熊狩りと野盗
弘治三年(1557年)十月、越後、根知の山中にて
海野蕎麦蔵
一ヶ月も暮らしていると慣れる。住めば都とは良く言ったものだ。
茂平や佐吉がいる村は青海村と言って糸魚川の町を流れる姫川の西側にある。糸魚川の本町は姫川の東側に拡がっている。
ややこしいのだが糸魚川と言う川はないらしい。糸魚川の町には姫川と言う大きな川が流れている。佐吉が姫川の伝説と糸魚川の由来を云々と教えてくれたが、興味がなかったのか直ぐに忘れてしまった。佐吉、すまん。
姫川の河口にある津は驚くほど賑わっていた。姫川の津は物流の拠点。日本海と信濃を繋ぐ重要拠点なのだ。糸魚川の町から姫川に沿って根知を南下し、越後と信濃の国境の山を越えてさらに南下、すると信濃は深志城に至る。
千国街道。塩の道だ。
根知を知行地としている村上義清は旧領に物を流し未だに影響力を維持している。この街道があったればこそになる。
さて、俺、蕎麦蔵の生活は一挙に向上した。当然、月さんのお陰である。
未だに親不知海岸近くの洞窟に住んでいるのだが物は増えた。寝床たる藁、着物、桶、鉈、背負子、椀、皿、箸、壺、木箱。
俺も裕福になったものだ。全ては月さんが狩った兎、猪、熊、鮭を物々交換した結果だ。
さらに現金に至っては五十貫だ。ピンとこないと思うが五十貫というのは大金だ。五十貫とは中国から輸入した宋銭や明銭が五万枚と言うことになる。当然、重くて持っていられない、そう言う意味でも大金だ。
大金を洞窟に隠すのは海賊みたいで魅力的ではあるが、青海村の名主たる根津九郎左衛門に預かってもらっている。勿論、名主の九郎左衛門も五万枚の現金で持っている訳ではなく、金や銀で持っているのだ。
あの恐かった名主は体が大きく強面で当たりが強いが人は良い。銭を誤魔化すこともなく、寧ろ心配だからと言って預かってさえくれる。そして欲しい物があれば言えとまで。
だから買い物が楽だ。クレジット払いのように現金を持ち歩かなくても良い。名主に欲しい物があれば頼むと物が手に入る。
本当にいい人だ。
名主の家はもともと武家で訳あって帰農したという話を菊さんから聞いた。今も武家としての矜持が村人を守るという行動になっているのかも知れない。
そうそう、菊さん。茂平の嫁さんは可愛い人だった。笑うと笑窪ができる丸い顔がなんとも愛嬌がある。可愛い。茂平がベタ惚れする理由がわかる。
狩った兎や鮭を持っていくと芋や蕎麦粉と交換してくれ頭を撫でてくれる。また、それが気持ちいい。物陰からの悔しそうな茂平の視線がまた心地良い。
食料備蓄も順調だ。鮭の塩漬け、猪肉の塩漬け、根菜類、蕎麦粉などが貯まった。体も小さいので食料もそれほど必要なく、この冬は楽に越せそうだ。
今日は名主九郎左衛門の頼みで熊狩りだ。糸魚川周辺の熊を狩ったのが評判となり根知からも依頼が九郎左衛門に来たらしい。
と言うことで、只今、根知の東側に出張中なのだ。熊は良い。銭になる。特に胆が良い銭になる。うはうはだ。
月さんの案内で熊に近づきつつあった。勿論、蕎麦蔵の単独行動。実際は熊に近づく必要はないのだが人の目もあるので狩りをしているように見せかけている。
それだけは面倒臭い。
『蕎麦蔵、住みかに侵入者だ』
住みかって、月さん、我が家と言ってくれ。洞窟だけれど。
しかし、我が家に侵入されたと言われても慌てる必要はない。いまから駆けつけても数時間はかかるのだ。
「泥棒かな」
『可能性はある』
「これからは防犯を考えないと駄目か。盗まれて困るものは無いけど、盗まれること事態が嫌だからな」
『観測可能なため侵入者が住みかから出てきたところを狙撃することは可能だ』
そりゃそうだ。今日は快晴だから熊狩りをしているのだ。
「うーん、それもありかな。って月さん、それって問題なんじゃないの」
『何が問題かが理解できない』
「人を殺めることはやって良いことなのか」
『勿論、可能だ』
「いやいや、駄目でしょ。だって月さんは知的生命体育成支援機構の一部なんだよね。そして人間はその支援対象でしょう』
『蕎麦蔵、お前が指摘する問題点を簡潔に述べよ』
月さん、どこの試験問題だよ。
「だから、人を殺めることは禁止事項でしょってこと」
『禁止事項ではない』
「えっ、なぜ」
『人類は支援対象ではない。我々は人類を知的生命体とは認めていない。経過観察中だ』
へっ、そうなの、人類は知的生命体ではないのか。そんな馬鹿な。
『我々の目的は知的生命体を育成する事であり、知的生命体に育成する事ではない』
ああ、なるほど、そういうことか。
例えるなら会社の新人研修だ。人類はまだ入社さえしていないということだ。新人研修は入社してから受けられる。
人類もまだまだだね。
『よって現時点において人類が滅亡しても何ら問題ない。次の種が知的生命体になるのを待つだけだ。我々に時間的制約は存在しない』
なっ、なんだと!
「月さん。もし、もしだよ。俺が月さんに人類滅亡を依頼したら」
『勿論、可能だ。ただし、そのためには具体的な指示が必要だ』
なんてことだ。人類の未来は俺の手に。
では是非にでも使わねばなるまい。これこそが、天が俺に与えた使命に違いない。
と言うことでアステロイドベルトから小惑星の移動をお願いします。
『了解した。五年程度かかる見通しだ』と月さん。簡単だ。
お前は悪魔かとの声が聞こえるが、よく考えて欲しい。過去に月さんと交信ができ狂った連中がいなかったかと。
俺は存在したとみている。
アダムとイブの失楽園。
これはきっとアダムとイブが月さんの衛星レーザーで楽園を焼き払ったのだ。だから楽園は失われた。楽園を追われたわけではないのだ。
ノアの方舟。
ノアの一家だけが神の啓示で助かる?
馬鹿言っちゃいけない。ノア一家が月さんの力で地球の氷を全て溶かしたのだ。他者を葬るために。
彼らはいずれも神の声が聞こえた。月さんと言う神と会話ができたのだ。
インドのマハーバーラタ。
中国の封神演義。
いずれも創作だ。面白い作り話だと思う。しかし、話の中で現れる超絶兵器の着想はどこから来た? 何かしらあったのだ。現実に起きた事が。
千里先を見る目。敵を薙ぎ倒す光の剣。まさしく月さんの衛星の力そのものじゃないか。
神が人に鉄槌を下すだと。
それは嘘だ。
神の名を騙るのはいつも人だ。
人が神の鉄槌と偽って人を殺めるのだ。
『蕎麦蔵、住みかの件はどうするのだ』
えー、なんだよ、月さん。せっかく盛り上がってきたのに、もう。
「そうだな、依頼の熊狩りをしてから帰ろう。もういいよ、盗賊のことなんかどうでも」
人類抹殺計画を夢想する方が楽しいよ。
月さんと熊の狩りを終え根知村の若い衆らに引き継ぎしてから青海に帰った。
若い衆らには報酬は青海の九郎左衛門へ払ってくれと頼んだし、その九郎左衛門にも依頼完了を報告した。
「良くやった」の一言だけ九郎左衛門からもらった。蕎麦蔵が子供だからと言って、その辺に手を抜かない九郎左衛門には感心する。次のやる気に繋がると言うものだ。
もう、日が落ちる。急いで我が家に帰ろう。未だに侵入者に占拠されている我が家へ。
侵入者の奴、何やっているんだよ。さっさと引き上げろ。いつまでも物色しているなよ。
弘治三年(1557年)十一月、越後、親不知にて
追い込みの八
仲良さそうに小僧と小娘が洞窟の中から出てきた。やはり洞窟の中から出てくるのは二人だけだ。噂では親は動けず人前に現れることはないと言う。
今から二ヶ月前、親不知に奇妙な小僧が現れた。多少頭の弱い子供だと言うが熊を狩った、猪を狩った、兎を狩ったといっては青海の名主の所に持ち込むのだ。
獣を狩ることは良い。山で暮らす者たちとしたら当たり前の事だ。山中はただでさえ田畑が少ないのだ。寧ろ獣を狩ることが仕事と言える。
しかし、狩る獲物の数が多い割りに狩る人間が少ない。いや見えない。子供ひとりの顔しか見えないのだ。そして、持ち込まれる獣には傷が少ない。一撃の傷だけだと言う。
異常だった。山で暮らす者たちの間で噂になった。
誰もが思う。まさか子供ひとりだけで熊狩りはできまい。数人の大人たちが関わっているはずだ。それも腕の良い大人の猟師がいるのだと。
だがしかし、もし、もしも何らかの方法で子供ひとりがそれを成しているとしたら。溜め込んでいるはずだ。食糧、毛皮、そして銭。
案の定、一ヶ月前に大金を出して下女を買ったと更なる噂が流れた。銭はあるのだとみられた。
世の中には、それを妬む者がいる。それに腹を立てる者がいる。それを奪おうとする者がいる。
目の前の男はそういう男だ。お頭はそういう男だった。
人を羨む、妬む。弱ければ虐め、奪う。
可笑しい。嗤える。小さい男だ。喧嘩だけは強いが馬鹿な男だ。
「お頭、殺りますか」
「少し待て」
ふっ、気づかれないように嗤う。
本当に小さい男だ。確実に自分より弱くないと始めない。挑むということはしない、つまらない男だ。
お頭に心服している手下はいない。皆が次に虐められないように、次に奪われないように従っているだけだ。そして、お頭に従う旨みも知っている。奪った後に分け前があるのだ。
皆が皆、馬鹿な男たちだ。
俺は違う。いつまでもこんな小さい男の下にいることも、馬鹿な連中といっしょに仕事することも考えていない。
いつか俺は成り上がる。俺はこんな馬鹿な連中とは違う。
「おい、野郎ども、行くぞ」
「「へいっ」」
「八、お前は後ろに回れ」
「へいっ」
仲間たちから離れ、小僧どもに気づかれないように後方に回り込む。木陰を走りここぞという場所に来たらお頭に合図を送る。
お頭たちが木の影から出て小僧どもに近づく。
「おい、小僧。お前が蕎麦蔵だな」
「……」
「おいっ、どうなんだ」
「…そうだけど」
「お前が獣を狩っているのか」
「違う」
ほう、たいした小僧だ。怖い顔した大人たちを前に堂々としてやがる。おまけに小娘を自分の後ろに下げやがった。
お頭が小僧どもの注意を引き付けている間に刀を抜き背後から静かに距離を詰めた。
「誰が獣を狩っている?」
「誰だっていいでしょう」
面白い小僧だ。だか、それは火に油を注ぐだけだ。
「ふざけた奴だ。そんな口を聞けなくしてやる」
お頭は刀を抜いた。それに習って手下たちも短槍を構える。
「怖いか小僧。赦してくれと泣いて頼んだら考えてやろう」
お頭の虐めだ。いたぶりだ。長い。どうせ殺るのだったらさっさと殺ればいいものを。
「……」
「怖くて声もでないか。おいっ、野郎ども、嗤え。この小僧は怖くて声も出ないそうだ」
お頭が嗤った。
仕方ない、面倒だが声を出して嗤おう。
「どうだ、小僧。ほら、頼んでみろ。俺は馬鹿だから口の利き方がわからないんです。だから、赦してください」
「……」
「ほらっ、小僧、言ってみろ」
「馬鹿はお前だ」
ぶっ。
「誰だ。今、嗤った奴は」
しまった。仕方ない。
「小娘、おめえ今、嗤いやがったな」
小娘が振り返り俺を見て首を振る。
悪いな、小娘。俺の替わりにあの世に行ってくれ。売られるよりはましさ。
「嗤ったのはお前か、小娘。もう赦せねえ。小僧と仲良くあの世に行きな」
お頭が刀を振り上げ小僧に寄る。
小娘が「ひっ」と声を上げ小僧の背を掴んだ。
「面倒だな」
はあ、小僧、何言ってやがる。お前は死ぬんだぞ。
バシッ
突然、お頭が独楽のように回って崩れ落ちた。
何?
バシッ、バシッ、バシッ
鈍い音とともに仲間の手下たちもお頭と同じように崩れ落ちた。
何だ。何が起こった。
ゆっくりと小僧が振り向き俺を見た。笑っている。次はお前だと。
わかった。この小僧が熊を狩ったのだ。こいつがひとりで狩っていたのだ。
バシッ
次回、歌と杏
作者は、洞窟で寝起きしたことはありません。
勿論、野営もしたことがありません。
でも、鍾乳洞は好きです。
龍泉、阿武隈、飛騨、秋吉、龍河、ふうー、最高!