4話:土志田家のリフォーム
やがて1982年となり部屋を暖かくして種子さん風邪を引かないように
注意した。3月、4月と暖かくなり5月17日に産婦人科に入院して5月19日
に次男の二男が誕生した。5月23日に家に戻ると長男の一男が赤ちゃんの
二男を笑って迎えてくれた。その後、土志田勇と種子が相談して、二男を近く
の保育園に預けることにした。
その後、仕事を休んで二男を保育園につれて行き、入園のための書類を書いて
提出した。そこの保育園は朝8時に迎えに来て、午後5時に送ってきてくれる
と話してくれた。数日後、入園の許可が下りて6月10日から保育園バスが迎え
に来ると、一男は泣くこともなく、バスの乗って保育園に向かった。
その後も毎日、保育園バスに乗って通った。夏、暑くなると、エアコンの部屋
で扇風機をつけて種子さんが赤ちゃんを大事そうにみていた。そうして、夏が
終わり、涼しくなり、慌ただしく1982年が過ぎていって1983年を迎えた。
1983年を迎えて、家を改修するのにいくらかかるか、近くに住む、
親戚の新井工務店の新井伸一社長に見積もってもらうと精一杯、頑張って、
母屋が1千万円、離れが500万円で合計1500万円だと言った。
そこで改修は住んで入間までだ丈夫かと言われ、梁や柱はいじらずに外回り
、サッシの取り替えであり、部屋を移って生活してもらえば、住んだまま出来る
と言ったのでお願いした。3月15日から5月迄には終わると言い、最初に
母屋から始めると言った。そうして、母屋の屋根を瓦を全て外し、職人4人
がかりで張り替えていった。
その後、各部屋のサッシをペア硝子に替えていき、一部、内装部分を塗り
直していった。50日で終了し、その後、子供、孫を母屋に移し、母屋が畳部屋
3つと洋間が2つとリビングキッチンの5LDKで7人でも十分に生活できた。
離れは畳も替えてサッシと屋根を替えて1983年5月30日に
全て終了した。
その後、梅雨が始まり、夏になり今年、大きなビニール子供用プールを買い
母屋の庭で子供達が水遊びが出来るようにした。3人でプールに入り、一男が
二男みてやり、和子は気持ちよさそうに水浴びをしていた。1時間くらい遊ぶと
、プールから出て3人で、お昼寝をした。二男もプール遊びが気に入った様で
、声を上げてはしゃいでいた。やがて、秋の気配がして10月を迎えた。
長男の一男も家の広い庭を走り回り、長女の和子もお兄ちゃんの後を
追いかけるように、走り回っていた。そうして11月、12月となり、
やがて1984年を迎えた。
株の方では、1984年1月にトヨタ株を1140円で1万6千株を
1824万円で売り、税引き後利益が1620万円となり、残金が34万円
と合計して1654万円となった。
父が家の車が車検を迎えるので、今度は8人乗れるハイエースを買おうと言い
1984年3月に大きなグレーのハイエースが自宅に納車された。早速、
4月の休みに朝早く7人でハイエースで山梨へ行き、桃の花と桜を見て回った。
勇の両親が孫との初ドライブを喜んで、孫達の多くの写真を撮った。
そうして、昼食をとって、夕方、家に帰ってきた。夏休みは、サマーランド
に出かけて水遊びをして、子供達は大はしゃぎで走り回り、帰る頃には、
車の振動でみんな寝てしまった。7月、8月の2回もサマーランドへ出かけた。