ピンク
文は近隣外出が出来るようになりました。
六月に入って主治医の院長先生から近隣外出の許可が下りた。
朝はアルコール依存症の方がされていたラジオ体操に参加するようになった。バレリーナみたいな動きだね、と言われた。痩せているから体操出来ないと思ったよ、とも。
朝外に出たら、まず病院の近くにある神社にお参りをするようになった。病院のお母さんが信心深い方でその影響を受けた。境内には土俵もあった。神聖な空気が心地良かった。
それから病院の外周を歩いてから喫煙所に行き煙草をゆっくりと吸ってから病棟の部屋に戻っていた。
薔薇も咲いていたが、紫陽花が雨の後などとても綺麗だった。紫陽花はよく観察すると病院の敷地内のあちらこちらに植えられていて、かなり大きくて種類も豊富だった。携帯で写真を撮っては、アートの時間に花々の絵を水彩画だったり、色鉛筆で葉書に描いていた。母にその葉書で近況報告をしていた。
梅雨入りしても傘をさして歩こうと決めていた。私が歩いて回っている事は、病院スタッフさんや入院患者さん、デイケアの方、作業をしに来られる方にも知られていた。一日二回は三十分程歩いていた。
ある時、お財布や携帯も飲み物も何も持たずに知らない道を歩いていて、道に迷い私は低血糖を起こしたのか、フラフラ状態になった。なんとか病院まで辿り着いて、冷蔵庫に買って置いていたスポーツドリンクを飲んで生き返った思いをした事もあった。無鉄砲に歩いていた事をさすがに反省した。
隣のベッドの女性から、煙草の品揃えがすごい店を見つけたのという話を聞いて、私はその店に行ってみたくなり、地図を書いてもらった。
行ってみたら、古い店で老夫妻がしている何でも屋さんだった。駄菓子が売られ、日用品も売られていた。酒類も扱っておられた。
私はまず駄菓子コーナーで姪っ子がいまハマっているキャラクターグッズを手に取った。
そしてレジの後ろに並ぶ煙草に圧倒された。葉巻まで売ってあった。ピンク色のパッケージの煙草は薔薇の香りがすると説明されて一つ買った。父にあげようと葉巻も買った。意外に安かった。
ピンク色の煙草のシリーズは他にも二種類あって、どれもフレーバー煙草だった。それらも一つずつ買った。ニコチンやタールの量は多かった。
私が喫煙所で早速その煙草を吸っていたら、所長と茶目の彼が来て、私が「薔薇の香りの煙草だそうです」と、ピンク色の箱を見せたら、所長は「ピンク!」と叫ばれて、茶目の彼も「ピンク!」と声を上げ、私も「ピンク!」と言って、三人でしばらくピンク、ピンクと言って遊んだ。
部屋に戻って隣のベッドの女性に、「薔薇の香りの煙草がありました」と私が言ったら、彼女は買いに行かれて、「これだったら部屋で煙草を吸ってもバレない」と言われ、その夜に本当に部屋で煙草を吸われてしまった。部屋の天井近くの小さな窓は換気用に開けることが出来た。彼女はその窓を開けてベッドに立って、煙草を吸われていた。
病院のお母さん、若い女性、私は静観していた。
看護師詰め所のカウンターで、はすっぱな印象の女性が看護師さんに苦情を言われていた。その女性の部屋に新しく入った方が部屋でお香を焚くのをやめさせて欲しい、また洗濯物を洗濯機で洗わずに、お風呂場の大きな流しで洗って部屋で干すから臭いと苦情を訴えられていた。
アルコール依存症の背が高い男性患者さんも、その新しい患者さんが夜中に何語か分からないけど、携帯で話していて迷惑なんだ、と怒っておられた。
喫煙所でその女性と一緒になった。私よりだいぶ年上の方だった。ノーメイクでアジアンテイストの服装だった。話を聞いたらかなり遠くから来られた患者さんで、画家さんだった。私は興味を覚えて話をしたが、行動に落ち着きがなくて自分の事ばかりを話された。
大学在学中に中国に留学して、現地で中国人の画家と結婚したが、相手の方には現地妻が複数おられて、離婚してしまわれたが、現在アメリカで活躍している元夫と今も連絡を取り合っていると話された。女性は本も出版されていて借りたが、私は集中力が無くなっていたから読まないまま返した。強烈な印象を与える方だった。
はすっぱな女性の攻撃対象が私からその女性に向いて助かったと思った。
はすっぱな女性とも主治医の先生は同じだったから、彼女から私の悪口を言って回られました、と先生に言ったら、笑っておられた。
はすっぱな女性は、薬を大量服薬して入院したようで、息子はこんな母親でも許してくれるんだよね、としんみりと話したかと思えば、「バカにしないでよ」とキレられて気性の波が激しい女性だった。
入浴時間は夜八時までと決められていたが、彼女はその時間を過ぎて入浴していた。
病院のお母さんによると、「風呂場で煙草を吸っているんだよ」との事だった。お風呂場には大きな換気扇があった。
退院したアルコール依存症患者の初老の小柄な女性が、アルコール依存症患者の方々にお菓子を持って来られた。マンゴープリンだった。はすっぱな女性はそのプリンの箱を見て、材料に洋酒が使われていたから、看護師さんに「酒が入ってるじゃん、ダメだよね」と一人で大騒ぎをされて、結局マンゴープリンは回収されてしまったのだった。
退院した初老のアルコール依存症患者さんといつも一緒におられたアルコール依存症患者の中年のほっそりとした女性は、上品で立ち振る舞いも美しかった。高級旅館の女将さんだった。有名な旅館で離れにいつか泊まりたいね、と両親と話していた旅館だった。
大学生の息子さんと娘さんがおられた。息子さんは首都圏の大学だったから、お見舞いに来られなかったけれど、地元の国立大学の一年生の娘さんがお見舞いに来られた時は、娘さんの可愛さもあって病棟が華やぐように感じた。
父は仕事の帰りに面会に来てくれていた。出張の帰りには現地のお菓子を買って来てくれていた。
買った葉巻を渡すと喜んでいた。
母は肥料を仕入れたいと言われた、庭園管理の男性から注文を受ける度に、病院に肥料を持って来て、私を見舞ってくれていた。
「外出か試験外泊をしないの?」と言われて、「考えておくね」と私は先延ばしにしていた。
年金の申請をした事については、「貰えたらラッキーという気持ちで余り期待はしない方がいいわよ」と言っていた。
梅雨入りが近くなっていた。
煙草は、敷地内禁止でした。
三回目の入院時は、アルコール依存症の患者さんが多かったです。
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