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楽しい部屋  作者: 竜胆
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年金

文は精神障害者年金の申請をします。

「誰か音に敏感な人がいるの?」と隣のベッドの方から言われて、「私です。音楽を消しました。無断ですいません」と他の同室者のメンバーにも謝った。

病院のお母さんは「気付いて無かったわ」と言われて、若い女性は「私はいつもイヤフォンをしてゲームしてるから気にしてない」と言った。隣のベッドの女性も「目覚ましにしていただけだから、気にしてないわ」と言ってくれてホッとした。

私は音がダメになっていた。耳栓を常に持ち歩いて、音に耐えられなくなった時には耳栓をするようにしていた。

夜、食堂で麻雀をするアルコール依存症患者さんのグループがおられた。牌を混ぜる音や話し声が耐えられなかった。食堂に用がある時には、必ず耳栓をしていた。

話し掛けられても反応しない私に、私が耳栓をしている事に気付かれて、『おかしな女』と思われたようだった。

音と戦っていた。


病院のお母さんは洗濯をして、洗濯物を干しに四階の干し場に行くのも苦労なされていた。私は階段を登る時には腕を組んでお母さんの体を支えながら登り、歩く時は手を繋いで、また階段を降りる時も腕を組んでお母さんの身体を支えながらゆっくりと降りた。

「文ちゃん、ありがとうね」とバスに乗って買い物に行かれて、商店街で買ったという動物の形をした回転焼きをわざわざ買って来て下さったりした。中身はカスタードとチョコレートが入っていて美味しかった。


若い彼女は年齢の割に達観していて、物の見方が冷静でクールだった。落ち着いていた。妹さんも若いのに落ち着いていた。物腰も低くて丁寧な話ぶりをされた。

彼女に驚かされたのは、紅茶の1.5リットルのペットボトルをそのままラッパ飲みする事だった。可愛いワンピース姿で豪快だった。

ある時、看護師詰め所のカウンターに『忘れ物です』と、女性物のフリフリの下着がそのまま置かれていた事があった。

彼女はその下着の上下セットを掴んでダッシュして部屋に走って行った。彼女が慌てている姿を見たのはその時だけだった。


隣のベッドの女性は自転車を乗り回して遠くまで行って、好き勝手し放題の状態だった。

すでに入院して三ヶ月が経っておられた。

私に「文ちゃん、私、気持ちが上がってるみたい。落ち着く薬を貰って来るね」と精神安定剤を貰いに行かれていて、お母さんが「自覚があるなら大丈夫だね」と言われ、若い女性も頷き、私も安心していた。しかし、後になって知ったのだが、『躁』になっている時にその薬を飲むと、自制心が緩くなるんですよ、と私の主治医の院長先生から教えられたのだった。。。

彼女はご家族の為にも早く良くなろうという気持ちは持っておられたが、病状が『躁』になってしまって、自制心が全く効かない状態に陥っておられた。

「長くここにいるとね、退院した人がまた入院して来たりするが分かるの。私はもう入院したくないわ」と上ずった声で私に話されていた。


私は三人のフェイシャルエステをしてあげていた。それぞれが持っておられる化粧品を用いてしていた。病院のお母さんは「極楽よ、文ちゃん」と言われ、若い女性からは美容相談を受けた。隣のベッドの女性からは「身体のエステもして欲しい。痩せたいの」と言われて全身のリンパドレナージュをしてあげていた。

楽しかった。私は楽しんでエステを行なっていた。

活動が無い時間はエステをして過ごしていた。


嫌な人が誰も居ない皆仲がいい部屋だった。


カウンセリングの時間に先生に「個室ばかりでしたから、最初は不安でしたが四人部屋にして良かったです。人との触れ合いがあります」と言った。先生はにこやかに笑っておられた。「挑戦してみてうまく行くと達成感がありますね」と私が言うと、「そうなの。小さな達成感は大事なのです」と仰られた。


主治医の先生からはまだ近隣外出の許可は下りていなかった。


喫煙所で所長と茶目の彼と話していたら、精神障害者年金を私が貰っていないと話したら、「申請した方がいいよ」と言われた。所長は障害者二級だと言われた。茶目の彼は一級だと言ったから、所長は「それはすごいぞ」と一人興奮しておられた。

病院のお母さんも若い女性も年金を貰われていた。


私は無職だったし、お金について不安を抱えていた。音がダメになって、少し対人恐怖症にもなっており、出来る仕事が自分が住む町では見つけられないと思っていた。スキルも持っていなかった。変なプライドだけはあって、ハローワークに行っても就きたい仕事は無かった。

もしも年金が貰えるのなら、働かなくていいという打算があった。


私は担当のクールなワーカーさんに、「年金の申請をしたいです」と申し出た。

それから彼と私はややこしい手のかかる手続きをする事になった。

主治医の院長先生からは、「うつで年金は出るかなぁ」と皮肉気に言われた。


主治医の院長先生が書かれる診断書、初めてかかった病院の診断書、そしてワーカーさんが[病歴・就労状況等申立書]という二枚綴りのA3の大きな用紙を出されて、私自身が記入しなくてはならないし、この書類が重要なんです、と言われた。


傷病名にうつ病、摂食障害と書いた。

発病日は、ワーカーさんと相談して、食べ吐きを始めた高校生の時の年月日を書いた。

初診日は初めてかかった病院に連絡を取って教えて貰った。


後の項目は、受診した医療機関名と期間を書き、発病したときの状態と発病から初診までの状況を私なりに書いた。


初めてかかった病院でどうだったか。次に友達に勧められて行った病院はどうだったか、そして今の病院に三回入院していて病状はどうなったのかを書いたけれど、ワーカーさんから「耳栓なしで生活出来なくなりました、は要らないでしょう。確かに文さんは『過敏症』ですが。文章の書き方も変えないといけません」と言われて、彼のアドバイスに従って書き直した。過敏症って何だろう、と思った。

彼のアドバイスは丁寧で分かりやすかった。頼りになるな、と思った。

彼は私が初めてかかった他県の精神科病院と二回目にかかった精神科病院の診断書を取り寄せる作業もしてくれた。彼は精力的に働いていた。


それぞれの病院から診断書が届いて、私は主治医の先生からそれらの診断書を見せて貰った。

初めてかかった病院の先生とは違う名前の先生が診断書を書かれていた。お辞めになったのかな、と思った。小さい字で私の事を細やかに書かれていた。最後に本人も摂食障害を治そうとする意思を示している、と書かれていて、苦手だった女医さんが私をそのように見て下さっていたんだ、と感謝の気持ちが湧いた。

友達に勧められて行った病院には、二回しか行っていなかったのに、やはり小さな字で私の事を書いてあった。

主治医の院長先生はとにかく忙しい方なのに、私の為に年金を申請する特別な診断書を作成して下さっていた。

項目が多岐に渡っていた。

『話すのが遅い』『無表情』『動作が非常にゆっくりとしている』と先生が自筆で書かれていて可笑しかった。先生から見た私はそうなのか、と思った。

年金の申請を終えるまでに約二週間かかった。五月中に終わってホッとした。



ワーカーさんには大変お世話になりました。昨年病院を辞めてしまわれました。また違う病院で精神保健福祉士としてバリバリ働かれていると思います。


お読みくださり、ありがとうございます!

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