7 告白
「お、早かったな」
「なんでもういるのよ!?」
仕事を必死にこなして定時で上がってきたというのに、店に着いてみたら藍田君が待っていた。
なんで、もういるのよ。あたし、定時で上がってきたのよ。
「今日は直帰だったからな」
直帰。そうか、その手があったか。
藍田君は営業だから、外回りの後、帰社しないで帰るという選択肢があったってわけか。
早かった理由はわかったけど、早く来た理由がわからない。
あたしより早く来なきゃいけない理由でもあった? やっぱり女将さんに口止めしたいことがあったのかな。
でも、口止めなんて今更よね。口裏合わせにしても、するほどのことはなかったはず。
とりあえずカマかけてみようか。
「なあに? 今頃慌てて女将さんの口止め?」
「口止めしなきゃならないことなんてないし、そもそも都合が悪いことがあるんなら、今日は別の店にしてるだろ」
それもそうか。
確かに、元々の予定じゃ違うお店に行くつもりだったんだっけ。
とはいっても、それをお店で言うわけにはいかないよね。
「ふうん。じゃあ、なんでそんなに慌てて来たのよ」
「慌てて来たんじゃなくて、帰社するとすぐには出られないんだよ。
この前も、直帰扱いで裏口で張ってたからな」
なんで、そんな手間掛けてあたしに構うかね。
“報われない恋だとわかってんなら、潔く諦めて俺と付き合え”
夢の中のセリフが浮かんで、慌てて振り払う。そんなわけないじゃない。自意識過剰よ。
「い、意外ね。
モテモテの藍田君は、さすがのマメ男ってわけ」
座敷に上がりながら、悪態を吐く。
「そう突っかかるなよ。
料理はお任せでいいか? 今日は酒は飲まないでくれよ。俺も飲まないから。
この前の二の舞はご免だからな」
「わ、わかってるわよ。
今日は潰れるわけにはいかないんだから。
お任せと、飲み物はなしでいいわ。あたし、食べながらお茶は飲まない主義なの」
結局、2人ともお酒はなしにして、お薦めを食べることになった。
今日もお料理は美味しいけど、どうも落ち着かない。
目の前で後生楽にお料理を食べてる藍田君を見てると、2~3発殴っても罰は当たらないんじゃないかって気がしてくる。
もちろん、本当に殴ったりはしないけど。
途中、何度か話をするよう促してみたけど、頑なに話そうとしない。
世間話だの会社の話だのには乗ってくるから、話したくないのはこの前のことだけらしい。
その話をするために今日呼び出されたはずなんだけどな。
「ねえ、なんでこの前のことを話すのがそんなに嫌なの?」
直球で訊いてみると、ちらりとこっちを見て、
「ちゃんと食べないと申し訳ないから」
と答えた。
ちゃんと食べないとって、そうか、この前はあたしのせいで中途お開きになっちゃったのか。
つまり、この前の話をしたら、今日も中途お開きになっちゃう可能性がある、と。
ん。まあ、せっかくのお料理を堪能しましょうってことなら、望むところだ。
あたし達は、黙々とって感じでお料理を食べた。
ほぼ食べ終えた辺りで、藍田君が
「で、心の準備はできた?」
と訊いてきた。
心の準備って何!?
「ちょっと、そんな覚悟がいるような話なの?」
思わず聞き返してしまったあたしは悪くないはずだ。
「そう返ってくるってことは、この前のことはあんま覚えてないってことだな。
どこまで覚えてる?」
「質問に質問で返さないでよ」
思わず言い返したら、
「俺の質問に質問で返してきたのは、みゃあちゃんなんだけどな」
と返されてしまった。そうだったっけ?
…ああ、先に「心の準備はできたか?」って訊かれてたね。
そうだね。
こんな話をしながらお料理食べてられないよね。先に食べといて正解だわ。
「あたしが、親友の彼氏と2人で駅前で待ちぼうけしてたのを藍田君に見られた」
「うん、それから?」
どうしよう。どうせ言うつもりだったんだし、外れててもどうってことないから言っちゃおうか。
「あたしが、その人のこと好きだって話はした?」
「ああ、聞いた。
人の彼氏に片想いなんかやめとけって言ったら、みゃあちゃん、そんなことわかってる! って逆ギレしてたな」
あ~、覚えてないけど、それ、ありそう。
「ごめん、覚えてない」
「メールの感じとかから、そんなこっちゃないかと思ってはいたけど、その様子じゃ、やっぱりあっちも覚えてないな。
あのさ、この前、俺、みゃあちゃんに付き合ってくれって、言ったんだけど」
えええ!? まさか、あの夢、夢じゃなくて本当にあったこと!?
「えっと…覚えてないっていうか、夢だと思ってたって言うか…」
どうしよう。どこまで本当だったの?
「ああ、やっぱりね。
そうすると、どうして俺とホテルに行ったのかも覚えてないんだな」
うっ…。なに、あれ、あたしも納得ずくだったの…?
「あの…ごめん、藍田君。
覚えてないって言うか、あたし、今朝夢で見るまで、告白されたとか知らなかったの。
変な夢見たな、くらいにしか思ってなくて。
ホテルで目を覚ました時も、酔い潰れて家に送れないから泊まったのかなって。
あの、この前、何があったのか教えてくれないかな。
ほんと、ごめんなんだけど、あたし、自分が何を言ったのか、藍田君に何を言われたのか、ちっとも覚えてないのよ」
すっごく情けない。
こんなことを訊かなきゃならないなんて。
でも、忘れてましたじゃすまない話になってるっぽいし、この際恥ずかしがってる場合じゃないから。
じっと藍田君の目を見てたら、ちょっと苦笑いして話してくれた。
「まず、俺が聞いたのは、みゃあちゃんが親友の彼氏の黒なんとかさんに大学時代から片想いしてることと、2人のデートに付き合わされて辛い思いをしてるってこと、2人とも好きだから告白する気も横取りする気もないってこと、くらいかな」
「うん」
そっか。全部言っちゃってるんだ。
「で、俺が言ったのは、俺は前からみゃあちゃんのこと好きだったってのと、今恋人候補がいないんなら、俺と付き合ってよって話。
夢で見たのと合ってる?」
「…おおよそは。
なんか、略奪愛狙ってないなら、さっさと諦めて俺と付き合えみたいなこと言われてた」
「それで正解。
黒なんとかを親友から奪ってでもって考えてるなら仕方ないけど、どうせ諦めるしかないなら、さっさと諦めて俺に靡いてよって感じのこと言った。
じゃあ、夢とは言っても、ちゃんと覚えててくれたってことでいいな。
で、返事は?」
「返事?」
「そ。俺はみゃあちゃんに告白した。
だから、返事が聞きたい。自然な流れだろ?」
「あ、だって、夢だと思ってたし、今朝のことだし、急にそんなこと言われたって、…返事、なんて」
「色よい返事がもらえて嬉しいよ」
「あたし、OKなんて一言も…」
「一刀両断にされなかったってことは、付き合うのが嫌ってわけじゃない。そういうことだろ?」
…え?
「俺から告白される夢を見て、気持ち悪いとかじゃなくて、これは夢か?って思ったんだろ。
十分脈があるってことじゃないか」
「脈!? 単なる夢なのか、本当にあって忘れたことを夢に見たのかって悩んだだけだよ!?」
「だからさ、ああ、ひどい夢を見た、現実じゃなくてよかったって思わなかったんだろ。
俺の告白を前向きに受け止める余地があるってことじゃないか」
「前向き? いや、あたしは、ただ夢か現実かわからなくて実感湧かなかっただけなの」
「どっちでもいいさ。
賭けてもいいけど、嫌いな奴が相手だったら、“悪い夢を見た”ですますのが普通の反応だよ。
つまり、みゃあちゃんは、俺に告白されても嫌じゃないってわけ。
まあ、それはどうでもいいさ。
今、現実に俺はみゃあちゃんに付き合ってくれって言ってるんだから。
さて、お返事は?」
どうでもよくないじゃない!って言葉は、喉まで出かかって止まった。
返事?
「あ…え…?」
「だから、返事。
もう一回言おうか?
俺はみゃあちゃんが好きだ。付き合ってほしい」
「じょ、冗談だよね?」
「本気だってば。
思わぬ展開に狼狽えるのもわかるけど、一応、二度目だからな。
一度目のは覚えてないみたいだけど」
ちょっと待って。頭が追いつかない。あの夢の中の告白が本当にあったことで、藍田君から告白された? そんな、まさか。
「だって、あたしは黒川さんが…」
「友達の彼氏で、諦めるの確定だったよな。
だから、諦めついでに俺と付き合お?
はいかYesか、答えは二択だ」
イエスってことはないから、はい、かな…え?
「ちょっと、どっちも同じ答えじゃないの!」
「お、気が付いた。冷静じゃないか」
「からかわないで!」
「からかってなんかないって。
言っとくけど、俺はもう1週間も待ったんだから、これ以上待てないよ」
「あたしは覚えてなかったんだから、そんなんノーカンでしょ!」
「それはそっちの事情だから。
“今は何も考えられない”ってわあわあ泣いてすがりついてきたの、覚えてない?
“1人になりたくない”って泣いて、ホテル入ったはいいけど、あんな状態じゃ手を出すわけにもいかなくて、生殺しにされた俺の身にもなってくれよ。
もう、待ってやらない。
諦める手伝いはしてやるし、逃げ道にもなってやる。でも、言い訳にはさせてやらない。
ちゃんと自分の意思で俺を選んでくれ。
いずれ、俺に夢中にさせてやるから」
「言い訳って?」
「俺から強引に押し倒すこともしないし、酒の勢いで身を任せることもさせない。
俺がみゃあちゃんを抱くのは、みゃあちゃんが俺に抱かれてもいいって心から思った時だ」
「ねえ…。もしかして、この前何もしなかったのって…」
「みゃあちゃんが酔ってたからだよ、もちろん」
「バカじゃないの? チャンスだったじゃない」
今思い出した。
あたし、黒川さんを忘れさせてって、藍田君にすがりついて泣いたんだ。
それでホテル行って。でも、藍田君はあたしに何もしなかった。
「俺は、ちゃんと正面からみゃあちゃんを口説き落とす」
「ほんと、バカだよ。
ねえ、絶対あたしを夢中にさせてくれる?」
「約束する」
「じゃあ、夢中にさせて。
あたしを藍田君でいっぱいにして。黒川さんと会っても何とも思わないくらい」
「任せろ」
その後、2人でお店を出て、この間のホテルのこの前の部屋に入った。
敢えて同じところにして、思い出を上書きするんだ。
優しくキスされて、それぞれシャワーを浴びて、そして。
「わかってると思うけど、初めてだから、そのつもりでお願いね」
「わかった」
翌日は、世間でデートと言われるようなことをしてみた。
壱花がよく行くモールになんか行ったせいだろう、2人にばったり会ってしまった。
「美弥ちゃん、その人が彼氏さん?」
「あ~、うん。えっと、紹介するね」
「はじめまして。藍田朗といいます。
みゃあちゃんとは、会社の同期です」
黒川さんの顔を見ても胸が痛まなかったあたしは、冷たい人間なのかもしれない。
たった一晩で、あたしの中で藍田君の存在が大きくなっているのを感じる。
黒川さんを忘れるためじゃなくて、藍田君をちゃんと好きになってるみたい。
たった1回抱かれただけで、チョロいなあとは思うけど、あたし、今、藍田君に恋してる。