整理と永禄の流星群 その二
永禄五年(1562年)四月、信濃、浅間にて
海野幸稜
ふう、少し、休もう。
湯船から出て、脇にある石に腰掛けて体を冷ます。
そして、持参した陳皮で入れた茶を飲む。
ふう、旨い。
柑橘系の爽やかな味わいが、悩みを吹き飛ばしてくれそうだ。
まだ考えねばならない事があるが、後回しだ。一人の時しかできない事もある。
決して、憂さ晴らしを先にした訳ではない。
「ねえ、月さん、計画改はどうだろう」
『幸稜、計算上は可能だ。それにともなう変化についてだが、東にある低い山脈への降水量が増大する程度だろう。しかし、副作用もある。地軸が少し揺れる』
月さん、地軸が少し揺れるって。
まあ、良いか。地球の長い歴史から見たら誤差の範囲だ。
「良し、それでは、ハ号改計画開始だ」
『了解だ。ハ号改計画を開始する』
新しい計画の発動。
改だけどな。
俺は、月さんと計画のシミュレーション結果は確認して、新たな計画を開始した。
直ぐに結果は分からないが、頭の中で描く地図を思うだけで楽しみだ。
計画の場所は、東ヨーロッパ平原。
そこは、日本の面積の十倍以上あるという想像もできないほど広い平原だ。
平均標高は170メートルで、最高峰の丘陵でも標高350メートルと言う。
日本の地形に比べれば、真平と言っても過言ではない。
その平原の中心部に都市がある。
そして、都市を南北に蛇行しながら流れる河がある。都市の名の由来となった川だ。
その川の名は、モスクワ川。
そのモスクワ川は大きな川なのだが、ヴォルガ川水系の支流の一つに過ぎない。
ヴォルガ川は欧州最長の川で、長さは3500キロメートルを超え、カスピ海に注いでいる。
そして、その流域面積たるや、日本の面積の3倍強もある。
そんな大河ヴォルガの下流には、良い感じの渓谷がある。
ふふ。
もし、この渓谷が埋まったら。
空から大きな星が降ってきて、渓谷をふさぎ、河を塞き止めたら。
あら、不思議、モスクワを含む大平原が、大湿地帯に早変わり。
こりゃ、大変だ(棒)。
注ぎ込む大河が無くなったカスピ海は干上がり、キャビアは食べられなくなるが、大湿地帯に別の名物ができる事だろう。
確か、ロシアはイワン雷帝の時代。
雷帝による欧州の征服を。
欧州にフン族やモンゴル族の再来を。
ロシア人だけどな。
ロシアの大地を失う恐怖で、過去のフン族やモンゴル族の様に欧州を蹂躙してくれたら面白い。モスクワが水没したら真剣に攻めるだろう。
うふ、楽しいな。
ちなみに、地軸が揺れるというのは、小惑星を衛星軌道上から自由落下させるのではなく、落下速度を制御しながら落下をさせる時の副作用だ。
上手く地盤を削るためと、衝突による粉塵拡散を防ぐためだ。
地軸の揺れ。
河を塞き止めるための些細な副作用だ。たぶんな。
欧州大陸は、寒冷化と雷帝の侵攻で混乱する。
あとは英国を何とかしたいが、いずれ英国と大陸国との大海戦が起こる。英国が海洋覇権を画策する限り、必ず起こるだろう。
その時が来たら、英国の全ての船を焼き払ってやる。勿論、海戦相手の船もだ。
楽しみは後に取っておこう。うけけ。
イ号計画の南蛮船焼払計画は継続中。
東南アジアとインドを結ぶ航路の南蛮船はかなり少なくなった。完全駆逐も遠くない日に実現できそうだ。
欧州の南蛮船は、東南アジアとインドを結ぶ航路、インドと南アフリカを結ぶ航路、南アフリカと欧州を結ぶ航路と三つの航路で使用する船が分かれていた。
しかし、イ号計画によって船が不足する航路へと、船を移動させている。
欧州に戻る船はあるが、欧州から来る船はないためだ。
いずれ、全ての航路を外海屋が頂く。
西アフリカまでだけど。
これはこれで、笑いが止まらん。
ロ号計画の欧州寒冷化計画は継続中。
欧州は当分の間、飢饉が続く。
ハ号計画のウラル五月雨計画は、ハ号改計画へと進化。
ハ号改計画の進捗次第では、ウラル五月雨計画の終了もある。
東を隕石落下で牽制しておけば、雷帝は西に進んでくれるだろう。
当面の欧州対策はこれで良い。
さすがに欧州といえども、この状態で経済や科学の進歩はないだろう。まさか進歩しないよね。
次は明朝。
ニ号計画発動だ。
「月さん、ニ号計画も発動だ」
『了解した。ニ号計画を開始する』
明朝にも動乱を。
明朝が興って二百年、そろそろ皆が腐敗した役人ばかりの明朝に失望し、新たな王朝に期待しだす頃。
中国歴代王朝は、武力統一、功臣粛清、役人腐敗、門閥戦乱、そして、武力統一を繰り返す。
今、明朝は役人腐敗を通りすぎ、門閥戦乱に入る一歩手前。
何か凶兆があれば、すんなりと易姓革命に突入できるだろう。
と言う事で、慎んで凶兆を進呈する。受け取ってくれ。
異民族に征服され清朝となるか、それとも新たな民族王朝となるか楽しみだ。
ニ号計画は、明の内陸部に、海津城に落とした規模の小惑星を十数個落下させる計画だ。数個を都市に、あとは乱数的に。
ただし、沿海部には落とさない。手違いで外海屋の船や人に被害がない様にだ。
星が落ちる。これは凶兆だ。それは明朝が悪いからだ。そうだ、悪い奴は倒してしまえ。
さて、欧州、明朝には星が落ちた。
これで日の本に落ちないのは、不公平と言うものだろう。
俺は、贔屓はしない。平等が信条だ。
嘘です。申し訳ない。
さてと、日の本への星降りだが。
『幸稜、お前の処に近づく者がいる。ゆっくりではあるが、確実にお前に近づいている』
なぬ。
「方向と、人数は?」
『南側50メートル、一人だ。ゆっくりと移動している』
「鉄砲は?」
『これまで火縄の熱源反応は観測していない』
何だよ、良い処だったのに。邪魔しやがって。
岩に座って休んでいたので、体は十分冷えていた。刀は万が一の時にと、肌身から離さない癖ができているので、いつも手元にある。
来るなら来い!
俺は、戦わないけどな。
月さんがいるし。
それに、ぷらぷらしなから戦う趣味は、俺にはない。
俺を暗殺だろうか?
ないない。それ、誰得だよ。俺はそんなに知名度はない。
あれがバレて、早速、刺客が!
それもないな。早すぎる。それに村上様の話しでは、人知れず起きている事らしい。
まさか、覗きか!
「……」
分からん。単なる通りすがり者とか。
「月さん、動きは」
『30メートル手前で停止した。動きはない。狙撃するか』
あの辺か? いないぞ。
「見えないんだけど」
『風景の色に溶け込み、認識できない可能性がある。だが、光学的にも熱源分布的にも人だ』
「今も動きはない?」
『静止している』
監視だろうか。何のために?
小石を拾い、謎の相手が潜んでいる場所目掛けて投げる。
「動きは?」
『ない』
更に幾つか小石を拾った。そして、連続して投げつけた。
これで引き下がるなら、見逃そう。しかし、近づく様なら残念だがあの世に行って貰う。
さあ、どうする。
『後退を始めた』
謎の者が、引き下がってくれた。
一体、何者だろう。
まあ、害がなければそれで良い。俺は忙しい。
「月さん、他に近づく者はいるかな」
『いない』
「そう、ありがとう。では再開だ」
『了解だ』
さすが月さん。地表観測できる時は頼もしい。
良し、体も冷えたし、続きは風呂に入ってと。
陳皮の茶を一口飲み、再び、温泉風呂に入る。
日の本に星降りを実行する時は、注意が必要だ。俺がやっていると結び付かないように落とす事が望ましい。
正体を知られると面倒事になる。
であれば、明に対してやった様に乱数的に星を落とすのが一番であるが、それでは日の本で星を落とす意味がない。
折角、小惑星を落とすのだから日の本ならではの効果を出したい。
俗に言う費用対効果だ。ちょっと違うか。
目的あっての手段だ。
よく手段が目的化する事があるが、気をつけなければならない。目的は目的、手段は手段だ。
星降りが目的ではない。たぶん。
でも、たくさんの星が降ったら歴史はどうなるのだろうとの興味も尽きないのも確かだ。
そこで、実利を求める星降りと、興味を満たす星降りを混ぜて実行する。
落下目標は決定している。俺の商売を邪魔する者が狙いだ。
外海屋が交易で使う国際通貨は銀だ。現時点では、日の本で産出する銀に頼らざる得ないのが実情。将来の対策は考えてあるが、それは将来の話し。
そして、今、その銀の産地が攻められている。手当ては外海屋と内海屋を動かしてやっているが、相手も巨大だ。星降りという支援も必要だ。
我らに、安く手に入る銀を守らねばならない。
高い値の銀はいらん。儲けが減るからな。
さて、作戦概要は、本命箇所に少し外して星を落とす事だ。
それで戦にかまけている暇がなくなれば、それで良し。
その上で、噂も流す。
明と同じだ、星が落ちるのは施政者が悪徳なのだ。
「と言うことで、月さん、今宵の準備をしようか」
『了解だ。計画の要望通りに虹色7色を出す事は困難だ。落下速度や小惑星の材質によって赤系統の3色で良ければ可能性がある』
「良いね。さすが月さんだ。では、その3色で夜空を飾ろうか」
『了解した。では幸稜、最終確認だ。流星物質の数は10000程度。実施時間は開始から360分間とする。よって1分間に25から30の流星が夜空を通過する事になる。また、落下速度の調整により概ね3秒程度の発光時間だ。流星は弧状列島を西から東に横断する。その地域の今夜の天候は晴れ。全ての該当地域で観測が可能だ。当然、幸稜のいる場所からも観測できる』
うほい。壮大な天体ショーだ。
こりゃ、見ごたえある。
4時間もの間、次々と夜空に星が流れるのだ。それも色とりどりに。
「隕石の落下分布は」
『流星物質10000の内、地表まで到達するのは約30だ。後は全て燃つき、地表には塵となって降り注ぐ。大質量の物は一つのみ、予定落下地点に落とす。残りは大小の石程度を田畑や山林に落下する様に軌道を調整済みだ。問題がある場合は、レーザーにより軌道を変えるか、破壊する予定だ』
「完璧だよ」
『幸稜、始めるか?』
さてと。
温泉の湯船から西の空を見る。
日は傾き、山の稜線や少ない雲を赤く染め始めていた。
日没まで半刻もかからないだろう。
温泉に入りながら流星群を眺めるのもおつだ。
今日は良い日になりそうだ。
「良し。月さん、始めよう」
『了解』
さてさて、どうなることやら。
ブクブクブク。
永禄五年(1562年)四月二十五日。
酉の刻を過ぎた頃、赤く染った空に流星が流れだした。
西から東にと流れる星は、日が落ちるとともに、更に輝きを増す。
薄い赤、黄色い赤、濃い赤。
次々と輝く星が尾を引いて流れる。
北九州、瀬戸内、近畿、濃尾、甲信、関東を軸としてと広範囲に晴れた夜空を彩る。
最初は凶兆だとおののいた人々も、気がつくと、きらびやかに夜空を輝いて流れる星を声もなく見上げていた。
果てる事のない夜空の流星群を見守る。
沖にいる船の上から。
城攻めの本陣から。
会合で疲れた帰り道から。
見張られた屋敷の庭から。
波の音を聞きながら。
息子と碁を打ちながら。
そして、湯船に浸かりながら。
次回、沙汰と女の戦
勝頼、昌幸を家臣にしました。
有名な二人ですが、まだまだ少年です。過度な期待はできません。
永禄五年(1562年)時の登場人物の年齢
濃姫 27*
市姫 15
犬姫 12
真田昌幸 15
諏訪勝頼 16
海野幸稜 15*
*は推定
次回投稿は、次週水曜日(7/11)を目標にしています。




