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勝ちと塩

 弘治三年(1557年)十一月、越後、親不知にて

 海野蕎麦蔵


 威勢の良い姉さんに責め立てられた。彼女たちの夫である盗賊たちを殺ったことを、さも悪いことであるかのように責められたのだ。

 俺は何も悪い事はしていない。悪いのは襲って来た盗賊たちのそちら側だと言うと、素直にその通りだと言い替え、でも赤子にも罪はあるのか、お前は赤子にまで死ねと言うのだなと言ってくる。

「どういうことだ」と言ってから、しまったと思った。引っ掛かってしまった。何も聞かず無視するべきだった。

 女の目が「掛かったな」と言う。

 そして、男手がなくなった村は今年の冬を越せない。大人たちはともかく赤子だけは助けたいと哀しい顔で訴えて来るのだ。


 うっ、まずい、言い返せない。


 歌の目には「助けたい」という色が出ている。不利だ。このままでは負けてしまう。


「確かにお前の言う通り、悪いのはこちらの男衆だ。それに文句を言うつもりはないさ」

「だったら、そう言うことで」


 まずい、これは失言だ。もっと言い様があった。歌の目の色が「なんで、助けないの」に変わった。


「そうはいかないさ。さっきも言った通り俺たちは働き手の男衆を失ったんだ。俺たちの村の衆は、この冬を生きて越えれなくなった」

「姉さん、すまねえ。俺に六人分の働きがあれば村の皆を死なすこともねえのに」

「平次、お前のせいじゃないさ。働き手がいなくなったのに誰も助けてくれない世の中が悪いのさ」


 平次という男が杏という女に土下座して謝ると、杏は平次の肩に手を置き慰める。


「俺は悔しい。先に亡くなるのは弱い赤子からだ。その次は体の弱い奴に子供らだ。遅かれ早かれ俺たちは皆死んでしまうだろう。平次、お前は、お前だけは生き延びておくれ。俺らを棄てておくれ」

「姉さん、俺にはそんな事はできねえ。人が死ぬのを黙って見ていることなんかできやしねえ。俺もいっしょに死なせてくれ」

「平次」

「姉さん」


 く、臭い芝居だ。こいつら台本を考えて来たに違いない。歌が完全に騙されて涙を流している。杏と平次の狙いが完全に歌に移っている。


「娘さん、歌さんと言ったかい。少しで良い、俺らを助けてくれないかい」

「お願いしやす」


 平次が土下座したまま歌に向きを変える。


 上手い、平次の土下座が上手すぎる。日頃からやっているに違いない。動作の流れにぎこちなさが一切ない。


「蕎麦蔵、助けようよ」

 歌に言われた。


 うっ、こいつらを歌の知らない所で殺ってしまうか。いや、明らかに不自然だろ。くう、やられた。負けた。完敗だ。


「わかった。助けるよ」


「ありがたや、ありがたや。娘さん、あんたは天女様だ。ありがたや」

 平次が土下座のまま歌を拝む。へへへへと歌。


 まあ、歌が嬉しそうだから良しとするか。


「蕎麦蔵、ひとつよろしくな」

 杏が勝ち誇った顔で俺の肩を叩いた。杏が頭二つ分高いので俺が見上げる。

「ああ」

「そんなにふて腐れるなよ。これから仲良くやっていく仲間じゃないか」


 そんなわけあるか。いつ仲間になったんだよ。


 平次が崇め、歌が照れているのを横目に、杏が膝を折り頬と頬が触れるぐらいに俺に顔を寄せる。


「俺らは皆、後家だ。お前が大きくなったら、色々良いことを教えてあげるよ」


 えっ、本当! あっ。


 杏は離れて腕を組むと上から俺を見下ろして、にんまりと嗤う。

「歌には黙っておいてやるよ」


 ぐあっ、ここまでが台本かよ。


 この日は塩引き鮭を数本持たせ、杏と平次を追い返した。明日、糸魚川の越中屋に来てくれと言って。






 日が明けて朝早くから歌と二人で出かけた。青海村の名主九郎左衛門に会い、これまでの経緯を伝える。

 

「……という訳でどの程度関わって人助けをしたら良いかと思案しています。知恵を貸してください」

「蕎麦蔵はその者たちをどう見た」

「はい、冬が越せるかどうかの話は正直わかりません。でも、もし本当なら身を売るか死ぬか……度胸がある者たちです。それに頭も回ります。そして不思議と敵意は感じませんでした」

 隣に座っている歌がコクコクと頷く。


「そうか」

 九郎左衛門は目を閉じた。再び話し出すのを待つ。


「儂にも人の縁はどうなるかは分からん。良縁でも敵になる時もある、悪縁でも味方せねばならぬ時もある。だから、分からん」


「はい」

「蕎麦蔵、勝ちたいか」


 な、何に?

「勝ちか負けかと言われたら、勝ちが良いです」

「では勝て」


 はあ? だから何に。


「お前の勝ちとは何だ。蕎麦蔵、言うてみろ」

「俺の勝ちですか?」

「そうだ」

 九郎左衛門が睨む。


 いや、だから、俺の方こそが何なんか聞きたい。

「分りません」

「では、良く考えろ」


 はあ?


 九郎左衛門は席を立ち、話は終わりだと部屋から出て行こうとする。慌てて本題をお願いする。

「名主様、金子をください」


 九郎左衛門は立ち止まり再び睨んで一拍置き「良かろう」と言って預けていた金子を出してくれた。


 名主屋敷を出てからは、良く考えろと言われた俺の勝ちというものが何なのかを考えながら道を歩く。

 歌が隣で「蕎麦蔵の勝ちって何だろね」とすすきを振り回している。

 何に勝つのかは良く分からないので捨て置き、勝ったらどうなるかを考えてみる。俺は、蕎麦蔵は、どうなるか。


 勝ったら純粋に嬉しい。

 あとは?


 勝つことの喜びを味わうために更に挑戦するか。

 いや、それは面倒だ。

 あとは?


 うーん。


 まあ、いいや、嬉しいだけでも。

 九郎左衛門の問いの答えと杏たちの事を掛け合わせてみる。


 杏たちを助けて俺が勝つ。

 杏たちを助けて俺が嬉しい気持ちになる。

 うん、杏たちを助けて俺が笑うだ。

 よし、俺が大笑いしたら勝ちと言うことにしよう。

 おっ、何となく見えてきたぞ。俺がどんな助け方をしたら良いのか。


「蕎麦蔵、勝ちが分かったの」

 先を歩く歌が後ろ歩きで聞くので「転ぶなよ」と答えた。

 へへへへと笑って、歌が薄を大きく振り回した。





 越中屋に着くと、杏と平次が先に来ていて待ち構えていた。


「蕎麦蔵、遅いじゃないか」

「待たせたな、杏。約束通り手助けさせて貰うよ。この越中屋さんに頼んで杏たちの村に物を運ぶから」

「そうかい、助かるよ」


 歌と越中屋の店内に入る。外から杏と平次の声が聞こえた。

「平次、分かっているね」

「へいっ、姉さん、任せてくれ。太鼓持ちは得意ですぜ」

 ふっ、二人とも今日は俺が勝たせて貰うからな。


 俺を見つけた番頭が手を揉んで出迎えてくれる。番頭は相手が子供だろうと銭になれば頭を下げる商売人だ。

「これは蕎麦蔵さん。今日も獣の持ち込みで? 熊の胆でしたら高く買わせて貰いますよ」


 いつも越中屋に来ると熊狩りの蕎麦蔵さんと言われ待遇が良い。熊の胆を転売してかなり儲けているようなのだ。


「今日は買いたい物がありまして来ました」

「ほほう、どのような品ですかな」

「まずは米を。準備できますか。運ぶことも」

「勿論です。越中屋に扱えない品はありませんよ」


 本当かよ。


 杏と平次が米をどれだけ買うのかと聞き耳を立てている。少なかったら俺を持ち上げて買い増しさせる積もりなのだろう。さてさて。


「では米を十石、干物、漬物も色々合わせて十石ほどはお願いしたい。できますか」

「ええ、勿論問題ありません。すぐに用意いたしましよう」

「杏、食べ物はこんなもんで良いかな。杏、どうした」

 キョトンとしていた杏に声をかける。


「えっ、そ、そうだな。ま、まあまあだな」

「あ、姉さん、じ、十石と言ったら半年は持ちますぜ」

「そ、そうか」


 どうだ、驚いたか、杏。だが、まだまだだぞ。


「越中屋さん、人足もお願いしたい」

「はいはい、何人ぐらいで」

「十人を十日ほど、薪割りや雪囲いを、この姉さんの指示で」

「わかりました。直ぐにでも集めましょう」

「杏、いいよな」


「へっ、俺、俺が仕切るのかい」

「そうだよ、杏がやるんだよ。杏以外いないだろ。なあ、平次」

 杏の声が裏返り、平次が壊れたように首を縦に振る。


「越中屋さん、いくらになりそうですか」

「三十貫でいかがでしょう。村までの運び代は店が持ちましょう」

「ではその値段でお願いします」

「毎度、ありがとうございます、蕎麦蔵さん」

 番頭が頭を下げた。その隣で三十貫と聞いた杏と平次が俺を見つめる。


「蕎麦蔵、本当かい。本当に三十貫もの助けをしてくれるのかい」

 固唾を呑んで見守る平次。


「足りないか」

「いや、足りるさ、充分過ぎるぐらいだ」

「だったら良いな、これで」

「ああ、助かる。でも、でもな、蕎麦蔵。俺たちには何も返せないぞ」

 自分が仕掛けた事が想像以上の成果になった事に戸惑っている杏。

 受けた援助を恩と考えてくれる杏。

 そのことで歯切れが悪く困った顔をする杏。


 可笑しい。そして、可愛い。勝ちだ、俺の勝ちだ。こんな杏の顔を見られただけで良し。


「杏、心配するな、助けるだけじゃない。村の衆には働いて貰う。次の冬、次の次の冬も困らないようにな」






 永禄元年(1558年)三月、越後、根知にて

 村上義清


 青海村の名主が館に尋ねて来た。

 名主根津九郎左衛門は信濃から越後に逃れて来た者のひとりだ。儂にも縁のある信濃衆なのだ。


 儂が上座に座り表を上げよと命じると、臆することなく九郎左衛門は顔を上げた。


「久しいな九郎左衛門、息災か」

「義清殿も恙無く」


 部屋には誰もいない。下げたのだ。


「儂が腹を割って話せる人間も少なくなったものよ。皆亡くなってしもうた。戦で、病で、寂しいものよ」

「正に」

「恨んでは居らんか、九郎左衛門」

「これだから年寄りは物覚えが悪くて困る。いくさの勝ち負けは武家の常、恨んでも嘆いても、人も土地も戻りはせぬ。それに儂は武家を辞めた。今は畑を耕すだけの者よ」


「儂は、未だに取り戻す夢を見ておる。御屋形様の力を借りて信濃に戻る夢を」

「……」

「すまぬ。して、儂に用があったのであろう。話せ」


 つい、知っている者だからと愚痴が出てしもうた。年を取ると愚痴がすぐ出て困る。


 目の前にいる根津九郎左衛門は天文十年(1541年)の海野平の戦いの相手だ。この男は敵であった者なのだ。

 儂がこの男から土地を奪い一族を奪い信濃から追い出したのだ。十五年以上も昔の話だ。


 既に禰津ねず本家は武田方に仕えている。分家筋は根津と名を変え越後に逃れていたのだ。しかし、九郎左衛門を追い出した儂も信濃から追い出された。可笑しなものよ。


「義清殿に買って貰いたい品がある」

「何であろう」

「塩だ」


 九郎左衛門が懐から紙包みを取り出すと儂に差し出してきた。それを、受け取り中身を改める。

 紙包みから出てきたのはさらさらとした白い塩だ。

 指先に少し付け舐めた。


「上等の塩だ。これを儂に買えと」

「そうだ」

「これほどの上等の塩だ。さぞかし値が高かろう。して、いかほどの量だ」

「三十石ほど」

「ほう、かなりの量ではないか。如何した、くらにでも眠らせていたか」

「この冬に作った」

「はははは、九郎左衛門、儂を謀ろうとしても無駄だ。越後で塩が取れるのは夏の間だけと言うことぐらい信州育ちの儂とて知っているわ」


 声を上げて笑う儂を余所に、九郎左衛門はゆっくりと首を振る。


 真か、真に冬に塩が取れると言うのか。然らば一夏にいかほどの塩が取れることか。


「義清殿、年に五万石だ。五万石の塩を買って頂きたい」

「五万石だと、この越後で五万石の塩が取れると言うか、お主は」


「儂が言うとるのではない」

「では、誰が言うた。誰が五万石も作れるなどと言うた。塩商か、塩作り衆か」

「いや、小僧だ」

「小僧?」

「海野蕎麦蔵と言う小僧だ」

海野うんのだと」


 海野うんのと言えば九郎左衛門の主家筋に当たる一族。九郎左衛門と同じく天文十年に戦った相手だ。負けて上野に逃げた海野一族は消息不明と聞いていたが越後にいたとは。


「うんのではない。うみのと言うらしい」

「うみのだと。うんのでは無いのだな」

「義清殿が考えたような者ではない。もし、真に海野の者であればお主には言わぬ」


 九郎左衛門はそう言うが果たして?

 儂を試しているのか。本当に無関係なのか。それとも後で知られた方が問題とみて先に話したのか。

 まあ良かろう。今さら海野が現れようと現れまいと儂に変わりはあるまい。


「まあ良い。もし本当に五万石の塩を作れるのであればそれで良い。して塩座は如何する」

「それについては考えがある」

 九郎左衛門が不敵な笑みを浮かべた。


「分かった。だが、誰も越後で五万石もの塩が作れると信じまい。先ずはその塩を作ってからだ。肝心の塩がなくば、御屋形様に話はできん。それで良いな」


 九郎左衛門は頷いた。



次回、引っ越しと海運



この物語の金銭目安は、一年間の大人一人の食料=米一石=一貫と言った処です。


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