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歌と杏

 弘治三年(1557年)十一月、越後、親不知にて

 海野蕎麦蔵


 歌が背中を掴んだまま怯えている。いい加減着物を離して欲しいのだが離してくれない。お陰で着物の前が、はだけてぷらぷらと恥ずかしい。


「歌、大丈夫、もう終わったよ」

「蕎麦蔵、何が起ったの」

「月さんが奴らを倒してくれたんだ。歌と俺を助けてくれたんだよ」

「月さん?」

「そう、俺の友達さ」

「でも、どこにいるの」


 背中を掴む手が緩んだ。歌は左右の木陰を見て月さんを探している。月さんを見る事で安心したいのだろう。もう、誰も襲って来ないのだ。これで終わったのだと。


 やっと、はだけを直せるよ。直すまで覗いたら駄目だよ。


 歌は蕎麦蔵の俺よりも頭半分ほど背が高い。肩越しに蕎麦蔵の前を見ることができる。


「月さんは恥ずかしがり屋なんだ。だから見つけることはできないよ」

「でも」

「俺も見たことがないけど、友達だから大丈夫さ」

「えっ、蕎麦蔵も月さんを知らないの」


 まあ、知っていると言えば知っている。知らないと言えば知らない。でも、それはどうでも良い事だ。重要なのは俺と月さんが仲間だって事。

 歌にそう説明すると不思議そうな顔をして「蕎麦蔵が良いなら、私も良いけど」と不満そうな顔をした。すっかり襲われた恐怖はどこかに行ったらしい。


「ねえ、これ、どうする」


 これ、とは襲って来た連中の死体だ。

 さすが戦国時代の娘だ、立ち直りが早い。越中とて平和な国ではない。農民さえ混じって血で血を洗う抗争が続いている国なのだ。殺るか殺られるかの世界で生きている。

 自然も人も等しく自分たちに襲いかかる脅威なのだ。


 さて、死体はどうしようか?


 穴を掘って埋める?

 いやいや、そんな体力はない。


 放置する?

 いやいや、住みかの出入口に死体がごろごろしているのは嫌だ。


 うーん、棄てる?

 よし、そうしよう。身ぐるみ剥いで川に棄ててしまえ。あとは川が何とかしてくれるだろう。


 そんな会話を歌とした後、襲って来た連中を身ぐるみ剥がして川に流し、さよならした。そして、歌の知らない処で月さんに焼いて貰った。


 全く手間かけやがって。面倒臭い、襲ってこなけりゃいいものを。


「月さん、これからはよろしくね」

 歌が誰もいない林に叫んだ。





 うた。この娘は小夜と言う名前だった。

 俺が二十貫払って買った。その時、名前を歌に変えさせたのだ。もう二度と故郷には帰れない、家族とも会えないぞと言って。


 歌と言う名前はこの地から取った。ここから新しく生きていって欲しいとの願いからだ。

 もし、彼女が帰りたいと言ったら帰すつもりだし、彼女が家族に会いたいと言えば会わすつもりだ。

 十数歳の娘を泣かす趣味は俺にはない。


 小夜が我が家に現れたのは根知に熊狩りに行っていた時だった。我が家に戻ってみると藁の寝床に丸まって寝ていた。起こすのも可哀想で食事を作りながら起きるのを待った。


 小桶に水を入れ、鮭の切り身、洗って切った里芋を入れる。そこに塩を振り薄い味付けをした後、月さんに焼いてもらった石を次々入れる。

 石を入れた途端、小桶の水は沸騰しグツグツと言い出した。更に水で練った蕎麦粉を丸く伸ばして入れる。それが煮えた処に、味噌を入れたら完成だ。

 その小桶を洞窟に持ち込むと洞窟中に味噌の良い匂いが漂った。


 くうと音がなった。小夜が起きたのだ。

 何とか歌に飯を食わせ。また、寝かせる。

 目を真っ赤に腫らした姿が俺に理由を聞くことを躊躇させた。たぶん、泣いている理由を聞いても何もできなかっただろう。それからの数日は、ただ、小夜に飯を食わせ寝させるだけの生活だった。

 小夜は俺に言う通りにした。まるで意思のない人形だ。


 俺の方が先に降参した。

 助けてくれよ。年端もいかない少女が毎晩毎晩、嗚咽を堪えて泣くんだぜ。俺には耐えられないよ。


 降参した次の朝、小夜を青海村の茂平の所に連れていった。菊さんに会わせるためだ。

 女は女同士、話をさせるに限る。男の俺では真に慰めることはできない。そもそも良く知らない相手なのだし。

 最初に、菊さんから拳固をもらった。結構痛かった。次に正座させられ、最後に謝られた。

 誤解が解けたなら良しとしよう。確かに目を腫らした少女を連れていき、何とかしてくれと頼んだら怒るわな。

 次に、菊さんは小夜の話しを聞くと言って俺たちを家から追い出した。

 家の中から追い出された茂平と俺は、家の前で犬のように待った。菊さんが解決してくれる事を祈りながら。

 菊さんは家から出てくると名主様に相談すると言って小夜を連れて行く。

 茂平と俺は二人の後に付いて行く。

 そして、名主の家でも茂平と俺は玄関の前で犬のように待った。


 もう、犬でいいやと思った。


 九郎左衛門が玄関に二人を連れて現れ、いきなり「蕎麦蔵、この娘を買え」と命令した。

 九郎左衛門と菊さんの目には逆らえない。拒否の選択はない。

「はい」か「イエス」のどちらかを選べと。ならば俺は「イエス」だ。長いものには巻かれる。無駄な抵抗はしない。

 そうと決まれば早かった。九郎左衛門が懇意にしている糸魚川の商家に金を出して証文を作る。

 証文は、「海野蕎麦蔵が銭二十貫を支払い、小夜を貰い受ける。今後、一切の接触を禁止する」といった内容だ。

 金額が相場より高いそうだが、人ひとり買うんだ。高くても良いだろう。


 この証文と二十貫分の金を持ち商家の番頭と佐吉が小夜を生家へと連れていった。佐吉は青海村名主の名代なのだが、いかにも商家の手代といった服装だった。そして、俺も後ろから見習いに見えるようについていった。


 小夜の家族とその村の名主立ち会いのもと金を渡し証文に拇印して貰い無事商談成立。そして涙の別れ。


 うん、普通の涙の別れだった。家族の間の細かいことは俺には分からないし、知りたいとも思わない。あら探しをしても誰も幸せになれないからだ。小夜も小夜の家族も幸せになればそれで良い。


 そして、小夜は、歌となった。




 歌が我が家である洞窟の前で、吊るしてある塩引き鮭を見ながら首を傾げている。


「歌」

「ん、なに」


「いや、何でもない」

「変な蕎麦蔵。今日の夕飯は何にしようか」

「歌の好きな物で良いよ」

「そう、だったら……」






 弘治三年(1557年)十一月、越後、黒姫山山中にて

 きょう


あねさん、大変だ」


 平次が慌てて村に戻ってきた。村と言っても家は十軒もない。山中に段々畑作って何とか生きている。


「何だい、そんなに慌てて。やっと碌でなし供が帰って来たのかい。帰って来なくても良いのにさ」

「そうじゃねえ、そうじゃねえんだ」

「だったら、何があったんだい」

「糸魚川の町で売っていたんだ」

「売っていた? 何がさ」

「お頭の服が」

「はあ、服、何言っているんだい、平次。服なんざ、どれも似たような物だろうさ」

「いや、あれはお頭の服だ。間違えねえ」


 物覚えが取り柄の平次が言うなら、それは本当かも知れない。だが、どうしてあの碌でなしの服が町で売っているのさ。


「姉さん、ひょっとすると、お頭は、もう」


 この世にいない。まさか。


 弱い奴にはとことん強く出るくせに、強い奴には尾を振るような男が簡単に死ぬものか。それに手下を四人も連れているんだ。何かあったら手下を犠牲にしてでも逃げる男だよ、あの碌でなしの男は。

 それに、あの男は女子供にも容赦なく手を上げる。酒に酔っては更に酷くなる。死んでくれたらどんなに嬉しいことか。


「平次、もう一度、町に行って貰えるかい」

「勿論でさ」

「店の者に聞いとくれ。お頭の物を売りに来たのはどんな奴だったのか。それから他に売った物はないかだよ」

「へいっ」


 飛んで行こうとする平次にさらに命じる。

「上手く聞き出すんだよ。わかったね」

「へいっ、姉さん。行ってきやす」


 直ぐに平次の姿は見えなくなった。


 まさかね。まさかね。と同じ思いが頭の中を回る。他の事は手につかなくなった。





 夕方になり平次が息を切らして戻ってきた。村の皆が平次の帰りを今か今かと待っていた。未だに帰って来ない碌でなし供の行方が気になって集まって来たのだ。


「姉さん、只今戻りやした。しっかりと話を聞いてきやした」

「平次、ご苦労だったね。皆の前で聞いたことを話とくれ」

「へいっ」


 村の者が皆、平次を注目して、ごくりと唾を飲み込んだ。


「服を持ち込んだのは青海村の外れに住む蕎麦蔵と言う小僧だと言う話でさ」

「蕎麦蔵と言いや、噂の親不知の熊狩りの小僧の事かい」

「その通りでさ」

「で」


「へいっ、店の者が言うにはその時に五人前の服を持ち込んだと。店の者がどうしたんだいと聞いたら」

「何て言っていたんだい?」

「襲って来たから狩ったと言っていたと。その時は熊狩りの小僧の事だから可笑し話と思ったと言ってやした」


 町の店で聞いてきた事を全て話した平次が口をつぐむと、村の皆も押し黙った。


「どうしやす、姉さん」


 村の皆の目が俺に集まる。


 碌でなし供が死んだ。いや、まだわからない。死んだと思っていた碌でなし供が生きて帰った日には目も当てられないからね。

 さて、どうしたもんかね。


「今、お頭はいない。だから俺が全て決めるよ。皆、異存はないね」


 誰ひとり声を上げる者はいない。皆が頷いている。


「蕎麦蔵とやらに落とし前をつけて貰うよ」


 終わりだ、皆、帰ってくれと言うと村の皆が引き上げた。


「福、今夜、家に来てくれ」

 一番仲の良い女房仲間に声をかける。福は頷きを返してくれた。





 その夜。


きょう、俺は馬鹿だから何にも分からないよ」

 赤子に乳を飲ませている福が不安そうだ。


「大丈夫、福には期待していない。話を聞いてくれるだけで良いんだ」

「もう、酷い。俺を馬鹿にして」


 ふふふふ、自分で言ったのだろう。だが、福の顔から不安が取れた。


「あの碌でなし供がこの冬の間いないとしたらの話をする」

「うん」


 また、福が不安そうな顔に戻った。仕方ない、良い話ではない。


「問題は食い物と薪だ。食い物は足りてない。だが、大食らいの男が五人もいないんだ。分け合えば何とか冬は越せるだろうさ」

「うん」

「薪も足りない」

「どうするの」

「固まるさ。うるさい男供がいないんだ。二軒か三軒に固まって冬を越す」

「そうね、それが良い。薪が少なくてすむもの。これで、なんとか冬を越せそうね」

 福は赤子に頬を寄せ、良かったねと言った。


 冬は越せる、だが。

「……」


「何、杏。他に心配事があるの」

「ああ、冬は越せる。冬は越せそうだ」

「そうね、良かった」


 福を哀しませるのは心苦しいが言った方が良いだろう。何か案が出るかも知れない。


「福、冬は越せるだろう。だけど、越せるだけだ。春になったら、夏になったら、そして、次の冬は」

「えっ」

「秋までは何とかなったとしても次の冬は越せない。碌でなし供だけど男手だった。今残っている者たちでは替われない」

 満足に働けそうなのは、平次と女房衆だけだ。あとは足腰が悪かったり、手間のかかる子供たちだ。


「そんな、駄目なの。次の冬は越せないの」


 たぶん。


 福が俺の目を見た。そして、赤子を抱きしめた。


「大丈夫、福、俺が何とかする」

「うん」

「蕎麦蔵とやらには落とし前をつけてもらう。必ずだ。こっちは男手がなくなったんだからな」

「うん」

「明日、行ってくる」

「気をつけて、杏。無理しちゃ駄目よ。杏に何かあったら今年の冬だってわからなくなるわ」


 夜はめっきり寒くなった。じわじわと男手がない恐怖が実感に替わる。何とかしないと。福も村の皆も不安が募るばかりだろう。


「ところで、福」

「ん」

「仇討ちはしたいか」

「どうして」

 不思議そうに福は首を傾げた。


 ふっ、思わず声が出た。


「酷いよ、杏。今笑ったでしょう。また、馬鹿にして、もう」


次回、勝ちと塩



歌と言う地名がありますが、由来は知りません。

由来は、不思議な話しなのか、悲しい話しなのか、それとも・・・・・・



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