大食
文は問題行動を取ります。
近くにもコンビニはあったが、私は朝早くに病院から歩いて十分ほどのコンビニにわざわざ行き、お菓子類を大量に買って病院に戻っていた。部屋に戻り、隠れてそれらのお菓子を食べては吐いていた。
朝九時から開店するお万十屋さんで万十の詰め合わせを買い、たこ焼きもその場で食べて病院に戻っていた。お万十を食べては吐いていた。
お昼ごはんを早食いして、病院が運営しているレストランのバイキングに行き、大量に食べて窒息するのでは無いかという位胃に詰め込みながら食べてすぐに吐いていた。
レストランは病院の作業所の一つで、精神保健福祉士さんがおられ、料理を作ったり運んだりするのは作業所で働く患者さんだった。指導員さんもおられた。
私がレストランに来ているという報告が病棟にあったようで、担当の看護師さんから詰め所に呼び出された。
「レストランに行っているそうですね」と彼に言われて「三日行きました」と私が言うと、彼は驚かれて「三日ですか。二日と報告がありました」と言われた。
主治医の院長先生も来られて、「美味しいのは分かるけど、もう行くのは禁止」と穏やかに言われた。私は恥ずかしくて身の置き所が無かった。
それでもコンビニでお菓子を買う事や、お万十を買いに行ってたこ焼きを食べてから吐く事はやめられなかった。
お万十屋さんのおばちゃんとは顔馴染みになり、お店の前に置かれているベンチに座ってたこ焼きを食べる私に「こんなにお万十どうするの?」と尋ねられた。私は「生け花を教えていて生徒さんにお出しするんです」と嘘をついた。変わった客だと思われているに違いないと思った。
ベッドの上にお菓子を広げて食べていたら、病院のお母さんから「文ちゃん、大丈夫?前にもお菓子をたくさん食べる子がいたけど、文ちゃんもなの?」と聞かれて、私は曖昧に笑ってみせた。
どうしても食べ吐きをしたくて仕方がなかった。
唐揚げ屋さんを見付けて、買ってはみたものの部屋で食べたらさすがに臭いがするな、と庭園にある東屋で食べたりもした。
朝コンビニでお菓子を大量に買って病院に戻ったら、前の方から看護師さんが歩いて来るのが見えて、私は慌てて着ていた上着を脱いでコンビニの袋にかけて隠した。そのまま部屋まで袋を隠したまま運んだ。
取り憑かれたように食べ吐きをしていた。焦燥感に駆られていた。
同室のメンバーには私の行為はバレていたが、見逃してくれていた。
カウンセリングの先生にも言えずにいた。
両親にももちろん話さなかった。
お金をトイレに流しているようなものだ、と思いながらも食べ物を買って来ては食べ吐きをしていた。味わって食べてなくて、飲み込みようにバクバクと食べていた。
病院のごはんも食べ吐きするようになっていた。
相変わらず生理は止まったままで、体重も四十キロあるかないかだった。
夕食を食べて吐くタイミングが取れずに、お風呂場の大きな排水口に吐いた。それから夕食の後はお風呂場で吐く事にしていたのだが、吐いている時に、はすっぱな女性がお風呂場に入って来られて、慌ててしまった。
彼女は「食べ物の臭いがする」とお風呂場中を見て回られた。私が吐いた食べ物の残りを見付けられて、「汚い」と言われた。
お風呂から上がって、看護師詰め所に行き看護師さんに「お風呂場で吐きました。すいません」と謝った。お風呂掃除をするのは、看護師さんか看護助手さんだった。
私と同じ年の男性の看護助手さんは優しく「大丈夫ですよ。もう気分は悪くないですか」と言われた。涙が出て来た。彼の優しい言葉が胸に響いた。
私の約二週間に及んだ食べ吐きは、彼の優しさで収まった。
焦燥感も無くなって、気持ちが落ち着いた。
病院のごはんもまたゆっくりと食べられるようになったが、食べる事に対する罪悪感や恐怖感はまだあった。義務感で食べていた。食事を楽しむ余裕は持てなかった。
小児喘息が酷くて小学生の時は東洋医学の病院にもかかっていて、厳しい食事制限を受けていて、食べたい物が食べられなかった。飢えていた。
一週間分の食べた物や食べた時間を書く紙を渡されていて、細やかに記入して診察時に先生に見せていた。
米は玄米、お砂糖や塩は精製されていないもの、調味料や油も指定されていた。肉類は全てダメだった。お魚は小魚のみで、野菜は根菜しか食べてはいけなかった。豆類を推奨された。
私は給食ではなく、母が工夫を凝らしたお弁当を持って小学校に通っていた。茶色いお弁当を嫌々ながら食べていた。恥ずかしくもあった。
中学生になって市内の学校にすすんで、初めてポテトチップスなどのスナック菓子やチョコレートを食べた。罪悪感があったが、美味しかった。
高校生になって一人暮らしをするようになってからは食生活は乱れた。年々太っていった事も気にしていた。そして食べ吐きもするようになった。
大学受験のストレス解消やダイエットが目的だったのに、大学に合格し痩せた後でも食べ吐きはやめられなかった。
食べたい時期に食事制限をされた事は、私の中で傷として残っていた。
食べ吐きを長年していると、脳の満腹感を感じる部分が麻痺するらしいと聞いて納得していた。『適量』が分からなくなっていた。
妹からは「過食と拒食を繰り返してる」とも指摘されていた。
食べるという命に関わる事が私には難しいのだった。
食べ吐きは小さな『死』だと、する度に感じていた。
摂食障害は今は治りました。特別な治療は何もしていないのですが。
書いていて当時の自分の行動を思い出すと、本当に困った患者だったなーと思います。スタッフの皆さんに感謝です。
お読みくださり、ありがとうございます!