アルコール
アルコール依存症の患者について書きました。
所長が私に「もう五円しか残っていない」と言われて、私は冗談だろうと思って笑ったら、はすっぱな女性が来て私を睨みつけ「人の不幸をよく笑えるね」と言って立ち去られた。
所長に詳しく聞いたら、預金通帳の残高が本当に五円になったと言うのだった。唖然としてしまった。
首から下げておられる亡くなった奥さまのネックレスを触りながら喋るのが所長の癖だった。
蒟蒻屋を営むかたわら、私塾もされておられると話されていた。
所長は父の事を知っておられて、私に「話したいからお父さんに伝えて」と頼まれたりもした。
奥さまを亡くされて精神状態が躁状態になられてしまっておられたのだった。
所長はまた隔離室に移動になった。
病院のお母さんは「いい人だけど、状態が悪いから仕方がないわね」と言われていた。
アルコール依存症の方々との朝のラジオ体操は続けていた。全てのアルコール依存症の患者さんが参加する訳では無かったが、印象として常識的な、程度が軽い患者さんが参加されているように感じた。
主治医の院長先生に、「アルコールの方たちとラジオ体操をしています」と言ったら、先生は「今のグループは団結してるのかな」と笑いながら仰られた。
母と同郷のアルコール依存症の患者さんがおられた。私たちはその事を知ると、話す時は方言で喋り、すぐに打ち解けた。
その方が書かれた酒歴を読んでくれ、と頼まれて私は原稿用紙ニ十枚以上ある酒歴を読んだ。
お酒を飲み始めたきっかけから始まり、最初は会社の付き合いでしか飲まなかったのが、毎日飲まなくては気が収まらなくなり、家族が崩壊してしまった事、地元の人たちからのけ者扱いを受けて孤立した事、断酒会に入ったけれど、また酒を飲んでしまってこの病院に入院する事になったと、人生を曝け出すかのように書かれていた。
その方が言うには、この入院は地元の断酒会の仲間の勧めで決めたとの事だった。退院する時にも仲間が迎えに来ると言われ、ご家族と縁が切れておられるのかな、と思ったが聞けなかった。
真面目そうで笑顔が優しい方だった。
背が高い男性は明るい方で、退職後にアルコールに溺れたと言われた。
奥さまが手作りの料理を差し入れされていた。
ある時、「文ちゃん、おいでおいで」と呼ばれて行くと、手に何かの軍艦巻きが入った容器を持たれていた。分からなくて聞いたら、あん肝だった。私は初めてあん肝を食べた。美味しさは分からなかった。珍味とはそんなものかも知れないと思った。
超大盛りご飯を食べ終えて、タッパーに用意されているご飯もおかわりされる、痩せた眼鏡をかけた中年の男性はいつもパンクなTシャツを着ておられた。息子さんの物だと話された。
市役所に勤められていて、父の講演を聞いたことがあられたみたいで、父の事を聞かれた。
パラグライダーが趣味だと言われて、「すごいですね」と本心から言った。
理容室を営んでおられるという中年の患者さんもおられた。お洒落なシャツをいつも着ておられて、苦手だという甘い物や果物を私に下さっていた。
同じくテーブルで食事をしている二人は穏やかで品がある方たちだった。
高校の先生は観察眼に優れておられた。生徒さん達を多く見てこられたからかな、と思った。
元弁護士の方は優しかった。私が好きな昔の俳優さんに似ておられた。
麻雀をする四人組は食事も同じテーブルで取られていた。醤油、マヨネーズ、ケチャップ、ソースなどが置かれてあった。
その内のメンバーの一人は病院の食事を嫌っておられて、お昼は病院の喫茶店で食べておられた。
リーダー格の男性は夜中にトイレで隠れて煙草を吸っておられた。
この四人組みは看護師さん達をバカにした態度を取られていた。
アルコール依存症の患者さんは最初の入院で済めば良いのだが、大抵再入院されていた。
そして病状が重くなって、肝臓や腎臓がやられたり、手の震えや身体のが収まらなくなったり、脳が萎縮する事から物忘れが激しくなって認知症になったり、不眠症になったり、うつ病を発症してしまう、と主治医の院長先生から聞かされていた。
主治医の院長先生は、それでもアルコール依存症の患者さんを救おうと尽力しておられた。
毎週私が熱心に陶芸に夢中になっている時間に断酒会の集まりは行われていた。OB、OGと現在入院中の患者さんと主治医の院長先生に、アルコール担当の看護師さんが三人で三時間以上も話されていたのだった。そこでどのような話がなされていたのかは分からない。親しくなったアルコールの患者さんにも聞けなかった。
精神疾患患者とアルコール依存症の患者の間には線引きがあるように感じていた。
アルコールにより脳が萎縮すると先生から聞いた時には驚きましたし、怖くなりました。
お読みくださり、ありがとうございます!