弱さ
すいません、約4年も続きを書かないままにしておりました。。。
昨年11月から約9年ぶりに6度目の入院をし、「不思議な部屋」シリーズをまた書きたくなりました。
3回目の入院生活を書いた「楽しい部屋」をまずは完結することを目標にして書いていけたらいいな、と思っています。
どうぞよろしくお願いしますm(_ _)m
朝早く目覚めて早朝の空気を吸いたくても、残念ながらエレベーターの施錠を深夜帯勤務の看護師さんもしくは看護助手さんが解錠をしてくれるのを待たなければならないのだった。新聞も同時に一階から階段を使って事務局から持って来てくださるのだった。職員さんはみなさん階段を使っておられるのは変わらない病院の方針のようだった。
アルコール依存症の方々とテレビ体操をしながら七時が来るのを待っていた。テレビ体操の内容は毎日は変化があって楽しみながら体操をしていた。
七時が近づくとエレベーターの前には行列が出来るのだった。
隣のベッドの女性は朝から元気に自転車でどこかへ行ってしまわれた。まだ躁状態が続いておられ、主治医の先生と相談しながら飲まれるお薬を一週間単位で変えられていた。新薬ばかりだった。
わたしは彼女を見送り、そのまま病院の近くにある神社にお参りをした後は近隣を少し歩いてから、病院の駐車場に行ったら喫煙所には多くの方々が煙草を吸いながら話されておられていた。わたしは一人で樹の下に佇み、ぼんやりと何も考えずにその日一本目の煙草を吸うのが常だった。
今日は大浴場で朝風呂が出来るなぁ、入院しているとそんな小さな喜びが堪らなく大きく感じられるのだった。
茶目の彼は煙草を誰かしらに貰いながら喫煙していた。そしてお返しをそれ以上にして返すので、わたしはお返しをする気でしょ、でもいらないからね、と毎回彼に言うのだけれど彼はお返しをするのだった。またお金に対してもルーズさがあった。小銭を貸して、と度々言われてわたしはその度に奢っていた。
彼は心配になるくらいにお人好しそのものの人柄で、悪意を持った人から利用されたりしないか、勝手にわたしは内心では心配をしていたけれど、彼にそのような注意をしたらどう?などすら言わず、彼が気まぐれに話す英語での会話や、彼が言葉を発したくない時には、これまた英語での筆談を楽しんでいた。
彼は運動神経も良くて、友達とダンスチームや先輩が作ったというバスケットボールのチームにも参加もしていて、それらのチームのTシャツに彼が描いた絵は、彼の感性の良さが感じられるお洒落なデザインだった。
彼は身体的な障がいもあった。だけれど苦にしている素振りは全く見せなかった。また彼の人柄の良さから彼は周りの人々に好かれていた。
わたしは幼い頃から周りが男の子ばかりだったせいか、異性の友達が多かったのだけれど、あくまで友達として男性と仲良くなるのはアリだと考えていて、わたしを恋愛対象として見てくる男性に対しては距離を置いていた。恋愛関係になってしまうとますます相手に対して、変な嫌悪感も生まれどうしても素っ気ない態度になってしまうのだった。
わたしは自己愛の塊だと感じていて家族や院長先生、カウンセラーの先生に相談もしていた。
妹はわたしのその自己中心さを嫌っている代表だった。
わたしが命の危険に関わる状態で最初の入院をし、その後も心の病が治らないでいる為、妹はわたしに優しく接してくれるようになったのだった。妹がわたしに対して優しくなり、そのことを特に母は喜んでいたが、わたしは微妙な気持ちがしていた。妹は彼女よりわたしが弱い立場になったから、今までわたしに関わるのを避けていたくらいだちたのに、わたしに優しさや思いやりを示すように態度や言動をするようになった。遠くに住んでたからたまーにしか会わなのは仕方が無いとしても、ほとんどしていなかったメールのやり取りもするようになった。
わざわざ遠くから娘を連れて入院するとお見舞いをしに来たり、またわたしが退院後通院しながら、一人暮らしをしてたまに生け花を教えたりしながら社会生活を送るようになってからも妹家族は帰省する頻度が増えた。妹家族が泊まるのはわたしの住宅なのだった。妹家族と両親、わたしで旅行にも行くようになっていた。
わたしはそれらは妹の優しさからなのか、思いやりや気遣いなんだろうかと妹の言動や態度をなんだか薄っぺらく感じるのだった。胡散臭かった。妹の優しさを信じられないない気持ちがしていた。
わたしは幼少期に妹をいじめていたし。。。
妹はわたしが喘息の発作を起こす度に長く小学校を休んでいる間は自主勉強をして成績が良い事に対して劣等感を抱いていた。妹は勉強が苦手だった。勉強自体を嫌っているようだった。
喘息の発作のときに妹は母から文ちゃんは具合が悪いから、近づかないよう言われてもいて、幼い頃からずっと我慢を強いられていたとらしい。
わたしの喘息は親しい姉妹になれなかった原因だった。。。
いまのわたしが『弱い立場』と妹にから思われているのは、いったい何だろうと考えさせられるのだった。。。心の病になると弱者とみなされるもんなんかな、と内心考え込んでしまうのだった。
弱い立場の人にしか優しい態度が出来ないとしたら、妹の性格や考え方や価値観をわたしが捻じ曲げてしまったと暗い気持ちになるのだった。。。
わたしは所長とも親しくしていた。一緒に過ごす時間が多かった。
はすっぱな女性が所長とわたしができてる、と言いふり回っていると、同室の若い彼女が教えてくれた。驚くばかりだった。
博識な所長のお話を聞くのは勉強になるし、そのウィットに富んだ会話をわたしは楽しんで聞いていたのだけなのにな、と思った。
所長を尊敬する気持ちはあったが、両親と年齢が変わらない、また所長も娘さんとわたしが年が変わらないこともあり、恋愛対象としてお互いに見るとか全くないのにな、と思った。
いつもベッドに寝そべり、スマホを充電しながらゲームばかりしている若い彼女がどのようにして病院内の噂話を収集しているのかはナゾだった。。。
所長の外出は旅ではないですか?と思わず言いたくなるくらいの場所まで行かれていた。かならず何かしら一つお土産をわたしに下さっていた。センスが良いわたしが好きな工芸品ばかりだった。
所長は気配りもさり気なくなさるのだった。
月・水・金曜日の大浴場での朝風呂はおおきな窓から空が見えて解放感があるし、わたしが風呂が好きな事は看護師さんもご存じだった。
介助入浴が必要な患者さんがおられない時には、看護師さん達から「ねーねー文さん、いい匂いがするけどどこのやつー?高いのー?」とまるで友達同士のように親しい口調で尋ねられたり、美容に関する女子トークを看護師仲間同士でなさっておられた。
わたしがフェイシャルエステやリンパドレナージュマッサージを、躁状態が酷い時に同室のメンバーさん達にしているのをみなさんご存知だった。
わたしはシャンプー、リンス、コンディショナー、ボディシャンプーもだけれど、ドライヤーまでも入院する時には持参していた。
病棟のドライヤーはお風呂の日には、患者さんが利用出来る様に脱衣所に2,3個用意してはあったのだけれど、わたしはブラシ付きタイプのをずっと愛用していたので、ただ髪を乾かすタイプのドライヤーは慣れていなくて苦手なのだった。うまく使いこなせなかった。
部屋に戻ったらローテンションが通常運転の若い彼女が何やら興奮していて、何事だろうと病院のお母さんに尋ねたら、「そうねー、文ちゃんはあの子に会ったことなかったのね。ちょっと騒がしくなるかも知れないから気をつけてね」と仰るのだった。
なんだろう、と疑問に感じたがわたしは煙草を吸いに行った。喫煙所には誰もいなかった。
事務局や受付に行く途中にある全面ガラス越しに薔薇園や噴水が見える広いスペースには、可愛らしいテーブルや椅子、カウンターが設けてあった。
午前中もしくは午後にそこはカフェになるのだった。作業療法士さんと患者さん達が数名でなされているカフェで、患者さんがこれから作業所で働く前に人と接する訓練をする為の場として病院としてはそこをカフェになれているのだと作業療法士さんから教えられた。
飲み物も軽食もスウィーツも全て値段が安かったしわたしは時々お茶をしに行っていた。
壁際にはアップライトピアノが置かれてあった。
そのピアノを弾いている女性がおられた。
まるでフランス人形みたいな明るい色のその髪は腰まであり、ふわふわとパーマなのか天然の癖なのか緩やかにカールしていた。
その女性が弾くピアノの音色は感情がこもっていて、音に合わせて身体の動きも大きくて迫力があった。ドラマティック?ダイナミックな演奏だった。
彼女のお顔を見る事ができたが、わたしはお会いしたこともない方だった。見た目からコケティッシュな印象を彼女から受けた。服装も明るい暖色系で彼女に似合っていた。ふわりと広がるロングスカートが素敵だった。
患者さんなのかな、分からないやと思いながら、会釈だけしてお昼ごはんに間に合わなくなる、と早歩きをして病室に戻った。
その女性が同室の若い彼女が興奮した原因だったと、お昼ごはんの後に知ることになったのだった。。。
久しぶりに文章を書きました。
文章の内容がまとまっていなくて、伝わりにくいだろうなぁ、と自虐心maxです......;]
マイペースに書いていこうと思っております。
どうぞよろしくお願いしますm(_ _)m




