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(閑話)流れ星と天狗、そしてのんびり

(閑話)です。

 永禄五年(1562年)五月、越後、糸魚川青海にて

 海野歌


 いつの間にか、全てが変わっていた。


 人売りされるのが嫌で逃げたのに、蕎麦蔵に買われて、いっしょに暮らす事になった。

 食べる物がなく、ひもじい思いをする事も多かったのに、ひもじい事はなくなった。

 蕎麦蔵が覚悟しろよと言って、名前を「小夜」から「歌」に変えた。

 見たこともない様な綺麗な着物や髪飾りを身に付ける様になった。

 自分より小さかった蕎麦蔵が、自分の背を超えた。

 読み書き算盤ができる様になった。

 蕎麦蔵が、幸稜に名を変えた。

 幸稜の嫁になった。


 そして、自分の事を、「俺」と呼ばず「私」と呼ぶようになった。


 幸稜のお陰で、私の全てが変わった。


 それは、今の私だけでなく、これから先の事も含めた私。


 そんな私に向かって、幸稜は頭を下げる。

「申し訳ない」と言って頭を下げる。


 不思議だ。私は、幸稜に何を謝られているのだろう。


 勿論、濃姫様の事だとは聞いるが、驚く事ではない。それは、名主様から聞いていた事の一つ。

 幸稜に、これから起こるであろう出来事の一つが起きただけ。

 織ちゃんといっしょに名主様から色々教えて貰っている。

 海野家が武家となり、大成する過程で起きるであろう事柄。そして、その事に対する側室としての心構え。


 そんなに、謝らなくても良いのに。

「ふふふ」


 私の笑い声を聞いた幸稜が、更に青い顔をして頭を擦りつける様に謝る。





 結局、幸稜から、どんな願い事でも聞くから言ってくれと約束させられた。

 私と織ちゃんは、そんな事は不要だと頭を下げる幸稜に言ったのだけれど。


 そして、私は、幸稜の一日を貰った。


 幸稜は、忙しい。


 杏姉が行っている仕事の相談。

 女たちの仕事場作り、産婦が安心して子を産める屋敷作り、寺子屋と言う子供たちの学ぶ場作り。そして、その人繰りと資金繰り。

 海野屋の時も青海の村で行っていたが、幸稜が根知の代官となったから、もっと大規模に行う事になった。

 家臣の勝頼さんは驚き、昌幸さんは感心している。



 内海屋の相談役。

 佐吉さんは、船であちらこちらを商売のために飛び回っている。

 青海の内海屋に帰ってくると、福姉と仲良く子供たちをあやしている。


 そんな佐吉さんは、やっと帰って来た幸稜を捕まえて商売の相談をしている。

 二人とも楽しそうに商売の事を話している。


 二人に「二人ともお金儲けが好きだよね」と言ったら、幸稜と佐吉さんが声を揃えて「俺たちは、商売が好きなんだ。たまたま、大儲けするだけだ」と私に言い返し、二人で高笑いする。

 端から二人の会話を聞いていると、如何に大儲けするかしか話していない様に聞こえるけど。



 外海屋の相談。

 外海屋の人で知っているのは、もと武家の大熊さんだけ。

 いつも変わった嗤いをする人だ。

 その大熊さんに会った幸稜が、ケケケと妖怪の様な笑いをする。

 どんな相談をしているのかは、誰も知らない。



 そして、子守り。

 幸稜が、これだけは譲れないと子守りを買って出ている。

 青海の浜辺で、子供たちと遊ぶのだ。

 幸稜と子供たち皆で海に向かって高笑いをしている処を見られ、大丈夫なのかと知らせてくれる者がいた。勿論、子供たちを連れて帰って来た幸稜が、杏姉に怒られていた。


 そんな忙しい幸稜の一日を貰った。

 私との約束を守るために、幸稜は、一日ゆっくり休めるだろう。


 それに、久しぶりに話も出来る。




 そして、約束の日。

 私は、幸稜と浜辺を歩いてる。


 暑くも寒くもなく晴れた日。

 心地好い風が、肌を撫でて行く。

 凪いだ海が、静かな波音を立てる。

 二人の歩みが、砂を軋ませる。


 ふふふ。

 何だか、嬉しくて顔がにやけてしまう。


「歌、転ぶなよ。後ろ歩きしてさ」


「うん、大丈夫。でも、久しぶりだね。こうやって二人で浜辺を歩くのも」

「そうだな」


「私と幸稜が出会って、もう五年も経ったんだよ。あっという間だよね」

「もう、そんなに経ったか」


「そうだよ。あの頃は楽しかったな。毎日、幸稜といっしょに、ご飯を作って。幸稜といっしょに、ご飯を食べて。今日の様に晴れた日は、海を見ながら食べてさ」

「そう言えば、そうだったな」


「でもね、今は、私がご飯を作ると、周り人たちが困った顔をするの。私が、幸稜の奥だから役目の者に指示をして作らせれば良いって言われるの」

「そうか」


「皆は、何もしなくて良いって言うけど、私も何かしたい。せめて自分の事ぐらい、自分でしたいと思う。そう思うんだけど、それは駄目みたい。困る人がでるから」


 幸稜が、立ち止まって私を見る。


「歌、今、楽しいか? 苦しいとか、困っているとか。そう言う事はないか?」

「今の話しの様な事?」


 私も立ち止まり、幸稜を見る。


「そうだ」

「うん、どうだろう。苦しくはないし、特に困っている事もないかな。だから、心配しなくても大丈夫」


「歌、右手を出してくれ」

「ん」


 言われた通りに、幸稜に向かって右手を出した。すると、幸稜に手を繋がれた。


 えっ。


 もぞもぞと手を離そうとするが、幸稜は手を離してくれない。


「歌、いっしょに行きたい処があるんだ。少し歩くが良いか」

「うん、良いけど」


「どうした?」

「手を」

「手?」

「手を離して。ちょっと恥ずかしい」


 幸稜を見上げると、困った様な顔で首を横に振った。


「駄目だ。今日は、歌と一日をいっしょに過ごす約束だ。約束は守らないとな。それに、誰も見ていないさ。それでも、駄目か?」


 確かに周りには誰もいない。

 でも、手を繋ぐなんて。


「うん」

 嬉しい。


 私と幸稜は手を繋いだまま、歩き出す。

 この歩く先には親不知がある。昔に住んでいた洞窟の家の方向だ。

 出会って最初の半年を過ごした思い出の場所。

 蕎麦蔵と会って、杏姉と福姉と秋助と冬を越した場所。



 幸稜は、何処に連れていく気だろうか。

 そう、これから先、私は幸稜と何処へ行くのだろう。


「幸稜、私の話しを聞いてくれるかな」

「ああ」


「何もできない私を買ってくれてありがとうね。そして、私と暮らしてくれて、そして、私を嫁にしてくれて。幸稜、ありがとう」

「……」


「私ね、幸稜に買われてから、ずっと考えていた。私は、幸稜に何をしてあげる事ができるのだろうって。私ができる事はなんだろうって」

「……」


「ご飯を作る事ぐらいしか、私はできない。福姉や佐吉さんの様に店は手伝えない。杏姉の様に新しい事を始める事はできない。織ちゃんの様に武家の事は分からない。皆の様には、私はできない」

「……」


「こんな私が、この先も幸稜といっしょで良いのかな?」


 波際を二人で歩く。

 幸稜が、海から私を守る様に、手を繋いで。


「歌、俺の話しを聞いてくれ」

「うん」


「俺は、一人でも生きていけると思っていた。銭は稼げる、食い物も手に入れられる、住む処もあった。だから、一人でもやっていけると思っていたんだ」

「うん」


「でも、歌が、俺の処に来てくれて楽しかった。歌といっしょに暮らす事が楽しかったんだ。歌が、いてくれたから、杏たちを助けようと思ったし。海野屋を作ろうと思ったんだよ」

「私じゃないよ。幸稜の力だよ」


「いや、歌が、俺の力の源になってくれたんだ。歌、俺の処に来てくれてありがとう」


「う、うん」

 照れるよ。


「歌は、自分は何もできないって言うけど。だからと言って、不幸になりたい訳じゃないだろう」

「うん、不幸は嫌かな」


「俺も、歌が不幸になるのは嫌だ。俺の嫁が不幸になるのを黙って見ているほど、俺は薄情でもない積もりだ」

「うん、知っている。幸稜は、優しいもの」


「何かできるから、幸せになる。何もできないから、幸せになるのは許されない。そんな事はないさ。何もできなくても、幸せになっても良いんだよ」

「そうかな」


「そうさ、だから俺と歌は、出会ったんだ。神様が、仏様が、お日様が、歌と俺を出会える様に仕組んだのさ。歌に幸せになりなって。俺に幸せになりなって」

「うん」


「それに、歌が幸せになるのが、俺の幸せでもあるんだ」

「うん」


「歌、織、杏、福、秋助、前、妙、皆だ。皆の幸せが、俺の幸せさ」


 幸稜が、私に微笑む。


 子供の癖に銭を稼いで商家を作り、商売を拡げて武家になり、戦に出て帰っては、代官になった人。

 私に幸せになれと言ってくれる人。


 不思議な人。


「ねえ、幸稜って、何者?」


 幸稜が、首を傾げた。

 聞こえなかったのかと思い、もう一度、聞いてみた。


「ねえ、幸稜って、何者?」

 

 幸稜が、私の問いに答えず、困った顔をする。


「私ね、ずっと不思議に思っていたの。蕎麦蔵って不思議な子だなって。家族がいないのに平気だし、あっという間に銭を稼いで、金持ちになって武家様までなってしまうし。今は幸稜に名が変わって、根知の代官になったし」


「……」


「幸稜は、天狗の子なのかなって」

「天狗の子?」


「うん、幸稜って、星石とか、流れる星とか、好きだよね。一人でよく夜の星を見ていたのを知っているの」


「まあ、星石とか流れる星が好きだけど。それと天狗の子って関係あるのか」


「寺子屋の和尚様から教えて貰ったの。唐の国では、流れる星を天狗って言うんだって。吠えながら天を駆ける犬の事を天狗って言うんだよって。可笑しいよ、天狗が犬だなんて。天狗様と言ったら赤ら顔に長い鼻、翼があって空を飛べる山伏みたいな人なのにね」


「へー、流れ星が天狗ねえ。初めて知った」

「でしょう。変だよね。でもね」

「でも?」


「でも、和尚様の話しを聞いて、幸稜は、天狗の子だ、天狗だって思った。人のできない事ができる天狗だって思った。だって、幸稜は凄い人だもの。私を助け、杏姉たちを助け、色々な人を助けているでしょう」


「いや、俺は、歌が言う様な凄い人なんかではないよ」

「ううん、凄い人だよ。私には想像もできない事を次々とやっている人だもの。だから、幸稜は、天狗の子」


「そっか。だったら、歌には、ずっと俺の側にいて貰わないと困るな」


「えっ」

「着いたよ」


 幸稜に着いたと言われた処は、懐かしの洞窟だ。

 二人で洞窟の中に入る。


 洞窟の中には何もない。

 青海の海野屋に引っ越した時に、全てを運び出していた。


 何もない、ガランとした洞窟。

 五人で一冬を越したとは思えない。


 懐かしい。


「あっ」

「どうした?」


 私は、思い出した。

 幸稜は、昨日、「明日は任せてくれ、歌」と言って姿を消していた。


「ひょっとして、昨日、ここを片付けたの。私と、ここに来るため。今日のために?」

 私の問いに、一つ一つ頷く幸稜。


 もう。


「良し、歌、今日は、のんびりするぞ。二人きりでのんびりだ」

 照れた様な幸稜が、私の手を引き洞窟の外へと導く。

 湯気が上る露天風呂へと。


 綺麗な湯をたたえた風呂は、既に良い湯加減の様だ。


 もう、いつの間に。


「歌、いっしょに風呂に入るぞ」


 えっ、私も。


「安心しろ。誰もいないよ。俺だけだ」


 幸稜は、屋敷から持ってきた、飲み物やら弁当やらを包んだ大布を肩から下ろし、着物を脱ぎ始めた。

 そして、全て着衣を脱ぎ捨てて真っ裸になると、持参した手桶で、体に湯をかけてから湯船へと入っていく。


 ねえ、全部脱ぐの?


「どうした、歌?」


 なんで不思議そうな顔をするのよ。もう、幸稜の馬鹿。


「幸稜、あっち向いていて」


「何でだよ」と言って、幸稜が背中を向けた。


 いくら旦那様しかいないと言っても、この様な日が高い刻限に裸になるのは恥ずかしい。


 もう。


 どうしようか迷った。

 幸稜が、呑気に鼻歌を歌って待っている。

 仕方ないので、裸になり湯をかけてから静かに湯に入った。そして、そろりそろりと幸稜の隣に移動する。


「ふう、気持ち良いね」

「だろ。皆には申し訳ないが、今日、俺と歌はお休みだ。のんびり景色と湯を楽しもう」

「うん」


 緑色になった山。

 穏やかになった海。

 これから、青海は良い季節になる。


「ねえ、幸稜」

「ん」


「さっきの話しを教えて」

「さっきの話し?」


「うん、幸稜が天狗の子だと、私が……」


「ん?」


 さっきの話しを覚えてない振りをした幸稜が、側にいてほしいと言った事を、私に言わせたがる。


 もう、そう言う処は、子供なんだから。


「むっ」

 だから、私は、怒った振りをする。


「ごめん、ごめん。俺が、天狗の子だったら、歌には、ずっと俺の側にいて貰わないと困るって話しだろ」


 怒った振りのまま頷く。


「そう、怒るなよ。ごめんな」


 幸稜は、湯から出て湯船の縁に腰掛けた。


「俺は、間違いなく天狗になる」

「うん?」


「慢心して自分も周りも見なくなる。天狗になって、皆に迷惑をかけたり、我が儘になったりするだろう。まあ、俺の事だから自信がある」

「変な自信」


「だから、歌は一生、俺の側にいて、俺が天狗にならない様に止めてくれ。俺が天狗にならない様に、ずっと側にいてくれ」

「馬鹿……うん」


「良し」

「でも、私は何もできないよ」


「そんな事はないさ」


 幸稜が、私に手を差し出す。


「歌、俺の子を産んでくれ。俺と歌の子だ、きっと可愛い子になるぞ」


「……」


「歌、おいで」


 幸稜の馬鹿。

 今日は、のんびりするって言ったじゃない。


「うん」


 私は、幸稜の手を取った。


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