1 好きな人は親友の彼
これは、昨年8月から、小鳩子鈴さまと企画してきた、同じテーマでの競作です。
テーマは、誰かのために身を引いた女の子が、強引男子に攫われる話。
二人の作者の個性の違いをお楽しみください。
「ねえ、美弥ちゃん、聞いてるの?」
「聞いてるって。この前のデートで立ち食いのイタリアンに行ったんでしょ。
いいじゃない。あそこ、ちょっと前に話題になったとこじゃない。
何の文句があるのよ」
「だって、デートで立ち食いよ? せっかくイタリアンなら、もっとオシャレなお店がいくらでもあるでしょ!」
「立ち食いったって、駅のそば屋じゃないんだから。立ち食いの分、安くて美味しいってシステムでしょ? 美味しかったならいいじゃないの。
そりゃ、毎回そこってんなら文句もわかるけどさ、この前が初めてだったんでしょうが。
それとも何? 美味しくなかったの?」
「美味しかったよぉ。自分で選んで、組みあわせてコースにしてさ。
ただ、立ちっぱだから慌ただしいっていうか、落ち着かないっていうか、さ」
「だから、1回行ってみたってことでいいじゃないの。
次は別のところに行こうねっておねだりすればいいんじゃないの?」
「でもさぁ…」
普通に聞いてると愚痴みたいだけど、壱花のこれは、実はノロケだ。
壱花には、黒川竜という、大学時代から付き合ってる彼がいる。
特に浮気も危機もないまま、もう4年も続いている。
そう、特に問題なんかないのだ。
だというのに、壱花は、何かというとあたしに愚痴をこぼす。
ぶちぶち文句を言うものの、要するに、よくある“愚痴のふりをしたノロケ”というやつだ。
だから、面倒な時の対処は簡単。
「だったらさ、別れちゃいなよ、そんな人。
なんなら転売サイトにでも出しときゃ、引き取り手が見付かるんじゃない?」
あたしがそう言った途端、壱花は目に見えて慌て出す。
「え、別れる!?」
「そうだよ、彼女とのデートで立ち食いの店なんかに連れてくなんて、愛が足りない証拠じゃないの。そんな男とは、さっさと別れるべきだね」
ほらほら、顔色が変わった。
「あ、でも、美味しかったんだよ? まぁ、新鮮な経験だったし」
「でも、せっかくのデートなのに、予約もできないようなお店に行くってどうなのかな? 案外、遠回しな別れ話なのかも」
「ないない! そんなこと、絶対ないから!
あたしの意表を突こうとして色々考えてくれた結果だから!」
「そう? じゃ、よかったわね。幸せなデートで。
で、何が美味しかった? あたしも今度行ってみるから。ひ・と・り・で」
まったく。ノロケたいなら素直にノロケりゃいいのに、回りくどいんだから。
どうせ壱花は慰められることで幸せを噛みしめたいだけなのよね。
そんなことないよ、目先の変わったところ探すのも大変なんだから、とか言われたかっただけ。素直じゃないったら。
それなりにしゃべって満足した壱花は、満足げに帰って行った。
ったく、人の気も知らないで。
壱花のデートの後で呼び出された時は、ファストフード店で話を聞くことにしている。
壱花は、自分が話してる最中にあたしがものを食べてると文句を言うのだ。
以前、喫茶店でランチしながらノロケを聞かされた時は、料理もコーヒーも冷め切っちゃって悲惨だった。特にパスタだと、目も当てられない。
ファミレスでドリンクバーでも、お代わりしに行かせてくれないから意味がない。
そうやって聞かされるのがめんどくさいノロケだってんだから、壱花の奢りでも罰は当たらないと思うんだけどな。
まぁ、気が進まない理由は、それだけじゃないんだけどさ。
壱花が上機嫌で帰った後、1人で家に帰るこの時間は、いつも憂鬱だ。
1人きりで歩くわびしさが身に染みる。
何が嫌だって、すれ違う男の人の服装に、つい目が行ってしまう。
彼氏が欲しいっていうんじゃなくて、単に…あ、あの人の服、黒川さんに似合いそうっていう…。まあ、そういうことだ。
ついつい、黒川さんに似合うコーディネートは…なんて考えてしまう自分が嫌なんだ。
…親友の彼氏に横恋慕してる自分が。
壱花との付き合いは、大学入学当時に遡る。
一般教養の英語で近くの席にいて、講義中にポキポキ芯を折る音を響かせてたのが壱花だった。
あんまり鬱陶しくて軽く睨んだら、救いを求めるような目で見てきて。
「あの、ごめんね。シャーペンの予備あったら、貸してくれない?」
とか、結構厚かましいことを言ってきた。
後で聞いたら、シャーペンの芯が詰まって使えなくなって困ってたんだって。詰まってるのをなんとかしようと芯を突っ込むたびにまた折れて…を繰り返してたそうだ。
あたしは鉛筆派だけど、予備にシャーペンも持ってるから貸してあげて。講義が終わった後、壱花がお礼を言ってシャーペンを返してきて。
「ありがとー! 助かっちゃった!」
「余計なお世話だとは思うけど、スペアの1本くらいは持ってた方がいいよ」
「あー、そっか、スペアね! あなた、頭いいね!」
…まさか、嫌味に礼を言われるとは思わなかった。
なんとなく抜けてる壱花を放っておけなくて、世話を焼いてるうちに仲良くなって、今では、まあ、親友と言っていいだろうって関係だ。
壱花は、ちょっと明け透けすぎるくらい裏表のない性格で、付き合いやすい子だ。
ちょっと真面目すぎるとか言われることもあるあたしとは凸凹コンビという感じで馬が合う。
そんな壱花に彼氏ができたのは、大学3年の時だった。
「ゼミで一緒の黒川竜くん」
無頓着な壱花が、あたしと約束してた学食に彼氏連れで来た時の第一印象は、ふうん、だった。
壱花から告白したらしいけど、ゼミでもいつもと変わらずマイペースの壱花を見ていたくせに付き合おうと思ったってだけで、あたしの中での彼の印象は“物好き”になった。
蓼食う虫も好き好きとは言うけれど、壱花を彼女にするなんて、物好きとしか言いようがない。
え? 親友はいいのかって? あたしは心に棚を持つ女だから、大丈夫。問題ない。
いや、まあ、自分でもさんざんなことを言ってる自覚はあるけれど、本音を言えば壱花のことは好きなわけで。
好きでもなきゃ、あんな手の掛かる子の親友なんてやってないって。
もちろん、恋愛的な意味じゃなくて、フレンドシップ的な意味で、だけど。
つまり、壱花には壱花なりのいいところが沢山あるわけで。
きっと黒川さんは、壱花のいいところに気付いたんだろうね。
それだけでも、見所のある人だと思う。
有り体に言うといい人?
おおらかな、というか大雑把な壱花は、あたしと一緒の時でも平気で黒川さんを連れてくるから、必然的にあたしと黒川さんが顔を合わせる機会も多かった。
しかも、3人で待ち合わせしてるのに、壱花だけ遅刻してくることまである。…無神経にも程がある。
そんなことが何回かあって2人で話したりしているうちに、非常に困ったことになった。
あたしも黒川さんを好きになってしまったのだ。
それはまずい。シャレにならないくらいまずい。
親友の彼氏を好きになるとか、どこの少女漫画だよ。
茶化してる場合じゃないんだけど、もう笑うしかない。
壱花と黒川さんと3人でいるのも拷問なんだけど、もっときついのが黒川さんと2人きりになった時。
あたし達は、あくまで壱花を間に挟んだ友人同士でしかない。
そういう風に振る舞わなきゃいけない。
壱花がトイレに行ってる間くらいなら、いい。どうにでも誤魔化せる。
でも。
「遅いですね、壱花」
「ごめんね、美弥ちゃん。
壱花、今、家出たって」
「2人のデートにあたしを引っ張り出しただけじゃ飽きたらず、遅刻してくるとか!」
「ほんと、ごめん」
「黒川さんのせいじゃないですよ。
っていうか、邪魔じゃないですか、あたし?」
「いや、そんなことは。
あ~、ただ、こんな風に2人でいると、端から見て僕とデートしてるように見えちゃうんじゃないかって、申し訳なくてね」
「悪いのは壱花ですから、黒川さんが気にすることないですよ。
あの子に文句言う資格なんてないですから」
「ああ、いや、美弥ちゃんに申し訳ないって話だよ」
「は?」
虚を突かれて、思わず赤くなってしまったことがバレてなきゃいいって思った。
黒川さんは、ちょっと天然というか、ニブいところがあるから大丈夫だとは思うけど。
ちなみに、彼があたしを「美弥ちゃん」と呼ぶのは、壱花がそう呼べと迫ったからだ。
自分の彼女の親友を名前で呼ぶ男がどこにいるんだって言ってやったけど、やっぱり聞く耳は持たなかった。
好きな人と2人きりにさせられたり、名前で呼ばれたり、優しくされたり。
壱花にその気がないのはわかってるけど、紛う方なき拷問だ。
心の中で、ひとしきり壱花を罵っていると、目の前に缶コーヒーが差し出された。
なんとかって人が監修したブラックのやつ。
あたしは、コーヒーはブラック派だ。
そりゃ、訪問先でミルク入りで出されたらそのまま飲むけど、シュガーとポーションがソーサーに載ってきても使うことはない。
そんなあたしからしたら、缶コーヒーは甘すぎるものが多い。
あと、不思議なことに缶コーヒーのブラックは美味しくないんだよね。
インスタントの方が、ずっと美味しいと思う。
でも、今差し出されてるこれは、割と美味しいやつだ。
マグカップに移し替えて温めて飲むと、香りといい味といい、レギュラーコーヒーに近いものがある。
でも、あたし、黒川さんにそんな話した覚えないんだけどなぁ。
「ありがとうございます」
ちょっどどぎまぎしながら缶を受け取る。
「たしか、美弥ちゃんが飲めるのって、それでよかったよね?」
渡されながら言われた言葉に、ますます戸惑う。
あたし、気付かないうちにそんなこと言ってたんだろうか? さすがにそこまで物忘れひどくないと思うんだけど。
あ、そうか。
「壱花ですね?」
あの子が喋ったに違いない。
まったく余計なことを。
「うん、壱花がね、“美弥はコーヒーにうるさいんだよ。缶コーヒーなんか飲まないんだから”とか言ってたんだけど、この前、“美弥が缶コーヒー飲んだんだよ!”って驚いてた」
「まったく、壱花ったらおしゃべりですね」
「それだけ美弥ちゃんが好きなんだよ」
そんなこと言わないで。勘違いしちゃうから。違うからね、「好き」ってのは壱花が、なんだからね。だめだよ、赤くなっちゃ。あたしのことじゃ、ないんだから…。
きっと少し赤くなっているだろう耳や、ドキドキやかましい胸に気付かれないことを祈りながら、黒川さんと並んで缶コーヒーを飲む。
好きな人に好きと言えない関係。
好きな人に自分を好きでいてほしい、そんな当たり前の気持ちがうしろめたい関係。
好きな人に、素直に好きと言いたい。こんなちっぽけな願いが、どうして叶わないんだろう。
嬉しくて苦しい時間は、壱花が悪びれもせずのんびりとやってくるまで続いた。
2話は、本日午後10時にアップします。