決算と目標
永禄二年(1559年)四月、越後、青海にて
海野蕎麦蔵
越後国の国主、長尾景虎が千五百もの軍勢を引き連れ上洛していった。昨晩は青海に泊まり朝方出発したのだ。今日中には難所親不知を抜け越中に入ることだろう。
長尾景虎にとって、昨年の永禄元年は大忙しだった。将軍からの上洛要請を受けその準備で大忙しの最中、越山して上野国経由で下野国に侵攻し宇都宮城を攻めようとした。だが先鋒の佐野豊綱が討ち取られ分が悪くなり軍勢を引いた。
会津の蘆名氏と共謀しての侵攻だったのだが、常陸の佐竹氏が牽制したので蘆名氏も引いたようだ。
長尾景虎は年内の宇都宮再侵攻も検討したようだが、時間切れで越後に戻ってきた。なぜなら、年が明けて雪が溶けたら、早々に上洛しなければならないからだ。上洛の準備のために越後に戻ってきたのだ。
そして、いよいよ雪が降りだし、正月が過ぎ、日が長くなった頃に武田方が北信に攻め込んできた。雪と上洛で動けぬ長尾方を尻目に北信の中野城を落とし高梨政頼を越後へと追いやった。徐々に武田方が北信の地盤を奪い固めていくのが分かる。だが、長尾方は動けない。
俺が越後の武家と同様にもどかしい日々を過ごしていると、武田晴信が出家し信玄と名を変えたと噂となって越後に流れてきた。出家したなら静かに余生を暮らせば良いのにと思うのだが、戦国時代の武将たちは出家してからが本番だと言う様な所がある。
蕎麦蔵たる俺は、越後商人として商売を始めたので、どうしても越後贔屓になってしまう。
下野国で越後勢が敗れたと聞いては長尾景虎の生死が気になり、武田方が約束を違え北信に侵攻し越後方の高梨氏を追い出したと聞けば、ふざけるなと怒ってしまうぐらい、いつの間にか越後人になっていた。
とは言え、戦に参加したいとは思わない。参加したとしても足軽のひとりに過ぎないし、月さんにお願いするだけで何もできないのも目に見えている。下手に参加して怪我をする方が怖い。
だけど、俺は越後国主の長尾景虎を応援する。金を出すだけだが応援している。
「と言うことで、我が海野屋の決算を行います」
集まってもらった面々に向かって高らかに宣言したが、誰ひとり賛同や異議を唱える者はいない。
そもそも、決算とは何か、なぜ皆でやるのかを理解していない。
だから、皆の不信の目が俺に集まる。
蕎麦蔵が、また、新しい事を始めるに違いない。そして誰かに丸投げしようとしていると。
あながち間違いではないのだが。
「ええと、決算と言うのは海野屋の評定だと思ってくれ。この一年間の頑張った成果を皆で認め合い、そして分かち合う場だ。だから皆に集まってもらった。なぜ、今日なのかと思う者もいるだろう。夏は暑い、秋は忙しい、冬はやる気にならない、だから春先の晴れた日の朝からやることにした。ようは気持ちの問題だ」
誰か質問はあるか?
「良し、では始めよう、佐吉」
「おう」
佐吉が立ち上がり円を書くように座っている皆を見渡した。
海野蕎麦蔵、俺だ。海野屋の真の主人だ。世間では姉たちに頭が上がらない駄目な弟と思われているらしい。納得がいかない。
海野杏、海野屋の次女だ。世間では海野屋のきっぷのいい女主人と見られている。ただの面倒見の良い遊び人だ。
海野歌、海野屋の三女だ。海野屋の奥を取り仕切っている。若いながらもしっかり者だと評判の娘になった。
海野福、海野屋の長女だ。昨年秋に再婚して家を出た。とは言っても家はお隣さんだ。優しい夫と秋助の三人で幸せそうだ。
海野秋助、福の子だ。よちよち歩きで可愛い。残念ながら初めての歩きを目撃することはできなかった。
大規模な商売に当たって、海野家を立ち上げた。
九郎左衛門の入れ知恵によって信州で没落した家の出と言うことにしたのだ。
何を今さらと言う話もあったのだが、直江津、柏崎、越後を越えて信州、さらに京で商売をするつもりならば格式にも拘る必要があると諭されたのだ。
家を興すにあたっては、初めての冬を共に過ごし絆が深まった歌、杏、福には俺の姉弟として、秋助は俺の甥として海野姓を名乗って貰うことにした。
この話しを聞いた歌は、戸惑い辞退しようとしたが杏が面白いそうだから良いだろと言って強引に承諾させ今に至っている。
血は繋がらなくとも家族ができた。
嬉しかった。ひとり夜の波の音を聞きながら涙を流したのは秘密だ。とても天の川が綺麗だった。まあ、こんな話は横に置いといて続きだ。
根津九郎左衛門、青海村の名主。海野屋の相談役だ。ふざけた案は一刀両断される。
海野佐吉、青海村の農家の長男。いつの間にか福と仲良くなり夫となった。実家は次男に譲って海野家長女の婿になった体をなしている。実は商人になりたかったようで、念願の叶った今は海野屋の番頭だ。
平次、海野屋の手代。杏に惚れているのは誰もが知っている。杏に相手にされていないのも誰もが知っている。
そんな面々のいる海野屋の会計は複式簿記を採用している。勿論、期間計算、発生主義だ。数字も漢数字ではなくアラビア数字。この一年、海野屋の会計担当に叩きこんだのだ。佐吉もそんな会計担当のひとり、今日の報告者にふさわしい。
佐吉がもう一度面々を見回した後、報告用紙を見ながら話を始めた。
「さて、海野屋の昨年の稼ぎは約十万貫だ」
歌、杏、平次はポカンと佐吉を見上げる。
福は「凄いね。十万貫だって」と言って秋助を抱きしめた。
九郎左衛門は「うむ」と頷く。
まあまあだ。高級と言われる焼塩を十数万石作って売りさばいた。その量は日の本国で作られる量の五分の一ほどに当たる。そして、それをかなり安く売った。高級な物が安い、越後商人が競って買っていった。
「じゅ、十万、十万貫かい。まあまあだね、なあ、平次」
はっと気がついた杏が未だにポカンとしたままの平次に声をかける。だか、平次の反応はない。そんな平次の背を杏は「しっかりおし」と言って叩いた。
理解したのかしないのか、平次はコクコクと首を縦に振る。
まだ、正気に戻らない者もいるが仕方ないので佐吉に続けろと言った。
「では、続けるぞ。稼ぎは約十万貫で、使った金も約十万貫だ」
「はあ、ちょっと待ってくれ。佐吉、今、使った金も十万貫って言ったかい。俺は耳が遠くなったのかね。もう一度言っておくれよ」
杏が目を剥き出して飛び掛からんばかりに佐吉を問う。
「ああ、十万貫使った」
佐吉も面白くなさそうに答えた。佐吉も儲けた金を全て使ったことに不満を持っているのだ。
「十万貫儲けて、十万貫使った、ってことは海野屋には一文の銭も残っていないってことかい」
「いや、二百文ぐらいはある」
「二百、たったの二百文。って、そんな得意気に言うんじゃないよ。十万貫儲けて二百文しか残らないとはどう言った了見だい。ふざけるのも大概にしな」
「それは蕎麦蔵に言ってくれ。俺も納得してねえんだ」
杏と佐吉からの視線が痛い。
確かに海野屋は儲けた金を次々と商売に注ぎ込むという自転車操業に近い。九郎左衛門への借財もある。だが、その財務状態に反して凄い早さで海野屋は大きくなっている。拡大しているのだ。
「分かった。後は俺から話そう」
手振りで佐吉を座らせ皆を見回した。そして、皆が腹落ちするようにゆっくりと話出した。
「佐吉の報告にあった通り海野屋には銭は少ない。だがその代わり資産が増えた。先ずは海野屋の屋敷や山を下りてきた村人たちの家だ。佐吉と福の家もだぞ」
杏と佐吉が仕方なく頷く。
「塩を作る施設にできた塩を運ぶ人夫に小船だ。塀と堀も含むぞ」
これは入浜式の潮溜まり施設と屋敷や家を囲むように建てられた塀と堀のこと。
「さらに新しい船渠と南蛮式の船だ。今回は小さな南蛮式の船を作ったが、これは船頭たちに慣れて貰うためのものだ。今年はさらに大きな南蛮船を作る」
場所を選んで買い上げ埋め立てて乾ドックと防波堤を作った。和船ではなく南蛮船を造るためだ。和船は近海航路だけだが、南蛮船であれば国外との貿易に使える。せっかく南蛮船を駆逐しているのだ作らない手はない。
和船は言わば大きな箱だが、南蛮船は家だ。竜骨と言う大黒柱を軸に支柱や梁を設え内と外に板を張り防水処理をする。いや、竜骨と言うぐらいだから南蛮船は背骨と肋骨を持つ生物に近いのかも知れない。防水処理については幸いにも土瀝青と言う天然アスファルトも手に入れた。
「杏」
「なんだい」
「今の唐の国は明と言うらしいが、そこから船が博多や堺に来ている。その船一隻でどのくらいの儲けがでるかを知っているか」
「俺が知るわけないだろう。それがどうしたのさ」
「船一隻で二十万貫だそうだ」
「に、二十万」
二十万貫と聞き、呆けた杏を置いて話を続ける。
「明の船が来て一回荷揚げするだけで海野屋の去年の儲けを軽く越える。海野屋はそんな船を今年から五年かけて十隻持つ。これが海野屋の目標だ」
気合いを入れた宣言に付いてくる者がいない。九郎左衛門でさえ言葉を失い次の言葉を待っている。
「今、海野屋に銭がないのはそのためだ。どうだ、佐吉、五年後の海野屋は一体いくらぐらい儲けそうだ」
佐吉が懐から算盤を出しパチパチと弾いた。そして算盤を震わしながら俺を見上げる。
「二百万貫だ」
「そうだ、船荷だけで二百万貫だ。杏、佐吉、今、銭使わず貯め込んだ方が良かったか?」
杏と佐吉は互いの顔を見てブルブルと首を振ると声を揃えて「いや、使ってくれ」と言った。
ふふ、二人とも騙されているぞ。
商売には売り手と買い手があるんだ。売り手が二百万貫の品を持っていても買い手に二百万貫があるとは限らない。また、掛で売っても回収できるかは別問題だ。だから算盤で計算するようには儲けることはできない。
それに大きく儲けることは良いことばかりではない。利が大きくなればなるほど魑魅魍魎どもが寄ってくるのだ。怖い、怖い。
「蕎麦蔵」
今まで黙っていた九郎左衛門が口を開いた。
「はい」
「おまえ、それほど儲けて何とする」
九郎左衛門たち円を書いて座る者たちの視線が俺に集まる。そして、俺を見た全員が、体を退いて俺から離れた。
この先のことを思って笑ってしまった俺。
声を出さずに笑ってしまった俺。
それが、気持ち悪かったのだろう。
次回、商人と悪人
南蛮船を作成する過程で、何隻かの模型を船大工に作って貰いました。
船頭たちの意見を入れながら南蛮船を作っていますので、100%の西洋船ではありません。