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楽しい部屋  作者: 竜胆
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疲れ

文の精神状態が落ち着いてきます。

所長と自称神さまが隔離室から大部屋に移動になられていた。お二人はお住まいが隣町だということもあり、所長は自称神さまの面倒を見ておられた。

所長は大らかな性格で社交的だったが、自称神さまは無表情でじっとしておられた。

私はお風呂から上がったら、病院のお母さんも交えて所長さんと自称神さまと、ソファーに座りお喋りを楽しんでいた。


所長は気まぐれに私に物を渡されるようになっていた。ある時、素敵なマグカップを二つ下さったのだが、病院のお母さんに見せたら、お母さんが作業所の休憩室で飲む用に他の方のと一緒に食器カゴの中に入れておられた物だった。お母さんは「見る目があるわね」と驚かれて、「文ちゃんにあげるわ」と言われた。薔薇の絵柄のと瓢箪柄の素敵なマグカップだった。

病院の周辺も徘徊されていて、「預かって。これは貴重なものだ」と濡れていて砂利も付いている薄い紙箱を渡されて、中身を見たら遺書なのか分からないが財産を細やかに書き記されたノートが入っていた。病院から十分ほどの所に川が流れていた。そこで拾われたのでは無いかと想像した。私はそれを預かるのは気持ちが悪くて、新聞紙にくるんで看護師詰め所に行き、華奢で可愛い看護師さんに事情を話して、濡れた紙箱を渡した。彼女も困っておられるようだった。

今度は、縄文式土器と西洋美術という分厚い二冊の本を持って来られて、また預かってくれ、と言われたが、私は看護師詰め所に本を持って行った。本は病院の所蔵本だった。

所長の目は血走っていた。


ある夜、もう就寝時間の十時近くに、自称神さまが部屋を訪ねて来られて、「文さん」と呼ばれたから、私は扉を開けた。自称神さまは私に飴が入った袋を差し出されて「愛しています!」と大声で言われて立ち去られた。私は唖然としておじいさんを見送っていた。

部屋の皆から、「何事?」「すごかったね」「愛してるって言ってたよね?」と言われた。


病院のお母さんが看護師さん数名に囲まれて叱られていた。

病院のお昼ごはんを食べずに、無断で外出して近くにあるお寿司屋さんで昼定食を食べて来られたのだった。

病院のお母さんと仲がいい初老の女性の看護助手さんが、すっかりしょげてしまわれたお母さんを労わるように「美味しかった?」と言いながら、お母さんの背中を撫でておられた。「美味しかった。病院の料理にはもう飽きたわ。変わらないんだもん」とお母さんは少し泣きながら話しておられた。

お母さんによると、『意見箱』に病院の献立を見直して欲しいと何度も書いて入れておられるとの事だった。

三十回以上入院しておられる上、作業をしに来られて毎日病院の食事を食べ続けておられ、献立に変化が無いのなら飽きるのは当然だと思った。

お母さんは病院のごはんは残して、部屋でインスタント食品を食べておられた。それくらい病院の食事に飽きておられた。

お母さんは顔馴染みの看護師さんや看護助手さんが居なくなってしまった事も嘆いておられた。知らない方々を怖がっておられた。そして入院患者さんの性質が変わった事も嫌がっておられた。

寂しがり屋な方だった。

離婚はしておられたがお相手の方は、お母さんを気遣って入院中にお母さんの好物を送られていた。

息子さん夫婦はお母さんが断っているのか面会に来られないけれど、看護師さんにお母さんへの差し入れを頼まれていた。

お母さんに「会われないのですか」と一緒にお風呂に浸かりながら聞いてみたが、「息子に負担をかけたく無いの」と言われた。

難しいな、と思った。


隣のベッドの女性は屋外での活動に参加して帰って来ると、無断で四階のお風呂に入ってから、ソファーに座ってソフトクリームを食べていた。

「文ちゃん、知ってる?アイスはね、アイスクリームとアイスミルクとラクトアイスに分けられてるのよ」と教えて下さった。

物知りな女性だった。百貨店の社員教育ってすごいな、と思った。


若い女性はたまに活動に参加するだけで、ほとんどベッドに寝転びスマホでゲームをしていた。

自傷の跡を目にする度に、どんな気持ちであんなに深い傷をつけたのか気になったが、聞けずにいた。

病院のお母さんから、彼女が小学生の時にご両親が離婚して、彼女と妹さんはお母さんに引き取られて育てられたのだが、そのお母さんが彼女が二十才の時に癌で他界したと聞いた。母方の親戚は他県にしかいない上、縁も薄いとお母さんは言っていた。

彼女が若いのに達観した目をしていて、老成して見えるのは、そのような事情からなのかも知れないと思った。


私は活動に参加する数を減らした。なんだか疲れを感じるようになって、歩くのもしなくなっていた。怠かった。

陶芸とアートと音楽鑑賞にだけ参加するようにした。


カウンセリングの時間に先生に「疲れています」と私が言うと、先生は「疲れを感じる事は大切な事なの。疲れない方がおかしいの。文さんは今まで疲れ知らずだったでしょう?やっと落ち着いた証拠ですよ」と言われた。「躁だったからですか?」と先生に尋ねたら、「その通りです。今まで動き回っていた疲れが一気に出るかも知れないから、疲れたな、と思ったら休むようにしてね」と言われた。「先生、二週間くらいすごく食べ吐きしていました。それも躁だったからですか」と尋ねると、「躁になるとね、自制心が効かなくなるの。我慢が出来なくなるの。今はしてないの?」と聞かれて、「吐いていません。ちゃんと食べています。でも食べる事は苦痛です」と正直な気持ちを話した。「美味しいって感じられない?」と聞かれて、「義務感で食べています。本当は食べたく無いです」と言った。「先生、妹から私は過食と拒食を繰り返してる、と言われたのですが、今の私は拒食なんですか?」と尋ねた。「そうね、拒食です。それでも文さんは残さずに食べているのよね。それはすごい事です」と先生は褒めて下さった。頑張って食べようと思った。

「言い残した事、聞き逃した事は無いですか」と先生が終わりの言葉を言われてカウンセリングの時間は終わった。


部屋に戻ってカウンセリングノートのまとめをして、私は『軽躁』が収まったのか、と思った。疲れを感じる事の重要性を知らされた。

躁状態の時は、主治医の院長先生が言っておられたように、ブレーキが効いていない状態です。自制心が無くなっています。イライラするから攻撃的にもなります。


お読みくださり、ありがとうございます!

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