5話:米山建男の透析開始
10月には出来て、まもない、東京ディズニランドへ1泊で出かけた。
一男はゴーカートを楽しんで、長女の和子は、夕方からのパレードを
食い入るような、まなざしで見ていたのが印象的だった。また、ショーや
歌も好きで見ていた。また、遊園地内の素敵なレストランに入り、昼食
するのが、楽しい様であり、おじいちゃんが盛んに孫の写真を撮っていた。
東京ディズニーランドの直営ホテルの5人家族用のファミリールームを
取り、おじいさんと、おばあちゃんツインルームをとって1泊した。
良い思い出と多くの写真を撮って、翌日に昼過ぎにディズニーランドを
出て、夕方、家に帰ってきた。そうして寒くなり11月下旬に八王子インター
チェンジから中央道を走り、韮崎で降りて、清里の近くの高原で真っ赤に
色づいた紅葉を見て、子供達もきれいだねと興奮していた。この時にも多く
の写真を撮り、夕方八王子に帰ってきた。そうして1984年が終わり
1985年を迎えた。
株の方では、1985年2月にトヨタ株を753円で2万株1506万円で
買い、残金が151万円となった。
1985年の3月に米山家の建男が近くの内科で透析をするように言われた。
そこで、3月10日、娘の土志田種子と夫の土志田勇がついていった。
先生に今後、週に3回、月曜、水曜、金曜で、朝8時半時から午後2時まで透析
と言われた。血液透析を行うには1分間に約200mlの血液をダイアライザー
に循環させる必要があります。
これだけの血液量を確保するための血管を作成する手術・内シャント作成手術
が必要で、そして内シャント手術後2週間ぐらいたってから使用することが
望ましい。そこで3月10日に内シャント手術して翌日退院して3月25日
から週に3回、月曜、水曜、金曜で、朝8時半時から午後2時まで透析を
開始すると言われた。
透析終了後、午後3時頃に自宅まで迎えに来てくれる事となった。
その後、米山建男は、手術へ運ばれていった。娘の土志田種子は憔悴して
しまった。そこで、外のソファーでも待っていてと勇が言い、診察室の外に出た。
すると、土志田勇が先生に65歳で、一般的に生存年数はどの位ですかと
聞くと、一概には言えませんが、10年足らず、統計では8~9年と言った。
73,74歳ですかと聞き返すと、これは統計上のデータで米山建男が、
そうだというわけではありませんのでご了解下さいと言ったのわかりました
と言った。しかし、この話は口外するまいと心に誓った。そうして家に
帰った。夜になり、勇は実の父、土志田恒夫に呼ばれて、今日の先生の話を
説明してくれと言われた。
そこで、週3回、朝9時から午後2時までの透析を3月25日から始める事。
病院で送り迎えしてくれる事。手術のリスクなど先生に言われたことを、
そのまま伝えた。以上ですというと、父が、おもむろに、どれ位、生きられる
のだと冷静に聞いてきたので、つい、8~9年と言った。
すると、そーか73から74歳かと、つぶやくような小さな声で言った。
その後、今年中に、母屋に、お前達、家族5人で住んで、俺たちが離れに
住むようにしようと言った。