3話:土志田家に2人めの子
買い物も父が、車で買ってきて欲しい物を書くと、一緒に買ってきてくれる
様になった。そのため、種子さんも随分助かった。そして、今年もゴールデン
ウイークあけの5月7日から仕事に復帰した。今年は、小さい子が、人となり
、土志田家では大忙しの日が続いた。また、暑い夏が来て、夕立の日が増え、
9月、10月と忙しく、あっという間に12月となり、土志田家では祖父母を
入れて6人の大所帯と近所の伯父叔母、親戚が来て15人で盛大にクリスマス
パーティーを開いて1980年が終わり1981年を迎えた。
冬になり、もう1台、大きなファンヒーターを買った。そして、3月になり
、長女和子の1歳の誕生日を迎えた。この頃には和子は可愛い声で、よく笑う
子に育った。この子もお兄ちゃんの一男と同様に愛想の良い子だった。
その後も父の指令で勇が株の売買をした。
1981年5月にソニー株を2600円で売却した。そしてソニー株の
税引き後利益が870万円となり、残金52万円との合計922万円となった。
やがて梅雨には入り、それがあけて夏となり、相変わらず忙しい毎日を過ごして
いた。夏があけ、寒くなり始めた11月に、また種子さんが具合が悪いと
言いだし、今度は直接、産婦人科に行くと、おめでたといわれ、妊娠4ヶ月で
出産予定日が1982年5月19日と言われた。さすがに、またですかと言った。
家に帰ってきて、勇が仕事から帰ってきて、おめでとうというと、ちょと
不機嫌そうに、これから、また、大変だと言った。すると、義理の母の土志田
麗子が来て、ご苦労さん、大変だけれど、頑張ってね、私たちも全力で手伝う
からと言うと、種子さんの目に涙が浮かび、やがて、大粒の波がこぼれ落ち、
大泣きすると麗子さんが抱いて、気が済む真似泣きなさいと言ってくれた。
そうして数分後、泣き止んで何もなかったように動き出した。その後、種子
さんは、勇さんに、育児の指示を出すようになった。すると、長男の一郎が長女
の和子の面倒見たり、一緒に遊んだりしてくれるようになった。これには、
勇も種子さんも随分助けられた。そして一郎に偉いねと言い、頭をなでて
上げると喜んですすんで手伝いをしてくれるようになった。
そうして、また、恒例のクリスマスパーティーをしたとき、近くに住む、
親戚達が、これで土志田家も大きくなり、本当に良かったねと言うと、祖母の
土志田麗子が、本当に良かったと言い、大粒の涙を流し喜んだ。私は身体が弱く
て勇1人しか産めなかったので、本当にうれしいよと言うと種子さんが麗子さん
に抱き付いて2人で号泣した。
その後、土志田勇が種子さんに、子供が3人になり子育てが大変だから退職
したらと話すと、そうしますと言って、数日後、会社に退職願を提出してきた。
一方、土志田勇の株投資では、1982年1月にトヨタ株を555円で
1万6千株888万円で買い、残金が34万円となった。