夜から今朝までの間、ケルちゃんの権能で幽閉されていた。
権能【地獄の門番】。元々あった地獄、今はエンマが破壊して存在しないがそこではケルちゃんは門番として働いていたそうだ。
そこで、不届き者や不調法者がいると口の中にある亜空間に移動させて体中を圧迫させて、切り刻み、再生能力のある唾液で癒やして吐き出す拷問というかなりエグい事も兼任で担当していたらしい。
エンマとお爺さんがベトベトなのはそれが理由だ。
ただ、亜空間で体中を切り刻まれていたかどうかはお三方しか知らない。というより知らない方が良いのかも知れない。
二人はシャワーを浴びると言って居間から出ていった。
「覗くなよ?」
「覗くんじゃないぞ?」
「誰が覗くか!」
思わず突っ込んでしまった。――案外二人は反省していないし、仲良しなのかもしれない。
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二人は喧嘩していたというよりはじゃれ合いのようなものらしく、喧嘩でも無いらしい。いや、誰からどう見てもあの勢いでギャアギャアと言い合って殴ったり蹴ったりしてるのを見れば喧嘩に見えるだろう。
そんな事を考えていると、気になることを思い出した。そう言えば聞くに聞いてなかった事。
エンマとお爺さんがシャワーを浴びて戻ってきた時に質問を投げかけた。
とりあえず、エンマに聞いてみる。
「ところでエンマ様」
「ん? なんだ? あぁ! 安心しろ! ちゃんと名前なら決めたぞ?」
胸を張るエンマ。だが、聴きたいけども今はそれではない。
「あぁそれも大事だけど」
「大事だけど? ……お腹痛いんか?」
「いや、それでもなくて、その――そこにいるお爺さんって何者なのかなって?」
「――カカッ! そういや名乗ってなかったんか、ワシもエンマも! こりゃ失敬!」
「あ~、忘れてた。この爺さんはな――」
「待てぇい。ここはワシから話したほうが良かろうて」
エンマが言おうとしたところを手で制し、お爺さんは笑っていた。
――そう、このお爺さんの事を詳しくは知らない。ひとまずは自己紹介をして、それからだ。私の名前を決めてもらって新たな一歩を踏み出すのに、自分が知らないお爺さんがいるのはなんか違う気がする。
そう言うのははっきりしてないから不安になるのだ。エンマと仲がいいことはわかるけどもそれ以外はさっぱりである。
一度、咳払いをしてから、お爺さんは姿勢を正して私の目の前に立つ。
……物凄く身長がでかいというのが対峙してみての感想だ。
エンマも身長が高いが、それを上回る身長の高さだ。エンマが180ほどだと考えると、このお爺さんは2メートル近くはあるだろう。
ガタイはエンマのほうが大きいが、それでも身体から発せられる威圧感は凄まじいものだ。年季を感じる。そして、その特徴的な琥珀色の狼のように鋭い目が私を捉える。
「ええかの? では、改めて。ワシは先代閻魔。名を■■■という。ありゃ? ■■■。――ふぅむ。名前が古すぎて言葉に出きんな。まぁ、いいか。一先ず“先代”とか“お爺ちゃん”とか好きに呼ぶといいぞ。カカカッ!」
快活なお爺さん、もとい先代閻魔。名前を名乗った時、先代の口からでた言葉はこう何と言えばいいのだろうか。発音が良すぎて聞き取れない外国語のような感じであった。
先代がいつ生まれたかは分からないが私達が生きていた時代ではないことは確かであった。
――それにしても【閻魔】という役職は代々受け継がれるものだと聞いていたが、先代はこんな人なのかというのが印象だ。口の悪さ、すぐに拳で解決する所。エンマが師匠と呼ぶのもすごく納得した。
あのお爺さん、先代に教わればあんなに強くなるはずだ。
というより、人魂を殴るというのは罰当たりだとは思うのだが閻魔様という偉い立場やっているのでそこは何もいえないのはすごくずるい気がする。
職権乱用というものでは無いのだろうか。
「さて、ワシの自己紹介も済んだな。――ん? なんでジト目でエンマを睨んどるんじゃ?」
「ううん? なんでもないよ、お爺ちゃん」
「おぉ! お爺ちゃん! いい響きじゃのう……っていかいかん。孫ができたみたいで喜んでしもうたわ。――ほれ、次はエンマお前さんじゃ」
「いや、俺はしたし――痛てぇ!」
先代閻魔は首を振りながら、そう言うと、エンマの背中をバシッと叩く。思わず声を上げ、エンマはたたらを踏んで私の前に出てくる。少し、気まずそうに言の葉を切り出す。
「イテテテテ。あ~、なんだ。改めて、自己紹介すんのもあれだな。恥ずかしいというか照れくさいというか。いやそんな事はどうでもいいな。――自己紹介をさせて貰う前に言うことがある」
「――?」
「改めて、すまねぇ。この謝罪は二つの謝罪だ。俺はお前をあの神が化けているとなにかの罠だと思っていた。そして、俺はお前を【立花】ではない事を知っていた。だから名前も呼ばなかったが、咄嗟の時にはお前を【立花】と呼んでしまっていたんだ。それはお前を【立花】というオリジナルの存在と同一視していたことに他ならねぇ。本当に申し訳なかった」
「エンマ……、そんな謝ってくれなくていい。私はどう思われようともうクローンであることを認めているんだから」
これは私の本心である。私は私。オリジナルはオリジナル。姿、形は同じかもしれないがちゃんと別の存在である。そう割り切ったのだ。謝れられる筋合いは無い。
すると、エンマは深々と私に頭を下げた。それは心意に満ちた謝罪というより、恐らくエンマ自身も割り切りたいから頭を下げたのだと思う。
私はとても嬉しく思う。
そして、エンマはゆっくり頭を上げ、咳払いをした。そして、
「こほん。だからこそ、ここは本当の名前でお前、いやもうその名前は必要ないな。朱華。俺の名前は、エンマ。地獄の管理者、【閻魔】を司る。八薙エンマだ。改めてよろしく!」
――しゅか。それが私の新しい名前。身体にストンとなにかがハマったそんな音が聞こえた気がした。
「【朱華】。これは完全に当て字なんだがだが。“朱”は“種”という意味がある。んで、立花が花だから、新たな旅立ちで“種”から始まって、最後に“華”を咲かせる。って感じなんだが――っておい! なんで泣いてんだ!?」
「カカッ! 嬢ちゃんを泣かすとは中々罪深い男じゃなぁ!」
「笑ってる場合か爺さん! ティッシュかハンカチとか持って来てくれ!」
「師匠に指図するとは偉くなったもんよのぉ」
「そういうの後でいいから!」
「ほいほい~」
涙が止まらない、嗚咽混じりのしゃっくりもだ。声が、まともに出せない。
――朱華。しゅか。シュカ。これが私。自分の心の中で何度も反芻して繰り返す。私の新しい名前。嬉しい。感情がぐちゃぐちゃだ。きっと顔もぐちゃぐちゃだろう。鼻水も出てきた。ティッシュを先代から受け取って鼻をかむ。
チーン。ちょっと呼吸がマシになった。そして、喘ぐように空気を吸い込む。声はうまく出せないや。
「ひっぐ! わ゛た゛し。わたし゛は! ――うわああああぁああん!」
「おいおい! 落ち着け落ち着け。まだ、しゃっくり収まってないしもう少し落ち着いてから喋りな」
この優しさが私の感情を更に刺激した。私の涙袋は決壊したダムのように大放流を開始した。
「おうおう、こりゃ、落ち着くのも時間が掛かるのぉ」
「呑気だな! 爺さん!」
「カカッ! だって、ワシ部外者じゃろうて。呑気でいかせてもらうぜ?」
「あぁ! もう! 役に立たねぇ! どうどう。落ち着いたら自己紹介再開しような? な?」
「う゛ん゛。そうす゛る」
なんとか声を絞り出す。いや、声になっていただろうか? 案外心は俯瞰して冷静な感じがするが表面の私、朱華はワンワン泣き続けていた。
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――そして、しばらく経った後私は、エンマになだめられながら自己紹介を開始した。もう、泣いてないし、顔も呼吸も正常だ。目は真っ赤に腫れているだろうが。
息を吸い込む。何度も何度も。そして、とびっきりのいい声で私は自分を宣言する。私である存在証明を!
「私は朱華! 立花というオリジナルのクローン人間で今は新しい名前を貰ったこの世界で唯一の人間! そして、超・絶・美少女だ! よろしく! 八薙エンマ様! いや、エンマ!」
「あぁ、突っ込むところもあったが、改めてよろしくな朱華!」
そこで、初めて私はエンマと意思疎通が出来たと思う。お互いに向かい合い、握手を交わした。そこで、改めてエンマとの体格差を感じた。
私の頭の位置に丁度エンマの胸元があるのだ。そこはなんだが腹たったので背伸びをする。すると、エンマも背伸びをしる。
私が不満を口にすると和にかけてエンマも言い返した。ここでは平等で不毛な戦いが行われていた。
「――青春じゃのぉ」
『ですねぇ。あ、先代様。私も自己紹介に参加させていただいても?』
「カカッ! いいとは思うが今は止めておいたほうがいいじゃろうて。しばらく二人で喧嘩させとれ。これが世間をうまく渡る方法じゃろうて――それに、こういうのを見ると酒が美味くなるからのう」
『はぁ……、でも飲み過ぎは程々に』
「カカッ! 言われんでも分量はわかっとるわい! ぐびぃ」
私とエンマが背伸び戦争をしていると横でなにやらニヤニヤと話す声が聞こえるが、いちいち気にしない。だけど、エンマとこういう風に対等に喋れるとなんだか安心する。これまでは、壁が合ったような気がした、いや有ったのだろう。
私がおちょけても返してはくれるたがそこにはきっと【立花】という壁があったのだ。それが取り除かれた今、私は素のエンマと対等に喋れている。それはとても嬉しいことであった。
――ここからだ。
私は記憶のない少女。
ただの【私】から、記憶を始めた【朱華】として新たな生を死んでから始まるのだ。
以下は読み飛ばしていただいて構いません。
(ここで、小編、朱華の名前編が終わりです。一区切りです。今度からはもうちょっと話が進むんじゃ。新しい章まではもう少しかかったりかからなかったり。)




