商人と悪人
永禄二年(1559年)五月、越後、直江津にて
近江屋権蔵
蔵田屋め、御用商人だからといって上から物を言いよって。この儂に対して、まるで小僧を諭すような物言いをしよった。何様のつもりだ。
海野屋は海野屋で、恵んでやるとばかりに高価な焼塩と粗塩を等価で交換してくる。
あの女め、この近江屋を、この儂を見下しておる。
どいつも、こいつも、儂を馬鹿にしよって。ええい、腹立たしい。
部屋の中から湯呑みを投げつける。湯呑みは庭の石に当たり、音をあげて砕け散った。
気が晴れん。
奴らは裏で繋がっているに違いない。いや、もしかしたら近江屋を潰すための蔵田屋の策略かもしれん。海野屋を使って儂を潰そうとしているのだ。そうだ、そうに違いない。
ぐぬぬ
このまま黙って潰されるのを待つわけにはいかん。何か良い手は無いものか。
ええい、腹立たしくて、腹立たしくて良い考えも浮かばぬわ。
「荒れておるの、権蔵、如何した」
廊下から声をかけられ見上げると武家がのしのしと部屋に入ってきた。武家の後ろにいる番頭が申し訳なさそうに頭を下げた。
使えない番頭め、下がれ。
再度頭を下げた番頭が逃げるようにいなくなる。
「おお、これは大熊様。さ、さ、こちらに」
立ち上がり大熊様に上座を譲る。大熊様はどさっと音を立てて上座に腰を下ろした。
「急なお越しで、先触れを出していただければ準備をいたしたものを」
「良い良い。儂も肩身の狭い身だ。大袈裟にはしとうない」
肩身が狭いのも分かる。大熊様の本家が謀反を起こしたのだ。
大熊様は本家と血の繋がりがあるのかも不明な傍系だが、長尾家中ではさぞやりにくいことだろう。
謀反の煽りで流されると思ったが、未だに直江津を取り仕切る勘定方にいるのだからそれなりに出来る御方だ。だから、謀反前からの付き合いが今でも続いている。
「さて、本日はどのような御用で」
どうせ、無心に来たのであろう。
「そう急くな。儂が来ては迷惑か」
「いえいえ、そのようなことは」
「そちこそ何があった。随分と荒れているではないか。話してみよ」
話してみよと言われても話す訳がなかろう。何ぞ、違う話に。
「今日の寄合の話であろう。糸魚川の海野屋の処遇は保留となって、当面は、今のまま取引する結果になったのだろう」
先に言った大熊様が、知っているぞと半目で儂を見る。
「権蔵、何が不満なのだ。海野屋の塩で一番儲けているのは町一番の塩問屋である近江屋のお主ではないか。粗塩を上等な焼塩に等価で取引するなどと笑いが止まらぬであろう」
ぐぬぬ
「なんと、それが不満か。強欲よのう、権蔵。くくくく」
ぐぬぬ
「海野屋がどうやってあれだけの焼塩を造っているのかは探っているのだろう。だが、分からない。くくくく、真似しようにも真似もできない。噂では溜池の下に燃える水があって、それが燃えて塩ができると。噂通りで良いではないか、儲けているのだからな。くくくく。そうであろう、権蔵」
大熊様が嗤う。
大熊様の言う通り、幾人も海野屋へ探りに行かせたが、塩造りの秘密はわからなかった。昼に夜に忍び込んだ者たちは皆戻らなかった。盗賊として処分されたのだ。
海野屋の主たちの出は信濃の武家の傍系で、海野を慕う乱波がいまでも主家である者たちを守っていると言う噂だ。生意気にも乱波にも名前があり、御月衆と言う名とのことだ。
「だが面白くないのう権蔵。新参の海野屋に情けをかけられているようで。かといって寄合衆は動かない。蔵田屋が是と言えば他の者たちも反対はしない。その蔵田屋を追い落とそうにも手立てはない。あちらは重臣たちに食い込んでいて手も足もだせない。全く面白くないのう権蔵。くくくく」
そうだ、面白くない、全く面白くない。大熊様の言う通りだ。
「諦めるか、権蔵」
諦めるか? 何を。
「お主を見下す海野屋をこのままにして良いのか。お主はどうするのだ。何もしないのか」
儂は見下されても何もしないのか?
「儂に力を貸さぬか、権蔵。儂に力を貸せば、お主の好きにしたら良い。海野屋がどうなろうと儂の預かり知らぬところだ。それに今を逃がせば二度と機会はやって来ぬ。今、誰もいないこの時を逃せばな。如何する、権蔵」
ぐぬぬ
握った拳に力が入る。俯いた顔を上げられない。
どうする、どうするのだ、権蔵。
永禄二年(1559年)六月、越後、直江津にて
蔵田五郎左衛門
客人が無茶な事を言い出した。
「なるほど、近隣諸国から米を買い集めて欲しいと言う訳ですな」
西国ならばともかく近隣諸国は米を売るだろうか。戦続き、干ばつ続きで米を売るどころではなかろう。
戦がなければ米を売るだろうが……。
なるほど、分かった。
景虎様が上洛した今年は信濃でも関東でも大戦はなかろう。であれば次の戦に備えて城や砦を普請する。だが、そのためには銭がいる。ところがその銭はない。
そこで少ない米を銭に変え、先の戦に備えて守りを固めてはと諸国を説得せよと言うのだな。それに越後に米があれば景虎様が越後から離れることもないであろうと。
なるほど、なるほど。
客人が私の顔をじっと見つめている。そして、声を出さずに笑った。
面白い客だ。
「分かりましたお手伝いさせて頂きましょう。それでは南信濃から買い集め水運を使って越後に運ぶと言うことで良いですかな」
客人はそれだけでは駄目だと言う。もっと買い集めろと言うのだ。客人はどこに目を向けているのか。出羽、越中、会津、米沢当たりか、良いだろう、皆水運が使えそうだ。
客人は更に「武蔵」と言った。武蔵の国で米を集めるのは良いが、一体どこに運べと言うのだ。まさか、関東から越山してくれとでも言う気だろうか。
そうか、船か。
武蔵の浦に船を寄せると言うのだな。それであれば問題なかろう。
「わかりました。それでは武蔵でも集めましょう。ですが、船の手配はそちらでお願い致しますよ」
客人が頷いた。
「して予算はいかほど」
客人は片手を開いた。
五千貫だろうか、いや、諸国から買い集めるのだ。もっと上か。
「では五万貫分を集め、蔵田屋の倉に預かりましょう。冬には売るのでしょうから預かり代は売り払う時に儲けさせて頂きますよ。よろしいですかな」
客人はまた声を出さずに笑った。商談成立だ。
何とも面白い客人だ。米相場は賭けだ。当たれば大儲け、外れれば大損。そんな賭けを五万貫もの大金で行うとは商人の発想ではない。
それに、この賭けは負けしかない。豊作であれば米の値は下がり損を出す、不作であっても例年通りだ。米の値は買値と同じぐらいであろう。儲けを出すことはないのだ。まさかの大干ばつともなれば別であろうが、まさに賭けだ。
商人は賭けをしない。よほどの事がない限り賭けなどはしないのだ。
商人とは、賭けを行う者が儲ける時はいっしょに儲け、賭けを行う者が損する時も儲けるのが商人なのだ。
どちらに転んでも儲けるのが商人と言うものだ。
得も損も見透せない者は商人になってはいけない。
「これは良い商いになるでしょうな」
再び客人は笑い顔になった。
「旦那様、失礼いたします」
襖の向こうから番頭の声がした。
「どうしました」
「はい、旦那様。大熊様がお見えになったのですが如何いたしましょうか」
「茶室にお通ししておくれ」
「はい、分かりました」
返事の後に番頭の退く音がした。
「大熊様がいらしたようです。我々も茶室に移りましょう」
先に立ち上がると合わせるように客人も立ち上がる。そしてふたりで茶室に移動した。
部屋から庭に出て庭園を歩き隅にある小さな茶室へ頭を下げて入る。客人を座らせ茶を立てる準備をしていると家人に案内された大熊様が茶室に入ってきた。そして家人が扉を閉め砂利を踏みしめる音が遠退いて行った。
大熊様が上座に腰を下ろしたのを見て菓子を差し出した。
「こちらをどうぞ」
「ほう、これは?」
大熊様は珍しそうに皿の菓子を見つめる。
「これは糯米を挽きいた粉を水練りし、伸ばして焼いた物でございます。間には小豆を砂糖で煮たものを挟んでおります」
「ほう、砂糖か。それは高価であるな。どれ」
大熊様が満月餡を食べた。
「旨い。さくさくとした食感の皮が、甘い小豆餡に絡まるのがまた良い。これは旨い」
菓子は客人が土産として持ち込んだものである。
さすが、変わった客人だ。菓子は見たことない代物、そして旨い。
「大熊様の口に合い、良うございました」と言い茶を点て始めた。
茶室に茶を点てる音のみが響く。そして、できた茶を差し出す。
「どうぞ」
「頂こう」
大熊様は茶器を持ち眺めた後、ずずと茶を飲んだ。
「うむ、茶が引き立つ」
「大熊様、この度はご苦労様でした。してご沙汰は」
「うむ、近江屋主人の権蔵、番頭、それに襲撃に関わった者たちは死罪。近江屋は取り潰し、家族の者たちは寄合衆預かりと決まった」
「厳しいご沙汰でございますな」
「仕方あるまい。近江屋の主人権蔵は荒くれ者たちを集め、それを野盗に見せかけて善良な商人を襲おうとしたのだ。むしろ、近江屋の家族は放免とした。温情ある沙汰ではないか」
「そうですな、我ら寄合衆にも近江屋さんを止められなかった責はあります。家族については我ら寄合衆が面倒をみましょう」
「さすが蔵田屋、くくくく、それが良かろう。して、近江屋が抜けた座は如何するのだ。上役も気にしていたぞ、無心でも企んでおるのだろう」
「その件ですが、実は誰も座には加えません」
「ほう、空いた座には誰も入りたいと申さぬのか」
大熊様がチラリと客人の様子を見る。
「はい、是非にと言う商人がおりません。我ら越後商人は京では座を無視しておりますし、越後では楽市が認められつつあります。遅かれ早かれ諸国にも楽市楽座が認められることでしょう」
「くくくく、それが世の流れと言うものよ」
「はい、皆が大熊様ほどに慧眼であればもっと早く国が発展するのですが」
「くくくく、士農工商、誰が上でも誰が下でも国は上手くいかぬものよ。武家はその辺を分かっておる者が少なすぎる。話にならん」
「正に、商家も同じでございます。他国の商人ならいざ知らず越後の商人同士が争っている場合ではありません。近江屋さんはその辺が分かっていなかった。今回の件は仕方のない話でした」
「くくくく」
「その点、長尾の御屋形様は京近くでの武家や商家の変化を感じておられます。そして、良いところは取り入れようとされる。越後の国は幸せでございます」
「然もありなん」
「ところで今回のご沙汰で大熊様に迷惑はありませんでしたか」
「儂か、儂には何もないわ。儂はお主に頼まれ近江屋を止めに行っただけだからのう。その場で近江屋の真意を聞けなんだのが悔やまれるのう。くくくく、襲撃すると言ってくれたら止めたものを」
「上役は納得したので」
「御用商人の蔵田屋が儂に頼んだと言っているのだ。上役に是も非もない。儂が近江屋を唆したと処分しては、お主も処分しなくてはならぬからな。そんな怖いことは上役にはできぬよ。くくくく」
「左様で」
「それに儂は上役には近江屋に言った事を正直に申したからの。儂は肩身が狭いので力を貸せと、苛立つ事があるようだったので近江屋の好きにせよと、海野屋のことは知らぬと、最後には如何するのだと言っただけとな。くくくく、唆してもおらぬし、嘘も申しておらん。近江屋の真意を問いただそうとしただけよ」
「人が悪いですな。大熊様」
「何を言う。お主らに比べたら儂なぞ可愛い者ではないか。儂は小心者ゆえ表に出るが、一番の悪者は表には出ぬ者だ。くくくく」
「正に、大熊様の言う通りでございます。小者の我らは表には出て大悪人は茶室で静かに茶を飲んでいるのですからな」
客人にも茶を差し出すと何食わぬ顔で茶を飲みだした。そして、顔をしかめた。茶が苦いのであろう。
くくくく
ふふふふ
儂も大熊様も大笑いだ。
面白い、全く面白い客人だ。海野屋の蕎麦蔵さんという方は。
「くくくく、これからも世話になるぞ。蔵田屋、海野屋」
「ええ、勿論でございます」
次回、長尾景虎と正義
抹茶は一回飲んだ記憶があるのですが、味を思い出せません。
苦いイメージで書きました。
もともと紅茶党だったのですが、今はコーヒー党です。