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和睦の条件と遠江の蜜柑

 永禄五年(1562年)三月、美濃、明智城にて

 海野幸稜


「某は織田家臣、村井貞勝と申します」

「同じく柴田勝家でござる」


 壮年の男二人が、上座にいる村上様に頭を下げる。


 村井貞勝、織田信長の信頼も厚い家臣で、織田家の政事を取り仕切っているのがこの男だ。

 片や、柴田勝家は、信長の同腹の弟である信行の家老だった男。己の主の信行を織田家の当主にするため、信長を排除しようと企む一味に加わった。しかし、信長との戦に敗けて信行を見限り、信長に下った過去がある。

 織田家でも指折りの猛将が、この場にいる。村井貞勝の護衛なのだろうが、織田信長は未だに勝家を試しているのかも知れない。


 頭を上げた二人は対称的だ。

 村井貞勝は、村上様から目を反らさず、言葉を待っている。

 柴田勝家は、織田家臣の二人を囲む様に座る上杉の武将たちに品定めするように目をやる。


 貞勝は和睦の交渉を、勝家は上杉方の武将の吟味を、とでも信長に命じられたのであろう。


「儂は、上杉家臣の村上義清だ。早速だが、どの様な用件で参られた」

「はい、上杉と織田の無益な戦の和睦を願いに参った次第」

「ほう、我ら上杉方と、そなたら織田方の戦が無益と言うか」

「左様。上杉、織田の双方に無益にごさいます」


「村井殿、その訳を教えて貰おう」

「その前に、一つ教えて頂きたく。上杉様は関東管領様。管轄外の美濃尾張を望まれるのでしょうか?」


 さすが、良いところを突いてくるな、村井貞勝。


 足利将軍家による世が始まった頃、関東公方が生まれた。将軍家主流が、非主流の者を将軍代理として、遠地管理を名目に関東へと追いやったのが始まりだ。その様な成り立ちであるため、基本的に京の将軍家と関東公方家は対立関係にある。


 その足利一族で将軍の代理たる関東公方が、管轄する地域の西は甲斐の国まで。信濃はおろかもっと西にある美濃や尾張は管轄外となる。


 その関東公方の補佐であり管轄地域の守護を統括するのが関東執事だ。

 しかし、時を経るに従って関東公方と関東執事の力関係は逆転。いつの間にか関東執事が関東管領と呼ばれ関東武家の頂点となっていた。


 足利将軍の権威を認め、更に足利幕府の一翼を担う関東管領となった御屋形様は、管轄外の美濃尾張を治める、つまり、足利幕府を蔑ろにするのかと、村井貞勝は問うたのだ。


 当然、関東以外の地を治める場合に想定された問いだ。想定内の問いだ。


「御屋形様は武田征伐の折りに、武田が治めていた地に無用な混乱が起こらぬ様に我らを遣わした。我ら上杉勢に美濃尾張を攻め取る積りなどない」

「村上殿、我ら、その言葉を聞いて安心いたしました。では、上杉様は美濃尾張から退かれると言われるのですな」

「これは異な事を言われる。未だ、東美濃を狙っておる、お主ら織田方がいる。それに三河の松平は失策で寺社や家臣と揉めているとの事。とてもではないが、このまま東美濃から退く事はできぬ。その様な事をしては、民草が混乱せぬ様にと言われた御屋形様に顔向けができぬ」


「東美濃を狙っているなどと、織田家に上杉様の領地を攻める気は一切ありませぬ。それは誤解と言うものなれば」

「何を言われる村井殿。岩村、犬山、岩倉と、織田家は我ら上杉勢と幾度も戦ったではないか」


「それは、全て尾張の草民を守るための戦。先の通り織田家に上杉を攻める理などありませぬ。そして、上杉様は東美濃の安永を望まられておる。であれば、織田と上杉が争うのは無益と言うもの」

「織田は、上杉を攻めてはおらぬと」

「左様」


「犬山、岩倉での戦は尾張の国故、その様な話でも良かろう。だが、岩村への派兵は如何いたす」

「その事は、そちらにいる遠山殿からの後詰めの頼みに応えたまで。結んだ相手の頼みを断るほど織田家は不義ではありませぬ。それに遠山殿からの書状では武田が尾張を喰おうと攻めて来たとありました。相手が甲斐の武田信玄であろうと、我が殿が退く事はありませぬ」


「駿河の今川義元が、尾張に攻め込んだ時の様にか?」

「いえ、村上殿が、信濃で武田信玄を迎え討った時の様にでございます」


 村上様が珍しく苦笑した。

 流石、尾張の政事を取り仕切る男、世辞の使い処をわきまえている。


 織田も東美濃が欲しくて後詰めを出した癖に、良く言う。だが、その様な事は乱世では当たり前だ。いちいち目くじらを立てる事でもない。


「では村井殿、織田は上杉を武田と思って岩村で戦ったと言うか」

「左様」

景任かげとう、如何だ」


 皆の視線が集まると、遠山景任の目が落ち着きなく泳ぐ。

 景任が答えるより前に上杉方の武将は「こ奴、やりおったな」と思ったに違いない。


 既に、遠山家は罰を受けている。木曽川沿いの街道整備だ。勿論、費用は遠山家持ち。

 ここで織田家と上杉勢が戦となった原因が、遠山景任であっても不問で良い。結果的に織田信長の封じ込めに繋がったからだ。


「そ、某は、上杉家臣の村上義清殿の使いが参ったと伝えたはず」

 迷った声であったが、景任が言い切った。


「村井殿、如何か」

「これに」

 村井貞勝が懐から書状を取り出した。


「幸稜、確かめよ」

「はっ」


 膝立てで前に進み、村井貞勝より書状を受け取ると後退して自席へと戻る。そして、片側を掴み書状を投げ捨てるように広げる。


 どれどれ。

『・・・・・・上杉家臣の村上義清の使いだと名乗る者が・・・・・・』

 確かに景任の言った通り事が書いてある。


 取り敢えず最後までと。

『・・・・・・これは遠山家を滅ぼすための武田の謀略か・・・・・・遠山家と言う堰がなければ・・・・・・』

 なるほど、この箇所で武田が攻めて来た事にしているのか。


 だが、書状の内容など、どちらでも良い。真実が書いてあろうが、なかろうが。書状が本物であろうが、偽物であろうが、結果は変わらない。

 上杉と織田が和睦する事は、既定路線なのだ。


 上杉は、いつまでも美濃に戦力を張り付かせる訳にはいかない。

 織田は、裏にいる北条の言う通りに上杉を引き付けている訳にはいかない。

 ここで我慢比べをしては、織田が滅ぶ事になる。

 それは、両家とも望む事ではない。


 書状を綺麗に畳み、再び膝立てで進み出て書状を村井貞勝に返して自席に戻る。


「村上様、書状を確かめました」

「して、如何であった」

「遠山様が言った通りでございます」

 遠山景任が、ほっと息を吐いた。


「しかしながら、村井様の言うことも事実でございます。当時の状況では仕方ないかと」

 村井貞勝も心なしか、ほっとした様な表情をした。


「そうか、分かった」

「はっ」


「村井殿が言った通りである。確かに上杉と織田が争うのは無益」

「理解頂きありがたい。であれば織田家との和睦を」

「良かろう」

「ありがたき幸せ」


「村井殿、喜ぶのは早い。和睦するのは吝かではない。だが、これまでの戦で、我が上杉にも甚大な被害があった。将兵たちに褒美を出さねばならぬ」

「それは、織田家も同じでございます」


「村井殿、この地に手ぶらで来たわけでもなかろう」

 村上様が睨むが、村井貞勝も受けて立つ。


「では、条件を詰めましょう」

 先に折れたのは村井貞勝。

 やっと長い前振りが終わり、ここから本当の交渉が始まる。


「幸稜」

 村上様に再び声を掛けられ、立ち上がって村井貞勝の近くに移動する。


「村井様、条件などと言う些事については某が詰めさせて頂きます」

「承知した」


「まずは、国境についてです」

「尾張の岩倉、犬山の城を返して頂きたく」

「それは、できません」

「如何なる訳で」

「上杉は、既に尾張を返しております故」

「なんと。子細を伺っても」


「丹羽郡及び犬山城は、尾張守護の斯波義銀様にお渡しいたしました。また、春日井郡及び岩倉城は、尾張守護代の織田信安様にお渡しいたしました」


「やはり」

「やはりとは何でしょう、村井様」


 知っていたでしょう、このぐらい。秘密にもしてないし。


「いえ、……」

「では、続けます。この様に上杉は尾張の地を全てお返ししております。ですから、織田信長様にはお返しできません」

「承知した。国境はそれで」

「いえ、そうは参りません。織田家も和睦の証しに葉栗郡を尾張守護様にお渡ししてはと愚考しております」


 大丈夫でしょう、このぐらい。

 上杉との和睦条件として領地の割譲は覚悟して来たはず。それが葉栗郡であれば御の字だろ。


 村井貞勝が、考える振りをして口に手を当てた。笑いを誤魔化すためかも知れない。

 隣にいる柴田勝家も平然とした顔つきだ。

 織田信長から許可された範囲なのが伺える。


「如何でしょうか、村井様」

「承知しました。国境は、それで宜しいかな」

「はい、問題ありません。では次に金銭の話しをさせてください」

「金銭ですか」


「誤解とは言え、織田家は東美濃に攻め込み、上杉勢と戦をしました。結果、尾張への城攻めに繋がりました。その結果、上杉は多くの死傷者を出し多大な被害を受けております。その補償でございます。とは言え、それは織田家も同じ事」


「そうですな」

「上杉が銭を出せと言う事も、織田家が素直に銭を支払う事も、武家としては如何と思った次第」

「正に」


「そこで、織田家には馬を買って頂きたく」

「なるほど、馬の商売に見せ掛けて和睦銭を出せと言うのですな。それで、如何ほどでしょうか」

「一万貫では如何でしょう」


「一万だと」

「勝家」

 柴田勝家がいきなり叫び、村井貞勝にたしなめられる。

「申し訳ありませぬ」

 勝家が貞勝に頭を下げ謝った。


 なるほど、予算を越えたか。吹っ掛け過ぎたようだな。

 まあ、銭はどうでも良い。織田の出方を知りたい。どうする貞勝。


「一万貫とは驚きました。上杉様は織田を潰したいのでしょうか。義将と名高い上杉様がこれほど銭に煩い方だったとは」


 ほう、その様な手でくるか。流石、織田の交渉役だ。

 和睦の銭を一万貫とするならば、上杉政虎は銭に汚いと噂を流すぞと脅している。


「なるほど、尾張の国主程度では、一万貫を揃えるのも難しいのですね。困りました」


 勝家の顔が一瞬で赤くなったが、声を出すより先に貞勝の手で止められた。


「そうですな、困りましたなあ」

 他人事の様に村井貞勝が言う。


 大した役者だ。


「それでは、先に質について話しましょう」

「上杉は質も取る積もりか」

「ええ、美濃にいる上杉勢は、織田様に他意がないことを理解いたしました。しかしながら、残念な事に織田様に不満を持つ上杉家臣が多いのも事実。和睦したと言うだけでは納得もしてもらえませぬ」


「それは、上杉方の都合では」

「左様、上杉方の都合です。ですが、村上様が美濃役を引き上げ、替わりに織田家に不満を持つ方が新しい美濃役となった時に、どの様な無理難題を言い出すかは分かりません。ただ、ここで村上様が織田家より手柄を上げたとなれば、引き続き村上様が美濃役となるかも知れませぬ」


「その様な都合の良い話には乗れませぬ」

「そうですか、難しいですか、困りましたね。そうだ、では質を取る替わりに銭を少なくいたしましょう。織田家からは質と銭四千貫で如何ですかな」


 最初からその気だったのだろ、と村井貞勝の目。

 勿論、と俺の口元。


「分かりました。ですが、質について某では判断できませぬ。持ち帰りで宜しいですかな」

「三日後の返答を」

「仕方ないですな」


「村上様、村井様との話しは終わりました。先ずは休戦、三日後の返答次第では和睦、または、再び戦となります」


「うむ。村井殿も宜しいか」

「はい、我が殿、織田信長に確かに伝えます」


 村井貞勝が、村上様に頭を下げると、柴田勝家も慌てて頭を下げた。

 そして、会談に応じてくれた礼を述べ終えて、立ち上がる。


「それでは、これにて」

 貞勝と勝家が間を出ていこうとする。


「村井様、暫しお待ちを」

 声を掛けて貞勝を待たせ、家臣が持ってきた風呂敷を渡たす。


「これは?」

 風呂敷を抱えた貞勝が俺に聞く。


「遠江の蜜柑でございます」

「蜜柑?」

「冬は風病の季節、蜜柑を良く食する者は風病にかからぬと聞きます。まだまだ、寒い日が続きます。どうぞ、織田様にお届けください」

「これは、かたじけない。殿にお渡しいたそう。では」


「そうそう、村井様、質は市姫と犬姫が良いです」

 俺が笑顔で言うと、これまで表情が薄かった村井貞勝が、始めて薄く口を曲げて笑い顔になった。


次回、質と余計な言葉



幸稜、質に市姫と犬姫を指名。

さあ、織田の出方は?


尾張の石高は、50万石

織田家が治める石高35万石と津島、熱田

年収は、約20万貫


今回の和睦条件の銭と質。

例えるなら、売上200億のオーナー企業に10億の罰金が課せられた。

しかし、社長の妹二人を留学させれば、罰金を4億にすると言われたようなもの。

あなたが社長ならば、可愛い妹の市姫と犬姫を訳も分らぬ処に行かせるか?


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