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沙汰と女の戦

 永禄五年(1562年)四月、信濃、信府にて

 海野幸稜


 さて、沙汰を申し付けねばならない。


「濃姫様、沙汰を申し付けます」

「はい」


 濃姫様の表情が固くなり、覚悟を決めた気が伝わってきた。


 正直な処、どの様な罪なのか、どの様な罰が相応しいのか、分からない。

 それを決めよとの、村上様からの問いがあり、温泉に浸かりながら考えてみた。


 果たして、相応しい罪、そして、その罰とは。



「どうした、幸稜」

 考え込む俺に、村上様が先を続けよと促す。


 考え方は間違っていないのだと自分に言い聞かせるために、もう一度、館の間にいる者たちの顔を見回した。


 村上様、濃姫様、濃姫様付きの侍女、そして俺を入れて四人が間にいる。



 罪とは何か、罰とは何か。


 村上様は、俺の判断を試している。

 これから根知の城代とし統治が任せられるかだ。

 統治の内容には、人を裁く事も含まれている。

 いや、ひょっとしたら統治とは裁く事なのかも知れない。


 皆が、人の上に立ちたがる。

 人を統治して、人を裁いて、何が楽しいのだろう。


 人を支配できて嬉しい?

 人を裁く側で楽しい?

 人の上に立てて良かった?


 全然、嬉しくも楽しくも良いとも思えない。


 今は俺が生きていた現代の世ではない。この世では命がけで人の上に立つ事になる。

 命をかけて真剣にやらねばならない。


 一歩間違えれば、一揆、謀叛、そして、下剋上が待っている。



 面倒事としか思えない。


 これまでは白黒つけるだけで良かった。

 悪者をあの世に送るだけで事が足りた。

 今後は、罪と罰に幅を持たねばならない。

 罪人の罰を全て死罪としては、統治など成り立たなくなる。罰に至る罪を、理を持って説明できねばならない。


 全く持って、面倒な事だ。



 だがしかし、俺には家臣がいる。


 勝頼と昌幸と、二人も家臣がいる。

 この様な時のための家臣だ。

 城代の仕事は、勝頼と昌幸に丸投げだ。けけ。


 いや、丸投げしたと村上様に知られたら、俺が怒られる。仕方ないので、指針ぐらいは出してやろう。俺も鬼じゃない。


「ガンガン行こうぜ」と些細な悪事を働く者らも容赦なく首をはねる。もしくは、「命は大切に」である程度の温情を持って沙汰を出すかだ。


 まあ、どちらでも良い。

 俺には、他にやりたい事がたくさんある。


 この丸投げも、勝頼と昌幸と言う若い二人の成長を思えばこそだ。これは、二人の成長に必要な事なのだ。


 二人の将来のためなのだ。


 俺が、自分の仕事で忙しいからだけではない。

 これは、二人の試練であり鍛練だ。うけけ。



「これ、幸稜、一人笑っておらず。説明せぬか」

 村上様が、俺を妄想から引きずり出す。


 なぜか、濃姫様の顔が青い。


 あれっ、ひょっとして俺の笑いのせいかな?

 濃姫様、大丈夫ですよ、俺はこう見えて優しい男です。自称ですけどね。



「濃姫様、もう一度、確認させて下さい」

「はい、幸稜様。どの様な事でしょう」


「この度の一件、濃姫様には本当に申し訳なく思います」

「幸稜様は、私との事を申し訳なく思うのですか」


 濃姫様の顔色が戻り、怒った様な、拗ねた様な表情になる。

 初回の時にも、申し訳ないと謝ると同じ様な顔をした。


「……」

「それで、幸稜様は私に何を聞きたいのですか」


 既に、顔の青かった濃姫様はいない。

 俺と濃姫様のやり取りで、村上様と侍女が溜息を吐いた。まるで、俺が悪いかの様に。


「二度も某に薬を盛ったのは、間違いないですか」

「ええ」

「あくまで薬であり、毒ではない」

「ええ、薬です。毒など盛る訳がありません」


「なるほど、あれは薬だと」

「え、ええ」


 濃姫様の頬に赤みがさす。


 確かにあれは、毒などではなかった。

 自分では制御できない程の肉欲にかられ、目の前の女に襲いかかり、無我夢中で事をなすだけの薬。

 そして、事が終わると糸が切れた人形の様に動く事も叶わぬ薬だ。


 毒ではない。


 一度目は、機嫌伺いの時に出た茶に入れられていた。

 二度目は、一度目の謝罪伺いの時に出た茶に入れられていた。

 一度だけなら仕方ないが、二度もとなると俺が間抜けなだけだ。


 謝罪伺いの時は、関係を持った人妻にどの様な顔で会ったらと緊張したのと、獣以上にさかる自分の行為の記憶が恥ずかしく、汗をかき過ぎて喉が渇き、目の前の茶に手を伸ばした。

 注意はしていたのだが、濃姫様の顔を見たとたんにそんな事はどこかに飛んでいた。


「その薬は濃姫様も飲まれていた」

「ええ」


 濃姫様の顔が更に赤くなった。


「その薬を盛ったのは、濃姫様の指示でしょうか」

「ええ、そうです」

「姫様」

 濃姫様は肯定したが、侍女は否定の声を上げる。


「無茶な事をされる。その様な事をせずとも、某は姫様方に無体な事はしません」


「今は、そうかも知れません。ですが、これからは、そうでないかも知れません。先の事など誰にも分からないのです。私にも、幸稜様にも」


「だから、女の戦ですか」

 濃姫様が頷く。


 濃姫様と侍女の二人には聞いていた。

 これは、「女の戦なのだ」と。


 他家に質に入った人間が、平安な日々を他家で過ごせるかと言えば、皆が皆、そうではない。


 質に入って直ぐに殺される事もある。

 住居や食事の用意がなく、持参金から手当てしなければならない事もある。

 女であれば体を要求される事もある。

 そして、質として用がなくなったら家に帰して貰えれば良い方で、悪ければ殺されて終わりだ。


 だが、質を取った家にも体面がある。

 質を大切にする家だ、それだけの余裕がある家だ、と他家に知らせる事を利だと考える相手であれば良いが、そうでなければ、質の扱われ方は知れている。


 歴史は力ある者に創られ、質のような些細な事は、歴史の外に埋もれていく。

 だから、その戦いは人知れず行われる。


 女の武器を使って男を籠絡させる。

 男に情けを抱かせ、己の意図を男に反映させる。

 己を守るため、自家を守るために。

 こんな事は、古今東西枚挙にいとまがない。


 戦で敗れた女子供を含む一族が皆、自害する事や斬首される事など珍しくはない。それを回避するための戦いでもあるのだ。



 村上様は、濃姫様に選ばれた事を名誉に思え、謝る必要はないと言った。そして、情けを持たぬ様に気を付けろと加えた。


 俺が、濃姫様に選ばれた理由は只一つ。

 質である姫様たちの面倒を見るのが、俺だからだ。



 いざの時、情を通じた俺が逃がしてくれるかも知れないし、盾になってくれるかも知れない。俺と繋がっていても損はないのだ。

 この度の濃姫様の行動は、市姫や犬姫たちを何があっても守ると言う意志でもある。


 たぶん、その時が来たら、俺は姫様たちを逃がしてしまうだろう。

 悪いが、もう情ができた。

 俺には、あれをなかった事にはできそうもない。



「幸稜、如何した」

「いえ、何でもございません。では、濃姫様、一度目も指示されたと言われるのですね」

「ええ、そうです」


「海野様、口を挟む事をお許し下さい」


 侍女の発言に、濃姫様が何か言おうとしたが手で止めた。そして、侍女に向かって頷く。


「海野様、全ては私の一存で行った事でございます。姫様には何も咎はありません」


 濃姫様が、侍女の名を呼び嗜める。何も言うなと取れた。しかし、侍女は続ける。


「姫様は、お覚悟はお持ちでしたが、只それだけでございました。それを見かねた私が海野様と姫様に薬を盛ったのでございます。故に罰は私が受けます」


「幸稜様、私が侍女に命じたのです。この者に罪はありません。この者は尾張に返します。罰は私が受けます」


 二人ともお互いを庇う。

 この二人は美濃時代からの主従と聞いている。


 村上様が大事にせぬ方が良いと、四人だけでの話し合いにして正解だった。


 俺は小心者だから村上様に報告したが、どうやら、こういう事は当事者だけの腹に収める事らしい。

 話しを拡げると拡げただけ、解けなくなる類の話しだからだ。


 村上様には、報連相を大切に、でやってきたが、城代となって村上様と離れたら己自身で解決しなければならない。


 はあ、これからは腹に収める事も多くなりそうだ。


 この事を歴史の表に出しては、上杉と織田との話しに替わってしまい、上杉も織田も面子のために引けなくなる。


 罪と罰がどの様になろうと、内密に処理するしかない。それは、濃姫様たちも分かっていての所業だ。


「お二人の話し、良く分かりました。先ずは、某の濃姫様への謝罪を撤回いたします。これも戦なのだと良く分かりましたから」

「はい」


「某に薬を盛った件、お二人とも不問に致します」

「えっ」


「一度だけならいざ知らず、二度もとなると、某が間抜けだっただけの話し。ここで二人を責め、罰を与えたとあっては、某が真の大馬鹿者となりましょう。それでは、これまで共に戦ってきた村上様や須田様にも迷惑をかけます。故に、お二人とも不問とします」


「幸稜様」


「ですが、この度の事、全てを不問にもできません。某の間抜けと、濃姫様たちの所業のため、城代として根知に赴任するのが遅れました。これは罪です。罰を受けねばなりません」


「それは、どの様な罰となるのでしょう」


「侍女には左右の手の平に鞭打ち五ずつ、その鞭を打つのは濃姫様です。そして、鞭打ちを数えるのは某が行います。濃姫様、これは罰です。力強く鞭を打たねば、某は数を数えません。宜しいですね」


「分かりました」

 濃姫様と侍女が頭を下げた。


「村上様、これが、この度の一件の沙汰でございます」

 俺も村上様へと向き直り頭を下げる。


「まあ、よかろう。罰は必ず行う様にせよ」

 そう言うと、村上様は立ち上がり間を出ていった。


 暫くして、頭を上げた濃姫様が俺に言う。

「幸稜様、この度の沙汰、ありがとうございます。毒ではないとは言え、薬を盛ったのは、許される事ではありません」


「濃姫様、今後は、無茶な事はしないで下さい」


 ああ、なんて甘い男なんだろう。これじゃ、示しがつかないし舐められる。

 だが仕方ない、俺はこういう男だ。


「幸稜様、それは薬なしでお相手してくださると言う事かしら」

「濃姫様、お戯れを」


 俺がそう返すと、ほほほと濃姫様は口に手を当てて笑った。

 隣の侍女が溜息を吐いていた。




 後日、俺たちは罰を執行した。


 濃姫様が、涙目になりながら侍女の手に鞭を入れる。俺の顔色もきっと青くなっている事だろう。


 思った以上に鞭打ちに威力があるのだ。


 三発目には手の平の皮が裂け、血が出た。そして、みるみる間に手が腫れて、その膨らみはもとの倍にもなった。

 侍女の顔にも血の気がなく、蒼白だ。

 それでも侍女は、声も出さずに最後まで耐えた。


 刑罰が終わると、濃姫様が涙を流して、謝りながら侍女を抱き締める。

 抱き締められた侍女は、微笑んで濃姫様に大丈夫ですよと答えた。



 そんな二人を見て、俺も目頭が熱くなった。



 ちまちました罰の執行は、俺の心を削る。

 手の平を叩く鞭の音が、未だに耳に残っている。


 俺には「ガンガン行こうぜ」が合う。

 温情をかけ罪を裁き、慈悲深い罰を執行するのに立ち会うのは、俺の純粋な心が耐えられない。

 一思いに切り捨てた方が、心の負担が少ない事が良く分かった。


 だからこそ、勝頼と昌幸には「命は大切に」を指針に領内を治めて貰おう。

 俺には合わないが、彼らならば上手く治めてくれるだろう。

 これは、試練なのだから。




 侍女の手の傷が回復するまで、信府に留まる事にした。

 罪の根拠である赴任が遅れた事は方便であり、今さら急ぐ理由もない。


 暇があると濃姫様たちが滞在している屋敷に顔を出しては、他愛ない話しをするようになった。


 事件を共有する者たちが持つストックホルム症候群の様なものだと思う。

 勿論、犯人は濃姫様たちで、被害者は俺だ。犯人の考えに共感し、好意的な気持ちを持ってしまった。


 俺が、濃姫様と仲良く話しをしていると、笑い声が気になるのか、顔を出した市姫様が俺に嫌味を言う。


「幸稜様は、とても姉上と仲が宜しいのですね。今日も姉上が心配になって屋敷に顔を出したのですか。お忙しい事で」


 すると、いっしょにいた犬姫様が俺に耳打ちする。

「市姉上は、濃姉上と幸稜様がとても仲が良いのが羨ましいのですよ」と。

「どうしてですか」と聞くと。

 こう答えた。

「だって、幸稜様は市姉上に懸想しているのでしょう」






 村上様からは、濃姫様の相手は適度にする様に言い渡されている。女性は何かの切っ掛けで変貌するものらしい。

 只でさえ、妹たちを守ると言う重圧の中で過ごしているのだから、適度に相手をして暴発しない様にせよとの命だった。


 優しい濃姫様が変貌なんて。

 ないない。



 まさかね。


 ヤンデレなんてないですよね、濃姫様。



次回、独立と帰郷



仲良くなること、それは、よく話しをすることです。

話し内容など、何でも良いのです。

次回、幸稜は越後に帰ります。

皆、元気だったかな。



次回、来週水曜日(7/18)の投稿目標です。


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