8話:インフルエンザの流行
その後、9月になると米山夫妻は2人で透析治療の合間を見つけて、箱根、
湯河原、熱海の日帰り温泉に出かけるようになり、米山建男さんの顔に赤身が
さして元気になったような気がした。それにしても父が透析を始めて今迄よりも
仲が良くなったような気がして娘の種子は誇らしげに感じた。
その後も、2人で映画を見に行ったり、食事、買い物に行ったりしていた。
そうして11月、12月が過ぎて、クリスマスパーティも終わり、やがて
1987年が終わり、1988年を迎えた。この年は、近所でインフルエンザ
が流行して、最初に土志田和子がインフルエンザにかかり、遂に米山夫妻も
感染してしまい、米山建男が近くの総合病院に入院して透析とインフルエンザ
治療をする事になった。
なかなか熱が落ちずに困っていたが、3日目から熱が落ち始めて、念のために
7日間入院して、退院して自宅に帰ってきた。2月になってもインフルエンザ
の流行は衰えずに、家中で神経質なくらいにうがいと手洗いを励行していた。
そうして3月が過ぎ4月を過ぎる頃にはインフルエンザの流行も下火になって
きた。
そして米山夫妻の部屋に大型業務用の加湿器を購入して湿度が低くなるのを
抑えることにした。5月になると暖かくなり米山夫妻も近くを散歩するように
なった。庭に、大きな鯉のぼりが、なたなびき良い季節となった。夏を迎えると
、土志田勇の家族5人でサマーランドに出かけ、子供達は日焼けして帰ってくる
ようになった。
その後も、西武園に言ったり、奥多摩に行ったりして夏を満喫し、涼しくなり
9,10,11月の足早に過ぎて、12月を迎えて今年も盛大なクリスマス
パーティをして、やがて、1988年が去り、1989年を迎えた。今年は、
一番、年下の土志田二男が小学校に上がる年となった。今年の冬はインフルエンザ
対策に外から家に入る時は消毒用アルコールで手を消毒してうがいをして外出時
は必ずマスクを着用するようにしてインフルエンザ対策を取り、各部屋に加湿器
を入れて乾燥に注意して生活をしていた。
そのため今年の冬場の家族でインフルエンザ患者が1人も出なかった。
そして3月が過ぎ4月になり土志田二男が長男の一男と長女の和子と3人で
小学校へ通うようになった。4月に近くの桜の名所に土志田勇の家族5人で、
おにぎり持参で出かけて花見を楽しんだ。米山夫妻は家の近くの大きな桜の木を
散歩して見に行き、写真を撮って帰ってきた。
株の方では、1989年4月にトヨタ株を2400円で2万株4800万円で
売り、税引き後利益4100万円で残金が4251万円となった。
5月には、土志田勇の一家が西武園遊園地へピクニックへ出かけ歩き回って帰って
来た。夏は、サマーランドへ出かけて、めいっぱい遊んできて、家に帰り、
直ぐ寝た。米山夫妻は、暑いときには、部屋でエアコンを効かせて、体調管理に
気をつけていた。やがて9月、10月の快適な季節となった。
そして今年は11月に、しばらくぶりに八ヶ岳の麓までドライブして9人で
出かけて美しい紅葉を楽しんで夕方帰って来た。やがて12月が過ぎ1989年
が終わり1990年を迎えた。1月を迎えて、今年もインフルエンザに注意して
予防対策をして、生活をしていたが、土志田勇の次男の二男が小学校で
インフルエンザに感染した。そこで、米山夫妻が離れの部屋に避難して、
2週間して、二男が回復して、母屋に戻ってきて3月を迎え、4月になった。